3 焼肉ビール
金束さんと奇妙な協力関係を結んだ日から一日が過ぎ、今日も彼女は僕の部屋にやって来た。
「早速教えてもらうわ。どんなシチュエーションで飲むのかしら」
薄手のカーディガンを羽織った金束さんは昨日と同じ座布団の上で女子専用アクション・女の子座りをすると、その大きな瞳をキラキラ輝かせる。
やる気満々だなぁ。僕個人としては、二日連続で女の子を部屋にお招きしたという快挙に恐れ慄いているんだけど。
「早く言いなさいよ!」
「ひっ!? 分かりましゅた」
あぁ今日も噛み噛み大学生。
少し黙しただけで怒られた僕は気圧され震えつつも、テーブルの上にとある物を置く。
黒色の、小さく丸みを帯びた円。コンセントを繋ぐことで熱を発する。名を、鉄板と言う。
「鉄板ね」
「うん」
「何か焼くの?」
「うん」
「は? まさか焼肉?」
「う、うにゅん」
僕が『うん』という二文字すら噛んでしまう程に、金束さんの顔は不機嫌になっていた。
「だ、駄目かな?」
「服に臭いがつくじゃない。それに女の子を部屋に連れ込んで焼肉とかありえないわ」
「連れ込んだ覚えはないです。金束さんが強引に」
「何か言った?」
「イエナニモ!」
ごめんよ心臓君、今日も君を過剰にバクバクさせてしまいそうだ。
「まぁいいわ。焼肉がビールの美味しいシチュエーションってことね」
「う、うん。ビールにはお肉が合うんだよっ」
気を取り直して説明していこう。
鉄板の電源をオンにして僕は両手を広々と、鼻を高々と、意気揚々に語る。
「まさに最強のタッグ! 食べ物と飲み物の組み合わせで彼ら以上の最適解はないと言っても過言ではない。肉が焼ける音と缶ビールを開ける音のハーモニーにお肉の匂いが重なり食欲がそそる!」
大学生でなく社会人でも『焼肉とビール』と聞けば心踊るはず。
「確かに王道だよ。ド定番だ。けれど、一人で自分の部屋でする焼肉は全く違う。焼肉店や大人数で騒ぐのとは別世界なんだ。自分が食べたいペースで肉を焼ける喜び、自分の部屋で焼肉という豪華さ、贅沢感を味わえてビールが進む進む!」
「ふーん」
「じゃあ焼いていこうか」
百聞は一見にしかず。実際に体感すればその良さが分かるはず。
僕は熱く火照った鉄板にお肉を乗せる。自宅で楽しむ為に買った一人用の鉄板だ。僕のボッチレベルの高さたるや、だねっ。
赤色の牛肉は見る見るうちに焼けていく。
色の変化と、宙を漂う煙と匂いだけでもう……ビールをオープン! プシュっとな!
「ではいきましょうかー!」
「テンション高いわね」
「焼肉だもの!」
「そういうことじゃないわ。昨日も思ったけどアンタはビール飲む時だけキャラ変わってるわよ」
そう言いながら金束さんも缶ビールの蓋を開ける。手に持ち、僕の方へ缶を近づけてきた。
? あ、あぁ、乾杯ですね。誰かと乾杯するのは久しぶりだ。……懐かしいな。
「ぼーっとしないで」
「あ、うん。じゃあ……乾杯」
「乾杯」
カンッ、と小さな音を立てて缶ビールを合わせる。
肉が焼ける匂いと音色。顔の下からは鉄板の熱気、頭上からは冷房。満たされていく幸福感の中で、口に流し込んだ金色ビールの美味さは……くぅ~!
「美味しい! これだこれ~!」
たまりませんなぁ。これぞ焼肉飲みの醍醐味!
喉を突き抜ける炭酸と苦味が自然と全身を震わせる。心地良くて爽快。生きていて良かったと感じさせる極上で至福のひと時。
「とかやっているうちに肉が焼けて……おぉ!」
一人焼肉に長けた僕の手にかかれば、丁度良いタイミングで肉が焼けている。
箸で持ち、タレの入った小皿にスッと漬けて頬張り、ビールの爽快感に包まれた口内を牛肉のガツンとした味が蹂躙。そこで舌鼓をせず間髪入れず、二口目のビールを流し込むことでビールの美味さが再び轟く!
「う、うめぇ。ビールうめぇ……!」
やはり焼肉は素晴らしい。素晴らしすぎる。
子供も大人も関係なく喜ぶであろう四番打者・焼肉をメインにするのではなく、酒のお供としてサポート役に添えることにより、ビールの爆発的な美味さを引き出しているのだ。のだ!
文句なしに最高。白米なぞいらぬ、仲間との談笑も不要。今世をビールと肉のみで永遠に戦ってゆける自信があるよ!
「ぷぱぁー。どう金束さんっ、美味しいでしょ」
「不味いわ」
……。
……?
え゛?
「ビールが必要なのかしら。焼肉は焼肉として食べたいんだけど」
鉄板の向こう側。僕の視界に、金束さんのしかめ面が飛び込んできた。
彼女は缶をテーブルに置き、不快そうに煙を手でバタバタと扇いで僕を睨んでいたのだ。
「やっぱり焼肉は駄目ね。脂が多いし気持ち悪い。そもそもビールを飲んだらすぐお腹いっぱいになるじゃない」
「な、なな……っ」
「ご飯ある? 私、焼肉はご飯ないと食べられないの」
「何言ってんのぉ!?」
こ、コラ! このお馬鹿! なんてことを言うんだ! ご飯は必要ない。ビールがあるでしょうが!
「はぁ? アンタこそ何ほざいているのよ」
「いやいや! 肉をビールで流し込むんだよ!」
「無理ね。全然合わないわ」
「嘘だ……」
「ねぇご飯ちょうだい」
「ねぇ! ねぇよご飯なんて! 用意しておらぬわ!」
「ご飯寄越しなさいよ!」
「ひいぃ直ちにお持ちしますぅ!?」
金束さんの怒号を真正面から食らって酔いが醒めた。高揚した気分が萎む萎むぷしゅー。
え、えぇ……? なん、だと? 僕のオススメが全く効いていない、だと……!?
「ふん。まぁご飯があれば食べられるわね」
冷凍していたご飯をチンして提供すると、金束さんは不満げにしつつも肉に手をつけ始めた。
その間、ビールには一切手をつけない。飲もうとしない。
あ、あぁ、鉄板に近い場所に置いたらビールが温くなっちゃうのに。もったいない……。
「そろそろ焼けた頃ね」
「っ!? そ、それは僕が育てたお肉」
「そんなこと知らないわよ」
完璧な焼き具合の肉を微塵の躊躇いもなく奪う金束さん。タレをたっぷりと漬けて食べ、続けざまに白米を口に運んだ。
待って……これじゃあただの焼肉だ。実家で食べる焼肉じゃないか。しかも僕の肉をおおぉ。飲むペースに合わせて仕上げてきた僕のお肉がああぁ。
「一人焼肉ならこんな悲惨なことにはならなかった……」
「うるさい。早く次の肉を焼きなさい。野菜もよ。あとタレだけじゃ飽きるからポン酢と大根おろしも用意して」
「僕は店員かな!? ここはお店じゃないよ!」
「喉乾いた。水でいいから注いできなさい」
「ビールがあるだでしょぉ!?」
しかし金束さんは無視して肉をかっさらう。またしても僕の肉が、あ、あぁ……。
鉄板から肉が姿を消した。残った油がジュッと落ちる線香花火のように掠れた音を出し、金束さんの箸によって焦げたキャベツが僕の方へと寄せられる。さり気なく焦げたやつを押しつけられている。
僕のテンションはマイナス値に突入。開始直後の高揚感は煙のように消えてしまった。
心に浮かぶ感想は、『なんだこいつ』であった。
「ふんっ、駄目だったわね。次はちゃんと美味しいシチュエーション教えなさいよ」
「なんだこいつ」
「何よ!」
「お水注いできましゅ!」
逆ギレ怖い!
空いたコップと缶ビールを持って僕はキッチンへ逃げ込むと、肩を落として項垂れる。
良シチュエーションを教える第一回目。王道の焼肉ビールは、失敗に終わった。
「僕のお肉……がくっ」
力なく飲んだビールは、いつもより苦味があったとさ……。