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120 おばちゃんの様々な笑顔

「生ビールおかわりください」

「流世群グイグイいくねー」

「飲まないとやってられないんすよ」

「そのセリフは社会に出てから言えよ大学生♪」


 馴染みの店兼バイト先である居酒屋つくしんぼ。

 僕はジョッキの中身を全て胃に流し込み、おばちゃんから新たなジョッキをカウンター越しに手渡してもらう。


「いい加減エクストラコールドを導入しましょう」

「生意気言う奴は時給下げるぞ♪ ビール一杯七百円にしちゃうぞ♪」

「時給は下げてビールは値上げ? 悪魔か」

「小悪魔だよーん♪」


 笑窪に指先を埋めて可愛いスマイルを浮かべているつもりなのだろうか。おかげでイラッとしましたよ。ぬぁんでおばちゃんに注いでもらったビールで球場やライブハウスよりも破格の値段を支払わなくてはならんのだ。


「それにしても流星群一人で来るとは珍しいなんなー」

「以前はボッチ来店ばかりだったでしょ」

「以前はね。今は……ぷぷっ、すごいことになったんな~」


 ぶりっ子スマイルはたちまち歪み、意地の悪い形相に変貌していく。

 僕はそれを見てげんなり、空にしたジョッキに頬ずりして盛大にため息をつく。


「苦しむ部下の姿がそんなに愉快ですか……」

「仕事終わりのビールくらい幸せ」

「至福じゃねぇか。悪魔かよ」

「小悪魔だよーん♪」

「それもういいですから」

「だって面白いんよなー。遂に永湖ちゃんと小鈴ちゃんがぶつかったもん」


 おばちゃんは僕が注文したフライドポテトをつまみ食いしながら尚もケラケラ笑って手を叩く。


「敢えてあの二人にそれぞれの情報を与えず我慢した甲斐があった。二人が会う日を楽しみにしてたんよな~。期待以上の修羅場を傍観することが出来ておばちゃん大満足っ」

「あなたの人間性がクソであることを改めて痛感しました」

「照れるやんなー」

「褒めてねぇですよ」

「怒らんといてーな。おばちゃんは流世群の味方よん」


 そう言うと、おばちゃんは『たっぷりぷりぷり海老チリのチリチリチーズ春巻き』を差し出してきた。ふざけたメニュー名でもきちんと覚えている僕は店員として一人前になれたのかなと思いながらありがたく受け取る。


「サービスどうも」

「八百五十円」

「いや金取るんかい」


 まぁいいや。今日は懐かしき一人外飲みだ。バイト代も入ったことですし、たまには豪快に金を使おう。生ビールくださいな。


「閉店までいてもええよ。ゆっくりしんさい」

「ありがとうございます。ああ、ビールが美味い」

「……そろそろやんなー」

「何がです?」




「こんばんはっ。水瀬君がここにいると聞いて来ましたっ」


 ……月紫さんが店内に入ってきた。駆け寄ってきて僕の隣に腰かけて、綻んだぽわぽっわの笑顔。

 ん……? 僕がここにいると聞いた? 誰に?


 ……お、おいおい。おいおいおいババア? アンタまさか……。


「連絡ありがとうございます、こもろさんっ」

「お安い御用なんなー」


 やっぱアンタの仕業かよ! な、何が味方だよ。僕が一人で心安らげたいのを知った上で月紫さんに連絡を入れやがった。


「水瀬君、つくしんぼに行くなら私に声かけてくださいっ。むうむうっ」

「あ、いや今日は一人ゆったり寛ごうと……」

「でも良かったです。あの人は来ていませんねっ」




「りゅーせー! こもろちゃんから連絡が来たわよ。ここにいるんでしょ!」


 金束さんが店内に入ってきた。ぶっ刺すは威圧感。僕を睨みつけ、月紫さんを睨みつける。


「っ! りゅーせーの横に座るな!」


 金獅子みたく髪を膨張させて突撃してきた。僕の肩を殴って僕の隣に座る。


「ふんっ、勝手に飲み行かないで!」

「水瀬君を殴らないでください。それと水瀬君の隣に座らないでください」

「アンタこそ離れなさい。というか帰って。私とりゅーせーは二人で飲むの!」

「私の方が一足先に来店しました。帰るべきなのはあなたです」

「はぁ!?」

「むうっ!」


 ファーストドリンクのオーダーを告げるよりも先に言い争う二人に挟まれる形になる。

 分かる。僕は逃げ場がない。分かるぞ。僕はおばちゃんにハメられた。


「ぷっ、ぷぷぷぷーっ、待ってました修羅場。貸切の張り紙と4Kカメラを用意しよーっと♪」


 よくもやってくれたな。あなたは悪魔でも小悪魔でもない。ただのタチ悪いクソババアだよ!











 底なしの悪意によって僕の一人酒は修羅場に豹変した。

 決めたよ。この店に客として来ることはやめる。潰れてしまえバーカ!


「こもろさん、私をバイトとして雇ってくださいっ」

「こもろちゃん、こいつじゃなく私を雇って」

「あなたの性格だと接客業は無理です」

「はぁ? 言動がとち狂っているアンタよりマシよ。こもろちゃん、私を雇って! 常にりゅーせーと同じシフトにして!」

「いいえこもろさん、私を雇ってくださいっ」


 月紫さんと金束さんの口論は今日もキレキレ。アンカースチームビア並みにキレがある。琥珀エビスみたいにまろやかな雰囲気が恋しいよ。


「え、えと、バイトの数は足りているからどっちも雇う気はないんよなー」

「お願いしますっ」

「こもろちゃんどうにかして!」

「あらら……」


 しかし良いこともあった。最初こそは愉快痛快と言わんばかりに満点大笑いだったおばちゃんが、なんと今は狼狽えている。

 熾烈な言い争いは突如として『どちらがつくしんぼで働くか』という内容になり、二人しておばちゃんに詰め寄っているのだ。


「り、流世群、ヘルプ」


 嬉しい誤算。ざまぁだ。あなたが招いたことですよ。

 僕はおばちゃんを無視して、誰とも視線を合わせないよう時間をいっぱい使ってゆっくりとビールを頬張る。


「こもろさんっ」

「こもろちゃん!」

「そ、そうだ、おばちゃんの昔話をしてあげるよん。あれは上京したての頃、数多のイケメンが求婚を」

「こもろさんっ!」

「こもろちゃん!」

「流世群、おばちゃんが悪かったから助けて」


 僕の苦しみが分かりましたか? この二人すごいでしょ。

 だが僕は尚もスルー。空になったジョッキを唇に添えたまま静止する。ジョッキの内側に残った泡が近代アートみたいで素敵だなー。インスタに載せよう。インスタやってないけど。


「こもろさんっ」

「ところでアンタ、さっきから様子がおかしいわね」


 金束さんが月紫さんに話しかけた。あら珍しい。


「何がですか」


 ぴくっ、と肩を揺らした月紫さんが金束さんから目を逸らす。


「ソワソワしているじゃない。あ、分かった」


 金束さんがニヤリ、と通常時のおばちゃんみたく意地悪い笑みを浮かべた。


「な、何がです」

「席を離れたくないんでしょ。ふんっ、我慢してないで早くトイレに行きなさ」

「わーわーっ! み、水瀬君の前で言わないでください!」


 一瞬にして月紫さんの顔が真っ赤に染まった。


「さ、最低です! どうして水瀬君がいる前にそんなこと言うんですか!」

「事実でしょ。早く行きなさい。その間に私とりゅーせーはお会計して帰っておくから」

「う、っ、うぅ、恥ずかしい……」


 まさにリンゴ。人間ここまで赤くなるのかと思う程の顔で月紫さんは立ち上がる。

 その際、僕と目が合った。


「見ないでくださ……あうあう~……っ」


 月紫さんはすぐに目を逸らし、顔を両手で覆ってトイレの方へと走っていった。

 ……? もしかしてお手洗いに行くのを我慢していたの?


「ふふんっ、子供みたいに我慢しててみっともないわね」

「小鈴ちゃんえげつないなんなー」

「別に? 我慢は良くないという私の気遣いよ。寧ろ感謝してほしいわね」


 金束さんは勝ち誇った顔をしていた。

 恥ずかしいことだったのかな。飲んでいたら何度かはトイレに行くものなのでは?

 僕にはよく分からないけど、なんとなくデリカシーのない話だった気がします。


「まぁ先に席を離れた方が負けというのは私も察していたけど……そうだりゅーせー! 今のうちに別のお店に行くわよ」

「なんで?」

「あの女がトイレに行っているからよ!」

「え、だからなんで?」

「いいから立って! こもろちゃんお会計!」


 金束さんが僕を立たせようとしてくる。急に殺気立たないでよ。


「最近全然私とビールが美味しいシチュエーションを教えてくれないじゃない!」

「ついこの間カレー作りビールを紹介したよ?」

「以前はもっといっぱい教えてくれた! アンタがバイトを始めたせいで回数が少なくなってる!」

「そ、そんなこと言われても」


 より多くのシチュを教える為にはお金が必要で、お金を稼ぐには時間が必要となり、その分教える頻度が落ちるのは仕方ないことだ。


「あの女と会わなければいいじゃない!」

「それは無理です。月紫さんとも訓練をしないといけないし」

「りゅーせーの馬鹿!」

「ぶべしっ」


 メニュー表を顔面に叩きつけられた。えぇと、メニュー表って地味に固いからさ、殴打に用いるのはやめていただきたいですはい。

 僕は『船盛りモリモリわさびがワッサワサ』のページをゼロ距離で見つめながらため息を吐く。

 心を安らげに来たはずが、いつもどぉーり心苦しい展開になっている。悲しみ……。


「許してあげてよ小鈴ちゃん」


 と、前方からおばちゃんが語りかけてきた。声音が穏やかだった。


「流星群はさ、小鈴ちゃんと一緒に遊ぶ為のお金を稼ごうと頑張っているんよ。一生懸命働くのは自分の為ではなく、小鈴ちゃんの為なんよ」


 なんということだ。あの性根腐ったおばちゃんが僕のフォローをしてくれている。おばちゃん……。


「あ、小鈴ちゃんはトイレに行ったから今の聞いとらんよ」

「じゃあなんで言ったんすか!」

「本人がいる前で言っても面白くないからだよーん♪」


 せ、性格が悪すぎる。


「それに、おばちゃんが言わんでも小鈴ちゃんはちゃーんと分かってるんな。素直になれないだけなんなー」


 どうせまた意地悪い顔をしているのだろう。

 気滅入りつつメニュー表をテーブルに叩きつける。

 ……おばちゃんは微笑んでいた。意地悪さも、面白がる仕草も、表情に浮かべていなかった。


「小鈴ちゃんだけではなく永湖ちゃんもだよん。最近よくここに来るからおばちゃんは知っているんよなー」

「えっと、急に何を言っているんすか?」

「とりあえず流世群はアホなんなー」

「いきなりめちゃくちゃ貶された!?」

「おばちゃんが見てきた男の中でも一番のクズ男なんなー。いい加減にしないと愛想尽かされちゃうよん♪」


 再び顔中に嬉々としたシワが刻み込まれていく。僕を指差して笑いだしやがった。


「にぶにぶでアホアホー。なーにが飲まないとやってられないだよ、苦しんでいるのは自分だけと思うなや~」

「……よく分からないけどその顔ムカつきますね」

「ところであの二人は遅いんなー」




「手を離してくださいっ。私はもう済みました!」

「駄目よ! 私がいない間にりゅーせーをどこかに連れていくつもりなんでしょ!」

「なんであなたと一緒に個室にいなくちゃいけないんですか! 31変態ですっ!」

「う、うるさい! 私が終わるまでここにいなさい!」

「変態です!」




「あの二人はトイレで何をしているんやろーな~」

「何も聞こえません」


 僕はメニュー表を頭に被せてテーブルに突っ伏した。

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