20 眼鏡
思い出すは、あの頃の記憶。
「一年前、僕もあんな感じだった。飲み会に参加しまくって飲みまくって、コールをしては吐いて暴れていたんだ」
今でも、嫌でも、当時の記憶が鮮明に蘇る。
僕は自分でも分かる程の情けなく掠れた声で語り、気持ちを落ち着かせようとペットボトルの水を口に含む。入れた水が体内のアルコールを薄めていく感覚で酔いを醒まそうとするも、気持ちの悪さは依然として残っている。
あの頃の苦い記憶も、未だに消えてはいない。
「無理に飲んだり無理に飲まされたりした。馬鹿で愚かな飲み方だったよ。グラスやお皿は割る、テーブルに吐瀉する、無茶してばかりだった」
「今の水瀬君からは想像もつかないです」
「そうだね」
「なら……どうして今は」
「そんなことをしていたのは、ある人に見てもらいたかったからなんだ」
「ある人?」
「……初めて好きになった人だよ」
みんなの人気者。飲み会で中心に立つ人。あの人は騒がしく飲むのが好きで、たくさん飲ませてきた。僕はそれに応えようとした。たくさん飲めば僕を見てもらえると思ったから。
でもそんなものは僕の勘違いだった。僕が勝手に浮かれていただけ。
「無理して無茶やって、何も残らなかった。振り向いてはもらえなかった。それに……」
「それに?」
「いや、それはいいや」
「気になりますっ」
「大したことじゃないよ」
僕がどうなったのか、あの人が何を言ったのか。それは忘れたい。
「それを忘れる為に僕は一人酒に逃げたんだ。一人でいい、一人がいい、そう自分に言い聞かせてね。だから他人に関わらないことにしたんだ。……今日、関わってしまったね」
「……水瀬君、どうして私を助けたのですか?」
「自分自身を見ているようだった。無理やり飲まされようとする月紫さんが、あの頃の自分の姿と重なったんだよ。月紫さんもコールされて困ったでしょ?」
「はい。どうしようかと思って……飲んだら噴き出すし、でも空気に飲まれて……」
後ろから差す月の光。隣から聞こえる月紫さんの弱った声。細く小さな手が僕の服を摘まむ。
「だから水瀬君が助けに来た時とても嬉しかったです。ちょっとビックリしたけど、すごく安堵しました」
「なら良かった。余計なことをしたと思っていたから。……怒ってない?」
「そんなことないですっ。私、危うく公衆の面前でビール噴き飛ばすところでした!」
「は、はは。それは見てられないね。うん……嫌だよ」
見たくない。無理やり飲まされる人を見たくないんだ。
「水瀬君は優しいですね。知り合って間もない私なんかの為に」
「そんなことない。誰彼構わず助けないよ。月紫さんだから助けたんだ」
「っ、私だから?」
「僕のような思いを君にはさせたくなかった。月紫さんはビールをちゃんと飲めるようになりたいんでしょ? あんな飲み方じゃ美味しく飲めないよ」
確かに知り合ったばかりだ。過去の自分を見ているようで嫌だったのも理由の一つだ。
ただ、それ以上に、
「父親の為にビールを飲みたい!と願う月紫さんにビールを嫌いになってほしくなかった。何かの為、誰かの為に頑張る月紫さんだから僕はいてもたってもいられなくなったんだ」
何かの為、誰かの為に。月紫さんには達成してもらいたい。僕には叶わなかった。僕は一人に逃げてしまった。
そして、不純な動機だった当時の僕と違って月紫さんの思いは素敵でしっかりとしている。
「水瀬君……」
「改めてごめんね。サークルの居場所を奪ってしまった。だから約束するよ、僕が絶対にビールを飲めるようにしてあげる。……それで許してもらえる?」
一度関わったからには最後まで付き合おう。それがケジメだし、僕がそうしたいから。
お父さんとビールを飲んでもらいたい。ビールの美味しさを知ってほしい。
「ですから謝らないでくださいっ。許すも何も、私は感謝しています」
「そう言ってもらえてホッとするよ」
「……優しいです」
「や、ただの世話好きのボッチだよ」
「いいえ! 優しすぎますっ。だから、甘えまくります」
月紫さんは空いた手でペットボトルを持つ。もう片方の手は僕の方に寄せたまま。ぎゅっ、と手の平で掴んできた。
「私が飲めるようになるまで付き合ってください」
「うん。約束する」
「ありがとうございますっ。えへへ……っ、なんだか私も酔っちゃいました。水瀬君にあてられちゃったみたいです」
「? どういうこと?」
「お水もらいますね」
あ、間接キ……げふんげふん。そーゆーとこが隠キャだぞ流世ぃぃ。
月紫さんは間接キスとか意識しないタイプなんだ。地味な外見でも、先程のウェイウェイなグループに所属していたのだから僕のように些細なことは気にもしないんだ。
外見で判断するな。地味だからと言って仲間だと思っては駄
「げほ!」
「水も噴き出すの!?」
口につけた途端、盛大に噴き出した月紫さん。えぇ!?
「ごめんなさい。けほっ、ドキドキしちゃってて」
「ドキドキ?」
「なんでもないですっ」
「は、はあ。はいタオ……っ、っ?」
噴き出した水がペットボトルの口で弾かれたのか、月紫さんの顔はモロに水飛沫を受けた。月紫さんは濡れた眼鏡を拭く為に、その大きな眼鏡を外す。
そこには、とびきりの美少女がいた。
「タオルありがとうございます」
濡れた眼鏡を置き、自身の顔を拭き終える。やはりそこには美少女。
瞳はクリッとパッチリと円らで大きく、眼鏡を取った途端に顔全体の整い具合とパーツの美しさが露わになる。まさに美少女、ただの超可愛い子。地味な雰囲気は消し飛んでしまった。
……月紫さん? マジで? え、嘘っ。
眼鏡を取ったら美少女だなんて漫画的展開が現実に起こり得るの!?
「んしょ……ふぇ? どうしました?」
可愛らしいと以前から思っていた仕草がさらにさらに可愛く感じるんだけど!?
なんてことだ。隠されていただけで、月紫さんはダイヤモンドの原石だったと言うのかあぁ!?
「水瀬君?」
「へ? あ、い、いや、にゃんでもないよ」
「噛んでいますよ?」
噛むに決まってる! 地味な眼鏡っ娘だった月紫さんに一種の仲間意識を感じていたのに、実は美少女だったとか驚くに決まってるにょ!
失礼極まりない感想をつらつらと大量に脳内で垂れ流し、僕は自分の顔が赤くなるのを感じた。
「うおおぉ……!?」
「お水飲みますか?」
「い、いい! 無理!」
「では私が飲みますよ? んく、んく、ぷはっ」
お水飲む動作も可愛い! 控えめに言って超絶可愛い! まるで小動物のような仕草、それを天然で行う可愛らしさ。
「水瀬君、これからもよろしくお願いしますねっ」
「う、うん。約束したかりゃね」
先程までのカッコつけた声は言えなくなった。
やっぱり僕は隠キャだった。今になって服を掴まれていることにめちゃくちゃドキドキしながら、僕は体内のアルコールが完全に消え去ったのを感じた。




