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17 父からの手紙

「いただきますっ。ぶばっ」

「……」


 まつ毛の上に、濡れた前髪が垂れてきた。僕の顔はビールでずぶ濡れ。飛沫が上手い具合に入り込んだのか、鼻の中からアルコールの匂いがした。

 前回と同様に月紫さんの訓練に付き合っている。が、結果は前回と同様。月紫さんは口に含んだ瞬間に噴き出し、僕はご覧の有り様。


「次からは僕の方を見ずに飲んでくださいね」

「はいっ。いただきま、げぼっ」

「うん、一体何が『はいっ』だったのかな?」


 追撃されてテンションはがくーんと下がる。タオルで拭いた直後の二撃目は精神的に辛いです。

 ふぅー……ポジティブに考えよう。女子から噴きかけられたからこれはご褒美これはご褒美。……はぁ。


「水瀬君ごめんなさい」

「い、いいよ。自分で拭くから大丈夫」


 月紫さんは申し訳なさそうに僕の顔を拭いてくれた。

 その気遣いは僕に向けて噴き出さないことに尽力してほしい。拭く前に噴かないで。

 と思う前に「僕は今、女子に顔を拭かれているヌフフ」と喜ぶ自分の浅ましさに辟易する。異性との交友経験のなさが心情に出ていた。さすがボッチ非リア大学生だ。たはは……。


「はわわっ、水瀬君の口元に泡がついてサンタさんみたいです」

「そうさ、僕はサンタさん。良い子にプレゼントをあげるよ」

「あっ、そういえばお父さんから手紙が送られてきました」


 僕渾身のノリを、月紫さんは華麗に流して手紙を取り出す。この子おっとりしすぎ。


「お父さんって、アルコール中毒で入院している例のお父さん?」

「ですね。今から音読します」


 月紫さんは眼鏡をクイッと上げて、小さく咳払いする。

 眼鏡を直す仕草、小さくて可愛らしい声。地味な外見でも挙動の一つひとつがとても女の子だ。やだ、女子力、高すぎ。


「読みますね。『やあ我が娘、永湖よ! ブハハ、元気にしていブハハ!』」

「全力で声マネしなくていいから」


 女子力高しと思った三秒前の僕の感想を返して。

 月紫さんはお父さんの声を真似ているらしく、豪快に口を開けてその華奢な体には似つかわしくない大声で音読を始める。


「『お父さんは変わらず入院生活と禁酒が続いている。最近は看護師さんがドロドロの緑色のモンスターに見えてきた!』」


 いやそれ幻覚。禁断症状が出てる。


「『モンスターの手によってお父さんの体は縄で縛られている! ブハハ、医者は心配性だ。脱走はまだ四回しかやっていないのにな!』」


 四回も脱走していた。完全に嫌がっているじゃないですか。


「お父さん楽しそうですっ」

「どこが!?」

「『ところでたまにレッドピラミッドシングみたいな化け物がやって来る。あれは誰なんだ!?』。きっとお母さんですね」


 自分の妻がレッドピラミッドシングに見えているの……!?

 破天荒な父親なのは聞いていたが、予想を超えていた。末期なのでは?

 これではもうビールを飲むことは叶わないだろう。


「『永湖は元気か? お父さんは緑色のモンスターにもレッドピラミッドシングにも負けないよ。永湖とビールを酌み交わす日を楽しみにしている』」

「や、でも無理なんじゃ……」

「『絶対に飲もう。たった一度でいい、一杯でいいんだ。お父さんは永湖とビールを飲みたい。その瞬間を夢見て、これからも戦うことを誓う』」


 ふざけた文面、危うい症状。けれど最後の一文からは月紫さんのお父さんの本気の思いが溢れていた。

 たった一度、たった一杯。それでもいい。娘と飲みたいという気持ちが僕にも伝わってきた……。


「『体に気をつけて大学生活を楽しんで。父より。P.S.今度お見舞いに来る際は手の平に隠せるサイズの剃刀を持ってきてくれ』」

「いや五回目の脱走を企てるなよ。戦いから逃げようとしてるよ!?」


 最後は良い感じだったのが台無しだよ。縄を切る気満々か! 僕が親族だったら縁を切ってやりたい!


「以上です。お父さんったら懲りないですね」

「全くだね」

「水瀬君、剃刀持っていますか?」

「脱走に加担する気? そして僕にも加担させるつもり!?」

「冗談ですよ」


 舌を出して笑う月紫さん。あざといポージングのはずが、月紫さんがすると許せてしまう。

 天然でおっとり、なんという高威力。外見が地味っ子だからまだ耐えられたものの、もし月紫さんが美少女だったら僕は惚れていたかもしれない。僕は最低か。


「と、とりあえずお父さんが元気そうで良かったね」

「はい。……ただ」

「月紫さん?」

「お父さん、やっぱりビールが飲みたいのでしょうか」

「うーん、じゃないと脱走を企てないよね」

「私が早くビールを飲めるようになったら、お父さんも楽になるのかな?」


 月紫さんの声は沈んでいた。手紙をぎゅっ、と握りしめる。

 破天荒で無茶苦茶な手紙に、本気の思いが綴られていた。娘と飲みたいという父の夢。夢見て、その日を待っている。

 月紫さんは父の思いに応えたいのだろう。だからこんなにも辛そうに俯いている。


「……」

「いつになるのかな。私、まだ全然飲めないのに……」

「はい」

「え?」

「ビール」


 僕に出来ること。それは月紫さんにビールを渡すこと。そして、月紫さんが飲めるまで付き合ってあげることだ。


「お父さんの夢を叶えてあげたい、何より月紫さんがお父さんと乾杯したい、でしょ? じゃあ訓練するのみだ。頑張ろう」

「水瀬君……。はいっ、頑張りますっ」


 月紫さんは顔を上げる。元気を取り戻してくれた。よっしゃその意気だよ。


「ぶへぇ」


 ……その勢いはやめて。


「あぁ、またしても水瀬君の顔に白ひげが」

「グララ、ワンピースは実在する」

「新しいタオル出しますねっ」

「なんでさっきから僕がボケると無視するの?」


 月紫さんのお父さんの夢が叶うのはまだ先になりそうだ。

 僕は心の中で延々と「これはご褒美」と唱え続けて、月紫さんが隣でニコニコと屈託のない素敵な笑顔で笑っていた。

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