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46 陰キャのくせに、

 激情に駆られて叫んだ。八つ当たりしてしまった。

 ……金束さんは泣いていた。睨みを効かせようとした瞳に涙を溜めて、驚きながらも下唇を噛みしめて。

僕が悪いんだ。ついカッとなって酷いことを言ってしまった。金束さんは悪くないのに。

 悪いのは僕なのに……。


「何遍も言わせんな。次はもっとキビキビ動けよテメー」


 す、すいません。

 ヘルメットを取り、頭を下げて作業場を後にする。


『アルバイトの人は作業をやめてください』

「言われなくてもすぐにやめますよ、こんな鬼畜バイト」


 息と捨て台詞を吐いて背を伸ばす。

 長時間に及ぶ荷物の仕分けのバイトが終わった。疲労困憊、酷使した体は捻れば骨が鳴る。筋肉痛は間違いなし。

 二度としないと決めたこのキツイ短期バイトに再び手を出したのにはある理由があるからだ。


「前回のバイト代と合わせれば良い日本酒と高級なビールが買えそうだ。あと……うん、これも買っておこう」


 スマホを操作。注文手続きを終えて帰路を歩く。

 金束さんと喧嘩した日から数日が経った。酷いことをしたのは取り返しがつかない。どれだけ自己嫌悪に陥ろうとも時間は戻らない。

 だからといっていつまでもウジウジしていても仕方がない。今から出来ることを考えよう。


「こんなものを買って、謝って、それで仲直り出来るかは分からないけどさ……」


 でも現状を変えたいって思うから僕は行動に移した。仲直りしたいって思ったんだ。


 ……変えたい、か。

 随分と柄にもないことを考えているものだ。いや……柄にもないのは以前からなのでは?

 僕らしくない。そもそも僕らしいとはなんだ。いつから、いつの間に、変わったんだ。


「……何を必死になっているんだよ」


 呟き、俯き、足が止まる。

 柄にもないのはいつからだよ。昔、一人酒に逃げた分際のくせに誰かの為に何かしようと思う。そう思うようになったのはいつからだ。

 いつから僕は……それに、どうして僕は……。


「っ、あぁ、クソ。変なことばかり考えてしまう。だから今日も社員から怒鳴られたんだぞ」


 万全のコンディションでも怒られるのに今の精神状態でまともに働けるわけがなかった。めちゃくちゃ怒鳴られたよ。社員さん怖すぎ。


「さっさと帰って部屋で飲もう。……金束さんが来ているかもしれないし」


 喧嘩して以来、金束さんは僕の家に来なくなった。今日来るとは思えない。

 でももしかしたら。そう考えたら足を止めて自己嫌悪している場合ではない。

 急ごう。謝ろう。以前のような関係に戻……。


 戻るってなんだ……?

 僕と金束さんは付き合っていないし特別仲が良いわけでもない。戻るって、どんな関係に? 仲直りするとは何か。元から仲が良かったのか?

 またしても考えて、でも急いで帰ろうと足を動かす。


 そうして止まる。

 前方に金束さんがいた。


「っ、金束さ……?」


 遠く離れた場所であっても彼女の髪色と雰囲気は見違えない。

 染め直したと言っていたベージュ色の眩しい髪。凛然として且つふて腐れたような常に不機嫌な態度は遠くからでも分かる。

 そんな金束さんと並ぶ、金髪男の姿も目に入った。


「金束さんがチャラ男と一緒に……」


 チャラ男と金束さんが並んで歩いていた。二人だけで。

 どうしてあの二人が。

 思いがけない組み合わせを目の当たりにして意識が数歩分遅れる。歩く二人がこちらの方へと向かっていることに気づかなかった。

 隠れなくては。慌てて物陰へと隠れて、そして、なんで僕は隠れているんだと疑問に思う……。


「そんな嫌な顔しちゃ俺っち悲しー」

「ふん。なんで私とアンタが……」


 隠れた僕の横を二人が通過していく。

 チャラ男はチャラく上機嫌に、金束さんは眉間にシワを寄せてしかめ面。


「小鈴がサークルに来ないからっしょ。まぁ俺っちもサボってるけど☆」

「アンタ一人で行けばいいじゃない」

「つれないねぇ。せっかく会長に頼んで二人きりになれたんだから楽しもうべー」

「はぁ? サークルの会長に頼んだ? 余計なことを……!」

「余計でオーケイ。てゆーかサボり部員の俺っち二人に拒否権はないっしょ。今日はおとなしく付き合ってもらうからしくよろ☆」

「ムカつく……」


 コソコソと隠れて盗み聞き。二人の会話から、金束さんとチャラ男はサークルの買い出しをしている最中であることを知る。


 ……違うだろ。なぜいの一番に助けに入らないんだ。仲直りしたいとついさっき思ったばかりなのに。

 金束さんは嫌がっている。チャラ男の策にハメられている。なのに、僕は隠れたまま動けない。前回と同様、何も出来ないでいる。


「機嫌が悪すぎっしょ」

「アンタと一緒だからよ!」

「いんや、それ以前の問題な気がするっしょ。何? やなことでもあった系?」

「……アンタには関係ないわ」

「おー怖い。まーま、リラックスしようべ。俺っちの部屋に行……んー?」


 助けろと思って命令しても体は動かない。通り過ぎていくチャラ男が僕のいる物陰へと視線を走らせ……。


「アンタの部屋に行くわけないでしょ! 私はこれから行きたい場所が……」

「あの根暗君とこ?」

「っ、か、関係ないでしょ」

「今行っても無駄足だべ」

「はあ? なんでアンタに」

「俺っち用事ができた。買い出しはまた今度ってことで解散しくよろ」


 金束さんと喋りながらチャラ男は僕を見る。視線を走らせる一瞬のうちに確かに告げられた。

 そこにいろ、と。話がある、と……。


「勝手なことを」

「ん? 俺っちと別れるのが寂しい?」

「誰がアンタなんかと! 言われなくても帰るわよ!」

「次はゆっくり寛ごうね☆ 楽しみにしてるぜ☆」

「ふんっ!」


 金束さんは踵を返し、不機嫌なオーラ全開で一人帰っていく。

 その後ろ姿がどことなく寂しそうに見えて、それが僕に何らかの関係があるのかと思うと胸が痛くて……。


「で、根暗君はそこでなーにやってんの」


 寂しげな後ろ姿を目で追う僕の視界いっぱいにチャラ男が飛び込んできた。ニヤニヤと笑い、嬉々とした態度。あからさまな見下した目は以前と同じ。


「ストーカーしてんの? それマジひくわ。外見通りの行動に俺っちドン引き」

「す、ストーカーじゃない……です」

「タメ語でいいっての。ビクビクしすぎっしょ」


 物陰に隠れていた僕は後退するスペースもなく、目の前から詰め寄ってくるチャラ男にただ圧倒される。

 チャラ男はズボンに両手を突っ込んで意気揚々に踏ん反り返る。


「やー、すごいよな」

「……何が」

「小鈴」


 そう言うとニヤついた笑みに厭らしさが増した。


「根暗の君でも小鈴の可愛さは分かるっしょ。あんなに可愛い子は他にいない」


 それに、と付け加えてチャラ男は両手を胸の前で大きく動かす。


「あの胸マジヤバくね? 巨乳だし体の線は細いし、あれを思うがままに出来ると思ったら……ヤッベマジ興奮するわー」


 チャラ男は厭らしく下卑た動きで喋り、唇に下を這わせて笑う。

 そんなこいつの姿が、こいつが金束さんに近づいている動機が気持ち悪かった。


「……最低だね」

「最高っしょ? 可愛くてスタイル良くて、おまけに男性経験なしと見た。超優良物件じゃん。俺っちがぜってぇ手に入れてみせる。まっ、飽きたら根暗君にも回してあげてもいいかな。良かったな根暗君っ」


 最低で下劣、金束さんが最も嫌うどこにでもいる典型的な大学生だ。

 こんな奴が金束さんに……っ。


「もっかい自己紹介と警告しておくんでよく聞いてなー。俺っちの名前は日凪昭馬。根暗……あー、名前なんだっけ? どうでもいいけど。根暗君、二度と小鈴に近づくなって言ったよな?」


 よくもまあ噛まずにペラペラと喋れるものだ。

 本当に嫌気がさす。こちらの意見を聞かず勝手に喋る目の前の男にも、自分自身にも。


「……そんなこと言われる筋合いはない」

「お、第一印象とは違ったちょい強気な態度に俺っち困惑なう」


 一々と癪に触る言動が出来るものだ。

 チャラ男は大袈裟なリアクションを取って、それでも顔色に変化は見えない。勝ち誇った顔、優越感に浸った表情は崩れないでいる。


「この前は時間なかったからパパッと言っただけだもんね。まだ理解してなかったんだ。あらら」

「何を言っ」

「しつけーんだよ根暗。俺っちの邪魔するなっつってんだよ」

「別に僕は……」

「あーはいはい分かった分かったから。どんなに凄んでも無意味だから。いいか? 俺っち優しいからハッキリと言ってあげよう」


 こちらに何も言わせない強引な態度。でも金束さんとは全く別のもの。嫌味ったらしく、完全に僕を馬鹿にした、自分の方が格上だと言わんばかりの口調だ。

 そしてこいつの言う通りだと思う自分がいた……。


「自分のランクっつーか存在価値? それ分かってる? 根暗君に小鈴はどう考えても相応しくないっしょ。だってお前は陰キャじゃん」

「……」


 全くもってその通り。まさに今、自分でそう思っていた最中だ。

 このチャラ男や金束さんと比べて僕は遥か下の人間なのは分かりきっている。それをこいつはハッキリと口に出して言った。


「お前、あの子の彼氏じゃないんっしょ。当たり前だよな、うんうん。だってお前じゃ……ぷぷっ」

「……」

「あーメンゴメンゴ☆ 冗談冗談☆ まぁ小鈴には俺っちみたいな人がお似合いなわけ。そこは理解してよ?」


 ムカつく。こいつの言う通りだけど腹が立つ。

 ムカつく。けど、僕は何も出来ない。またしてもどうすることも出来ないままだ。


「小鈴はさ、俺っちのモノだから」

「……金束さんは嫌がっている」

「だから? 嫌がっているから何? そこで諦めるのがホント陰キャすぎっしょ」

「僕が陰キャなのは関係な」

「うん関係ないね。根暗君は邪魔者。俺っちの邪魔をしないで」


 少しでも歯向かうおうとすればチャラ男は壁に蹴りを入れる。それだけで僕は萎縮してやっぱり何も出来ない。

 許せなかった。こいつの言うことやろうとすることが。

 ……何より許せないのが、こいつは金束さんのことを何一つ理解していない。


 金束さんは……金束さんは本当は……!


「邪魔になりそうな奴はさっさと潰す。何度だって言うし何度でも脅してやる。陰キャのくせに調子乗んな」


 何度も言われて、何度も言い返そうと考えて、何も出来ない。本当に何も出来ない。


 一番許せないのは自分自身だ。言われっぱなしで、その情けなさを金束さんにぶつけてしまった自分が本当に許せなかった。

 そんなこと思うくらいなら、チャラ男が言った通り僕はもう金束さんとは……っ。


「俺っちは着々と攻略してっから。サークルを利用すればいくらでも小鈴と二人きりになれる。あとは強引に押せば楽勝だ」


 誰かの為に。柄にもない。

 だったらいっそのこと逃げよう。昔のように一人に逃げればいい。一人はとても楽で自由で、寂しいのだから。


「早くヤりてーな。そう思わね? まぁ根暗君には一生無理だろうけど。あーまた馬鹿にしちゃった。本当のことでも言っちゃいけないよね☆」


 ほくそ笑むチャラ男。その歪んだ厭味ったらしい最低な笑顔を最後に視線を来た道へと移動させる。


「じゃ、今度こそしくよろ。陰キャは陰キャらしく自分のしょぼさを思い知って隅っこでキャンパスライフを楽しんで♪ リア充の邪魔しちゃ駄目だぞ♪ ……分かったかこの根暗野郎が」


 去っていくチャラ男の背を見つめて、ただそれだけ。

 前回と同じだ。一つとして何も出来なくて、何も言えなくて。


「僕は……っ、僕は…………」


 呟き、俯き、足は動かない。

 けどその中で、答えは出た。

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