24 ディナー
夏休み。約二ヶ月の、至福の長期休みだ。
大学は人生の夏休みと呼ばれているらしいが全くもってその通りだと思う。海外に行くのも良し、バイト漬けもアリ、サイコロを振って全国を縦横無尽に旅するのも貴重な体験となり、間違いなく人生における最高の思い出となろう。
僕はそんなこと一切しませんがね。
テキトーに短期バイトやって、残りはのんびり一人酒だ。去年の夏も、今年の春も、長期休みはそうして過ごしてきた。だから今夏だって一人ぼっちのサマーでザマーねぇなぁー、のはずだった。
そのはずが……少し違う。思い描いていたものとはかけ離れた、夢にも思わなかった、誰かと一緒に過ごす日々。
金束さんと月紫さんに出会った。奇妙な出会いを果たし、二人の為にビールの飲み方を教えることになった。偶然にであったにしろ、僕が他人と時間を共にすることになるとは。ましてや女子。改めて考えるとビックリ驚愕あらまぁまぁの思いだ。
「……誰かと一緒にいることは二度とありえないと思っていたのにね」
成り行きとはいえ結局のところ僕は自分の意志で彼女達に協力している。
ありえないと思っていた。ありえないと決めていた。そんな僕が、誰かと一緒にいる時間が嫌じゃないと感じている。
「っ……何を考えているのやら。一人が一番良いに決まっているでしょ」
奥底の本音をほじくるのに嫌気がさす。ベッドから起き上がり、軽く背伸びをして息をつく。
どうせ最後は当時の苦しみを思い返すだけだ。考えてはいけない。勘違いしてはいけない。僕は所詮、寂しいボッチにしかなれないのだから。
せっかくの休息、人生の夏休み。二人への協力は適度にこなし、僕は僕だけの一人酒ライフを謳歌すればいい。さあ、楽しもうではないか。
「水瀬君ーっ。ご飯を食べに行きませんかーっ」
直後にこれかー……。
チャイムの音と共に扉の向こうで僕の名前を呼ぶ声が聞こえる。ドアを開けると、
「こんばんは水瀬君」
扉の前に立っていたのは月紫さん。軽くぴょんと跳ねて玄関に着地すると、大きな眼鏡をかけ直してニッコリと微笑んだ。
この人は眼鏡を外すと超美少女になるんだよね。あの時見た本当の姿が一瞬にして脳裏に浮かんだ。顔が赤くなって声がうわずってしまう。
「ど、どうも」
「? 元気がないですね。もしかしてテスト死にました?」
「死にかけたけど無事なんとか生き抜いたよ」
「それは何よりです。私は全然分からないテストを白紙で出しましたっ」
どんっ、とSEが聞こえてきそうな堂々とした態度で胸を張る月紫さんの潔さに敬服する。僕には出来ない。僕は分からなくても必死に何か記述しようと足掻くタイプなので。
雑談はこの辺にしといて。僕は「どうぞ」と言って月紫さんに入室を促す。
「いえ、今日はお外に行きましょう」
しかし月紫さんは靴を脱がず、代わりに僕の腕をぐいっと引っ張ってきた。
女子に、しかも可愛らしい月紫さんに腕を掴まれるのはドキッとしちゃう。
「外に?」
「はいっ。ディナーに行きましょう」
でぃなー……?
オレンジ色の暖光が燦燦と輝くシャンデリアの下、テーブルに広がる様々な料理は極彩艶やかに炸裂する花火のようにその存在感を示し、グラスに注がれたワインは甘美的な香りを漂わせる。
視線を外へと向ければ満天の星空のように輝く静穏な夜景。そして沫雪が溶けるかのような柔らかい音色で耳を癒すジャズのバックグラウンドミュージック。……僕はこんな所にいても良いのだろうか?
「美味しそうですねっ」
目の前の椅子に座っているのは月紫さん。テーブル上の豪華な品々を見て「わぁ~」と楽しそうに感嘆の声をあげている。僕は「ひぃ~」と悲鳴をあげたいです。
なぜこのような高級レストランに僕みたいな平凡大学生が来ているのだろう!?
「言われるがままついて来たけど。月紫さん? これは一体……?」
「乾杯しましょうっ」
「わぁ~スルーされた」
グラスを持って乾杯。チンッ、という言葉では言い表せない綺麗な音色が僅かな余韻を残して僕らを包む。
僕は困惑したままグラスをゆっくり慎重に口元へ運ぶ。マナーを遵守すべく、ない知識をフルに働かせて赤ワインを舐めるように一口分を舌の上に転がす。
美味しいのは確かだ。しかし緊張と不安で味がよく分からない。
「ワイン美味しいですっ。お代わりします」
「飲むペースが速い!」
「水瀬君はビール以外だとゲボなのですか?」
「それを言うなら下戸ね。ゲボって表現は直接的すぎるでしょ。僕は月紫さんみたいにゲボしないから」
「ハムホックと鶏もも肉のテリーヌですって。知らない単語がいっぱいですね」
「うんスルーだね。僕は料理名より先に現状を知りたいよ」
財布も持たず部屋着で高級レストランに来た因果を教えてほしい。今にもシェフが「ドレスコードして出直せや地味男!」と怒鳴り込んでくるかもしれない恐怖と戦っているんだよ!?
「水瀬君にお礼がしたいのです」
ビビる僕に、月紫さんはようやくちゃんとした会話をしてくれた。
ワインを飲み、えへへ、とだらしない声で照れながらも僕を見てニコニコと笑う。
「この前の飲み会では助けてくれてありがとうございました」
「あ、あぁ、それね」
僕と不知火が乱入して空気を崩壊させたのは二週間前のこと。
「あのサークルには顔を出さずにしてこのままフェードアウトを決め込むつもりです」
「辞めちゃうの?」
「はい。元から過去問入手の為に入っただけですので。目的は達成し終えました」
「その割には白紙のテストもあったのね」
「私はアホーなので」
そ、そすか。
しかしまぁ月紫さんにしろ金束さんにしろ、過去問の為だけにサークルに入ったのね。僕とは違って賢い選択を取っている。一人でひぃひぃと勉強していたのが滑稽に思えてきた。
「テストはどうでもいいです。話を戻しますね。今晩はお世話になった水瀬君にお礼をする為に来てもらいました、ってわけなのですっ」
「や、こんな高そうなお店じゃなくても。僕、財布持ってきてないよ?」
包み隠さず不安を述べたら、月紫さんがニッコリしたまま両手を合わせて左の頬に添える。動作の可愛さすごいね。
「安心してください。今日はお父さんの奢りです」
「月紫さんのお父さん?」
「水瀬君に助けてもらったことを伝えたら『それはお礼しないとなぁ! よっしゃ任せなさい! 良い店をセッティングしてあげるよ!』と言ってくれました」
相変わらずファンキーな父親ですね。病室でハイテンションに手紙を書いたり電話する姿を想像して思わず吹き出してしまいそうになるも、場を弁えて堪える。
「もっと庶民的な居酒屋で良かったのに」
「それでは私もお父さんも納得しません。水瀬君には助けてもらったのですから」
「僕は大したことしてないよ」
「そんなことないです!」
「うぉ?」
お代わりしたワインを飲んで、身を乗り出すようにして顔を僕に近づける。
艶やかな黒の横髪を垂らし、眼鏡の奥の健やか朗らかに眩しい綺麗な瞳で見つめてくる月紫さんに、僕は腕を掴まれた時よりも心臓が跳ねた。
「水瀬君はすごいんです。私なんかの為に身を呈してくれました。同じサークルの人は誰も見ていなかった中で、水瀬君だけが私のことを見てくれました」
「は、はあ」
「その後も水瀬君は優しかったです。私は本当に嬉しくて、あんなカッコイイこと言われたら……っ、お代わりください!」
話の途中で再度お代わりを注文。自由な人だなぁ……。
「とにかく今日は遠慮なく食べて飲んでください」
「わ、分かりました」
お礼がしたいのは分かった。月紫さんのお父さんが用意してくれたみたいだし、ビビるのはやめて高級ディナーを満喫しよう。
「赤ワイン美味しいです。お代わりします」
「今更だけど月紫さんってビール以外は普通に飲めるんだね」
「ですね。日本酒と焼酎もイケますよ。ビールだけが駄目で、お代わりくださいっ」
「な、難儀な体質だね」
「ですので今日はビールは飲みません。さすがに私もここで噴き出すのは気が引けますっ」
「確かにここで噴出されたら僕もドン引きするよ」
「え、えへへー」
照れ笑いをワイン飲んで誤魔化す月紫さんが素敵だなと思った。
自然と口に運ぶワインが舌の上をちゃんと転がって、豊潤な味わいを堪能した時には緊張も不安も消えていた。
代わりに満ちるのは心地良さ。
「月紫さんは夏休みの予定は?」
「明日から地元に帰ります。教習所に通ったり、お父さんのお見舞いに行きます」
「お父さん喜ぶだろうね」
「まだビールを飲めないのが残念です。……帰ってきたら特訓に付き合ってもらえますか?」
「もちろん」
「えへへ」
とろけるように笑う月紫さん。僕も笑みがこぼれる。
「水瀬君はどのように過ごすんですか?」
「軽くバイトをして、大半は一人飲みかな」
「それは寂しいです。私、スパパーッと免許を取って帰ってきますから一緒に飲みましょう」
「部屋に新聞紙を敷いて待っているよ」
「わぁ、噴き出し放題ですっ」
「噴水の如くは勘弁してね」
そのまま僕と月紫さんは笑いながら高級ディナーとお喋りを満喫した。
ワインばかりでビールは一度も飲まなかったし、一人酒でもなかったけど、こんな時間も悪くないと思った。
「赤ワインお代わりくださいっ」
「の、飲むね」
「ぐいぐいですっ」
あと月紫さんは酒豪の血を引き継いでいるとも思った。僕より飲んでいる……!?




