49 水瀬君は私にとって大切な友達ですっ
居酒屋に来て二時間が経過した。
僕はビールを飲み、月紫さんはスパークリングの日本酒や焼酎を飲んでいる。
「これ高いんやけど永湖ちゃん可愛いからサービスな」
「感謝ですっ」
「これ常連のおっさんがキープしとるボトルやけど永湖ちゃん可愛いからあげる」
「感謝の極みですっ」
ダブルつくしの相性は良く、本来なら仲介すべき存在の僕を置き去りに二人で楽しくお喋り。
僕、いる? この場に僕の居場所ある? ないよね。以前もこういった扱いをされたなぁ。ぐすん、そしてゴクン。やけ気味に酒を流し込んで肩を竦める。
「サークルの無茶なコールに困っていたら水瀬君が現れたんです。そしてビールを何杯もイッキ飲みしたんですっ」
「流星群はアホなんな~」
僕自身は会話の輪に入れないも、トーク内容は僕に関するもの。僕のことを肴にして女性二人は尚も盛り上がる。
「ビールが飲めない私を助けてくれたんです。ね、水瀬君」
「え、ああ、そうだったね」
「流星群が急に話しかけられてキョドっとる。典型的な非モテ男子の反応やんなー」
おばちゃんがゲラゲラと笑う。ホントこの人は他人をコケにするのが大好きだ。性格が悪いね。
とはいえ今しがたおばちゃんが指摘した通りなので反論する気は起きない。いきなり話しかけられて対応出来る程、僕のコミュニケーション能力は高くない。
「あ、流星群がムスッとしてる。男がムスッとするんはシンプルにキモイからやめてなー」
「はいはい悪かったですね」
そうさ、どうせ僕は非モテの非リア充だ。日凪君のように流暢には話せないし、金束さんのように容姿に恵まれているわけでもいない。彼らみたいに華やかに堂々と生きていける人間ではないのだ。
「……水瀬君?」
自分を貶し、し終えてまたしても気づく。無意識のうちに金束さんのことを考えていることに。
気づいてさらに後悔する。華やかな大学生に引け目を感じていることに。金束さんはそんなこと一切気にしていないのに、それなのに僕は過剰に気にしている。金束さんは友達と言ってくれたのに、それなのに僕は言うことが出来なくて……。
「水瀬君」
「……」
「みっ、なっ、せっ、君!」
「っ、は、はい」
月紫さんが僕の服をくいくいと引っ張ってきた。
「私が何を言っていたか聞いていましたか?」
「う、うん」
「では水瀬君の意見を聞かせてください。講義の出席点呼の際にコナン君の変声器があれば代返が容易に可能だと思うのですがどうでしょう。もしくは小型麻酔銃を使って教授を寝かせて休講にするのはどうでしょう?」
何その話題。二十歳の大学生がする話題? そんなことを話していたんだ。
「え、えーっと、可能だと思います」
「やっぱり話を聞いていませんでしたか」
「え」
「そんなこと話していません」
月紫さんがムッとする。しまった、カマをかけられた。
「ご、ごめん。聞いていなかったです」
「ですね。水瀬君、寂しそうな表情をしていました」
「僕が寂しそう……?」
「こもろさん、お会計をお願いします」
僕を見て寂しそうだと言った月紫さん。その月紫さんもどこか寂しげな辛そうな表情をしていた。
「えー帰るん? もっと永湖ちゃんとお喋りしたい。流星群のことなんて気遣わなくていいやん」
「駄目です。最優先事項なんですっ」
「ほほぉ……流星群がどっかおかしいことにすぐ気づくとは。永湖ちゃんホント良い子やんな」
「えへへ当然ですっ」
月紫さんは手際よく会計を済ませると、僕を引っ張って立つように促してきた。
「行きましょう」
「う、うん」
「また来てなー」
おばちゃんに見送られて僕と月紫さんはお店を出る。
途端に聞こえてくる大通りの喧噪。月紫さんはその方向には行かず、僕を見て「こっちの方から行きましょう」と言う。
「遠回りになるけど気にしないでおきましょう」
「う、うん。えっと、今日は奢ってくれてありがとう」
「いえいえ」
「楽しかったよ。じゃあ帰ろうか」
「帰りませんよ」
飲み屋の灯りもない暗い道を歩く。反対側の喧噪が届かなくなり、聞こえるのは月紫さんの声のみ。
月紫さんの声に、おっとりとした響きは感じられなかった。
「嘘ですね」
「な、何が?」
「水瀬君は楽しかったと言いましたがそんなことないですよね。顔を見たら分かります」
月紫さんは歩く。一歩後ろにいる僕には彼女の顔は見えない。
「ご、ごめん。せっかく誘ってもらったのに」
「水瀬君は本当に優しいですね。私は水瀬君が楽しそうじゃなかったことを気にしているわけではありません。水瀬君が、辛そうにしているのが心配なんです」
月紫さんがこちらを振り返る。
僕は止まり、月紫さんは一歩詰め寄る。近づいた月紫さんの表情は暗い夜道でもハッキリと見える。
僕を見て、見続けて、手を握ってきた。
「様子がおかしいことは今日会った時から気づいていました。何か嫌なことがありましたか?」
「……そう、かもね」
せっかく月紫さんが誘ってくれたのに僕は他のことを考えていて落ち込んでいた。しかもそれを見透かされていて今なんて月紫さんに気を遣わせている。
最低だ。周りに迷惑をかけている。僕が情けなくて最低野郎なせいだ……。
「本当にごめん。僕のせいで楽しくなかったよね」
「謝らないでくださいっ。謝るんじゃなくて、相談してください。私で良ければ話を聞きますよっ」
月紫さんの温もりが手に広がる。彼女の優しさをひしひしと感じる。
故に申し訳なく思う。僕なんかのせいで。僕なんかのことを心配しなくていいのに。
「大丈夫だよ……月紫さんは気にしなくていい」
「だ、駄目ですっ。水瀬君は全然大丈夫じゃないです! 心配なんです!」
「僕のことを心配する必要なんて……」
「あります。ハイパーあります! だって、だって水瀬君は」
眼鏡の奥の円らな瞳。月紫さんは僕を見る。手を握り続ける。そっと、優しく、温かい。
それが辛くて顔を俯かせてしまう。月紫さんと目を合わせられない。
けれど月紫さんは僕を見続ける。手を握り続ける。
僕に、言ってくれた。
「水瀬君は私の友達なのですからっ」
言ってくれた。友達だと。
取り繕いも気遣いも感じさせない、本心から出したかのような、そんな言葉。
そっと、優しく、温かった。
「……友達…………」
「はい友達です。だから心配だし相談に乗りたいんですっ。私は水瀬君の友達。そうですよね?」
友達と言ってもらえて動揺する自分がいる。心を揺すられて苦しくなって、でも、こんなに温かくて……。
「っ……」
それなのに、言えない。答えてあげることが出来ない。僕は言えないでいる。
「水瀬君……」
「違う。友達じゃないよ。ただのビールを教え教えられる関係だ」
ああ、また嘘を言っている。どうして僕は逃げてしまうんだ。
ビールを教え教えられる関係。それだけじゃない。月紫さんとだって既に友達になれているのに、逃げることの方が辛いと気づいているのに、本当の自分の気持ちにも気づいているのに僕はどうして……!
「僕みたいな根暗野郎が友達だなんて恥ずかしいよ。やめておいた方がいいよ」
「……」
金束さんと同様、僕は自分の手で捨ててしまうんだ。
「最低だよ、僕なんて」
「そんなこと言うのが最低です」
「……月紫さ」
「私が喋っているターンですっ。最後まで聞いてください!」
「い、いいんだ。言わなくていい。僕は最低な奴なん、ぐっ!?」
手は離されて、代わりに衝撃が走る。
月紫さんが僕の胸に飛び込んできた。突然の衝撃を抑えきれず僕は後ろへ数歩下がり、そして月紫さんは抱きつく。
僕の背中に両腕を回して思いきり抱きしめてきた。
「水瀬君は怖いんですね」
「け、けほっ……怖い……?」
「友達と言うのが怖がっています」
「っ……」
「水瀬君は以前言いました。一人でいい、一人がいい、と。辛い過去を忘れる為に一人酒に逃げたんですよね」
「よく覚えているね……」
「覚えていますよ、水瀬君のことだもの」
僕の胸元で顔をぐりぐりとさせ、月紫さんは顔を上げる。その顔は、赤く照れながらも僕をまっすぐと見上げていた。
「覚えているし水瀬君のことなら分かります。私は水瀬君のお友達なので」
「……でも」
「まだ言えないんですか。むむっ、水瀬君はビビリです」
「そうだよ。僕はビビリで根暗で惨めな最低野郎だ」
「それはまだ言うんですかっ。いい加減にしてくださいっ、そんなこと絶対にありえません! 自分に嘘をつかないでください!」
僕は嘘をついている。自分の気持ちを認めようとせず、余計に辛いと分かっているのに逃げてしまう。
「分かります。ううん、分かるよ。好きだった人に見てもらえなくて、辛い思いをして、友達なんてできるわけないと決めつけたんだよね。できるわけがない、だからこそ怖いんだよ。友達と認めるのが怖いだけなんだよ」
好きだった人。そう言われてすぐに思い浮かぶ、思い浮かんでしまうあの人の姿。
『流世君、今日もめちゃ飲みに行こー!』
快活で、ノリが良くて、僕にも話しかけてくれた人。一年前の出来事を鮮明に思い出し、その挙句の果てを思い出して苦しくなる。
事実を叩きつけられる。自分の存在価値のなさを。身の程を知らず調子に乗っていたあの頃を。拒絶される恐怖を。不知火相手にもどこか遠慮してしまう程に怖かった。
僕なんかには友達ができるわけないと……。
「怖がらないで。私は何度でも言うから」
僕は怖かった。怖くなったんだ。
金束さんも月紫さんも、出会った頃は普通に話せていた。自らの意思でビールの飲み方を教えようとした。
それは、まだ友達じゃなかったから。ただの協力関係だったから。
でも今は……友達になった今は、怖くて仕方がない。
友達になれたからこそ、認めるのがすごく怖かったんだ……。
「私と水瀬君はビールを教え教えられるの関係じゃない。それだけじゃない」
そんな僕にも、根暗でボッチだった僕にも、いつの間にか誰かと一緒にいる楽しさを、誰かと一緒に飲む美味しさを手に入れていたんだ。
なっていたんだ。なれていたんだよ。
「私と水瀬君は……」
怖がるな。認めるんだ。
僕は、僕には……!
「私と水瀬君は、友達だよ!」
「ぼ、僕は……」
「僕なんて……」
「……っ、違う。僕なんて、じゃない」
「月紫さん」
「永湖っ」
「あ、ご、ごめん。……永湖さん」
「はいっ」
「聞いてもいいかな……?」
「どうぞっ」
「僕と永湖さんは……と、友達、だよね……?」
「何度でも言いますよっ。私と水瀬君は友達です。水瀬君は私にとって大切な友達ですっ」
「僕と永湖さんは友達……うん、友達なんだね」
「うんっ」
友達と言ってもらえて、自分でも言えた。自分で言って肯定してもらえた。
嬉しかった。気持ちが楽になった……。逃げずに気持ちに向き合うのがこんなにも……っ!
「っ、っ」
「わわっ!? な、泣いているんですか?」
「ご、ごめん。あまりに嬉しくて……」
「……水瀬君はまた拒絶されるのが怖かったんです。辛い思いを一度味わっているからその痛みに敏感なだけです。でも逃げ続けなくていいんです」
月紫さんは抱きついたまま言葉を紡ぐ。そ
の声が、この温もりが、僕を優しく包み込んでくれた。
「私は知っています。誰かの為に頑張ってくれる水瀬君の優しさを知っています。でも他人だけじゃなく、自分にもその優しさを向けてください。辛い過去があったからといって自分にまで辛く当たったり卑下しないでください」
「うん……分かったよ」
「言っておきますけど、友達になるのって普通ですからねっ。何をそんなに悩んでいるんですかっ」
「そ、そうだね」
「……水瀬君にはとっても大事なことだったんだね」
「うん……」
「もう大丈夫ですか?」
「大丈夫。うん、やっと向き合えた気がするよ」
拒絶されたあの日を境に僕は一人ぼっちに逃げ込んだ。もう二度と誰かと仲良くなれやしない。そう思わないと苦しかった。そうなってからは楽になれた。
今は違う。
拒絶された過去は拭いきれないし、自分のことは根暗でビビリだと今でも思っている。
その上で、僕は認める。自分の気持ちに向き合えた。こんな僕にも友達がいていいんだ。誰かと一緒にいていいんだ。
何より、僕のことを友達と言ってくれる人がいる。目の前にいる。それがどれ程に嬉しいことか、幸せな事か、僕は噛みしめてもいいんだ……!
「ありがとう月紫さん」
「んっ、スッキリした顔をされていますねっ。あと月紫じゃなくて永湖ですっ」
「そ、それまだ慣れないんだけど」
「いーえ譲れません。はい、せーのっ」
「え、永湖さん」
「はーいっ」
月紫さんはニッコリニコニコの笑顔を浮かべると、僕から離れた。ぴょん、と跳ねてその場に立つ。
……今更だけど僕ら抱き合っていたんだね。今更になってドキドキしてきたぞ。
けど、っ、すっげぇ嬉しかった。救われた思いがした……!
月紫さん、ありがとう。
「えへへ~。……でも少し嫉妬しちゃいますね」
「へ?」
「水瀬君は誰かの為に悩んでいたんですよね。……誰か大切な人の為に」
「た、大切ってわけじゃ……うっ、まぁ大切と言えば大切かも」
また逃げようとしていた。いい加減にしよう。それはもうやめだ。
認めるんだ。金束さんは僕にとって……大切な友達なんだ。
「そうですかそうなんですね。むー、むぅー……うぅ~!」
……なぜか月紫さんが頬を膨らませている。な、なぜ急に?
「水瀬君、その大切だという人の性別は……な、なんでもないです」
「性別?」
「やっぱり言わなくていいです。……とりあえず負けません」
そう言って月紫さんはさらに「むー、むぅ~」と口をすぼめる。膨らませていた頬がしょんぼーりとする。可愛い。あ、い、いやそうじゃなくて。
「えっと、何かあった? 僕で良かったら相談に乗ろうか?」
「いえいえ、これはまた別の問題です」
「別の問題?」
「……」
月紫さんは黙ると、僕から距離を置く。数歩離れたところでしゃがみ込むと口元を両手で押さえた。
「友達じゃなくそれ以上の関係になりたい、と今言うのはズルイよね。水瀬君を困らせてしまうもん。……いつか言うから待っててください」
口元を押さえてモゴモゴと喋っており、目線は僕に向けている。
な、何やら喋っているみたいですが僕には聞こえない。僕に向けて何か言っているような気がするんだけど……?
「永湖さん?」
「なんでもないですっ。それよりも水瀬君にはやるべきことがあるんじゃないですか?」
「っ、そうだね。……うん、頑張るよ」
「応援していますっ。水瀬君ファイト!」
僕のことを友達と言ってくれたのは月紫さんだけじゃない。金束さんも言ってくれた。
だったら今度は僕が言う番だ。言うんだ。金束さんに……!




