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40 三人で宅飲み

 せっかく働いて稼いだお金を公共料金の支払いには充てたくない。私欲を満たす為に散財したいんだ。誰だってそうだよね。

 だから光熱費を抑えるべく、暑くても冷房は極力使用しない。それが僕の節制術だ。またの名を我慢と言う。

 とはいえ、知り合いが来訪するとなればさすがにね。

 クーラーのスイッチを押して、玄関の呼びベルが鳴った。


「水瀬君っ」

「いらっしゃい、月紫さん」

「今日も暑いですね」

「夏だから仕方ないよ」

「サッマァー」

「そっかぁ、みたいに言わないで」


 玄関を開ければおっとりぽわぽわオーラ。月紫さんが立っていた。


「眼鏡は買い換えたんだね」

「はいっ。似合っていますか?」

「うん、似合っているよ」

「えへへー、50ポイントっ」

「え、何が加算されたの?」

「今日もよろしくお願いします」


 月紫さんはおっとりぽわぽわ、そしてマイペース。僕の疑問は流された。まぁいいや。

 今日は月紫さんの訓練デーだ。頑張っていきましょう。


「今日はどのような方法でビールを飲むのでしょうか?」

「今回は一人、協力者を呼んでいるんだ」

「おう。来たぞ」


 雑談をしつつ上着を脱ごうとしていた月紫さんの背後から現れたのは長身の強面男、不知火。今回の協力者だ。

 月紫さんはパッと後ろを振り向き、脱ぎかけていた上着を着る。


「あ、不知火さん」

「よう月紫。さっきの分析化学ぶりだな」


 月紫さんと不知火は理学部。先程まで同じ集中講義を受けていたのだろう。


「最終日のテストの過去問持ってねぇか?」

「ありますよ。コピーして明日お渡ししますね」

「助かる。サンキューな」

「いえいえ」


 強面男と眼鏡っ子が普通に会話する光景がシュールで面白かった。

 と、不知火が僕の肩に手を乗せてきた。


「流世もサンキュー。おかげで集中講義なんとかなりそうだ」

「僕は何もやっていないよ?」

「いや流世のおかげだ。本来なら俺と月紫が話すことはなかったからな」


 どういうことだろう。僕が問い返すよりも先に不知火がニヤッと笑う。


「俺は見ての通りの外見だろ。同じ学部学科でも話しかけてくる奴はいねーよ。けれど月紫とは話すようになった。話題は決まって流世のことだ」

「僕のこと?」

「おう。月紫はいつも聞いてくるぞ。流世の好みや好きなタイプを、むぐっ」

「不知火さんっ。それは言わないって約束です!」


 月紫さんが素早く手を伸ばして不知火の口を塞ぐ。

 見ると、彼女の顔はほんのりと赤みを帯びていた。なんで?


「んだよ月紫。俺はサポートしてやろうと思ってだな」

「よ、余計なお世話なんですーっ」

「がはは」


 慌てる月紫さんと、それ見てさらにニヤニヤする不知火。僕がいない場で二人はこのように仲睦まじく会話しているのだろう。

 いいなぁ、僕も理学部で願書を出しておけば良かった。経済学部なんてロクな思い出がない……。


「安心しろよ流世。俺と月紫は大して仲良くない。あくまで流世ありきの関係だ」

「なんだそれ」

「俺としてはこっちの方を応援したい。あっちはなぁ、態度が気に食わねぇ。まぁ流世が選んだならどちらでも祝福するけど」

「ますます意味が不明だよ」


 こっち? あっち? どっち!? 不知火が何を言っているのか分からない。


「不知火さん。あちらとはどういうことでしょうか……?」

「あ? まだ知らないのか。いつか分かるから今は気にすんな」

「気になりますが……はい、分かりました」

「いつかはそうなるだろーなぁ。その時は絶対に俺を呼ぶなよ流世ぇ」


 ニヤニヤと笑っていた不知火の顔が険しくなった。は、はあ、そうですか。

 ともあれ中に入ろうか。二人を部屋に招き入れる。


「あ、水瀬君どうぞっ。お土産の地ビールを持ってきました」

「おぉ! ありがとう!」


 月紫さんから受け取った地ビールに、それと紙コップをテーブルに置いて僕ら三人は座る。


「水瀬君、不知火さんがいるとビールを飲めるようになるのですか?」

「説明するより実際に見た方が早いかな」

「なるほど。百聞は一見にしかなんとかですね」

「あと一文字が出てこなかったの?」

「流世、早くしようぜ」


 実際に飲めば今回なぜ不知火呼んだかすぐに分かるはずだ。僕は紙コップにビールを注いで二人に渡す。


「乾杯」

「乾杯ですっ」

「おーう」


 三人以上で飲むことはいつ以来だろうと思いつつコップをぶつけ合う。

 まずは僕が飲む。んぐ、んぐぐ、っ、おおぅ!


「地ビール美味しい!」


 月紫さんが持ってきた地ビールは美味しかった。普段飲む市販のビールとの違いは説明出来ないが、どこか違う味がした。

 粗っぽくて雑味があり、けれど嫌なものではなく濃厚な味わいが口の中に広がる。非常に美味である!


「美味しいよ。ありがとう月紫さん」

「喜んでもらえて良かったですっ」

「月紫さんは飲まないの?」


 一通り歓喜し終えて気づく。月紫さんはコップを持ったままで飲もうとしない。

 手元のビールと僕を交互に見て、時折チラッと不知火の方へ視線を送る。


「不知火がどうかした?」

「あー、そのー……」

「丁度いいや。見て」

「?」


 僕と月紫さんはベッドの方を見る。


「あ゛ぁ゛酔った」


 そこには赤い顔をして上体を振り子にする大男がいた。


「別に不味くはねぇんだけどなぁ。けど駄目だ。もう限界」

「今日はありがとうね不知火」

「気にすんな。俺と流世は親ゆ……ぐかー」


 唸るような低い声は途中からイビキに変わる。

 両目を閉じて、不知火はベッドに倒れ込んだ。おやすみ不知火。


「えっと、どういうことでしょうか」


 困惑した面持ちで月紫さんが尋ねてきた。


「見た通りだよ。不知火は下戸なんだ」

「カエル?」

「ゲコゲコではなくて下戸。不知火はお酒が弱くて一杯で寝ちゃうんだよ」

「ゲコゲコ~」

「あのー、カエルに意識を持っていかないでもらえます?」


 というかカエルの鳴き真似をする月紫さん可愛くね? いや今はそれ関係ないからゲコゲコ、じゃなくてゲホンゲホン。


「この通り! 不知火みたいにお酒が弱い人は世の中に多数いる。だからビールが飲めなくても気にしなくていいんだ」

「あ、分かりました。自分より残念な人を見て、あぁ自分はこいつよりマシだなと優越感に浸る作戦ですねっ」

「その通り! 全くもってその通りなのだけどハッキリと言わないで。不知火が可哀想!」


 作戦を考えた僕が言えた義理ではないけどさ。

 不知火には犠牲になってもらった。お酒が飲めない奴を間近で見ることにより、ビールが飲めない月紫さんに少しでも自信を持ってもらう作戦だ。

 準備は整った。さあ飲もう!


「見てごらん! ここにお酒クソザコの奴がいる!」

「はいっ」

「こいつは自分より下だ。こいつには負けない。そう思い、勢いをつけてビールを飲むんだ!」

「はい! いきます! ぶへぇ!」


 月紫さんはテンション高めにビールを飲むと、噴き出した。テーブルやカーペットにビール飛沫がかかる。


「よし! じゃあいつも通り拭く作業に入ろうか!」

「はい!」

「拭いた!」

「拭きました!」

「よし! じゃあ項垂れよう!」


 僕は両肘をついて顔をうずめる。

 ……駄目だったぞ。今までと変わらない結末じゃんか。


「結局同じだったね……」

「そんなことないです。いつもより噴き出す威力が増していましたっ」

「そこ心底どうでもいいから! そこは勢いをつけなくていいから!」


 ビールを噴き出す勢いが増した。だから何!? レベルアップを実感するポイントじゃないからね!?


「あ、でも少しだけ飲めましたよ」

「……何ミリリットル?」

「うーんと、八ミリリットル」

「まさに微々たるだね」


 夏フェスでほんの少しだけ飲めるようになった月紫さん。今回は八ミリリットル飲めたらしい。

 この調子だとコップ一杯を飲み干せるようになるのに何年かかる計算だろう。リアルガチで道のりは長い。ヤバイよヤバイよ。


「元気を出してください水瀬君」

「な、なんで僕が慰められているんだ」

「飲みましょーっ」


 未だに項垂れている僕とは対照的に月紫さんは快活晴れやか。コップを置くと、上着を脱いだ。


「ふー、暑かったです」

「ん? あ、ごめんね、冷房が効いてなかった?」

「上着を脱いだからもう平気です」

「そうなんだ。……ん? 暑かったならどうしてもっと早く脱がなかったの?」

「んー」


 そういえば、玄関先で上着を脱ごうとして不知火が来た途端にやめていた。

 ビールも、不知火が起きている時は飲もうとしなかったのに今は積極的に飲みたがっている。


「もしかして不知火がいたから?」

「んー、まぁ、他の人にはちょっと……」

「あー……」


 ビールを噴き出す姿を不知火に見られたくなかったらしい。そりゃそうだ。


「……水瀬君には見られてもいいんですけどね」

「うん……僕はね。確かにどうでもいい存在だからね」


 不知火には見られたくないけど僕なら構わない。上着を脱いだのも、僕なら問題ないからだ。

 つまり、僕は月紫さんにも男として意識されていないってこと。


「僕なんかに気を遣う必要はないもんね」


 言うなれば、女子が大半を占める看護学科で一人か二人しかいない男子を気にしないのと同じ心境だろう。

 どうでもいいのだ。こいつには醜態を見せても気にならない。僕は月紫さんにそう思われている。


「遠慮なく噴き出していいよ」

「んー……」

「月紫さん?」

「不知火や他の人には見られたくない、ではないです。見せたくないんです。……水瀬君には見せてもいい、なんです。本当の自分を見てほしいんです」


 上着を丁寧に畳み終えた月紫さんはガッカリした声音でボソボソと呟く。左右に揺らす肩は不服そうだった。


「夏フェスの時にも言いました。僕なんか、ではないです。水瀬君だからこそ、なんですっ」

「は、はあ……?」

「マイナス97ポイントです」

「え!?」


 減点されてしまった。僕悪いことした!?


「マイナス100ポイントに達すると罰ゲームです」

「あと3ポイントじゃないか……」

「いえいえ、今日最初にプラス50ポイントされていますので。そもそも夏フェスの時点で既にカンストしています」

「そもそもその数字は何を表しているのさ」

「秘密です」

「えぇー」

「あ、待ってください。点数をつけていると私が性悪女みたいです。やめてください!」

「月紫さんが言い始めたんだよ!?」

「あ、サッマァー」

「まだそれ言うんだ!?」


 困惑する僕を、月紫さんがやや下から覗き込んでくる。両手で口を覆い、モゴモゴと小声で何かを呟く。


「水瀬君だけが特別、ってことなんですよー」

「あの、聞かせるつもりのない声量で話しかけられても……なんて言ったの?」

「水瀬君、地ビール美味しいですか?」

「う、うん美味しいよ」

「私が眼鏡を変えたことすぐ気づいてくれましたね」

「? うん」

「えへへっ、ですっ」


 月紫さんの発言の意図は分からないまま今日も訓練は失敗。結局は不思議な雰囲気に圧倒された。

 それに、いつもとは違った感じの不思議な発言が多かったような……。


「気を取り直して飲みましょう!」

「元気いっぱいだね」

「ビールは一杯も飲めませんけどね」

「上手いこと言おうとしてる?」

「どやー」

「ドヤ顔されても……」

「ぐかー……俺のこと完全に忘れ去られているよなこれ……ぐかー」


 冷房の効いた自室にて、月紫さんと四苦八苦なビール訓練を再開。時折聞こえる大男のイビキと寝言が妙に面白かった。

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