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39 仕事終わりの一杯は最高?

 ひんやりとした、天井が高い倉庫。ベルトコンベアからは紙袋やダンボール等の荷物が絶え間なく流れてくる。

 荷物には番号が記されたシールが貼られており、それら荷物を指定された巨大なボックスの中に入れていく。重い物は底に、軽い品はその上に乗せる。

 今日覚えたばかりの手順を遵守し、作業をこなしては額の汗を拭う。


「仕分けのバイト、キツイ……!」


 冷房がよく効いた冷蔵エリアであっても、休まず常に働くと汗はかく。安全面を考慮して装着を義務付けられたヘルメットの被り心地は悪く、軽作業と言う名の慣れない重労働によって疲労とストレスは蓄積されていく。

 だからこそ、この後が楽しみだ。


『アルバイトの人は作業をやめてください』


 倉庫内に響くスピーカーからの放送が僕を解放する。

 もう一度汗を拭い、同じ持ち場で作業していたベテランのおっさんに「次はもっとキビキビ動けよテメー」と罵られつつ僕は苦笑いで倉庫を出ていく。

 次はありません。こんな重労働は二度としない。今日一日で何回怒号を食らったことか。


「何よこれ」

「あ、金束さんお疲れ」

「質問に答えなさい。何よこれ」


 作業終了と同時に僕に駆け寄ってきたのは金束さん。不機嫌そうに頬を膨らませていた。

 う、うあー、怒っている……。


「な、何って、バイトだよ」

「どうして私とアンタがバイトしているのよ。仕事はキツイし何なのよ!」

「ひぃ……!」


 ご機嫌ナナメなところ失礼しますが、あなたは比較的楽な仕事だったのでは?

 金束さんは重たい荷物は運んでいない。女の子だし、金束さんは美人だからね。今も社員のおっさん達が「お嬢ちゃんアメ玉あげよう」とか言って鼻の下を伸ばしている。

 そして僕は金束さんの分も働かされたので疲労がピークです。HPゲージは残り僅かの赤色状態ですよ。


「こんな汚い場所で働かせられるとは聞いてないわ。最悪!」


 金束さんの怒号を真正面から食らう。僕のHPゲージはゼロになりました。

 だがこれくらい疲れた方が良い。金束さんもしんどい思いをして働いたみたいだし、この後は期待出来そうだ。


「それにアンタは私を置いて夏フェスに行った……!」

「何度も謝ったじゃないか」

「謝ったから? だから何!?」

「わ、悪かったってば。もう行こうよ……」

「ふんっ」


 一日中やった倉庫での仕分けの短期バイトは今からの為。

 今これより、僕らは最高に美味しいビールを飲みに行くんだ。


「お嬢ちゃんアメ玉あげよう。テメー次はもっとしっかり動けよテメー」


 だから何この扱いの差は……。

 気合のみで体を動かす僕と、不機嫌そうに膨らませた頬の中でアメ玉を舐める金束さん。僕らは仕事を終えた足でそのまま居酒屋へと向かう。






 遡ること数日前。不知火の家でネギ料理を食べていると金束さんから『早く帰ってきなさい』と命令された。

 家の前で待っているのかな、きっと怒っているだろうな。そんなことを考えながらアパートに戻ると、


「遅い。どこ行っていたのよ」


 予想したそのまんまの通り、ドアの前で怪訝な顔をした金束さんが立っていた。

 う、うあー、怒っている……。


「えーと、久しぶりだね」

「どこに行っていたの」

「不知火の家です」

「その前は? 私を置いてどこに遊びに行っていたの」

「あの? これ、答えても怒られる気が……」

「答えなさいよ!」

「……夏フェスに行っていました」

「私を置いて! 一人で行ったのよね!?」

「ほら怒ったぁ……」

「ふん!」


 ベージュとピンクアッシュのグラデーションの煌びやかに美しい髪は獣みたいに逆立ち、ギロリとした瞳にムッとした顔が彼女の不機嫌さを物語っている。

 金束さんはご機嫌ナナメだ。まあ毎度のことではありますけど。


「私を置いて一人で勝手に遊んでビール飲んで……馬鹿!」


 怒る理由には心当たりがある。僕は夏フェスに参戦して、金束さんは行くことが出来なかったからだ。

 チケットがソールドアウトしたのだからしょうがないと説明しても今のように歯を剥き出して怒りをぶちまけてくる。ひえっ。

 ……怒っているというより、拗ねている?


「どうせアンタ一人で夏フェスを満喫してきたんでしょ。一人でビール飲んで楽しんで……むがー!」


 訂正するならば、偶然出会った友達と二人で堪能してきたのだが、それを話したところで金束さんの機嫌は回復しないであろう。

 僕がすべきは言い訳ではない。どうやってこの人を落ち着かせるか。


「ふんっ。……もう夏フェスには行かないの?」

「行かないし、行けない。どのフェスも今からチケットを買うことは無理だよ」

「何よそれ……私とアンタ、全然遊べていないじゃない」

「キャンプに行ったけど?」

「それだけ!? ビールが美味しいシチュエーションをまだ教えてもらっていないわよ!」

「えぇー……」


 金束さんが怒って僕が狼狽える。お決まりのやり取りの中に、違和感がある。

 金束さんは怒っているというよりも拗ねている様子であり、そして寂しそうだった。

 そんなに夏フェス行きたかったの? そんなに美味しいビールが飲みたかったの?


「夏休み終わっちゃうじゃない。まだ、全然、アンタと……」

「な、泣かないでよ」

「泣いていないわよ馬鹿!」

「ひいぃ。じ、じゃあこうしよう! 僕に良い案があるよ!」

「……本当?」


 視認は出来ないが、金束さんの怒りゲージの上昇が止まったような気がした。期待するような眼差しで僕を見て、少しだけ頬が緩んだ。


「フェスに行けるの? あっ、分かったわ、フェスみたいなビールのイベントがあるんでしょ? そこに行くのね」

「はい?」

「ふん、それで妥協してあげるわ。アンタとならどこでも……ごにょごにょ……」

「あー、あのー? まぁいいか。じゃあ、一緒に」

「勘違いしないでよ。私は美味しいビールが飲みたいだけで、べ、別にアンタと二人がいいってわけじゃ」

「一緒にバイトをしよう」

「……は?」






 こうして、荷物の仕分けのアルバイトに申し込んだというわけである。

 仕事を終えた僕らは現在、個室タイプのどこにでもある居酒屋に来た。


「さーて何飲もうかな。え? 決まっている。ビールさ!」

「うるさい」

「すみましぇん」


 仕事終わりの一杯は最高だ。全国のサラリーマンが声を大にして語る名言は、学生の僕も共感する。

 働いた自分へのご褒美。頑張ったからこそ疲れた体にビールが心身の芯にまで浸透する。何より『仕事終わりのビール』と言う響きが素敵だ。

 金束さんには今からこれを味わってもらおう。おー!


「次からのご注文はタッチパネルで出来ますのでそちらをご利用ください。では失礼します」


 店員さんが簡易な作りの扉を閉めて退出し、僕らは掘り炬燵の席に向かい合わせで座る。

 テーブルに置かれたジョッキを持つと、脳内に選択肢が浮かんだ。


『かんぱーい!』

『乾杯っ』

『君の瞳に乾杯』

『君のおっぱい』


「か、乾杯」

「ふん」


 随分と疲れているのか、余計な選択肢が浮かび上がって焦った。が、普通の乾杯でジョッキをぶつける。

 露が滴るキンキンに冷えたジョッキ、中には並々に注がれた生ビール。興奮しないわけがない。

 一口目を、ゴクリ。


「んぐ、んぐ、んぐぐ……!」


 口で弾ける炭酸に痺れ、それでもジョッキは手離さない。立て続けに二口目、三口目と貪るようにして喉に流し込む。

 白い泡だけが側面に残ったジョッキを勢いよくテーブルに置き、僕は雄叫びをあげる。


「ぷっはあぁ! これよこれー!」


 なんて美味しさだろう。思わず一気に飲み干してしまった。イッキ! 一氣!

 身体中が歓喜に満ちて肩を震わせる。この感情の名を、人は幸せと呼ぶ。

 僕は幸せだ。幸せなんだ!


「日中ずっとバイト、しかも重労働。キツかった。しんどかった。だからこそ、この瞬間この一杯がたまらなく美味しい! どう? 最高でしょ?」


 僕はすぐさまタッチパネルで二杯目を注文しながら向かい側の金束さんへニヤリと笑いかける。


「夏フェスにも匹敵する極上の美味しさだよ。それにこれならキャンプのようにシーズン限定じゃない。働きさえすればいつでも味わえるお手軽な美味シチュエーション。文句はないはずだ!」

「そうね」

「お? おぉ!?」

「うるさい」


 コクコク、と数口を飲み終えて金束さんもジョッキをテーブルに置く。


「ねぇアンタ」


 少なくとも間違いなく労働後の一杯を堪能したはず。ビールが美味しいと感じたはず。

 そのはずが……。


「聞いてよ、仕事中におっさん達が私の体に触ろうとしてきたのよ」

「うん?」

「セクハラよ! 荷物はこうやって入れた方がいいよー、とか言って私の後ろに回り込んできたの。ムカついたから蹴っ飛ばしてやったわ」


 金束さんは喋る。ぐちぐちと、不満が止まらない。


「蹴ったら『ありがとうございます! 妻では味わえない興奮!』とか言ってさらにキモかったわ。ホント男ってキモイ奴ばかりね」

「あ、あの……?」

「しかも同じ学生バイトの奴が以前からやってるのか知らないけど偉そうに作業のやり方を教えてきたわ。ウザかったわ」


 金束さんは喋る。ぐちぐち、ぐちぐちぐちぐち、と不平不満が止まらない。


「ドヤ顔で『こうやった方が効率良いっしょ』って何よキモイ。それ見てパートのおばちゃんが『可愛い子はチヤホヤされて良い身分ね』とか嫌味言ってくるし。僻んでじゃないわよ」

「タイム。待って。金束さん? ビールは? ビールの美味しさはどうなの!?」

「……普通」


 ふ、普通て……。


「いいから私の話を聞きなさいよ。そもそもなんでアンタと一緒に申し込んだのにアンタと別のレーンで作業なのよ」

「僕に言われても」

「ヘルメットは洗ってなさそうだったし。髪の毛汚れちゃったじゃない。せっかく染め直したのに最悪よ!」

「染め直したんだね」

「気づきなさいよ!」

「ご、ごめんなさい」


 金束さんはビールを飲んでいる。それは確かだ。けれど決して美味しいとは言わず、バイトの不満を言いまくっている。

 ……これってもしかして『仕事終わりの愚痴トーク』なのでは? 居酒屋で愚痴を喋り尽くすサラリーマン状態なのでは!? で、僕は延々と聞かされる側ですね……。


「今日見てたけど荷物のほとんどが日本酒ばかりよ。どんだけ日本酒を贈りたいのよ。センスがないわ」


 挙句に荷物を送る人々へのディスも始まった。愚痴が止まらねぇーです。

 ……どうやら僕の思惑は失敗したらしい。金束さんの中で、美味しいビールの為にやったバイトへのストレスが上回ったのだ。


「あとアンタ、私を置いて夏フェスに行った」

「まだそれ言うの!?」

「そもそも何よこれ! ただのバイトじゃない! ビールのフェスは!?」

「僕はそんなこと一言も言っていないけど」

「うるさい!」

「ひっ! そ、それに僕金欠だったから。普段のビール代やキャンプでのレンタカー代は僕が払ったんだよ。夏フェスにも行ったし」

「夏フェスに行った。私を置いて!」

「し、しつこい」

「何か言った!?」

「ビールガオイシイナァ」

「せめて次バイトするならもっと楽なやつを選びなさいよね。あと私とアンタが絶対に同じ場所で働けるやつ!」


 僕はこの人に美味しいシチュエーションを教えられるのだろうか。

 不安に気を沈め、不満だらけの金束さんを宥めて、僕は二杯目を口に運んだ。

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