29 おやすみ
暑くて鬱陶しいはずの太陽が心地良い。二人して噛んでいた僕と金束さんは海水浴を楽しみ、落ち着きを取り戻していく。
正直自分が何を口走ったのか覚えていない。酔っていたのかな?
「行くわよっ」
「うん」
とりあえず今は楽しい。
海に入った僕らは水が腰に浸かる程度の場所でビーチボールをポンポーンと打ち返してラリーする。
「え、えいっ」
金束さんは足や腕を動かしてボールを追う。波打つ水に負けず返球する姿は見ていて微笑ましい。
が、やはりそれ以上に目を奪われてしまう。動く度にもれなく乱れ暴れて上下左右に揺れる胸。
なんだこの人は。すごすぎる。すごすぎるってのは、その、む、胸の大きさが……。
ビーチボールよりもビーチボールだ。意味が分からない。でもそれくらいすごいんだ! 彼女が少し動いただけで大きくぽよんっ、と揺れる。水着や水着の紐では押さえきれないボリュームだ。今にも飛び出してしまいそうで……っ、す、すご、
「痛っ!」
見惚れていたせいで完全にボールを見失っていた。
ビールボールは僕の顔面にヒット。たまらず情けない声をあげてしまう。
「何よその声。ダサイ」
「わ、悪かったね。……金束さん?」
眩んだ目を開いた時には金束さんの姿がなかった。水面にビーチボールが浮かんでいるだけ。
え、どこに……うわっ!?
「反応遅いわね。後ろよ」
ザバァ!と波が起き、背後から金束さんの声が聞こえた。
僕が振り返るより先に金束さんが両腕を回して……へ!?
「アンタ痩せすぎ。ちゃんと食べてるの?」
「ちょ……!?」
「ビールばかり飲んでるくせにお腹は出てないわね。でも細っ」
金束さんが僕の体を触る。ベタベタと。
それに関してはいい。いや良くはないけど今はそんなことより……ずっと凝視してきたあの魅惑的な双丘が今、僕の背中に押しつけられていて……っ、っー!?
だが金束さんは僕の体を触ることに夢中になって気づいていない。僕の体を触って何が面白いのか知らないけどこれは、
「ふーん。ヒョロヒョロだけど、そうね、不潔感はないわね」
「あ、あのぉ」
「私より細くならないでよ。ムカつくから」
これは、最高なのでは?
脳の命令を待たずして全神経が背中に集まる。その柔らかさを、その感触を、余すところなく堪能してやろうと研ぎ澄まされていく。
……ヤバイ。僕らの間にあるのは金束さんの水着のみ。布一枚の障害があるだけ。僕は金束さんの、き、きょぬーを、そのほとんどを背中に押しつけられている。男性にとってこれ以上の幸せがあるだろうか!?
「? どうしたのよ」
「に、にゃんでもにゃいでふ」
「はぁ? ちょっと体を触るくらい別にいいで、し…………あっ」
今「あっ」って言った。たぶん金束さんが気づいた。
自分の体がどうなっているのか。恐らくは、自分の胸がむにゅうと僕の背中に押し潰されている様に気づいたのだろう。
「な、な……っ、っっ、触らないでよ変態!」
「触ってはいなぶべぇ!?」
頭を掴まれて下へと落とされる。僕は海底に叩きつけられる程の勢いで突き落とされた。がぼぼぼ!?
「変態! 馬鹿! エッチ!」
「ぼぐばなにもじでごぼぼ!」
水中では言葉を吐けず、頭を押さえつけられて少し溺れそうになりながら僕はひたすら思い続けた。きょぬー最高っ。ありがとうございます!
……あ、待っ、少しどころじゃなく本格的に溺れそ、がぼぼ……!?
あの後マジで溺れそうになったがなんとか生還。
ビーチボールで遊ぶのをやめた後は水をかけ合ったり泳いだりと普通に海を楽しんだ。
気づけば夕刻。チェックインするはずだった三時はとっくに過ぎていた。僕と金束さんは海から上がる。
「チェックインするわよ」
「僕のTシャツ……」
「何か言った?」
むにゅり事件から金束さんのガードが固くなり、僕が視線を向けようものならものすごい剣幕で睨み返して体を腕や鞄で覆い隠す。
金束さんは海から上がると即座に僕のTシャツを着た。僕はヒョロガリの海パン姿で更衣室まで行けってことね。
別にいいけど。だって眼福と至福を味わえたから! そう思う自分がいましたとさ。さすがムッツリスケベの水瀬流世だ。
「ふんっ」
「ひえぇ」
「……ふーん、中々良い眺めじゃない」
僕らが泊まるロッジは丘の上にある。
オレンジ色にも似た木造の暖色と、緑豊かな木々に囲まれて自然の新鮮な空気が澄んでいるのはもちろんのこと、バルコニーからは先程までいた海が一望出来る。
その素晴らしきロケーションにて、金束さんは息を飲むように景色を眺める。感嘆の声をあげた。
「ふふ、僕が四ヶ月も前から予約を入れたからね」
「調子に乗らないでスケベ馬鹿」
だが僕に対する口調はキツイ。僕の手柄なのに褒めてもらえなかった……。べ、別にいいけどね。ぐすん。
「じゃあバーベキューの準備を始めようか」
ロケーションの良さは後でじっくりと味わおう。ビールと共に。
僕はバルコニーを後にし、車から荷物を運ぶ。ビールやジュースの飲料類、バーベキューの食材やら炭やらその他もろもろ。
これからが本番。僕はこの為にここへ来たのだ。
この暑さ、この空気。夏限定という特別感に加え、前もっての準備が必要となる故に期待が膨らむ。自然に囲まれた中、海を眺めて肉を焼く。五感全てが最高の状態で迎えるは、キンキンに冷やしたビール。その一口目ときたら……! 三大の名にふさわしい美味さを発揮するのだ!
「海でキャンプでバーベキューでビール。普通? あぁそうさ定番だ。ベタでいい。余計なアクセントは不要。それだけでビールは美味しいのだから!」
おっと、つい叫んでしまった。また金束さんに怒られてしまう。
備えつけの冷蔵庫に手際良くビールを入れ終える。冷蔵庫さんよろしくお願いします、と両手を合わせて頼んで続いてはバーベキューの火起こしと食材の下ごしらえだ。金束さんにも手伝ってもらおう。
「僕は炭に火を点けるから金束さんは野菜を切ってもらえる?」
バルコニーで景色を眺めているであろう金束さんに声をかけるが、反応は返ってこず。
「いやいや、ついて来たんだから多少は手伝ってくださいよね。……聞いてる? ねぇ、こづ……ぁ」
バルコニーに金束さんはいなかった。けれど探すのは簡単で、金束さんは部屋の中にいた。
畳まれたシーツを広げずに、そのままゴロンと寝転がって静かな寝息を立てていたのだ。
「金束さん?」
「すー……」
「ね、寝てる?」
マジか。海で遊んで疲れておやすみ、だと……? なん、だと……!?
なんて自由きままなんだ。この展開以前にもあったよ? 枝豆狩りの時もすぐ寝たよね? 疲れたらすぐ寝るタイプなの!?
「起きてよ。手伝っ……まぁ、いっか」
起こそうと手を伸ばしたが、僕は途中で引っ込める。
桜色の小さな唇からは静かな寝息。目を閉じて子猫のようにベッタリとシーツに寝転がった姿を見ていたら、とてもじゃないが起こせなかった。ううん、起こしたくなかった。
「……やっぱ寝顔も綺麗だな」
ホント、猫みたいな人だ。
ツンツンとして常時不機嫌で、自分が良ければそれが全てと言わんばかりの強引さと自分勝手さ。僕は振り回されるばかり。
でも今は。寝ている顔は。愛おしくて、ずっと見ていたくなるぐらい綺麗な寝顔だった。それこそバルコニーから眺める絶景のように。
「……はぁ、準備は一人でするか」
吐いた溜め息にやるせなさはなかった。仕方ないと、苦笑混じりに呟いてしまった。
最初こそはキャンプに行くつもりはないと発言していたのに今はご覧の通りだ。朝からテンションが高かった。海では無邪気に遊んでいた。きっと金束さんは普通に純粋に、そして僕よりもキャンプを楽しみにしていたんだね。
いつもはツンツンとしてキツイ態度な金束さんの穏やかで安らかな寝顔がそれを物語っていた。素直な本当の彼女の姿を見た気がした。
「海から上がったばかりなんだから風邪ひくよ」
「ん……」
「はいはい」
水着から元の服に着替えたらいいのになぜか僕のTシャツを着たままの金束さん。微かに聞こえた寝息が僕の苦笑いを微笑みに変える。
「おやすみ」
僕は金束さんにそっとシーツをかけると、一人キッチンに戻る。
さて、金束さんが起きるまでに準備を済ませよう。最高のビールを飲む為に。




