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37 もう完全に

 朝からぶっ通しで大熱狂であった夏フェスも終焉間近。

 最後のアーティストが登場する頃には空が真っ黒だった。そこに上がる数多の花火。星の代わりとなって眩い花の閃光が咲く。


「わーっ、綺麗です。よく見えないですけど」


 僕の隣で月紫さんが目を細めて懸命に夜空を見上げている。

 今見えている空よりも高みの天から与えられし数年に一度の逸材レベルに可愛い顔の持ち主。それなのに目元にシワを寄せたら台無……これまた可愛いんだよなぁ。


「水瀬君どうしましたか?」

「いえ別に何も!」


 月紫さんの横顔ばかり見ていた。花火を見ようよ僕!

 ……思う存分に楽しめたかと問われたら素直には頷けない。途中からは眼鏡を失った月紫さんを守ることとドキドキで大変だった。

 当初の目的通りには楽しめなかったかもしれないね。一人酒は叶わなかったし。

 だけど最終的には満足している。そう思う自分がいた。


「それじゃあ帰ろうか」

「はいっ」


 フィナーレの花火を見終えて出口へと向かう。

 僕らと同様に最後まで会場にいた人は無数にいる。三国志時代の軍の行進ってこんな感じなのかなーと思えるくらいの人の波に飲まれて、ゆっくり亀のように歩く。

 ……その間も月紫さんは僕の服を掴む。視界が悪いから仕方のないことだ。


「さすがに声をかけてくる人はもういないね」

「油断は大敵ですよ水瀬君。いつどこから狙われるか分からないです」

「ナンパのこと? それともFPS目線での話?」

「それはまた別のお話」

「何その続編を匂わせる感じの終わり方」


 月紫さんはブレない。僕は不思議な言動と独自のペースに翻弄されてばかりだ。


「あ、ひゃうぅ」


 と、月紫さんの声に反応した僕は後ろを向く。

 その時には既に月紫さんの手が僕の服から僕の手へと移動し終えた後だった。


「へ?」

「あのっ、人が多くて服だと手が離れちゃうので……手を握ってもいいですか?」

「っ、う、うん」


 僕が答える前もう握っていますが……。

 なんてことだ。またしても月紫さんと手を繋いでいるではないかっ。服の端を掴まれるのでさえ体全身がゾワゾワとしてソワソワしていたのに、手を直接握られたら……あぐっ……!

 月紫さんが僕を頼っている。花火よりも見惚れてしまう超可愛い子が手を繋いできた。そう考え始めた途端に意識は炎天下のチョコレートのようにとろけてきた。


「ぐおおぉ……!?」

「水瀬君? や、やっぱり手は駄目ですか?」

「そ、そんにゃことにゃい。僕の手で良ければいくらでも」


 僕の手で良ければいくらでも。チャラ男だったら平常心で滑舌良くサラリと告げるんだろうね。

 僕には無理だよ。緊張と動揺で噛みまくってキモイ声しか出せなかった。

 これにはさすがの月紫さんも嫌がるだろう。


「ありがとうございますっ。ではさらにぎゅっぎゅしますねっ」


 けれど月紫さんは嫌がることなく、それどころか握る力が増した。決して痛くはない程度にぎゅっと力を込めている。離さないと言わんばかりに手を握って、僕の横に並ぶ。


「頼りにしてますっ。頼りになりますっ」


 こ、これ、まるで僕らは付き合っているみたいな……!?


「水瀬君?」

「は、はい」

「声が擦れていますよ。フェスで叫び過ぎましたか?」

「叫んでいるのは心かな……」

「?」


 ぐおおおぉお!心が暴れている。心がヘッドバッドしている。

 手を繋ぎ、肩を並べ、恋人みたいじゃないか! ぎゅっぎゅ、とか言わないでよ。あざとらしくも天然産を感じさせる可愛く且つコケティッシュな声が僕をくすぐるぅ!

 辺りが暗くて助かった。顔を見られなくて済む。だって今の僕の顔は間違いなく真っ赤だから。


 ……それと、手を繋ぐと途端に手汗が出てくることを知った。

 夜になってもう暑くないのに手の平に汗を感じる。人と手を繋ぐとこうなるものなの? それとも僕だけ?

 キモ男の手汗は不快なはず。申し訳なさが再び胸中をよぎり、僕は手を緩める。


「ぎゅっぎゅ」

「っー!?」


 月紫さんが手を繋ぎ直してきた。彼女の指が僕の手を絡め捉える感触が、あ、もぅ……ぐえーっ死ぬーっ!?


「も、もうしゅぐ出口だね」

「そうですか。結構早いですね。……もう少しこのままで良かったのに」

「このままでも良かった……へ?」

「あ、いえ! もうちょっとフェスの余韻に浸りたかったなって意味ですっ」

「あ、あぁうん、そうだね」


 僕と手を離すのが惜しかった、なんてのは希望的観測にも達しないボッチのうぬぼれだ。そんなことあるわけがないでしょ。

 緊急事態とはいえ根暗男の手を借りることになってしまって甚だ遺憾だろう。ごめんね……。


「えへへー」

「……あ、道が開けて人混みが減ったね。外灯もあるし、もう大丈夫だよ」


 出口ゲートを抜けて、人があらゆる方向へ拡散していく。バスで帰る人、駐車場へ向かう人、まだ会場近くを歩いてみたい人。

 おかげで眼鏡なしの月紫さんでも一人で歩けるぐらいには道幅は広いはずなのだが、


「……」

「月紫さん?」

「夜は暗くて見え辛いです。ですのでもうちょっとよろしくお願いします」


 月紫さんは手を離さなかった。未だにぎゅっぎゅと握ってくる。

 そ、そう言うなら僕は従いますよ……? いいの?


「は、はい」

「やりましたっ……えへへ」

「何が?」

「なんでもありません。余韻です」


 月紫さんは目を細めて笑う。

 その表情は、こちらを見ようと目を細めているのではなく、とろんと嬉しそうに自然と目を閉じているように思えた。

 ……だから僕の勘違いだっての。これだからボッチは……。






 夏フェスあるある。車で来た場合、自分が停めた場所が分からなくなる。広大な駐車場、朝は少なかった車が夜に戻ってくると大量に増えていて探しにくくなるのだ。


「あ、あった……」

「やっとですねっ」


 車を探すこと十数分。やっと自分の車もといレンタカーを発見。

 地味に大変だった。大きな会場に車で行く際は目印となる分かりやすい場所に停めましょう。


「月紫さんは電車で来たんだよね?」

「はいっ」

「……良かったら乗っていく? 家まで送るよ」

「いいんですか? とても助かりますーっ」


 月紫さんが満面の笑みを浮かべて助手席に乗り、僕も運転席に乗り込む。

 お昼に飲んだビールは法律的にはアルコールが抜けてあるし僕自身もう酔っていないし運転してもオッケーだ。ちゃんと計算してビールを飲んでいます。


「ふぅー、疲れた」

「終盤はずっと立ちっぱなしでしたね」


 ベンチで休みつつステージを行き来した今日一日。夕方からフィナーレまで、そして車に乗るまでずっと立った状態だった。

 さすがに足がクタクタだ。座った途端に力が抜ける。


「汗かいたしナンパがすごかったし、うへぇ」

「見てください、ラババンいっぱい買っちゃいました。他にもバンTやコインケース、散財の極まりですっ」

「テンション高いね」

「はいっ。だってビールを飲むことに成功したので」


 夜なのに太陽が輝いた。そう思う程の笑顔。

 今日一番の成果は月紫さんのビール数ミリリットル飲酒達成だろう。

 ワイン等は飲めるのにビールだけ飲めない。口に含むとすぐに噴き出す。厄介な体質だった月紫さんが遂にビールを飲んだ。


「ビール苦かったけど美味しかったです」

「うん。本当に良かった」

「それはきっと水瀬君が……」

「僕に出来るのはここまでだね」

「え……?」


 月紫さんに頼まれた『ビールの飲み方』を教えることが出来た。


「あとは一人で特訓あるのみ。一口、一杯、瓶ビール一本と、次第に飲めるようになると思うよ」

「あの、それって……」

「ん?」

「水瀬君はもう特訓に付き合ってくれないってことでしょうか?」

「へ? だって数ミリリットル飲めたんだよね?」

「でもたった数ミリリットルです」

「0から1になったのだからあとは月紫さん一人で」

「うー」


 突如、月紫さんが呻きだした。助手席で屈み込み、頭を抱えるかのように両拳を口元に押しつけている。


「ど、どうしたの?」

「……私と水瀬君の関係は終わりってことですか」

「だから、その、僕の役目は果たしたので」

「もう私と会ってくれないってことですか……?」


 僕は困惑した。

 念願のビールを飲めたのに、月紫さんが嬉しそうじゃない。さっきまで浮かれていた表情はどこにもない。寂しそうに背を丸めている。

 なぜ? 僕はちゃんと約束を守ったのに。


「会わないというか、僕みたいな奴とは一緒にいない方が月紫さんにとって」

「どうしてそんな意地悪なこと言うの……」

「へ? へ?」

「今日、水瀬君が私の為にどれだけ頑張っていたか知っています。ナンパを退ける為に身を呈してくれて、視界が悪い私を先導してくれて、たくさん気遣ってくれました。だから私はビールを飲めたんです」


 丸めた体勢をまっすぐにしてこちらを向く。寂しげな瞳が熱こもった眼差しに変わる。

 忽然と姿を変えるかの如く、月紫さんの声音は大きくなる。まるで開き直ったかのようにしていつもの明るく元気になった。


「水瀬君」

「はい」

「駄目です」

「……何が?」

「まだ訓練に付き合ってください。改めてお願いします」

「えぇ? や、だって、今日ビールを飲」

「お願いしますですー!」


 僕が言い終える前には月紫さんが身を乗り出していた。両手で僕の手を包み込むと、やや下から覗き込むようにして見つめてきた。

 上目遣いで懇願するその顔は可憐。包まれた僕の手と顔は同速で加熱されていく。


「そ、その」

「お願いします……」


 そんな風に頼まれたら、そんな顔をされたら……っ。


「うん。僕なんかで良ければ」


 頷くしかない。そりゃそうだよ。美少女に頼まれたらこうなるよ!


「ありがとうございます!」


 月紫さんが今日一番の笑顔になった。か、可愛い。可愛すぎる。

 ……訓練はまだ続くのね。


「やっぱり有効でした。早速切り札を使ってみましたっ」


 そして月紫さんはどうして嬉しそうなのだろうか? 僕なんかと一緒にいても楽しくないだろうに。


「でもこれ以上僕に出来ることはないよ?」

「たくさんありますっ。僕なんか、じゃないです。水瀬君だからこそ、なんですっ」

「うへ?」

「水瀬君のその間抜けな声、まだ聞きたい」


 月紫さんはそう言うと悪戯っぽく笑みをこぼす。


「まだまだこれからですっ。今日一日でさらに……なったんですからね」


 笑顔と共にこぼした言葉を完璧に聞き取ることが出来なかった。自分の鼓動の速さの原因解明も追いつかない。

 月紫さんの嬉しそうな表情。約束を果たして解放されると思ったのにそうならなかったこと。まだ月紫さんと一緒にいられること。

 斯くして最終的に一つとなって出た感情を、僕は決して嫌じゃないと思った。またしても一人酒から遠のいたのに、楽しくなっている自分がいた。まだ月紫さんと一緒にビールを飲めるのだと……。


「水瀬君、本日はありがとうございました。楽しかったです」

「う、うん。僕も楽しかった」

「すごく、すっごく楽しかった。眼鏡が壊れてステージや花火は鮮明には見えなかったですけど、私は今日見た景色を忘れません。水瀬君と一緒に見た、一緒に過ごした時間は大切な思い出です」


 何度も、何度でも思う。今日一日でくどい程に心の中で呟いてきた「月紫さんが可愛い」をもう一度。

 夏フェスが終わり。レンタカーの車内。とびきりの笑顔で君が僕の前でとろけている。

 月紫さんの、恐らくは本心であろう言葉が今日一日のロックやアコースティックやどんな音楽よりも僕の心に響いた。


「え、えへへー。恥ずかしい」


 照れる顔がこれまた可愛すぎるっっ!


「そ、そっか。じゃあ帰ろうか」


 曖昧な返事しか発せないのかよ水瀬流世ぃ……! キョドリすぎだろ。これだから隠キャは! これも今日何度言ったことか!


「シートベルトは着けてね」

「はいっ。免許を取得した私には簡単な動作ですっ」

「大学近くのスーパーに向かうね」

「んー」

「な、何かご不満でも?」

「私、今のはかなり攻めたつもりでした」


 シートベルトを装着した月紫さんが少しだけ顔を曇らせる。


「あとは帰るだけ、ですか?」

「え、っとぉ……それ以外ない、よね……?」

「……」

「月紫さん?」

「んー、水瀬君は中々に奥手です」

「……え? え、何が!?」

「いえ、こちらの話です。次はもっと頑張ります」


 すぐに元の笑顔に戻った月紫さん。今のはどういう意味だったのか問い返すことは出来そうにない。


「今日でもう完全に……になったんですからねっ。絶対にヘッドショットしてみせます。水瀬君を撃ち落としてみせますっ」

「ヘッドショット? またFPSの話?」

「それはまた別の物語」

「それ便利な返し方だね!?」


 僕が叫ぶと月紫さんが笑う。


「水瀬君、これからもよろしくお願いします。覚悟してくださいっ」


 三大・美味シチュエーションの夏フェス。そのフィナーレは花火ではなく、月紫さんの笑顔で幕を閉じた。

 この人の不思議で魅力的な笑顔と共に飲むビールはどれ程に美味しいのだろうか。

 なんてことを思いつつ、僕は車を発進させた。

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