32 また来年になっても
チュンチュン。小鳥のさえずりが耳をくすぐる。
眠気まなこをこすって上体を起こせばすぐ上には天井。横には金束さんが寝ていた。
……チュンチュン? これが朝チュン? もしかして昨日、僕らは一線を……!?
「あぁ、そうだったか」
意識の覚醒と共に昨夜の記憶が蘇る。
そういや金束さんがGを怖がったから一緒に寝ることになったんだった。決して朝チュンやワンチャンの類ではない。僕は何もしていない。
……手を繋いで寝たような気がするけど恐らく勘違いだ。うんそうだ。
「水瀬ぇ……すぅ……」
「……」
右手がぽかぽかする。見ると、僕の右手は金束さんの手を掴んでいた。金束さんも僕の手を握っていた。
き、記憶違いじゃなかった。というか僕らは寝ている間ずっと手を繋いでいたのか。漫画かな? 朝まで繋ぎっぱなし? 漫画の世界かな!?
「あー。嫌な予感がする。今すぐ手を離さないといけないと思うのはなぜだろう」
「ん……水瀬……?」
「お、おはよう」
金束さんも起きた。寝起きのぼーっとした、幼さを感じる可憐な顔で僕の方を見る。
その視線は繋がれた手にと移った。ぼんやりした眠気まなこは次第に見開いていき、掠れ声で「あっ……!」と叫
「な、何手を繋いでいるのよ馬鹿!」
「嫌な予感的中! 金束さんが繋いできたんじゃ、ぶへぇ!?」
もう片方の手が僕の頬を弾く。
寝起きにビンタ。一昔前の寝起きドッキリ並みの理不尽さだ……。
「忘れ物はない?」
「ふん」
「受け答えになってにゃい……」
朝食を済ませ、僕らは荷物をまとめる。
チェックアウトは十時だ。それまでにロッジ内を清掃して帰る準備を整える必要がある。
忙しなく片付けを行う僕の声に「ふん」とだけ返した金束さんは椅子に座ってそっぽを向く。そっぽを向くの好きですねー。
「っと、これで終わりかな。僕の方は準備終わったよ。金束さんは?」
「ふんっ、終わったわよ」
ふんっ、と言う必要あった?
金束さんも荷物をまとめ終えて立ち上がった。僕らは二人、ロッジを出る。
天気は快晴。海が綺麗だ。朝から泳ぐ人達のアグレッシブな姿を遠くから見つつ、僕と金束さんは黙ったまま丘の上を歩く。
「……」
「……」
何かしら話せばいいのに変な沈黙がのしかかっていた。妙な気まずさに包まれている。
それはきっと昨晩のことをお互いに考えているからなのだろうか。
「えっと……」
「……」
成り行きとはいえ手を繋いで寝た。恋人みたいな行為をしてしまった。大人の階段に足をかけた気がする。
いやまぁヤンチャな大学生ならそれ以上のことをしたのだろうけど。僕には手を繋ぐだけでも大したものだよ。当初は一人でキャンプのはずだったのが随分と違ったものになった。
……一人のはずだったのに。
女の子と二人、海を眺めながら歩いている。
今年の春、一人でウキウキとしてキャンプ場の予約を入れた僕が今の僕を見たらなんと言うだろう。誰かと一緒なんて楽しいのかよ、と馬鹿にするだろうか。
一人じゃなくても楽しかった、と予想出来ただろうか。
「水瀬」
「……」
「聞きなさいよ」
「あ、はい」
もうすぐキャンプ場の受付に到着するところで金束さんが口を開いた。僕はワンテンポ遅れて言葉を返す。
「……」
「な、何か?」
「私は大学生が嫌いよ」
いきなり何を言い出したんだ。率直にそう思った。
朝から全力で照りつける日差しによって金束さんの派手な髪がキラキラと金色に彩り、潮風が湿り気なく後ろ髪を舞わせる。
「大学生が嫌い。大学生の軽い陽気なノリがウザイ。何もかも不快でしかなかった」
「し、知ってるよ」
金束さんは大学生のあらゆることを嫌悪している。
軽い口調でふざけ合ったり、意味もなく一気飲みすること、周りに誇示するかのように無茶して暴れること、それらを嫌っている。
どうやら愚痴が始まりそうだ。予期した僕は身構える。
「……でも、私はただ知らなかっただけなのかもしれないわ」
嫌い、ウザイ、不快。そう言った彼女が次に言った言葉は予期したものではなかった。
僕に言うのではなく自分自身に言い聞かせるような声が零れ落ちた。
「巡り合わなかっただけなのよ。大学生になって一年と数ヶ月、波長の合わない人間と環境にいただけ。つまらない、くだらない。短くて狭い中で体験したことのみでそう決めつけていたんだわ。楽しいこと面白いこと嬉しいこと、本当はたくさんあった」
「金束さん……」
「アンタに会えて知ることが出来た。……昨日も言ったけどもう一度言うわ」
足を止めた金束さんが僕に体を向ける。
僕を見つめる彼女を見つめて、夏の太陽と海の潮風も止まった。
何も感じない。目の前に立つ彼女が恥ずかしそうに頬を染めながら笑う姿以外に意識が向かない。
それくらい、金束さんの表情は良かった。
今までで一番の、素敵な笑顔を浮かべていた。
「キャンプ、とても面白かったわ。水瀬と一緒だったからすごく楽しかった。これからもビールが美味しいシチュエーションや楽しいこと教えてほしい。……わ、私は水瀬と一緒にい」
「おはようございます! 山倉海浜公園キャンプ場です!」
止まっていた空間に大きな声が響き渡った。
太陽がジリジリと焼きつけて潮風が吹く。その中で、ハイなテンションの従業員が僕らの元に走ってきた。
「あ、チェックアウトですね! こちらへどうぞ!」
悪意のない元気な大声でやる気満々。従業員が「どうぞどうぞ!」と受付のロビーへ案内してくれる。
「……」
「え、えーと。もう一回言ってくれますか?」
「もう言わないわよ馬鹿っ!」
「え、えぇ……」
「ふん!」
さっきまでの笑顔は完全に消え失せた。元の不機嫌な表情になった金束さんが足音を激しく立てて突き進む。
今、僕と金束さん史上最も良いムードになろうとしていたのに。デレたと思ったのに一瞬で終わった。何してくれたんだ山倉海浜公園キャンプ場ォ……!
「ご利用ありがとうございました! いかがでしたか! 何かあれば遠慮なくご意見ください!」
「むがーっ」
「こ、金束さん、威嚇するのは良くないよ?」
「はいありがとうございました!」
「あなたは少し黙ってくれません!?」
騒がしくチェックアウトを済ませた僕らは車に乗る。
運転席の僕と助手席に座る金束さん。シートベルトを着けた金束さんが舌打ち混じりに窓を睨む。その先には先程の従業員さん。
「こっち見ないでよ気持ち悪い!」
従業員が笑顔で手を振っていた。あの人ある意味すごいなぁ。
「じゃあ帰ろうか」
「ふんっ」
「ひえぇ」
「こんなところ二度と来ないわ!」
最後は笑顔で終われると思った。最後の最後で結局いつも通り。上手くいかないね。
……そんな金束さんも良い。僕は心の中でひっそり呟いた。
「早く発進しなさいよ」
「今ナビを入力しているから待って」
「ここ」
「え?」
「帰り道に別の海浜公園があるでしょ。そこ寄って帰る」
「なぜ? や、でもレンタカーを返す時間が迫っているし……」
「飛ばせば間に合うわよ。だから早く行きなさい!」
「はいぃ!」
運転するのは僕なんですが……ひいぃ、安全運転したいぃ。
イエスを怯え声で言うしかない僕は強めにアクセルを踏んだ。
ルームミラーに映る元気な従業員は次第に小さくなっていき、ヤシの木の並木道を通り過ぎて海も遠ざかっていく。
さようなら、山倉海浜公園キャンプ場。
「もっとアクセル踏みなさいよ」
「無理。捕まっちゃう」
「こんなところ二度と……来ないこともないんだから」
「ふへ?」
「う、うるさい!」
「僕は気持ち悪い声しか出していないよ!?」
「気持ち悪い声を出さないで」
「それは僕も思う」
「ふん。……何度も言わないんだから。また来るって言ったでしょ」
さようなら、山倉海浜公園キャンプ場。また来年、かな……?
そうなるといいな。僕は残り僅かな海と砂浜を横目に見て、運転に集中した。