33 三大・美味シチュエーション 夏フェス
首にかけたタオルが汗を吸う。
夏の暑さとは違う、狂ったような人の熱気。どこへ行っても続き、どこへ行っても人がいて、行く先の全員が楽しげに笑って踊って楽しんでいた。
僕も笑っている。笑いが止まらない。だって今日はフェスだから。
「あぁぁ、生ビールが美味い」
溢れそうな白く細かい泡を啜り、辺りから響き渡る音楽と人々の歓声が体に浸透する。
僕は夏のフェスを思う存分に楽しんでいた。
僕にとっての三大・美味シチュエーションの一つ、夏の音楽フェスティバルだ。
夏フェスはとても良い。キャンプと同様、日常生活では味わえない特別感の中で飲むビールは格別。鬱陶しい夏の日差しも今日はとことん浴びてやろうと思える。
暑いからこその美味しさ、好きなバンドを聴いて飲むからこその絶品ビール。この美味さは凄まじい。
何より、今日は一人だ!
キャンプから帰ってきた日のうちに僕はフェスの準備を始めた。それ見た金束さんが私も行くと言った。
だが残念。チケットはソールドアウト。僕は一枚しか購入していない。金束さんは来られなかったとさ。
『何よ! アンタだけズルイわ!』
と言った金束さんの悔しげな表情が忘れられない。ふふ、今回ばかりは連れて行けません。チケットがありませーん。
そう、つまり、なんと、今日は! 僕一人だけ。念願の一人酒。しかも三大の一つである夏フェス! テンションの高さはマウント富士をも超える!
え? テンションがおかしいって? まぁ僕も自分の発言が矛盾していると思う。
大学のノリが嫌いな陰険大学生の僕が、ウェイウェイ言ってそうな大学生がこぞって行くであろう陽キャの祭典の夏フェスに参戦している。誰かと何かをするのも楽しいとキャンプで体感したばかりのくせに今日は一人で来ているし。
キャンプの時は二人も悪くないとか思ったけどね、やはり一人が一番良い。
好きなバンドやアーティストを見ようと自分勝手にステージを移動していき、自由きままにビールを買う。時には前の方に行って人の波に揉まれて熱狂し、疲れたら後ろの方でビールを飲みつつ演奏を聴く。敢えてステージには行かず、どこか涼しい木陰で過ごすのも僕の思う通り。
全てが自由。全てが自分の為。連れのいない夏フェスを、僕はとことん楽しんでみせる!
「さて次のアーティストは~」
タイムテーブルをチェックし、次のステージへと向かう。
このバンドを見たら次はここに行ってこのバントを見て途中で抜けてまた次のバンドを見に行く、といった具合にフリーダムに楽しむ。
特に好きなアーティストは最前で見る為に早めに移動する等々、スケジュールを組み立てて飲むビールがこれまた美味し。
『わ、私もアンタと行きたい。行きたいのに……むがーっ!』
金束さんの拗ねた顔を思い浮かべてもう一杯、と。
さてさて金束さんのことは忘れて楽しもう。今日は一人だ~。
「あ、水瀬君っ」
「……へ? な、なんで月ぶぼぉ!?」
いきなり腹に弾丸を食らった。胃の中のビールが逆流しかける。うおぇ!?
は、吐くな。僕は吐かないと決めた。
必死に堪え、涙目で顔を上げると、
「ご、ごめんなさいっ。後ろから押されて思ったよりスピードが出ちゃいました」
眼鏡をかけ直し、ペコペコと頭を下げる月紫さんがいた。
……月紫さん!?
「な、なんで月紫さんがここに?」
「? 夏フェスだから?」
「まぁ、そうだよね」
この広い会場でまさか数少ない知り合いの一人と会うとは。すごい確率だ。
……学科の人にも会ってしまいそうで怖いな。
「? 水瀬君」
「ああいや、なんでもないです。久しぶりだね」
「はいっ。本当にお久しぶりですっ」
月紫さんはバンTを着て黒のレギンスとショートパンツを穿いている。やや陽気な格好だが、派手ではなく露出が多いわけでもない。
清楚であり、快活さと慎ましさを両立させた彼女らしいおっとりとした佇まいにグッときた。
「水瀬君も来ていたんですね。お一人ですか?」
「うん」
「私もですっ」
僕が見惚れている間に会話が進む。
僕らはお互いに一人で来たらしい。夏フェスに一人で来るとかププーッ、と周りから馬鹿にした目をされそうですね。一人で来ても別にいいでしょ! ぷんぷんっ!
「そっか、水瀬君もお一人様なのですか」
「うん。……うん?」
あれ? なんか嫌な予感がした。
目の前で「むむー、うんー、そーですかー」と悩んでいる月紫さんが今から何を言うか予想した僕の胸中に不安がよぎる。
「水瀬君、良ければ……」
「じゃあ僕はこれで! お互い楽しもうね!」
言わせる前に言ってやる。同伴はごめんだ! 今日こそは一人で満喫すると決めたんだ。
断りを入れて僕は去ろうとし……あ、あの? 悲しそうな顔をしてどうしたの……?
「そ、そうですか。もし良ければご一緒にと思ったんですけど……残念です」
「え、えっと」
「一人で来たはいいけど実は心細くて……。では失礼します」
「待って!」
「水瀬君……?」
訴えかけるような瞳。小動物、または無垢な子供がおねだりするような顔に、僕の胸中に良心が大軍となって押し寄せてきた。
「良かったら一緒に回らない?」
「いいんですか?」
「僕は、うん……」
はい自分から言っちゃいましたー。了承しちゃいましたー。
だってしょうがないよ。そんな目をされたら一人で行くなんて出来ない!
「ありがとうございますっ」
月紫さんが笑い、僕は苦笑いの後にコッソリ溜め息。
今回こそは一人だと思ったのに。運命の神様とやらはイタズラ好きらしい。ぐはぁ……。
「水瀬君と一緒だ……えへへっ」
……しかし月紫さんのとろける笑みを見たら運命の神様にグッジョブと親指掲げる自分がいました。僕はチョロかった。




