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41 やはりこの人に刃向うのは無理そうだ

 月紫さんの訓練は数ミリの量でしか進歩せず、金束さんに美味しいと言わせるのは先が見えない。

 慌ただしく過ぎ去っていく長期休みも気づけば八月の下旬だ。


「すー、はー……」


 僕は深呼吸をしてパソコンを開く。

 大学のホームページにて在学生向けの項目をクリック。学生一人ひとりに与えられたパスワードを入力する画面が開かれる。入学当初は覚えきれなかった英数字の複雑なパスワードを今では数秒で打ち込み、今期の成績を開示する。


「……良かった。フル単だ」


 前期に受講した講義名の横には『優』や『良』もしくは『可』の文字が表示されている。上から下までチェックして『不可』の評価がないことをしつこく何度も視認した後に安堵の息をつく。

 フル単。つまり前期に受けた講義を全てパスしたのだ。


「ミクロはヤバイと思ったし社会科学も自信なかったけどギリセーフ……!」


 思わず拳に握りしめる。僕は頑張った。偉いぞ。ナイスぅ。


「けどなぁ」


 フル単なのは素直に嬉しい。

 しかしよく見ると『可』の多さが目立つ。というか最高評価の『秀』がほとんどない! あんなに頑張ったのにGPAは然程高くないのだ。平々凡々な普通の成績。

 ……恐らく、同じ学科のイケてるウェーイ族は僕よりも多くの『秀』を獲得したに違いない。

 彼らには僕が持っていない最強の切り札、過去問がある。僕の勉強量を数時間の暗記で上回ったであろうことは、テスト終了後の彼らの表情を見た時に既に分かりきっていたよ。


「き、気にするな。どうせ奴らはサボって『欠格』になった講義がいくつもあるはず。総合的には僕の方が上。上のはずだ。……ふぐぅ」


 自分自身を慰めて、より惨めになった。

 はは、所詮この程度さ。ボッチは真面目に授業を受けても一位にはなれない。努力は報われないんだ。悲しいね。

 ……正直に言えば、試験期間中も休憩という名のお酒飲みタイムを幾度と設けていた僕はそもそも真面目な学生ではない。勉強した分だけ飲んでいた。『可』の多さは妥当なんですよねー。


「ゲホン! とにかく今はフル単を喜ぼう。お祝いだ。飲もう!」


 他人の成績なんてどうでもいい。己の功績を祝そうではないか。

 テンションを上げて向かうは冷蔵庫。昼間から飲んでやる。一人酒だ!


「来たわよ」


 だからなぜ決めた途端に僕の一人酒プランは崩壊するの? 秒殺だよ!?


「今日も暑いわね。冷房つけなさいよ」


 さすがに聞き慣れた声の主は金束さん。

 ホワイトデニムのスカートと、肩を露出させたオフショルダーは夏らしさを演出し、カジュアルさも感じる。

 一段と綺麗だなぁ。晒け出された肩は色気があって、うん、可愛い服だ。


「何ジロジロ見てるのよ」

「見てにゃい」

「ふんっ」


 凝視はご法度。慌てて視線を逸らすも、金束さんは僕がそうするよりも先にそっぽ向いて声を荒げた。

 うぅ、金束さんに逆らえない。一度くらい言い負かしてみたいものだ。


「これアンタの成績?」

「ちょ、勝手にパソコンを見ないで」

「見せなさいよ」

「はいぃ」


 まぁ言い負かすも何も、有無を言わせてもらえない時点で望み薄です。がくり。

 金束さんが頭でぐぐーっ、と僕の体を押し退けてパソコンの画面を見る。やめて、ドキドキするからやめてっ。

 ざっと見終えたらしく、意地悪い笑みをこちらに向けてきた。


「パッとしない成績ね」

「おっしゃる通りです」

「私の成績知りたい? 教えてあげるわ」

「いえ結構です」

「聞きなさいよ!」

「こ、金束さんはどのようなご成績でしたか!」


 悲鳴に近い声で尋ねると、金束さんの口角はさらに上がった。両手を腰に当てて踏ん反り返る。


「もちろんフル単よ。しかも全部『優』以上なの」


 割とガチですごかった。GPAが3以上とは恐れ入る。


「すごいね」


 僕の唖然とした顔がお気に召したのか、金束さんの鼻が高々と伸びたように見えた。


「サークルの上級生を利用してやったわ。過去問をゲットさえすれば試験は余裕よ」


 簡単に言いますが、僕にとっての過去問入手とは何かしらの古龍のレア素材を手に入れるに等しい。無理ゲーだ。


「サークルに入って嫌いな奴らと一緒にいてあげたのだから当然の報酬よ。アンタは一人で勉強してこの結果だなんて可哀想ね」

「うるさい」

「何か言った!?」

「ナニモナニモ」


 自分は僕の言い分を「うるさい」と一蹴するくせして僕が言うのは許してくれない。あぁ恐ろしや。

 しばらくは黙って金束さんの自慢に付き合う他なさそうだ。僕は涙目で正座の体勢に入る。金束さんは座布団の上に座ってドヤ顔。

 と思いきや、顔をしかめた。


「でも、面倒くさいわ」

「……」

「どうして夏休みにもサークル活動があるのよ。はぁ」

「……」

「聞いてるの?」

「聞いていますよ」

「本当にウザイわ。休もうかしら」

「……」

「誰か手伝ってくれるなら行ってもいいのだけど」

「……」

「聞いてるの!」

「ひぇ? き、聞いていますって」

「だったら返事しなさいよ!」


 金束さんが僕の両肩に手を置く。

 正座した状態では即座に動くことは出来ず、僕は近距離で睨まれる。とても良い香りがしました。ち、近い。あとオフショルダーって刺激が強いと思います。


「どうせ暇でしょ」


 暇、と問われたら確かにその通り。あなたか月紫さんに付き合ってビールを飲む、もしくは一人酒をする程度にしか予定が埋まっていない。

 だがここでイエスと頷くのは良くない気がした。


「い……忙しいかなぁ?」

「は?」

「イエ、ソノ、暇デシタ」

「丁度良いわ。私を手伝いなさい」


 最初から素直に頷きなさい、と付け加えて金束さんは僕から離れた。

 あぁ、良い香りが遠のいた。いや待て僕は変態か。うん変態だよ。


「今日はサークルの活動で地域の子供に遊びを教えるの。一種のボランティアね」

「……まさか僕も参加しろと?」

「そうよ」

「た、たはは」

「気持ち悪い声ね。行くわよ」


 肩にかかった髪をサッと払い、なびかせる。立ち上がった金束さんの瞳は有無言わせない鋭さと剣幕。僕に拒否権はなく、金束さんに連れられて外に出る。

 やはりこの人に刃向うのは無理そうだ。うん知ってた。

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