105 おっとり女子は甘える
地獄のクリスマス2daysを生き延びて、今年も残すところあと数日。
「野菜値上がりしてない?」
めっきり人がいなくなったスーパー。野菜売り場にて、僕は白菜を片手に野菜の高騰を嘆く。
四分の一カットでバドワイザーが一本買えるぞ。以前はもっと安かったのに。
だが白菜がないと鍋は始まらない。白菜のない鍋なんて泡がない生ビールのようなものだ。飲み放題がないチェーン店のようなものだ。可愛い子がいないテニスサークルのようなものだ。
「仕方ない。鍋は諦めてもやし炒めにするか」
一人暮らしにおける必殺技、もやし炒め。
とりあえずもやしを買ってとりあえずもやしを炒める。アイデアや節約技術は必要ない&栄養もなしの強引な食費の削り方だ。苦肉の策とも言える。肉ないけど。ちなみに味付けは焼肉のタレだ。肉ないけど。みんなも困ったらもやしで耐え凌ごうね。
「食費は抑えられた。よし、ビールを買うか」
「水瀬君っ」
僕の名を呼ぶ、おっとりとして元気な声。月紫さんだ。
「こんにちは永湖さん」
「奇遇ですねっ。水瀬君もお買い物ですか? ……もやしだけ?」
「いえいえ、ビールを買います」
「ビールで空腹は満たされませんよ」
「空腹でも至福なので大丈夫」
「水瀬君はおかしな人です」
普段のあなたの方が圧倒的におかしい人だと思いますよ。
しかし現状は僕がおかしい。二十歳の男がロクに飯を食べずにビールを飲もうとしている。だから痩せているんだよね。自覚あります。
「これが僕の食生活なので」
「駄目ですアウトです水瀬君ブブーッです!」
「は、はあ」
「なので今から私がご飯を作りましょうっ」
「は、はひ?」
「ふへほーっ」
買い物を終えて家に到着する。
「年末ですねっ。水瀬君は帰省しますか?」
「実家に帰っても特にやることないしなぁ」
「ふむふむ、なるほどなるほど、メモメモ」
「永湖さんは帰らないの?」
「帰るつもりでしたがたった今キャンセルしましたっ」
「?」
行きは一人、帰りは二人。
鍵を開ける僕の手元を、月紫さんが覗き込んでいる。
「どうして覗き込んでいるの?」
「水瀬君がいかに早く鍵を開けるか計測しています」
「それ意味ある?」
「ないですねっ」
やっぱりあなたの方がおかしいよ。
その不思議さは家の中に入っても発揮される。月紫さんは靴を脱いで荷物を置くと、リビングに入ったりトイレの扉を開けたりお風呂場を覗いたり、忙しなく動き回る。
「む~、むむっ……いないですね。オールクリアっ」
「何をされているの?」
「今日はあの人来ていませんね」
あの人とは金束さんを指しているのだろう。
二日間に渡る月紫さんと金束さんの熾烈なバトルはつい先日のこと。あれは酷かった。
「……この後、来る予定がありますか?」
「金束さんが? いんや、今日は用事があるんだって」
「っ! そうですかっ」
僕が答え、月紫さんは笑う。両腕を胸元に寄せて両手をグーにしてぴょんぴょん、と跳ねた。
可愛らしい仕草と嬉しそうに緩ませる頬。下の部屋に響くから飛び跳ねないでね、と注意するのも躊躇ってしまう程の喜ぶ姿を見て僕は困惑する。
「やっぱ金束さんのことが嫌い?」
「大嫌いです」
「そ、そっか」
月紫さんと金束さんの相性は最悪だ。初対面でいきなり喧嘩だもの。
ビールを飲みたいという願いを持つ者同士、仲良くなれるはずなのに……どちらとも友達の僕は悲しいです。
「あっ、み、水瀬君が気にすることありません。水瀬君は悪くないーっ」
僕の表情の変化に気づいた月紫さんが慌てた様子で僕を右側から覗き込んできたり左側から覗き込んだりと、両手をアタフタさせて最後は顔を俯かせた。
「私とあの人が仲良くなれないのは仕方ないのです。敵なので」
「敵?」
「ご飯作りますね」
「は、はい」
月紫さんも金束さんも、お互いのことを敵だと言う。
敵ってなんだ? レッドとグリーン? それは好敵手か。じゃあレッドとサカキ? う、うーん、分かんない。
「ばばーんっ、じゃじゃーんっ、きゅるきゅるぴぴーんっ」
「最後のはパチンコの演出みたいだったね」
「できましたっ、八宝菜ですっ」
派手な効果音を声で演出しながら月紫さんはお皿を運ぶ。
お皿の上には八宝菜。僕は笑みをこぼして手を合わせる。
「いただきます。……っ! 美味しい!」
「お口に合って何よりです。中華スープもどうぞっ」
「おぉ、品が多い」
八宝菜に中華スープ、さらにもやし炒め、おまけに小鉢。全て月紫さんが作ってくれた。
「すごいね」
「いえいえ、作り方を調べたら誰でも作れますよ」
「僕には出来ないよ」
食事を作る際に何品も料理する気が起きない。おかずが一つあれば白米を食えるの精神です。
「そんなことないですよ。水瀬君も料理に挑戦してみてください」
「いやまぁそれなりには作るけど、でもこの品数でこのクオリティは絶対に無理だ。どれもこれも美味しいよ」
甘辛の八宝菜は一口食べる毎にご飯が欲しくなり、中華スープは濃くも薄くもない優しい口当たり、もやし炒めに至っては僕が普段作るやつとは次元が違う。
どれもこれも素晴らしい。これぞ女子力。月紫さんの女子力の高さもとい料理スキルの高さに感動しっぱなしの僕は口と手を動かし続ける。
「永湖さんすごいよ本当。実家のご飯より美味しい!」
「言いすぎです。そんなこと……う、うへへ、嬉しいですっ」
絶品料理の数々、そして月紫さんの手作り。箸を止める理由がありません!
「ご馳走様でした!」
あっという間に完食。テーブルに残されたのは未開封の缶ビールのみ。
ビールを飲むことも忘れて食べ続けたし、ビールを飲まなくても幸福感と満足感がいっぱいになった。
「完食してもらえて良かったです」
「こんなに美味しい物を残すわけにはいかないよ」
「っ、うへへぇ~」
月紫さんは座った状態でぴょんぴょんと跳ねて上目遣い、僕を見つめる。
「……良かったらこれからも作りに来ますよ?」
「え? いやぁ、それは申し訳ないよ」
「水瀬君がガリガリになる方が駄目ですっ。遠慮しないでください。それとも迷惑ですか……?」
「い、いやいや迷惑だなんて滅相もない。申し訳ないと思っているだけだよ」
「でしたら遠慮なさらずに」
「じゃあ、たまにでいいから作ってもらえるかな」
「はいっ、任せてください」
「ありがとう。また永湖さんの料理を食べられるのはすごく嬉しいよ」
「そう言ってもらえて嬉しいですっ。アルティメットですっ!」
満面の笑顔。その笑顔を両手にうずめて、うずめるあまり眼鏡がズレていくのも気にせず月紫さんは「アルティメットーっ!」と言ってさらに顔をうずめる。
アルティメットを用いる斬新な表現方法はともかく、嬉しそうな月紫さんはすごく可愛かった。この人はいつも可愛いな。
「お礼をしないとね」
「結構ですよ、水瀬君にはいつもビールの訓練に付き合ってもらっているので」
「そう? じゃあご厚意に甘えようかな」
「……ん、んーっ」
「?」
「や、やっぱりお礼が欲しいかもー、です。甘えるのは私がしたいです、みたいなー……」
そう言って月紫さんが僕の隣に移動する。
「僕に出来る範囲ならご自由にどうぞ」
「いいのですか? 暴走しますよ?」
「ぼ、暴走?」
「ぶおーっ、気分は黄色信号を見てアクセルぶおーっ!」
「黄色は止まろうね」
「では水瀬君のお膝に停車しますっ」
隣に移動した月紫さんが眼鏡を外し、横に倒れ込む。
「へ?」
ぽすんっ、と軽い衝撃が足に伝わる。どすんっ、と強い衝撃が全身を貫く。
月紫さんが僕の足に頭を乗せたのだ。これは……膝枕!?
「アルティメットにフィットしてますっ」
「ち、ちょ、何をして」
「駄目ですか?」
「駄目ではないけど……ま、まぁ以前は僕がしてもらったし」
「なので今日は私の番です。アルティメット膝枕~」
アルティメットにとろけた笑み顔が僕の足元にある。端麗な顔が僕を見上げている。
ぞ、ゾワゾワする。悪い意味のゾワゾワではなく、かといって良い意味かと言えるか分からない、何とも言えない、心臓を直接くすぐるかのようなゾワゾワ感が……っ。
「あ、あまり動かないで」
「くすぐったいですか?」
はいとても。足というより心臓がくすぐったいですはいとても!
膝枕をされた時に比べたらまだ耐えられる、と思ったがする側も強烈にヤバイ。
だって膝の上に美女子大生がいるんだよ? なんだこの感覚は。この彼氏感はなんだ!? 彼氏感ってなんだよ、今まで一度たりとも彼女いたことないだろ水瀬流世ぇ。
「見上げたら水瀬君の顔がある。えへへー」
「そ、そうだね」
砂糖に群がる蟻の如く精神が足へと集結する中、僕は丁寧に口を動かす。
下には月紫さんの顔がある。喋る際に唾を飛ばしたりしたら切腹モノだ。僕なんかの汚い菌をこの麗しき顔に落としてはならない!
「水瀬君が変な顔をしています」
「き、気にしにゃいで」
「分かりました。では気にしぇずゆっくりとさせてもらいますねっ」
「……えっと、いつまで膝枕すればいいのかな?」
「えへへー」
「あ、あのー?」
「えへへー」
月紫さんは途中から目を閉じて「えへへー」としか言わなくなった。
「な、何か言ってください」
「えへへー」
「えへへー以外でお願いします」
「水瀬君の顔が近いです。ペタペター」
手を伸ばし、僕の頬を触る。月紫さんの手が僕の頬に……えへへぇ!?
「や、やめて」
「顎先をこちょこちょー」
「やめてぇ!」
っ、ま、待て、下手に大声を出すな。唾が飛んだらどうする。月紫さんの顔を汚してはいけない。
「こちょこちょ~」
「う、ぐぐ」
「耳たぶをたぷたぷー」
「っ、っっ」
「唇をぷにぷにー」
「そ、それ意味ある?」
「これはあります」
「これはあるんだ!?」
「敵がいないうちに、なんですーっ」
「勘弁してくださ……あがが……!」
頬、顎、耳、そして唇。あらゆる部分を触られる顔が熱燗状態になる。
「ぐぬおぉ……!」
「出ましたっ、水瀬君のアルティメット奇声っ」
「ぐぬえぇ……!」
「……もう一度、唇をぷにぷにー」
熱い、顔が熱い! 心臓も熱いっ! 心臓の中が沸き立っていりゅうぅ!?
「あ、あと一分したら離れてください」
「では一分を大いに楽しみますね」
沸騰した血液が全身を駆け巡って眼球までもが熱されていく。僕の体は焔の錬金術師か! なんだそのツッコミ!
「い、一分経ったよ」
「アディショナルタイムに突入です」
「アディショナル? な、何分?」
「十五分ですね」
「ロスタイムの方が長いってどういうこと!?」
「えへへー」
「またそれですか……」
心身共に溶けていく。ぐったりする僕を余所に月紫さんは寝転んで上機嫌に笑い、指を自分の唇に添える。
すごく真っ赤な、すごく幸せそうな表情で僕を見上げていた。
「え、えへへ」
「顔が赤いよ?」
「水瀬君こそ」
「僕は陰キャなので。当然の反応を」
「水瀬君のお腹をつんつんっ」
「ぐぬっ」
「やはり痩せていますね。もっと太りましょうっ」
「は、はい」
あと数日で大晦日。高騰する野菜、沸騰する心臓。
「腰回りをわしゃわしゃーっ」
「ぐぬおぉ……!?」
月紫さんに顔だけではなく体中もタッチされながら、僕は十六分ガッツリと膝枕をした。




