123 雪上の美女
スキー場に向けて出発。
「水瀬君はスノーボードの経験はありますか?」
「去年の冬に一度だけ」
行きの車内は思いのほか会話が続く。
「私は初めてなので滑り方をレクチャーしてほしいですっ」
「私も初めてよ。りゅーせー、教えなさい」
「あなたはソリ遊びでもしたらどうです?」
「アンタこそゲレンデの端で雪だるまでも作ってなさい」
「ミクちゃん尊いハスハス。ネギ美味しいモグモグ」
月紫さんと金束さんが交互に僕へ話しかけてきては二人で罵り合う。不知火は僕ら三人を無視してミクの曲を聴いて生ネギをかじって精神安定を図る。
「言っておくけどスノボはメインじゃないわ。私とりゅーせーが美味しいビールを飲むのが一番の目的なの。アンタはおまけよ」
「そうですか。ではあなたはその時が来るまでお部屋で待機しててください。私は水瀬君とスノーボードを満喫します」
「はぁ?」
「楽しみですーっ」
「はぁ!?」
「隣がうるさいですー。不知火さん、席を代わってください」
無言よりはマシとはいえ、空気が重苦しい。ひえっ。
ね、ねえ不知火、何か話題を振ってムードを変えてくれないか? ネギの雑学でいいからさ。
「あ? 俺は何も聞こえない。あ? ミクの歌声しか聞こえない。あ? あ?」
不知火は逃げ込むようにして助手席側のサイドミラーに向かってメンチを切っていた。僕が話しかけても「あ?」を連呼するのみ。
普段はすごく頼りになる奴が、月紫さんと金束さんの二人が揃った状況下だとまるで役に立たないのだ。
言っとくけど不知火より僕の方が精神崩壊しそうなんだよ? 慣れない雪道を運転して且つ常にメンタルに蓄積ダメージ。何重苦だと思ってやがる!
「今のうちに帰りの車はどちらが助手席に座るか決めましょうか」
「上等よ。ジャンケンでは決まらないからあみだくじにするわよ」
「あなたが作ると怪しいので不知火さんに作ってもらいましょう」
この感じが明日まで続く。僕はただ平穏に楽しみたいだけなのに……はぁ……。
「流世」
不知火が話しかけてきた。けれど僕とは視線を合わせず、死んだ目で紙に無数の横線を乱雑に書き足している。
「い、いやごめんて。ミクのメドレーはいくらでも自由に聴いていいから逃走だけはしないでね」
「優しすぎるのも考えものだな」
「……不知火?」
運転しながらチラッと見る限りでは、背けたその表情が何を思っているのか分からない。
ただ、不知火の横顔は妙に落ち着いていた。
「流世がどうしたいのかは知らんが、そろそろケジメをつけろよ」
「……」
「今はいいとしても、まぁ今も既にヤバイんだが。いつか今以上に辛い時が訪れる。なるべく苦しませないようにしてやれよ。あいつらの為に、何よりお前自身が苦しまない為にもな」
紙を後ろに放り投げた不知火は再び窓へ視線を向けてネギを咀嚼する。
「ほら女子二人、あみだ作ったぞ。後はテメェらで勝手にやってろ」
僕の方は向かないけど、窓の反射を通して視線を感じた。
心配そうな、何かを予感する不知火の視線を。
「不知火、僕は……」
「私はこっちにする」
「ズルイです。私もこっちが当たりだと思っています」
「何よ! じゃあジャンケンで決めるわよ!」
「では五回勝負で。勝った方があみだを選べるってことにしましょう」
「上等よ!」
僕の声は背後で喧々とする二人の声に消されてしまった。
君達、なんだかんだで会話はするんだね……。
車を走らせること約二時間。凍った道と積もった雪によって運転が大変だったものの、無事に目的地のスキー場に到着した。
「おぉふ疲れた……」
「お疲れ。だがまだ続くぞ」
「何が?」
「疲労が」
「心の?」
「さーて滑るか」
浅葱色のスキーウェアに着替えた不知火が更衣室から出ていく。最後の問いには答えてくれなかったが、それはイエスってことだね。はいはぁい……。
レンタルしたスノボ装備一式を身に纏い、僕も不知火の後を追って外に出る。
「それはともかく、やはりゲレンデは良いものだね」
見る先は全てが白。太陽の日差しを浴びた雪が輝き、晴天よりも眩い。
視界の端から端まで埋め尽くす広大な斜面、そこを滑る数多の人々。いくつも伸びたリフトが向かう先は大きな雪山。剥き出しの岩はほとんどなく、見ただけで積雪の分厚さと凄さがよく分かる。質も量も桁違い。
大自然の厳格さと壮大さに、目と心を奪われた。ああ、これぞスキー場に来たって感じがするよ。
この雪景色を眺めつつ飲むビールは最高だ。今夜が楽しみだ……!
「早く夜にならないかな! 運転とスノボで疲れた体を温泉で癒し、ライトアップされたゲレンデを見て飲むビールはすんばらしく美味しいんだ!」
「流世」
「雪山、スノボ、疲労、温泉、これらが合わさることでビールの美味しさは最高峰になる! さすが僕の三大・美味シチュ!」
「流世、おい流世。お前の語りを聞いてあげたいが、ひとまずこっちを相手しろ」
不知火は僕の頭を五指で容易く掴み、瓶の蓋を開けるかのように捻ってきた。
「ぐぬへっ」
な、何を…………ぁ。
雪景色に奪われたばかりの目と心が釘付けになる。
強引に視点を変えられた先には、二人の美女がいた。
「お待たせしましたっ」
「ふ、ふん」
月紫さんは雪の上でぴょんと跳ねて、金束さんは腕を組んでネックウォーマーに口をうずめている。
「雪がサラサラでモフモフですっ。パウダースノーってやつですねっ」
黄色と薄い紫色を組み合わせたウェアを着た月紫さん。
慣れない雪とブーツのせいで足元に気を取られながらも、雪を踏む感触を楽しんでおり、ぴょんぴょんする度にニット帽のポンポンも軽やかに跳ねる。
眼鏡を外しており、何度も見てきた完璧美少女が笑みを浮かべる。雪よりも眩しく、雪よりも白く、雪よりも綺麗だ。
「どうですか? その……似合っています……?」
「ぁ、ぅ、うん」
言葉を出すのに時間がかかる。月紫さんのウェア姿が似合いすぎるあまり気が動転してしまった。
ゲレンデに女神が舞い降りた。目の前に女神がいる。か、可愛すぎるよ……!
「本当ですかっ?」
「うん、とても似合っているよ永湖さん」
「え、えへへぇ……ありがとっ」
月紫さんは笑う。その場で小ジャンプをして再び帽子のポンポンが上下する。
似合っているし、それを抜きにして月紫さんの仕草や動きがすごく可愛かった。
本当に可愛……ぐぬへっ!?
「こ、金束さん、どうして雪玉を投げつけてきたの?」
「ふん!」
僕は顔にぶつけられた雪を払う。冷たくなった顔は、一瞬にして火照る。金束さんの姿を見て顔が熱くなった。
ピンクを基調にした、言ってしまえばよく見かける女性用のスキーウェア。だけど金束さんが着たらどうでもよくなる。
どうでもいい程に、どうかなってしまいそうな程に心が揺さぶられてその姿に見惚れる。ついさっき良さを語ったばかりの雪が金束さんの登場と同時にただの引き立て役になってしまった。
雪玉を投げた後、ツンと尖らせる唇を隠すようにネックウォーマーにうずめ直し、もごもご唸る。漏れる白い息と、頬にさす赤らみ、ベージュ色の髪が雪景色の中で美しく映える。
「……何か言いなさいよ」
「へ? あっ、は、はい、とても似合っています」
「ふん! りゅーせーなんかに褒められても嬉しくな……ふ、ふんっ」
素っ気ない態度と味気ない返事。見え隠れする可憐な表情に、僕は今日一番の熱を顔に帯びた。心臓の高鳴りが加速する。
……金束さん、すごく綺
「水瀬君っ」
「ふぬぐ?」
溶けかけていた僕の顔を、月紫さんの両手が覆う。グローブを外した彼女の手はひんやり冷たく、けれど暖かい。
「はぁ!? 邪魔しないでよ! せ、せっかくりゅーせーが褒めて……っ」
「あなたが先に邪魔してきました。私のターンです」
「私よ!」
「いいえ私です!」
美少女二人が言い争う。
とろけて溶けてしまいそうだった僕は二人に挟ま……あれ? ゲレンデもまたこの感じ!?
「水瀬君っ」
「りゅーせー!」
「は、はひぃ!?」
見惚れたのは一瞬だった。不知火が暗に言った通り、心の疲労はまだ続くらしい。ぐああ……。
「ところで俺のウェア姿はどうだ? ミクのイラストが描かれたオーダーメイドなんだぜ、へへっ」
それはすごくどうでもいい。