118 やっと
「りゅーせー! ドアを開けなさい!」
「はいはい今開けるから」
「早くしなさいよ!」
「大学サークルを偽って勧誘してきた宗教団体よりも強引だなぁ」
「何か言った!?」
「イラッシャイマセー」
ドアをドンドン、ドアを開けたらドスンドスン、金束さんが借金取りみたいに入り込んできた。
外から吹き込む風によって彼女の優美な髪がなびき、僕の鼻先に当たる。くすぐったい。
あとすげぇ睨んでくる。すぐドア開けましたやん。
「入るわよ!」
「ドウゾー」
昨日は大泣きしていたのが嘘のよう。氷柱のように尖っております。
「……あの女は来てるの?」
金束さんがブーツを脱ぎながら上目遣いで睨む。
注意してほしいのは、睨みながら、だ。上目遣いって本来ならキュンとするはずなのにね。こうもキツイ眼差しをされたら心臓は萎縮するのみなり。
「月紫さんね。あの女って呼んだらいけないよ」
「あの女は来てるの?」
呼び方を変える気は全くないらしい。
「はぁ……」
「……りゅーせー、怒ってる?」
昨日のことを引きずっているらしく、細い声で尋ねてきた。あ、その上目遣いは可愛い。
僕の機嫌を気にするなら呼び方を変えればいいのに。それは意地でも嫌らしい。変える気は全くないし、仲良くするつもりもないみたいだ。うへー。
「ん、いや、怒ってないよ」
「ほ、本当?」
「本当だよ。それと、月紫さんは来ていないよ」
二人の険悪さはどうしたものかと悩みつつ質問に答える。
すると、金束さんの顔が晴れやかになった。随分と嬉しそうですね。
「やったっ。ぁ……ふん!」
あ、不機嫌モードに戻った。
時間差でいつもの「ふん」を放ち、金束さんは僕にコートを押しつけてズカズカとリビングへ一直線。
……あ、言うのを忘れていた。
「外は寒かったわ。いつまでそこに立っているつもり? 温かい飲み物を持ってきなさいよ」
「あ? テメェで用意しろや金束。テメェこそいつまでお客様気分でいるつもりだ」
後を追うと、室内では直立のまま固まる金束さんを強面の大男が睨みつけていた。
大男の名は不知火葱丸。帰省していた不知火が戻ってきたのだ。
「あー、月紫さんはいないけど不知火はいるよ」
「……」
やや遅れて説明してみたものの、金束さんは動かない。誰もいないと思って入ったら大男がいるからビックリするよね。
対する不知火は殺気を漲らせた猛獣のような目つきで金束さんをロックオン、ドスの利いた声で唸る。
「まだナメた態度を取ってんのか? 前に俺が言ったこと覚えているよな。あぁ?」
続けてざまに逆手でネギを構えて戦闘態勢に入る。クナイのつもり?
「な、何よ」
「あ?」
不穏が少々、苦悶な状況。嫌な空気が流れる。
でも僕は心の中で「まだこっちの方がマシだな」と思っていた。金束さんと月紫さんの喧嘩に比べたら、あはは、全然平気っす。
それに不知火は本気では怒っていない。不知火はいつもこんな感じだよ。
「……りゅーせー」
しかし金束さんには後退を決定づける程の恐怖を与えたらしい。
久しぶりに見た不知火の凄み。しかも不意打ちだ。金束さんは頑張って立ち向かおうとしたものの、怯懦を隠せず音もなく下がって僕の背中に隠れた。……可愛いな。
「都合悪い時だけ流世に頼るのか。どうせ普段はさっきみたく命令口調なんだろ。いい加減にしろよテメェ」
「り、りゅーせー」
「大丈夫だよ金束さん。不知火なりの気さくな挨拶だから」
う、うーん、怖がって弱気な金束さんは可愛いけど、ずっとは見ていたくない。あと号泣したら収拾が大惨事だ。
僕は震える金束さんに「落ち着いて」と声かけた後、不知火の顔を見上げる。さらに背が伸びた?
「不知火も落ち着こう。金束さんが怯えている」
「流世がそう言うなら」
「サンキュー不知火」
「フォーエバー流世」
生のネギを頬張り、元いた場所に腰下ろした。
ほらね、大丈夫だ。金束さんも座って。
「ん? 離れていいよ」
「……嫌よ」
金束さんが僕から離れない。
この展開、以前にもあったような。
「僕らがずっと立っていると不知火もまた立ち上がるよ?」
「おう」
いつでもスタンバイ出来ている、と付け加えて今度は両手でネギを持つ不知火。二刀流みたいに構えないでよ。面白がっているなぁ。
「り、りゅーせーこっち」
「はいはい」
再び不知火が迫るのを恐れた金束さんが僕を引っ張って部屋の端に移動する。
「座って」
「うん」
僕があぐらをかいて座り、金束さんがその上に座った。
あ、金束さんのお尻が僕の上にグヘヘ……はい8変態。累計で10貯まると罰ゲームなんだってさ。
「腕を前に出して」
「は、はあ」
指示されるがまま両腕を前へ突き出すと、金束さんは絶叫マシンの安全バーを装着するかのようにして僕の腕を自分の腹部に収める。
……僕が金束さんを抱きしめて座っているような体勢になった。僕の手が金束さんのお腹を抱きしめている。はい9変態。はい罰ゲーム決定。
「ふんっ。アンタなんて怖くないんだから」
と、金束さんの口調が強まった。僕に背を預けた体勢ながらも憤った態度で不知火に喧嘩を売る。
「あ?」
「な、何よ、アンタなんて怖くないわ」
「俺は怖いぞ。今のお前らの行動がな」
不知火が半目で僕らをじい~、と見つめてくる。
な、何すかそのリア充を見る目つきと顔つきは。僕と金束さんがまるで部屋でイチャつく恋人とでも言いたいのか? ……うんそう見えるよね。
「邪魔よ。さっさと帰って」
一方、金束さんは偉そうに口を尖らせて調子づく。
「先客は俺だろうが。あ?」
「りゅーせーもっと強く抱きしめなさい」
金束さんが早口で指示を出す。
またしても言われるがまま僕は両腕をさらに金束さんへ寄せた。金束さん自身も僕の腕を掴んで背中を後ろへ傾けてくる。
「うるさいわね。先客なんて関係ない。とにかくアンタは邪魔なの」
……なんか、金束さんがノリに乗っている。
僕が抱きしめる度に、より密着する毎に、気が強くなっていく。強い奴の背後に隠れて「そーだそーだ!」と煽る小物キャラみたいだ。実際には背後ではなく僕の懐で丸くなっているのだが。
「俺が邪魔? ほお、喧嘩なら買ってやる」
不知火は一瞬ニヤリと笑った後、立ち上がって迫力ある怒り顔を浮かべる。
「り、りゅーせーもっと強く」
「これ以上強くすると痛いよ?」
「痛くないように強く抱きしめなさい!」
「無理難題っすね」
「おーおー見せてくれるねぇ」
もう一度ニヤリと笑って不知火が遠慮なく近づいてくる。
「あ? ああ? あぁあ?」
僕らの目の前でヤンキー座り、首を三時の方向に傾けて金束さんを睨んだ。ち、ちょ、そんなにメンチ切る?
「う、うぅ、りゅーせー、りゅーせー……!」
僕は不知火が面白半分で威嚇していることに気づいているが、金束さんにとっては恐ろしい大男としか思えないのだろう。
体の震えが僕にダイレクトに伝わってくる。僕の胸元でうずくまって必死にしがみついてくる姿はたまらなく愛おしいし、女子の体の柔らかさウホホイでございます。
が、そろそろ不知火を強めに咎めておこう。
「その辺でやめておきなよ」
「流世がそう言うなら」
「僕の言うこと聞きすぎじゃない?」
「流世こそ金束の言うことに従順じゃねぇか」
言われれば確かに、である。
「わーったよ、離れる」
不知火は武器がもうないことを示しているのか、持っていたネギ二本を食らい尽くして両手を挙げた。わざわざ食らい尽くす必要あった?
「金束さん、今度こそ離れていいよ。不知火は襲ってこない」
「……」
「あの、手を押さえつけないで」
僕の手に自身の手を重ねる。絶対に離さない、というのが伝わってきた。
僕としては「金束さんのお腹の感触ウヒヒ」なので離れないのもやぶさかではないですわよ。これは何変態だろうね。
「ぐ、ぐす」
ぐす? ……あっ、泣きそう。あ、あわわ……?
「あ、嫌な予感する。俺帰るわ」
「おいお前セコイぞ!?」
不知火は散々からかった挙句、そそくさと逃げ帰った。僕と金束さんの二人きりになる。
幸いにも金束さんの涙腺は決壊には達さず、数分で泣きやんだ。氷柱みたいにツンツンで、氷柱みたいに脆いんだよなぁ。攻撃性に特化して防御面は紙装甲だ。
「不味い」
復活した金束さんがグラスをテーブルに置く。不服そうに顔をしかめ、不満たっぷりの瞳で責めるように僕を睨んだ。
「す、すみません」
「ふんっ、何が『カレーをコトコト煮込みながらひと啜りするビールは最高!』よ。全然じゃない!」
僕の語り口調を真似た後、怒りをぶつけてくる金束さん。僕はしょんぼりと肩を竦める。
本日ご用意したシチュエーションは、カレーを作りながらビールを飲む、その名も『カレー作りビール』だ。そのまんまだね。
僕としても絶対的な自信があったわけではないにしろ、それでも一軍入りの良シチュだったんだけどなあ……。
やはり本日も金束さんを満足させることは叶わず、本日も美味シチュとはならず。あれまー。
「僕は好きだよ」
「っ!? す、すすす好きって何よ! いきなり変なこと言わないでっ!」
「はい?」
「うるさい!」
「本日もひどぅい」
落ち込む僕は縮こまってカレーとビールを啜り、金束さんは座布団の上に座る。
「ふんっ」
怒っていますね。ワタクシ土下座をいたしましょうか?
「……まぁ、そうね、いつも教えてもらってばかりで悪いと思うわ」
「へ!?」
面を食らった。意外な反応だった。金束さんが僕へ感謝と謝罪の意を示してきたのだ。
マジでか。明日は雹が降ってきそう。
「な、何よ」
「あ、いや、気にしなくていいよ。僕も好きでやっていることだし」
ビックリしたけど、笑みを浮かべて返事する。
嫌々だったのは最初だけ。今では積極的に挑戦しているよ。いつか必ず美味しいと言わせます。
「すす、好きって、っ、変なこと言わないで!」
なぜか怒られた。さっきから何? どこにキレるポイントがありました?
そこから暫しの沈黙。
と、金束さんが「あっ」と言った。
「たまには私が提案してあげるわ」
「美味しいシチュエーションを?」
妙案めいたものが思い浮かんだらしく、自慢げな表情をして立ち上がった。ドヤ顔だ。
金束さんの嬉しそうな表情は珍しい。僕は「ほへー」と間抜けな声を出す。
「ふふ、私も思いついたのよ。ズバリ言うわ。王様ゲームよ!」
王様ゲームとは、リア充御用達のゲーム。陽キャがキャッキャしているイメージがあるよね。ムカつくよねー。
王様の命令は絶対。どんなことでも実行しなくてはならない。
「ゲームで盛り上がってビールが美味しくなると思うわ」
金束さんは割り箸に赤ペンでマークをつけながら語気を弾ませている。
それを見て僕は少しだけ疑問を持つ。
「ねぇ金束さん、王様ゲームって合コンとかでやる遊びだよ」
「それが何?」
「言わばウェイウェイな嗜みでして、金束さんの嫌いな大学生のノリなのでは?」
「ふん。調子に乗った奴らがするのはムカつくけど私はいいの」
他人がするのは気に食わないけど自分はしても良い。なんという言い分。まさにキング。
ともあれ準備は完了。僕ら二人しかいないけど。
「王様ゲームって二人で成立するのかな?」
「始めるわよ」
わぁお無視だ。まぁいいや。
王様だーれだ、と定番のセリフを言って金束さんは僕に二本の割り箸を差し出してきた。
盛り上がるのか甚だ不安ではあるも、僕は割り箸を一本取る。割り箸には『1』と記されていた。
「ふふん。私が王様ね」
パッと開いた手に収まる王冠のマークがついた割り箸を顎下に添えた金束さん。頬を綻ばせて嬉しそうに命令を放つ。
「一番が王様の肩を揉む!」
「は、はあ」
「王様の命令は絶対よ」
金束さんが僕に背を向けて座る。
その際に後ろ髪を横へ流した。露わになる、うなじ。
「……」
「早くしなさいよ」
「あ、はい」
思わず凝視していた。涎が出そうになったのを隠し、慌てて金束さんの両肩に手を置く。
……いいの? 肩ならセーフ?
ゆっくりと力を込めて、指と手の平を使って肩を揉む。
「ふーん、結構上手ね」
「そ、そうかな?」
「~♪」
背後だと顔色を伺えないけれど金束さんの機嫌は良い。しゅごい、あの金束さんが口ずさんでいる。
僕はひたすら肩を揉む。まるで子分みたいだ、と苦笑してしまう。
「かなり凝っているね」
「いつも凝っているわ。ホント困るわ」
それはあなたが巨にゅ、ゲフゲフン。はい15変態。
「ん、十分よ」
約十分間、十分に揉み続けた。
こちらを振り向いた金束さんはとても満足げな顔をしていた。良かったね。
ちなみに僕は地味に疲れました。肩揉みって意外としんどい。
「じゃあ次ね」
「その前にビール飲んだら?」
「王様だーれだ」
わぁい無視だ。
間を置かずに二回戦。僕が引いたのは『1』の割り箸。またしても王様は金束さんだ。
「ふふっ、次は何してもらおうかしら」
「無茶な要求はしないでね」
怯える僕を、金束さんは嬉々とした瞳で見つめる。
今更だけどこれって王様ゲームの醍醐味はないよね。王様と一人、つまり特定の相手に対して命令出来るだけだ。
ツッコミポイントは多いけど金束さんは聞く耳を持ちそうにない。上機嫌でも不機嫌でも彼女は有無を言わせてくれないらしいです。
「一番が王様のことを褒める!」
褒める? え、いきなり言われても困る。
「早くして!」
「じ、じゃあ……元気なところ?」
「はぁ?」
眉間にシワが寄った。所望していた言葉ではなかったらしい。え、えーと。
「髪の色が綺麗とか?」
「美容院でしてもらっただけよ。他には?」
「ファッションが良い」
「他には」
「いつもツンだけどたまにデレるところ」
「何よそれ。他には!?」
お気に召さない言葉ばかりらしく、徐々に機嫌がナナメに傾いてきた。ヤバイ。せっかく金束さんが楽しそうだったのに。
でも褒め言葉なんて……えぇー……? レポート課題よりも難しいよ。
「りゅーせー!」
そうだなぁ。……本当のことを言っていいなら、
「可愛い」
「っ、か、かわ……!?」
「普通に、いや、本当に美人だと思う。さっき見たうなじは色っぽかったし、たまに見せる笑顔にもドキッとする。ふとした時でも思わず見惚れてしまう」
スマホを見ている時のだらしない笑顔や、紅葉の中で立つ何気ない姿、どれも画になる。目を奪われる。
ウェイな奴らが群がるのも頷けるよ。金束さんはそれ程に美少女だ。
「もちろん容姿だけが魅力じゃない。怒ると怖いけど優しい一面もある。実はピュアで、心も綺麗な人だと思」
「っっ、うるさい馬鹿!」
僕の口に金束さんが頭突きをしてきぐぼぉ!? 髪の良い匂いが口の中に広がった! どうして女の子は良い香りがするのだろう!?
「馬鹿! 何言ってるのよ!」
「こ、金束さんが言えって言うから」
「つ、次行くわよ!」
「えぇ~……?」
まともに褒めなかったら怒るし褒めても怒る。どうすれば良かったの? ベストアンサーなかったよね!?
にしても、自分でも驚くくらい饒舌に語っていた。うーむ。
「か、可愛いとか綺麗とかアンタに言われても嬉しくないんだからねっ!」
「あ、うん、それはちゃんと身の程を弁えているよ。僕なんかに言われても金束さんは全然嬉しくないだろうし気にも留めないよね」
「……何よそれ。本当は死んじゃうくらい嬉しいわよ馬鹿っ」
最後に何を言ったのかは、割り箸を激しく擦る音に遮られて聞こえなかった。
三回目のゲームが始まる。
「一番だ……」
「また私が王様ね」
確率で言うと八分の一。僕の運のパラメーターが低い。
「そうね……っ、せ、背中を貸しなさい」
「背中?」
「今度は背中側にくっつきた、なんでもない! いいから言う通りにしなさい!」
急かされた僕は金束さんに対して背を向ける。何をするおつもり?
と、視界の両端から手が伸びてきた。両手は僕の胸元をぎゅっ、と抱きしめた。
「……何これ」
「うるさい。おとなしくしていなさい!」
「は、はぃ」
両手は僕の胸元をスリスリとさすったり服を掴んだりする。
そして時折、背中に柔らかいモノが当てられる。こ、これは海に行った時にも味わったことが……。
「こ、金束さん?」
「喋らないで!」
「ひいぃ」
「……あったかいわね」
「そ、そう?」
一体全体、この人は何がしたいんだ。僕を鯖折りするタイミングを伺っている? 僕の体は簡単に折れちゃうよ!
いや、ひ弱な金束さんでは無理か。それもまた可愛い。
「……も、もう一回言いなさい」
「へ?」
「だからっ、その、もう一回、褒めなさい……っ」
「えーと……可愛い、よ?」
「もっと」
「可愛い。すごく可愛い」
「っ~、別に嬉しくも何ともないんだから!」
「痛い痛い! いや実際は全く痛くないけどなんか痛い!?」
金束さんが力を込めてきた。ぐあぁこれが鯖折りかあぁ!? 背中にふっにょふにょたっぷりたっぷんな感触ぅ!?
忠実に命令を聞いたのになぜ僕は怒られているんだ。謎だよ。迷宮入りだよ。助けてコナン君。服部でも可!
「馬鹿っ」
「えぇ~……? そろそろビール飲もうよ」
「嫌よ。今忙しいわ」
「忙しいって何が?」
「アンタを抱きしめるのに夢中、っ、うるさいわよ変態!」
「理不尽すぎる……」
理不尽だが、僕としても良い思いをしているので文句は言うまい。
「やっと、やっと甘えられた……独占出来た、っ、うふふ……」
「甘えられた? 独占?」
「な、なんでもない!」
結局そのままの状態が数分間も続き、ビールは温くなってしまった。