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18 コール

 金曜日の夜。花金と呼ばれる今日は飲み屋街にたくさんの人が集まり、深夜を過ぎても活気づく一夜だ。どの居酒屋に行っても店内はぎゃあぎゃあ騒がしい。

 一人酒を好む僕は本来なら金曜に外飲みはしないのだが、今日は店で飲んでいる。


「不知火、冷奴を頼んでいい?」

「流世が食べたいなら食べるといい。俺はお前の味方だ」

「味方とかそういう問題じゃないし、そういうことを恥ずかしげもなく言わないでよ……」


 とあるチェーン店の居酒屋。カウンター席に腰かける僕と不知火。

 今日は不知火に誘われてやって来た。不知火は店員を呼び、注文をする。


「冷奴を一つお願いします。ちなみに冷奴にネギは乗っていますか?」


 爽涼な強面スマイルとクールな話し方。なのになんだか馬鹿みたいだ。不知火のネギ好きには感服する。


「聞いたか流世、ネギたっぷりだと。もし良ければ俺がネギ多めに取っても構わないか?」

「どうぞご自由に」

「流世は良い奴だな。俺はお前とダチで良かった」

「ネギごときで褒めてもらえても嬉しくないなぁ」

「ネギごとき? なめてんのか。あ?」


 ネギを馬鹿にされたことに怒った不知火の顔が険しく&怖くなる。

 僕の隣に座っていたサラリーマンの男性が「ひっ!?」と叫んで熱燗を溢した。僕のせいでごめんなさいね。

 素の顔で十分に怖いのに、顔をしかめた不知火は893そのもの。大抵の人は慄き震えるだろう。僕は慣れたので気にも留めない。


「なんだ、ビビらないのか」

「不知火が本気で怒っていないことは分かるからね」

「当たり前だろ。ネギは好きだが流世も好きだ」

「だからそーゆーことを言わないで」


 同性愛の可能性を感じてしまう。それは怖い。僕にそっちの気はない。


「にしても流世は面白いな」

「何が?」

「俺の顔は平気なくせにあいつにはビビっているからな」


 不知火の言うあいつとは、金束さんのことだろう。

 金束さんは……うん、怖い。キレられると未だに「ひぃ!?」と叫んでしまう。


「だって少し言い返しただけで『何よ』のキレ口調キレ顔で迫ってくるんだよ? 怖すぎりゅ……」

「流世もキレ返せばいいだろ」

「出来るわけがない」

「はは、知ってる」


 運ばれてきた冷奴の上半分、ネギが乗った部分を不知火は箸で切り分けて夢心地な様子で食べ始めた。ネギ多めというか全ネギ持っていきやがったよ。


「流世は優しいからな」

「僕は別に優しくないよ」

「謙遜するな。俺の知っている限り、流世ほど優しくて良い奴は他にいない」

「別に謙遜は……」

「でも無理はやめろ。流世はもう苦しまなくていいんだ」

「……別に」

「まぁ飲め。今日は俺の奢りだ」


 不知火が僕の空いたグラスに瓶ビールを注ぐ。

 ……どうして僕を飲みの席に誘ったのかはなんとなく分かる。僕が金束さんに関することでストレスを抱えていないか気にかけてくれたのだろう。自分は下戸のくせに僕がお酒好きだから居酒屋に誘ってくれたことは、こいつの性格を考えたら察しはつく。


「不知火の方が優しいよ」

「流世には遠く及ばねぇな。さ、飲もうぜ」

「飲めないくせに」

「串五本盛りを頼んでいいか? もし良ければネギは俺に多めにくれ」

「はいはいネギ全部持っていっていいよ」


 喜ぶ不知火。僕はジョッキを持つ。久しぶりにゆっくりと飲めている気がした。

 今日は花金。僕もたまには一般大学生らしく弾けるのも悪くないかもね。


「はいイッキ! イッキ! ウェーイ!」


 心が安らぎかけたその時、店内からハイテンションなかけ声が響き渡った。奥のテーブル席だ。

 目をやれば、そこには十数人以上の若い男女がドリンクピッチャーを持って大いに騒いでいた。


「なんだ? ミクが現実世界に召喚されたか?」

「どんな希望的観測なのさ。あれはサークルの飲み会だと思う」


 居酒屋が賑やかなのは当たり前だ。が、あそこまで騒がれるとカウンター席に座る僕らも視線をそちらへ向けてしまう。

 大学生のグループがピッチャーやジョッキを回していき、コールに伴って一気飲みに挑戦していた。大学生あるあると言えよう。


「ご馳走様が聞こえない♪」

「会長っ、二杯目っ、無理は、全然ないよ全くないよ♪」

「パーリラ、パリラパーリラフーフー!」


 見事に典型的な大学生のノリだ。定番のコールを声揃えて轟かせてお祭り騒ぎ。

 これには僕の隣にいるサラリーマンも渋い顔。こちとら仕事終わりにゆったり飲みたいのに、と不服そうだ。


「ウゼェな。流世お疲れ飲み会を害しやがって。文句言ってやる」

「ま、待て不知火」


 不知火が注意しに行ったらヤバイ。大学生グループは恐怖のあまりお通夜状態になってしまう。それは可哀想だ。


「度が過ぎたら店員さんが注意するだろうし僕らが行かなくてもいいよ」

「ちょっと言うだけだ」

「不知火のちょっとで居酒屋全体が図書館みたいになっちゃうんだって!」


 欲を言えば静かに飲みたいさ。けど静かすぎるのは逆に気が引ける。図書館でお酒を飲める? 無理ーっ。

 ね、やめておこう? 僕は不知火に言い聞かせて落ち着かせる。


「流世がそう言うなら仕方ない」


 不知火は諦めて焼きネギを食らう。

 話をちゃんと聞いてくれる冷静さを不知火は持っているのだ。マジギレしたところは今までに一回しか見たことがない。


「大学生らしい飲み会を眺めて飲むのも悪くないよ」

「そうか。……流世」

「ん?」

「昔のことは気にするなよ」

「うん、分かっている」


 ……本当、不知火は優しいよ。僕があの頃を思い出すことを懸念して注意しに行こうとしたんだよね。

 僕は大丈夫。平気だよ。


「はいご馳走様が可愛くない!」


 あ、やっぱうるさいかも。コールがとめどなく続く。

 コールとは、お酒を強制的にグイグイと飲ませる魔法のかけ声。多人数から煽られて否が応でも飲み干さなくてはならない。定番のコールとして今しがたの「ご馳走様が聞こえない」と他にも「サンダーバード」や「限界を超~えて~」等がある。どれも厄介だ。


「騒ぐ俺らすげーと勘違いしている似非リア充だな。俺だってマジカルミライであれ以上に叫ぶからな」

「何を張り合っているのさ。あとマジカルミライって何?」

「正気かよ流世。ミク学の単位取れないぞ」

「ミク学って何!?」

「必修科目だろうが、人生の」

「人生の? どれもこれも聞いたことないよ!」


 不知火の気持ちは分かる。あ、いや、ミク学についてではないよ。

 コールはやっている人達は面白く楽しくとも、聞かされる身としてはつい顔をしかめてしまう。大学生のノリが嫌いな僕にとっては尚更だ。確かにすごく不快だよ。

 それでも文句は言わない。彼らの邪魔はしない。

 大学から最も近い場所に位置する飲み屋街の、しかも今日は花金。正しいのはあちらだ。陰険な奴はおとなしく飲んでおく。あちらが似非リア充なら僕は非リア充だよ。

 なるべく騒音を意識しないようにして、ビールを持って首を上げる。


 その時、


「次は女子も飲めよ~」

「いいねっ!」

「じゃあそっちから……名前なんだっけ?」

「月紫じゃなかった?」

「あぁ、そうだっけか? はい月紫さんからイッキ開始ね~」


 並々に注がれたジョッキが回されていき、女子の手に渡る。その女子の顔は、遠目に見ても明らかに狼狽えていた。

 大きな眼鏡をかけた地味な外見の女子大生。それは僕が最近知り合った人。

 月紫さんが、ビールを押しつけられていた。


「ど、どうして月紫さんが……」

「なんだ、あれ月紫じゃん」

「え? 不知火、月紫さんを知っているの?」

「名前と顔だけな。同じ学部だ。つーか流世はどうして知っているんだ。知り合いか?」

「まぁ、うん」


 あそこのグループに月紫さんがいたのか。気づかなかった。

 いや……それよりも、


「ノリ良くいこうね」

「パパッと終わらせて。次はそっち側の女子なー」

「えー、ウチら絶対やらないしー」


 大学生達は盛り上がる。男は女子に飲ませようとして、女子はケラケラ笑ってコールを回避しようとしている。騒がしくて鬱陶しくて、メンバーのほとんどが楽しそうに暴れる。

 その中で、誰も月紫さんを見ていなかった。

 早く終わらせて次に回せ。お前は女子に飲ませる為のきっかけに過ぎない。それが遠目に見てもハッキリと分かった。


「あ、あの……」

「どうしたん? ビールくらい一気しようぜ」

「月紫さんのいいとこ見てみたーい」

「はいイッキイッキイッキ!」


 月紫さんが何か言いかけても途中で遮り、団体一行はコールを開始。飲め、飲め、と煽りに煽る。注目させておいて興味なさげにテキトーで無責任な態度と言動。

 何しているんだ……。月紫さんが嫌がっているのが分からないのか。月紫さんはまだビールが飲めないのに……。

 誰も気づかない。いや、気づいていても気にしていない。月紫さんが嫌がっていることを無視して強制的に飲ませようとしていて……。





『流世君も飲みなよ~』


『もっと盛り上がらないとさ』


『アタシと流世君の仲でしょ?』


『ねぇ』





 体の内側から弾ける激情が体を突き動かす。

 僕は立ち上がった。


「流世?」

「文句を言いに行ってくる」


 無理やり飲ませられることの苦しみを、無理やり飲むビールの苦さを、味わってほしくない。

 だって月紫さんには思いがあるんだ。父親の為にビールを飲もうと噴き出しながら何度も頑張っている。

 その月紫さんに無理やり飲ませようとしている連中がいる。自分達が盛り上がりたい為だけに。それが許せなかった……!


「なんだよ。俺には行くなと咎めたくせに」

「ごめん」

「謝ってんじゃねぇよ。さて、行くぞ」

「不知火……?」


 串からネギを食い取り、不知火は僕と同じように立ち上がる。


「流世はそう言うなら仕方ない。やるなら徹底的にやるぞ。俺にも一枚噛ませろ」


 爽涼な強面スマイルが悪だくみをしたニヤリ顔に変わる。

 やる気満々と腕を振り回す不知火が、すごく頼もしかった。


「本当、不知火は優しいね」

「お互い様だな。作戦は決めてあるか?」

「うん」

「上等。マジカルミライ並みに弾けてやる」


 せっかくの花金だ。たまにはこういうのも悪くない。僕と不知火は奥のテーブル席へと向かう。

 大学生らしい飲み会とやらをぶち壊してやる。

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