107 無邪気女子も加わる
「タマネギのソテーだ。美味いだろ?」
「……」
「マジカルミライの映像観るか? 泣けるからハンカチ用意しとけよ」
「……」
「これは実家のネギ畑の写真だ。俺はここで育ったんだ」
「……」
「あ゛ー……やつれているな、流世」
「見ての通りだよ」
タマネギのソテーを食し、ミクのライブを聴き、青々としたネギ畑の写真を見て、僕は床に寝そべってグッタリとしている。
駄目だ。いくら休んでも気力が回復しない。二日酔いよりも深刻だ。
そんな僕を、家主の不知火は励ましてくれる。
「ほら食え、もっと食え」
「大量のネギを口に詰め込まないで」
励まし方が特殊だけどこいつなりに心配してくれているのが分かるのでありがたくネギを咀嚼する。すげー食感。顎が痛い。
まあ一番痛いのは心臓ですけどね。あへあへ。
「今思い返してもあの二日は酷かったな」
「まったくだよ」
不知火が厳つい顔面と屈強な肉体を震わせて、僕は寝そべったまま深く頷く。
月紫さんと金束さんの壮絶なバトルによる僕史上最悪のクリスマス。その後、二人は交互に来ては甘えてきたり拗ねたりして僕を様々な意味で苦しめた。
原因不明の険悪さ、意味不明で意味深な言動。おかげで僕はグッタリさ。
「あの二人が嫌い合っている理由が分からない」
「あ? 分かるだろ」
「全然分からないよ」
「はぁ~……」
苦々しげにスマホを眺める不知火が盛大に息を吐く。ため息をつきたいのは僕もだよ。
仲が悪い月紫さんと金束さん、様子がおかしくなった月紫さんと金束さん。原因は不明、意味は不明。
「ぬはぁ~」
「本当に分からないんだな」
「何もかも分からない。けど……ねぇ、不知火、あのさ……」
「なんだ?」
「……どうして僕はすごく悪いことをしているような気持ちになっているのだろう」
思い当たる節は一つとしてないけれど、二人の接点を考えるに原因があるとしたら僕しかいない。
僕が悪い気がする。でもどうして? なぜ?
「罪悪感があるんだ。でもどうして!? なぜ!? まるで浮気をしているようなこの感覚は一体何!?」
あの二人は僕を挟んでいがみ合い、僕との友好度を競い合う。
それを見ていて僕はなぜか気まずくて非常に心苦しいんだ。
「言うなればドラマで主人公を取り合うヒロインの二人、といった修羅場の雰囲気を感じた。僕が悪い? 僕が悪いの!?」
「……流世はそんなには悪くねぇぞ」
「そんなには? 少しは悪いの? 少しは僕に原因があるの!?」
「お、落ち着け」
不知火は目尻をピクピクと動かして僕を宥めてくる。落ち着いていられるか!
「おかしいよ。僕は元ボッチで、現在も絶賛ビビリで陰キャでしょうもない大学生なのに」
「自分を卑下するな。流世は誰よりもカッコイイ」
「いや今そういうのいらないから。真面目に答えて」
「流世が怖い」
「ねぇ不知火! ねぇ!?」
「い、いや待てって。自分が悪い気がしてんだろ? それが答えだよ」
「あ?」
「それ俺のやつ……」
いいからハッキリと答えてくれ。僕は寝そべったまま睨む。
睨まれた不知火は目尻だけではなく全身をビクつかせると、咳払いをして重たげな口を開いた。
「あー、あの二人はお前を取り合って仲が悪いんだ」
「僕を取り合う? なんだそれ」
「……言っていいのか? 俺が言うのは良くないと思うんだがなぁ」
「あぁ?」
「怖ぇ……。いや、だから、な? 月紫と金束は流世のことが好きなんじゃねぇのかなーと」
不知火は言った。月紫さんと金束さんが、僕のことが好きなのかもしれないと。だから二人は喧嘩していると。
僕は体を起こす。あぐらをかいて腕を組み、すぐに答えが出る。
何を言ってんだこいつ?
「不知火、真面目に答えてって言ったよね」
「俺は真面目に……」
「僕のことが好き? もしかして異性として? あの二人が? あははっ、ないない、ありえない。だって僕はビビリで陰キャでしょうもない大学生だ」
ずっとボッチだった。恋人がいたことはないし、誰かに好かれたこともない。
「こんな僕を好きになる人がいるはずがない。ましてや月紫さんや金束さんのような美女子大生が僕を? 絶対にありえないね」
やれやれ、何を言うかと思えば。優秀な不知火にしては珍しく見当違いな考察だ。
「あの二人と友達になれただけで奇跡だ。僕を好きになる人なんていない」
「そんなことねぇよ。現にあの二人はお前のことが」
「はいはい。いいから真面目に考えてよ」
「いや俺はかなり踏み込んだ意見を……じゃあ流世はどうなんだよ」
「僕?」
「流世は月紫と金束のこと好きじゃねぇのか?」
僕があの二人のことを好きかだって……?
いやだからさ、くだらないことを聞かないでよ。
「友達としては好きだけど、付き合えるだなんて不分相応なことは考えていないよ。考えることすら烏滸がましい。僕は一度うぬぼれて痛い目を見たのだから」
一年生の頃、木葉さんのことを好きになった。そうして恥をかいた。ボッチよりも辛い思いをした。
思い知ったよ。僕は誰かと付き合えるような人間ではないことを。
「うぬぼれてはいけない。勘違いしてはいけない。話を戻すけど、あの二人が僕のことを異性として見ている可能性はゼロだ」
「……」
「どうした不知火?」
「なんでもねぇ」
……? じゃあなんで苦虫を噛み潰したような顔をしているのさ。
「当人がこの調子だとしばらくは変化なしだな。まぁどうなっても苦しむことになるぞ。流世は優しいからな」
「どういうこと?」
「そんなことより、いつまで俺の部屋にいるつもりだ」
不知火は表情を変え、僕は動揺する。
「な、なんだよ急に。せっかく来たのだからゆっくりさせてよ」
「とぼけるな、俺が気づいていないとでも思ったか」
「と、とぼけていない。僕はただ友人に会いに来ただけだ」
「ほぉ、なら今現在もお前のスマホに大量の通知が来ているのはなぜだ?」
うっ、なぜそれを。あまりにしつこいから機内モードをオンにしているのに。
「流世だけじゃねぇ、俺のスマホもだよ」
苛立ちと焦りを混ぜて息苦しそうな表情を浮かべる不知火が僕にスマホを向ける。
画面に表示されるのは、とある二人による数多のメッセージ。
『月紫永湖:不知火さんのお部屋に水瀬君がいますよね。住所を教えてください』
『金束小鈴:アンタの住所を教えなさい』
『月紫永湖:電話に出てください。どうして無視するのですか。それにどうして金束って人について教えてくれなかったのですか』
『金束小鈴:早くしなさいよ。いいから電話に出てすぐに水瀬に代わりなさい』
「お前は俺ん家に避難してきた。その結果、俺にも被害が及んでいるんだが?」
「あ、あははは」
月紫さんと金束さんが僕の家に来るのは明白であり、また恐ろしい空気になるのは容易に予想出来た。
よって僕はあの二人が来る前に家を出て不知火の家に避難した。ここなら安心、のはずだった。
あの二人は僕の避難場所を予測した。故に不知火へ大量のメッセージを送りつけている。ちなみに僕のスマホには不知火の数倍は通知が来ているだろう。機内モードを解除するのが恐ろしい。
「今頃あの二人はお前の家の前で修羅場になっているぞ」
先程までは不知火がビクついて俺が唸っていたのに今は立場が逆転した。僕は心も含めて全身を震わせる。
「どうしよう……」
「知るか」
「じゃあ二人に不知火の住所を教」
「あ゛? んなことしたら親友とはいえネギソードで真っ二つにするからな」
「そ、そんな。僕と不知火は親友」
「あぁぁあぁん!?」
「不知火のキャラが崩壊している……」
「いいから帰れ」
「僕を見捨てないでぇ!」
「うるせぇ! もしこの家の住所がバレたらどうする。頼むから帰ってくれ!」
「こっちこそ頼むよ。もうすぐバイトだからそれまで居させてぇ」
せめてバイトまではここで休ませて! お願いだ!
「そういやバイトを始めたらしいな流世。何時からだ?」
「六時……あ、そろそろ行かなくちゃ」
「よっしゃさっさと帰れ」
「不知火が冷たい……」
僕が帰り支度を始めると、不知火が背中を押してきた。わ、分かったよ、帰るってば。
「じゃあな。バイト頑張れよ」
「また来てもいい?」
「あ?」
「以前はいつでも来いって言ってたのになぁ」
外に放り出され、吹きつける風が冷たくて痛い。まあ一番痛いのは心臓なんですけど。あへあへあへ。
「バイトか……今日はバイトがあるとは伝えていないからあの二人が来ることはないだろう」
そう思うと少しだけ気が楽になった。
おばちゃんにこき使われる程度なら喜んで受け入れよう。僕はバイト先の居酒屋へと向かう。
「流世は罪な男だな。ところで……ったく、こいつらしつこいな。流世がバイトに行ったと伝えたら収まるか? 流世が何のバイトをしているか知らんが、まぁ伝えてもこいつらは何も出来ないだろう」
「『流世はバイト』で送信、と。あ゛ぁ゛、マジカルミライ観るか……」
居酒屋『飲み処-つくしんぼ-』の更衣室。僕は制服に着替える。
今日がバイトで良かった。今から七時間は心を痛めずに過ごすことが出来そうだ。
「おはようございます」
「あ、流世群やんかー。……ぷぷ、ぷぷっ」
「はい?」
更衣室を出ると、いきなり笑われた。
僕を見てゲラゲラ笑っているのは店主の土筆こもろさん。今日は随分と機嫌が良い。
「飲みに来たん?」
「いえバイトです。なんで毎回間違えるんですか?」
「わざとだよーん」
「タチが悪い。でも心地は良いです」
「流世群は何を言っているん?」
あなたの悪意ある嫌がらせなんて、今の僕には子猫がじゃれてくるようなものですよ。とある女子二人が発する黒いオーラに比べたら鼻で笑える。ははっ。
「流世群がキモイなんなー。はよホールに入り。今日は大変なんよな」
「予約が多いんですか?」
「ホールに入れば分かるよん。……ぷぷっ、いやぁ、遂にこの日が来た」
おばちゃんは顔のシワを深くしてニタァ、と笑う。強欲の壺みたいな顔だ。タイムカード二枚ドローすればいいんですか?
「なんだか楽しそうですね」
「だってこの日が来るのが楽しみで楽しみで……ぷぷぷっ、ぷっぷぷ~」
「? はあ、じゃあ入りますね」
「どうぞごゆっくりなんな~」
どうせまた嫌な雑用を押しつけるに違いないが、はいはい構わないですよ。雑用だろうとなんだろうと喜んで働いてやる。
地獄に比べたら楽勝…………ん?
「水瀬君っ」
「りゅーせー!」
暖簾をくぐった先、カウンター席に美女子大生が二人いた。
「……」
僕は無言で後退し、キッチンへと戻る。
おっと、おかしいな。月紫さんと金束さんの幻覚が見えた。そんなわけあるはずないのに。
「ぷぷっ、くくっ……! どしたん流星群? はよ接客しい」
「……少し待ってくださいね」
僕は顔を天井に向け、目を閉じる。
あー、疲れているのかな。しっかりしなさい水瀬流世君、今のは幻覚だ。暖簾をくぐればいつもの常連のおっさんがいるよ。
「水瀬君っ」
「りゅーせー!」
暖簾をくぐる。そんですぐに後退。キッチンでうずくまる。
うーん、またしても幻覚だ。ついでに幻聴も聞こえる。それとも酔っているのかな? おいおいバイト前に飲んじゃ駄目だろ水瀬流世君~。あっはっは。
……。
…………。
ああ、そういうことね。
「流世群はよしんさい~」
……道理でおばちゃんが上機嫌なわけだ。
おばちゃん、いや、このババアは楽しんでいやがる。現状をきちんと把握した上で、僕が苦しむことをちゃーんと理解した上で、強欲の壺な笑顔をしているんだ。
「すみません、体調が悪いので帰っていいですか?」
「駄目♪ 今日は雑用やゴミ出しはしなくてええからガッツリ接客をしてね♪」
「タチが悪い……!」
「でも心地はええんでしょ?」
前言撤回するよ最悪だよこの野郎。
……あぁ、最悪の状況になった。
「水瀬君っ!」
「りゅーせーっ!」
「ほら呼ばれとるよ」
「一生恨んでやる……!」
うぅ、こんなことならマジで飲酒してから来るべきだった。というかあの二人は今日僕がバイトがある情報をどこで得たんだ。
果たして耐えられるのだろうか。いや、無理な気がする。嫌な予感もする。
……覚悟を決め、僕は三度目の暖簾をくぐ
「めちゃおはよう流世君。今日も一緒にむちゃ頑張ろーね」
同時に暖簾をくぐる、僕ともう一人。明るく凛とした声が響く。
悪意はなく、ただし底知れぬ無垢な笑顔は素敵で無敵。爛漫な笑顔を振りまき、僕の腕を巻き込んでホールへと飛び込んでいったのは木葉さん。
「……あっ、スズちゃんとエーコちゃんだ」
「あなたは……」
「あ、アンタは……!」
カウンターの前に凛然として立つ木葉さん。その向かい側で、月紫さんと金束さんが険しい顔になる。
木葉さん、月紫さん、金束さん。初めての組み合わせを目の当たりにし、僕は確信した。
果たして耐えられるのだろうか。いや、絶対に無理だ……。
「ぷぷぷぷぷぷっ! ヤバイんなぁ、動画で撮影しとこ」
とりあえずおばちゃんは一生恨んでやる。




