31 キャンプの夜
美味しいと言わせたのに満足してもらえなかった。まさかの展開だ。上げて落とす。こんなの心が折れますよ。
「はぁ……」
「いつまで溜め息ついているのよ」
「あなたのせいです」
「花火するわよ」
「フリーダムですね」
その後、普通に食べてバーベキューは終了した。
金束さんが花火をする。華やかに燃えてスッと突然消える花火の閃光はまるで僕の心情を表しているかのようだ。
「花火飽きたわ。次は何するの?」
「えぇ……。かき氷食べる?」
「気分じゃない」
「じゃあもうないよ。あとは寝るだけ」
「ふーん」
花火を終えてロッジに戻る。少しの水しか入っていないバケツすら重く感じてしまう。
最低値にまで下がったテンション。途端に今日一日の疲労が襲いかかってきた。
寝よう。今日は疲れた。
「布団敷きますね」
「……布団並べて敷かないでよね」
「当然だよ。金束さんは一階で寝て。僕はロフトで寝るから」
「……」
「あの、なんで肩パンするの?」
無言で肩を殴られた。なぜだ。金束さんの言う通りに寝床を離したのに。ロフトは熱気がこもって暑いだろうし、逃げ場がなくて不安だろうと配慮して一階を譲ってあげたのに。それなのに殴られた。僕は悲しい。涙がぐっすん。早く寝たいぐっすり。
「アンタもう寝るの?」
「うん。シャワーは明日の朝に浴びる」
「不潔ね。私は今から浴びてくるわ」
僕を不潔呼ばわりして金束さんは荷物を持ってロッジ備えつけのお風呂へ向かう。
ふと、こちらを振り返って蔑んだ目で睨んできた。
「覗かないでよね」
「分かっているよ」
「覗いたらぶん殴るわ」
「既に殴られた後でございます」
「さっきから何よそのぶっきらぼうな態度」
「はいはい」
「ふんっ」
扉を力任せに閉めて金束さんはお風呂場に入っていった。残された僕は、敷いたシーツの上に突っ伏す。
今日は散々だった。一人ならこうはならなかっただろう。
「はぁ~……」
溜め息がとめどなく溢れる。覗きをする気力も残っていない。そもそも覗く胆力は最初からありません。僕は陰キャボッチなので。
そう、陰キャボッチらしく一人で細々とキャンプを楽しむはずだったのになぁ。
「誰かと一緒なんてロクなもんじゃない」
海で遊んでいた時は確かに楽しいと思ったよ。バーベキューを始めるまではそう思っていた。けどあんなことを言われたらさすがに堪えるよ。我慢して頑張って、無意味だった。……あの頃に似ている。
僕の夏最大のイベントはまるで初めて飲んだビールのように苦かった。
……寝よう。寝てしまおう。明日からも続く、終わりの見えない協力関係にげんなりしながら瞼を閉じてしまえ。
「きゃああぁ!?」
意識が途絶えかけた時、金束さんの悲鳴が聞こえた。
落ち着いて寝かしてももらえないのかと再度げんなりして起き上がり、悲鳴のしたお風呂へ足を運ぶ。
近寄りはしたけど扉を開けるわけにもなぁ。逡巡していたら、閉められた時と同じくらい激しい音を立てて扉が開かれた。
そこから出てきたのは……へ?
バスタオル一枚の、裸の金束さんだった…………へ!?
「た、助けて、ご、ごご、ゴキブ……ひゃああぁ!」
「ちょ!? 待っ……!?」
金束さんはパニクっているのか、その露わな姿のまま僕に抱きついてきた。
突然のことだったからまともに見ることが出来なかった……じゃなくて!
え、え? 全裸の金束さんが僕に抱きつい……ええぇ!?
「ひううぅ……っ、水瀬、水瀬ぇ……」
「お、おち、おちゅつぃて」
僕が落ち着けぇ。いや落ち着けるかあぁ!
裸の美人がぎゅうぅと抱きついているんだにょ!? 海で遊んだ時、背中で味わったあの柔らかい感触が今度は真正面からふにょりふにょりと……あわわっ。
「だ、大丈夫だから」
「殺して! 今すぐ殺して!」
過激な発言とは裏腹に金束さんは見事なまでに狼狽していた。
震えた体を寄せてきて、しがみつくように泣きつくように僕から離れない。てか離れたら見えてしまいそうなので絶対に離れないでね。僕は意識飛ぶ寸前です!
「水瀬ぇ……」
「あががが……」
ど、どうしよう……!?
僕がもしオープンスケベなら、この機を逃さず金束さんの全てを網膜に焼きつけるところだ。ハプニングをチャンスに変えて、さりげなく触ってやろうかと画策する。
けど僕は陰険根暗ムッツリスケベ。目を固く閉ざす。
僕は金束さんから離れて一人でお風呂へと入る。扉はちゃんと閉めた。
「僕が処理しておくから。金束さんは何か着て待ってて」
「み、水瀬殺して……!」
「はいはい」
お風呂場に入って安堵。壁を走る黒色のキモイ生物を見ても先程の動揺は超えない。可愛い奴め、とすら思える。
……あと、自分が惨めとも思えた。せっかくのチャンスだったのにね。その気になれば金束さんの全てを至近距離で拝めたのにカッコつけちゃった。
「ま、いいか。ボッチには十分のトラブるだったよ」
「水瀬、もう大丈夫……?」
「もうちょっと待ってね」
ラッキーを活かせないビビりだなと自分を貶しつつ、今更になって一瞬だけ見えた生肌の綺麗さと濡れたタオル越しの凹凸を思い出し、もうちょっと見ておけば良かったとやっぱり後悔しながら、僕は壁を這いずるそいつを始末した。
「み、水瀬、起きてる?」
「起きてるよ」
ロッジの二階。ロフト。暗い部屋に天窓から星の光が注ぐ。
並べた布団に僕と金束さんは寝ていた。腕を動かせば触れ合う距離。
通称・Gを処分した後も金束さんは怯えており、もう大丈夫と言っても僕が離れることを許さなかった。金束さんがシャワーを浴びる間、扉のすぐそばでの待機を命じられた。理性が頑張ったのは言うまでもない。
理性は今もなお激闘中だ。隣に金束さんがいる。離れて寝るはずが並んで寝ることになるとは。
「か、勘違いしないでよね。ゴキブリが怖いからアンタを傍に置いているだけなんだから。私に触ったら許さないんだから!」
「何この言われよう……」
同じロッジで寝泊まることは覚悟したけど、並んで寝るのは予想外。心臓のバクバクが止まりません。フルアクセルだ。
「……アンタ、見た?」
「な、何を?」
「私の裸……」
「み、見てないよ」
「本当?」
「……」
「な、何よその沈黙!」
「見てない! 全然見えていなかったからっ。というかスタイルの良さは海で見まくったからもう見ないよぶべぇ!?」
「見てるじゃない!」
「う、海ではね。それに関してはごめんなさい! でもさっきは見ていない。本当だよ!」
「……」
「ひ、ひえぇ」
金束さんは許さないだろうな。またしても「変態! スケベ!」と罵倒してくるに違いない。
覚悟して身構える。待っていたのは、手を握られた感触。そっとぎゅっと僕の手を包む。
金束さんが布団の下で僕の手を握ってきた。
「ならいいわ」
「え?」
「全然見えていなかったんでしょ? それならいいって言ってるの」
「し、信じるの?」
「何よ。アンタ嘘ついたの!?」
「いえ滅相もありません! 本当に本当です!」
またしても予想外だった。金束さんが許してくれた。トラブるとはいえ、あんなことあったのに僕を貶さなかった。
「私が勝手に出てきたからアンタは悪くないわ。それに……もし仮に見られたとしても水瀬なら別にいい」
「は、はい?」
「いいからアンタはゴキブリが来ないか監視しなさい! 一緒に寝ているのはその為なんだから!」
「は、はい!」
つっても暗闇だとGが来たとか見えないし分からないよ。
分かるのは手の平に伝わる温もりだけ。……金束さんは離そうとしなかった。
「……ヒョロガリのくせに手は大きいのね。温かいし……」
「な、なんでしょうか?」
「別に。……ねぇ、水瀬」
「な、なんでしょうか?」
「アンタそれしか言えないの? 馬鹿」
馬鹿って言われた。馬鹿って言う方が馬鹿なんですー。
心の中で茶化しても動揺は消せない。女子と一緒に寝ている。寝ながら手を繋いでいる。女子と。しかも美人。
僕は、金束さんと一緒にいる……。
「……楽しかったわ」
え……?
「次はもっと楽しくしなさい。花火も多めに買って、ゴキブリがいない場所を選びなさい」
「何を言って……」
「またキャンプするって言ってるのよ。分かるでしょこの馬鹿っ!」
「に、睨まないでよ」
星明かりだけの暗い部屋。暗くてゴキブリとか見えないだろうけど、横向いた先の金束さんの顔は見えた。
僕を見て口を尖らせる。けれどその顔は微笑んでいた。
金束さんはハッキリと言葉にして言った。楽しかった、と。
「こっち見ないで」
「金束さんは見てくるのに?」
「うるさいっ。寝るわよ」
「お、おやすみなさい」
「ふん! ……おやすみ、水瀬」
目を閉じて、小さな声で何かを言った金束さん。
僕は天窓へ目を向け、降り注ぐ星々の輝きを眺めてそっと瞼を閉じた。
手は繋いだまま。離すことなく、金束さんも僕から離れることなく。
「連れてきてくれてありがとう。その……本当に、楽しかったんだからね……っ」
「うん。……僕もだよ」
お互いに最後、何を言ったかは分からない。僕らはそのまま温もりに包まれて、寝てしまった。
また来年もキャンプには行くだろう。その時は一人で来るのか、二人なのか。
どちらであってもいい。どちらであってもきっと楽しい。今はそう思えた。




