48 永湖さん
やっと解放された。
「久方ぶりの一人酒だ。楽しもう」
僕の家。僕だけの空間。一人ぼっち。さあビールを飲もう。
「テンションが上がる。本当に久しぶりだ。今日はとことん飲んでやるぞ!」
やっと解放されたんだ。金束さんに振り回されずに済む。理不尽に怒られずに済む。
僕は一人の生活に戻ってきた。もう金束さんと会うことはないんだ。
「それではっ、いただきまーす!」
声をあげて気持ちを高める。高揚感と共に僕は缶ビールを頭上へと掲げた。
全部、嘘だ。
若さに任せて飲んで騒ぐ、仲間とつるんで常に行動を共にして満喫する華やかで充実した大学生活。
そんなもの、金束さんが一番嫌っていたものじゃないか。大人数での大騒ぎも、派手なキャンパスライフも、チャラ男のような奴も、お酒の味を楽しみもしない雑な飲み方も、金束さんは求めていなかった。
華やかな日々を望むなら僕と一緒にいるわけがない。僕と同じで大学生のノリが嫌い。だから僕は金束さんに協力してみようと思った。自分と同じ価値観を持つ人に初めて出会えたと思えたんだ。
それなのに僕は認めなかった。自分自身に、無意識のうちに、嘘をついていた。
自分は金束さんに相応しい人間ではない。自分は根暗な人間。一人でいるべきだ。そう決めつけた。
「……でも金束さんはそんなこと思っていなかった」
僕は金束さんに相応しくない? それは誰が決めた。あのチャラ男か? 僕自身か? 誰の目から見てもそう見えるからか?
金束さんにはチャラ男のような人が似合う。陽気で華やかな方がいい。そんなこと誰が決めた。金束さんが一度でもそう言ったか?
金束さんは、金束さんだけはそんなこと思っていなかった。相応しいとか、本来出会うはずのなかった関係だとか、彼女だけは考えていなかった。
違うだろうが。金束さんが望むものは華やかな生活でも充実した大学生活らしい暮らしでもない。
金束さんが言っていたのは一つ。
ビールが美味しいシチュエーションだ。
僕は知っていたじゃないか。金束さんが求めていたのは美味しいビールだったじゃないか。
「それなのに僕は……」
大学生のノリが嫌いでリア充が大嫌い。大学生のやることを嫌悪している。そのくせしてキャンプや夏フェスには興味津々で、いざやってみると子供のように無邪気に笑う。意外とピュアで涙脆くて、虫が苦手だったりちょっとセクシーな映画で赤面したりする、言動は荒れているけど本当は普通の女の子。
僕は知っていただろうが。金束さんの望むものを、夢を。何より、金束さんのことを分かり始めていた。
それなのに僕は逃げた。
嘘をついて、僕は陰キャで金束さんは陽キャだと決めつけて僕らは住む世界が違うと言った。
「一人の方が楽? 一人でいい? 一人がいい?」
一人、部屋に一人。一人ぼっち。一人酒。
プシュ、と音を立てて缶ビールの蓋を開く。缶を持ち、誰かと声を揃えるわけでもなく、グラスをぶつけ合うわけでもなく、一人で飲み始める。一口、二口目。喉に流し込んで、缶をテーブルに置く。
口に広がるビールの味。胸に広がるは、虚無感。
久しぶりの一人酒。テンションが上がる。高揚感がある。
全部、嘘だ。一人が嬉しいなら、もし本当にそうなら……。
「だったらどうして以前のように唸らない。以前のように感じない。ビールが美味しいと思わないんだよ……!」
全部、何もかも間違っている。
チャラ男に何を言われようとも、僕が何を言おうとも。僕と金束さんは既にそうなっていたんだ。
二人で色んなシチュエーションでビールを飲んで、二人で遊んで、僕は金束さんのことを知って分かり始めた。金束さんも僕のことを理解してくれていた。
僕らは既になっていたんだ。僕らは友達になっていたんだ……。
「金束さん……」
一人で飲むビールは最高。
けど今は最低だった。ビールの味も、僕自身も。最低だ。
美味しくないビール。三口目を口に運ぶ気力は湧かない。
代わりに視線はテーブルの上へ。そこには、先程届いた荷物。仲直りしようと購入した品々。
……もう手遅れだ。僕は拒絶した。金束さんはもうここに来ない。
それに僕は言えないだろう。僕に対して自分の気持ちを素直にぶつけてくれた彼女に、僕は言ってあげることが出来ない。言う勇気がない。
僕らは友達だ。ただその一言を、僕は言えない。
「ごめん……」
何度も思う。惨めだ。情けない。最低野郎だと。
視線は下がる。うずくまる。虚無感に溺れて吐き気が止まらず、目を閉じてしまう。
気持ちに気づいたところで結局は何も出来やしない。言える自信がない。
僕は……僕には…………。
『水瀬君』
震える。スマホが震えた。
閉じた目を開ける。そこに映る文字。
そしてもう一度、スマホが震えた。
『飲みに行きませんかっ?』
飲み屋街へと続く入口ゲート近くの公園。周辺に住む大学生にとっては最適の待ち合わせ場所であり、今現在も若い連中が「ウェイウェイ今日は飲み会ウェーイ」と騒いでいる。
その中、僕は控えめに手を振る。
「月紫さん、こっち」
「水瀬君っ」
遠くの方でも視界に捉えてもらえたらしく、月紫さんはニッコリと笑う。
とててっ、と可愛らしい足音が聞こえてきそうな小走りで来て、僕の前に立つと「えへへ」と言っていつものように頭を下げる。
「お待たせしました」
「じゃあ行こうか」
「はーいっ。今日は私の奢りです」
「別にいいって」
「駄目ですっ。水瀬君は一銭も払わなくていいですからね。払ったら私は眼鏡を叩き割ります」
「新調したばかりの眼鏡を人質に取らないで」
冗談です、とイタズラっぽく微笑んだ月紫さんが眼鏡に両手を添える。呼吸のように当たり前にぽわぽわぁとした可愛らしい仕草をする月紫さんが眩しかった。
今から月紫さんと飲む。月紫さん曰く、夏フェスで助けてもらったからお礼がしたいとのこと。
「僕が眼鏡を守れなかったのが原因だしお礼なんてしなくてもいいよ」
「いいえ絶対にします!」
「元気ですね」
「ハイパーですっ」
「そ、そうですか」
何がなんでもお礼をしたいらしい月紫さんと共に移動を開始。賑わう飲み屋街のメインストリートを通過し、小道へと逸れていく。
街灯よりも看板の灯りの方が辺り一帯を照らす道に馴染み深さを感じつつ、とある居酒屋の前で立ち止まる。
お店の暖簾には『飲処 -つくしんぼ-』の文字。
「ここが水瀬君の行きつけのお店ですか?」
「うん」
「なるほど楽しみですっ。入りましょうか」
「……」
「水瀬君?」
「あ、ああごめん。入ろうか」
外見と同様、こじんまりとした店内。入店するとすぐにカウンターの奥からおばちゃんが出てきた。
僕を見て「あらまぁ」と呟き、月紫さんを見て「あらまぁまぁ!」と声を荒げた。
「どうしたん流星群! 新しい彼女?」
「彼女じゃないです」
「女たらしなんなー。前の彼女は捨てたんね」
「や、だから違いますって」
前の彼女って金束さんのこと? 紹介した時にも言いましたが付き合っていませ……月紫さん?
「水瀬君、彼女いたの……?」
「へ?」
「そ、そうでしたか。……そっか…………」
えっと、月紫さんが落ち込んでいる? なぜ。なんでシュンとしてるの?
「あの、僕に彼女いたことは一度たりもありません」
「本当ですかっ?」
「う、うん……」
やめて。言わせないで。彼女いない=年齢の辱めを自身で言う悲しさ。
……彼女どころか友達もいないよ。僕は友達と言える自信もない根暗でビビリなのだから。
「ぷぷっ、流星群は哀れなんな~」
おばちゃんが笑う。そうですね、本当に哀れだ。最低ですよ。
「そっか」
「……月紫さん?」
「えへへぇ」
「な、なんで今度は嬉しそうなの?」
「流星群には分からんやろねー。さ、座って座って」
おばちゃんの嬉々とした態度にしかめ面を向けるも、既におばちゃんの関心は月紫さんに注がれている。僕のことはテキトーにからかって後は無視だ。
「おばちゃん、生中を二つ」
「はいな」
別にいいけどね。そうやって月紫さんと顔を合わし続けるといいさ。ビールを飲む月紫さんと向き合っているとどうなるのか身を持って味わうといい。噴き出し攻撃を受けてしまえ。
「あなたのお名前は?」
「私は月紫永湖と言います」
「つくし?」
「はいっ」
おばちゃんは目を点にして、直後に両手を合わせた。可愛らしい仕草? いいえ、決して違います。月紫さんの足元にも及ばない。
「私もよ!」
「「え?」」
おばちゃんの無茶な仕草に困惑していたら突拍子もない発言を食らった。
私もよ、とは? 僕と月紫さんは声を揃えてクエスチョンマークを浮かべ、おばちゃんは自分の胸に親指を突き立てる。
「おばちゃんもつくしって言うんよ。土筆こもろ(つくしこもろ)。こもろちゃんって呼んでね♪」
「うわぁ……」
「わぁ~」
おばちゃんの無茶無謀なポージングと発言に溜め息つく僕と、楽しげに息をつく月紫さん。
おばちゃんのフムネームを今知った。この人いつも「こもろちゃんって呼んでね♪」と言うから名字に関心がなかったよ。
「私は月紫で、こもろさんは土筆なんですねっ」
驚き僕とは裏腹に月紫さんは順応性が高い。すごいね。
「だからお店の名前も『つくしんぼ』なんよ。私の名前から取ったナイスネーミング~♪」
そしておばちゃんのテンションが高い。こもろちゃんを強要するなら店の名前も『こもろんぼ』にしなよ。いや別にどうでもいいけど。
「珍しいやんなぁ。つくしで名字が被るとは」
「そうですねっ。私もビックリです」
「こうなってくると流星群の水瀬って名字がしょぼく感じるわー」
なんでこちらに飛び火が。僕の名字をディスらないで。割とカッコイイと思っているから。名字だけはまともだと思っているから。
「水瀬流星群って変な名前~」
「流星群じゃないです。流世です」
「はい生ビール二つ」
「僕の声届いてないですよね? 僕の尊重限りなくゼロですよね?」
常連さん相手になんつー態度だろう。
ともあれ、仕返しの手筈は整った。僕は月紫さんにビールを渡す。
「どうぞ月紫さん」
「え? 呼んだ?」
「おばちゃんには言っていません」
「だって名字一緒やもん。紛らわしい」
「そんなこと言われても困ります」
「おばちゃんのことをこもろちゃんって呼ぶと誓え」
「絶対に嫌です」
「んじゃあ、永湖ちゃんを月紫さんじゃない呼び方にせんとな」
は、はぁ?
「月紫さんを?」
「はい駄目。名字呼びは禁止」
「そんなこと言われても……」
名字が駄目となると、下の名前? い、いや、それはさすがにちょっと。
それに月紫さん本人が嫌がると思う。僕なんかに呼ばれて嬉しいわけが……。
「水瀬君」
「ん?」
「なんて呼んでくれますか?」
「……へ?」
袖をくいくい。引っ張ってきた月紫さんは上目遣いで僕を見つめてきた。
……もしかして待っている? 僕が新たな呼び方をするのを待っている? えっ、月紫さんはいいの……?
「ほぅら本人も良しとしてるやんな。早く言いなよ流星群」
「でも」
「水瀬君……?」
「でも……」
じ、じゃあ……。
「……え、永湖、さん……?」
「もっとハッキリと呼ばんかーい」
おばちゃんがウザイ。ぐっ……わ、分かりましたよ。
「永湖さん! これで良いですか!」
「さぁ永湖ちゃんの反応は!?」
「っ、え、えへへ……はい、永湖ですっ」
月紫さんは頬を赤らめ、口元を緩ませた。
「水瀬君、もう一回呼んでくれますか?」
「ぅ……永湖さん」
「はいっ」
元気な返事。月紫さんは僕に笑顔を向ける。
なぜか……なぜか嬉しそうだ。なぜだ?
「ビールいただきま、げほぅ!」
僕に向けて噴き出すのはなぜだ?
「ひゃっはは! 流星群の顔がビシャビシャやんなぁ!」
おばちゃんがゲラゲラ笑う。腹を抱えてカウンターを叩きまくっている。
「ごめんなさいっ」
「だ、大丈夫だよ」
「……も、もう一回呼んでください」
「……永湖さん」
「えへへげほげほっ!」
「ぎゃははは!」
「なんだこれ……」
月紫さんはビールを噴き出して僕の顔を襲い、それ見ておばちゃんは大笑い。
『飲処 -つくしんぼ-』にて、僕は自由奔放なつくしさん二人に翻弄された。




