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30 とっておきのシチュエーション

「ん……んん……みな、せ……?」

「あ、起きた?」


 燃える炭をバーベキューコンロに広げ終えた頃、金束さんが目を覚ました。寝ぼけ眼をパチパチとさせ、焦点が定まらないとろんとした表情でバルコニーに足を踏み入れる。

 寝起き姿がすんげぇ可愛い。とかは口に出さず、僕は自分なりに優しく微笑んで椅子を引く。


「はいどうぞ。準備はバッチリだよ」

「私、寝てたの……?」

「そうだね」

「そっか……っ、っ!」

「え、何?」


 うつらうつらな瞳は突如として見開き、見慣れたキツく鋭い目つきとなって僕を睨んできた。


「あ、アンタ、私が寝ている間に変なことしていないわよね!?」

「えぇ!?」

「最低! この変態!」

「な、何もしてないって」


 それどころか一人で準備を頑張った。ロッジ内からバルコニーにせっせとテーブルや椅子を運び、バーベキューもとい食事の支度を全てやったのにこの言われよう! そっと寝かせといてあげようという慈悲の心で微笑んだ僕の優しさを返して!


「ふんっ。最低!」

「何もしていないってば」

「私の寝顔を撮ったりしたんでしょ」


 ちなみに僕は嘘を言いました。実は一枚だけ写真を撮りました。だって寝顔が超可愛かったから。

 見事に言い当てられて動揺してしまう僕を、金束さんはギロリと猜疑心が色濃い目で睨んで自身の体を両腕で隠す。


「まさか胸を触ったんじゃ……!?」

「さ、触っていない!」


 撮ったけど触ってはいないから! 枝豆狩りの時にはチャンスを逃したし海では背中でしか味わえなかったから今回こそはと思って実行に移すか何十回も葛藤したけど我慢したから! ギリセーフだ。いや、盗撮はアウト……?


「と、とにかく起きたなら始めようよ」

「変態。キモイ。根暗」


 貶された。シンプル且つ的確な悪口。ひ、酷い。寝ている時はあんなに可愛かったのに起きたらこれだよ。

 やっぱり撮影だけじゃなく触っておけば良かったと後悔しつつ、気を取り直して僕は銀色のトングと肉を盛ったお皿を持つ。

 金束さんは寝起きなのに既に何発も放った「ふんっ」を訝しげな表情と合わせて冷たく批判をぶつけてくる。


「ふんっ、また焼肉ね」

「焼肉じゃない。バーベキューだよ」

「同じよ」

「全然違う! いいですか? バーベキューはバーベキューなんだよ!」

「意味不明ね」

「じゃあ説明してあげましょうっ」


 やれやれ、この人は何一つ分かっちゃいない。

 僕が一番初めに教えた焼肉ビールと同じだって? 天地の差があるよ。焼肉には申し訳ないがバーベキューは美味しさのランクが違う。


「木々の香りと空気をバーベキューの匂いと煙で調和し、夕日によって青から紅へと色変えていく海を眺める中で食べる肉と飲むビール。最高の環境、最強の組み合わせだ。店や部屋でやるのとは別次元。相乗効果の騒ぎではない。まさに革命!」

「テンション高いわね」

「当然! そもそもバーベキューだよ? バーベキューと言う単語自体が特別に感じない? 僕は興奮しているよ!」

「キモイ」


 辛辣な一言で片付けないでぇ。てかあなたも小皿にタレを入れたり箸を持ったりとやる気満々じゃないすか。


「早く焼きなさいよ」

「……今に見てろ」


 焼肉ビールと同じ轍は踏まない。僕の三大・美味シチュを見くびるな。今回はマジで自信がある。

 炭の赤外線で熱した網の上に肉を置く。牛肉や豚肉はもちろんのこと、昨夜から漬け込んできた骨付きスペアリブもある。カットした野菜やホイルで包んだキノコとホタテ、中にバターを投入したコーンの缶詰、それらもバランス良く網の上に配置。

 さらにはポン酢に大根おろし、豆板醤を使った特製ダレといったタレ類も充実している。ご飯もちゃんと炊いてあげたよ。


「はい、どーぞっ」

「ふん」


 焼けるのを待つ間に、冷やしておいたビールを不機嫌な金束さんへ渡す。僕も自分の分を持ってプシュ!と開封。

 ……良い頃合いだ。


「乾杯しようか。金束さん、来て」

「な、何よ」


 手招きして金束さんを呼ぶ。僕らは肩を並べてバルコニーの柵に腕を置く。

 見てご覧、と促す先には今まさに海と夕日が溶け合おうとしていた。


「……綺麗」

「だね。もう多くは語らないよ」


 百聞は一見にしかず。この景色を見ればそこに答えがある。

 神秘的で非日常な光景。あんなに澄んで青かった海が夕日によって紅に変わり、まん丸の穏やかな夕日は海面に沈んでいく。眩しくて、けれどずっと見ていたくなる。ただただ、綺麗だ。


「金束さん。乾杯」

「ん……乾杯」


 日中の暑さが引いて涼しい風が吹く。

 僕らは互いの缶をぶつけ、食欲そそるバーベキューの匂いと自然の空気に触れて、手に持ったビールを飲む。

 口に広がるビールの味と爽快感。同時に今日一日の記憶が駆け巡る。

 朝早くから集合し、車を運転して、海ではハプニングがありつつも楽しく遊んだ。その全てが含んだビールを胃に流し込む間に駆け巡り、その全ては今この瞬間の為だと感じた時、僕は喉を鳴らして震わせして至福の味を心身共に堪能した。


「う……うっまあああぁ!」


 ビールが、美味い。ビールが、美味すぎる! 間違いなく今この時が今年で一番美味いビールを飲んでいると言える。

 喉が。脳が。全身と全神経が歓喜に沸いた。細胞一つひとつが吠え猛る。美味すぎると!

 これだからキャンプはやめられない。あぁ、美味しい、美味しい、うまーい!!!


「ぉぉぉ、涙が出てきた」


 感涙した。今なら死んでもいい。そう思える程に幸せだった……!


「……ふーん」


 隣で金束さんが一言「ふーん」と呟く。

 その顔は……今まで見てきた不機嫌そうな表情でもなく、ビールの苦さにしかめる顔でもなく、満足げな顔をしていた。ぁ……!


「金束さん、もしかして……」

「まぁ、そうね。うん…………美味しいわ」


 っ?


 っっ!?


 あ……。



 や……。


「やっっっったあぁ!」

「う、うるさい」

「美味しいって言った。美味しいって言ったよね!?」


 ついに、ついに金束さんが美味しいと言った。ビールを美味しいと感じた。それはつまり、僕がこの人にビールが美味しいシチュエーションを教えたということになる。

 僕はついに……達成したんだ!


「おっっっしゃあぁぁ!」

「な、何よ」

「金束さんを喜ばせることが出来て嬉しいんだ……!」

「っ、ふん……」


 長かった。六月に出会って今が八月。たった二ヶ月かもしれないけど僕にとっては年単位で長く感じた。

 それが今、終わりを告げた。金束さんの「美味しい」の一言によって目的は達成し終えたのだ。


「これで僕はお役御免だね」

「……」

「約束通り、ビールが美味しいシチュエーションを教えてあげたよ。やったね!」


 そう、これで僕は解放される。金束さんに振り回されることなく、以前の一人酒に戻ることが出来る!

 う、嬉すぃ。嬉すぃよぉ~。


「最高だよ。僕は自由だうへへぇーい♪」


 あとは月紫さんの訓練に付き合ってビールを飲めるようにしてあげるだけ。それも済んだら僕は自由だーっ。

 やったったー! いえぇぇい! となるとビールがさらに美味しい!

 怖い顔されたり馬鹿と罵られたり一人の時間を邪魔されることもこれでおさらばだ。

 嬉しいなぁ。あぁ嬉


「まだよ」


 しいなぁ。……え゛?


「まだ協力してもらうわ」


 …………え゛!?


「はああぁ!?」

「何よ!」

「ひぃ!? い、いやだって今教えたでしょ……?」

「……」


 歓喜ではなく恐怖で体がビクッと震えるも、僕は恐る恐る確認を取る。

 金束さんはビールを啜り、何かボソボソと言った。


「な、なんて?」

「別に」

「はひぃ?」


 そしてスタスタと歩いて僕から離れる。椅子に座り、焼けたお肉を食べてこちらを見つめる。


「こんなの期間限定イベントよ。いつも出来ることじゃないわ。私は普段の生活で美味しく飲めるビールを知りたいの」

「……」

「私が求めるシチュエーションとは違うわ。……だからまだアンタには協力してもらうんだから」

「……」

「な、何か言いなさいよ」

「あああぁぁんんんんん!?」

「っ!?」


 何か言いなさいって、いやお前が何を言ってやがるぅ!

 最高のシチュエーションを教えたのに。それなのに! これは非日常だからノーカウント? ふざけたこと言ってるんじゃねぇぇえ!


「予約を変更して、ここに連れて来て、買い出しや運転やその他諸々おまけにバーベキューのセッティングも僕が全部一人でやって! その果てが『これじゃない』だとぉ!?」

「う、うるさい」

「そりゃうるさくもなるよ! これ以上僕にどうしろと!?」


 辛く険しい冒険を経てラスボスと戦いやっとの思いで勝ったのに「フハハ、我を完全に倒したいなら専用の武器を取ってこい」と言われてステージ1に戻されたようなものだ。そんなのゲーム機を叩き壊すでしょ!?


「もう無理だよ! もう何もないよ!」

「まだ他の三大があるでしょ」

「残りもどうせ『非日常よ』で片付けられそうだもん。普段の生活であなたを唸らせるなんて無理ぃ!」

「うるさい。早く肉を焼きなさい」


 な、なんて人だ。僕の意見を完全に無視だ。美味しいビールを教えて〈fin〉の気分だったのを台無しにしやがった。魔界村の二周目より鬼畜だ。

 嫌だ。勘弁して。一人酒ライフを返してください! がえ゛じでよ゛ぉ゛!


「一口目だけね。やっぱり何度も飲むと苦いわ。バーベキューも所詮ただの焼肉だし」


 しかし金束さんは聞く耳を持たない。ビールを置いて白米とスペアリブを食べだした。僕渾身のスペアリブがただの晩ご飯のおかずにされている……。


「ありえない……」


 僕はまだこれからもこの人に付き合わないといけないらしい。とっておきの切り札が通用しなかった。全力の最大級魔法を放ち終えて勝利を確信していたのに敵が無傷で立ち上がったに等しい絶望だ。

 最高の気分は一気にどん底へ。僕までビールが苦くなってきた。き、キツイ。これは超キツイ。喜び泣きした涙の跡に悲しみの涙が流れていく。


「ぐああぁ……」

「そ、それにここで満足したら……私はまだアンタと一緒に……ごにょごにょ……」

「うおぉん……!」

「う、うるさいわね。いいから早く肉を焼きなさい。あと飲むわよ!」

「無理。立ち直れない」

「早くしなさい!」

「はい……」


 金束さんはまーた不機嫌になった。なんか顔が赤いし。

 はぁ、協力関係はまだ続くのか……。海面に落ちた夕日を眺め、僕は肩を落とした。

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