10 飲めない人、再び
「不知火、昨夜はありがとう。あの後はどうなったの?」
『あの男か? 泣きながら逃げていった』
「無事で良かったよ」
『何かあったらすぐに連絡しろ。ダチの為なら俺はどこへでも飛んでいく』
「ダチと呼ぶのは恥ずかしいからやめてよ不知火」
『そろそろ俺のことを下の名前で呼べ。俺と流世は親友だろ?』
「バイバイ」
通話を途中で切り上げる。いや別に親友じゃないよ?
不知火はなぁ。強面であっても顔はカッコイイし背は高いし名字もイケてる、なのに下の名前がね……。
それはともかく、昨夜は不知火が来てくれて助かった。感謝しかない。僕一人では太刀打ち出来なかっただろう。てか殴られる寸前だった。ひいぃ。
本当、昨日は色々なことがあった。おかげで精神がボロ雑巾みたくズタズタになったよ。
……まぁ、なんだかんだで金束さんとは仲良くなれたと思う。少しだけ分かり合えたような気がする。結果的には良かった……で、いいのかな? とにかく大変だったんだ。
そういえば、昼間も大変だったなぁ。いきなり知らない女子からビールを……。
「あっ」
「はい?」
「六本入りビールを買っていたお一人飲みの……水瀬君っ」
休日の昼下がり。昨日の出来事を思い返しながら大学構内を歩く僕に、誰かが話しかけてきた。
ぴょんぴょん、またはトントン、と。軽妙な足取りに可憐な足音、ロングスカートの端が揺れる。
昨日出会った、僕の顔面に計三発もビールを噴きかけた、眼鏡の女子大生…………あ!?
「奇遇ですね。水瀬君もお散歩ですか?」
「あ、いや、僕はレポートを提出しに来ただけです。えっと……月紫さん」
「名前覚えてくれたのですね。はいそうです、月紫永湖ですっ」
ビール噴き出す系女子こと月紫永湖さん。おっとりニッコリ笑って僕に近づいてきた。
ぽわわん、と桜の花びらが舞うような穏やかで暖かいオーラが視認出来た。すごい、マイナスイオンみたい。
「レポートを提出する為だけに大学にまで足を運んだのですか? 真面目ですね」
「う、うん。月曜日までに提出だけど、期限当日ギリギリだと他の人も提出ボックスに群がるでしょ。講義が終わったらすぐに帰りたいからさ」
「なんとなくお気持ちは分かりますっ」
大きな眼鏡の奥から瞳を輝かせて感心したようにして見つめてくる月紫さん。彼女の周りに花が咲いた。そう思わせる程の素敵な笑顔だった。
地味な見た目なのに仕草や笑顔はとても可愛らしい。って、だから僕は失礼だってば。
「で、では、この辺で」
正直、今しがたの月紫さんとのたわいもない会話は心地良かった。女性に慣れていない僕でも気さくに話せた。
しかし油断してはいけない。この子は僕にビールを噴きかけた危険人物。おまけに不思議ちゃんの気質もある。昨日、僕の精神がボロ雑巾になったのは月紫さんのせいだ。トラウマを忘れてはいけない。
早々に立ち去るべきだ。でないと、前回みたく付き合わされてしまう。
「お時間ありますか? 私、ビールを持っていますっ」
自身の素早さのパラメーターの低さに嘆く。せめて特性『にげあし』があればなと思う。
立ち去ろうとした足は動かす前に止まる。目の前からは、無垢で無邪気なぽわぽわしたオーラが放たれていた。
「……」
「? 水瀬君?」
あぁ、やっぱり逃げられそうにないです。この笑顔とオーラは反則だぁ……。
「ひ、暇ですよ……」
そうして、僕は公園に連れて来られた。
デジャブを感じる。昨日もここで……あ、嫌な記憶が鮮明に蘇る。
「ビールですっ。プレモルですっ」
嫌な予感しかしない僕と、快活な声で缶ビールを手に持つ月紫さん。僕らは二人、同じベンチに腰かけている。これも昨日と同じ。
よし、早めに行動だ。回避する態勢を整えよう。過去の経験を未来に活かしてみせる。
「水瀬君もどうぞ」
「ありがとう」
「乾杯です」
「はい乾杯」
缶をぶつけ合い、蓋を開ける。プシュ、という普段ならば天使の奏でる音色とも感じる素敵な開封音は戦闘の開始を告げていた。
現在、月紫さんは僕の方へ顔を向けている。このままでは直撃コース、トラウマ再発コースだ。
大丈夫、昨日の反省を活かして今日は回避してみせる!
……口に運ぶ動作。飲みますっ、と言って勢いよく、そして目を瞑って懸命に飲もうとする月紫さんの顔。
ビールを飲む月紫さんの姿は、可愛らしかった。可愛らしいという感想を、僕は昨日もしつこい程に思ったのに、改めてもう一度思ってしまったんだ。
この子は本当に可愛らしくて、おっとりしていて、不思議だけど心地良いなぁ……と。
「ぶはっ」
「……」
「はっ、ご、ごめんなさい!」
「ううん、今回はたぶん僕が悪い」
月紫さんが飲む姿をじっと見るあまり回避出来なかった、いや、回避することを忘れてしまった結果だよ。
顔面ビールを受けて、僕は落ち込む。二日連続で顔面ビールか……。いやまぁ僕が悪いんだけどね!?
……ところで、顔にかかったビールを舐めた場合、どうなるんだろうか。
一瞬でも女子が口に含んだビールを舐める。それってもしや、間接キスとしてカウントされるのでは……?
「あわわ、拭きますね」
邪な考えはハンカチで拭われた。あ、チャンスが……って僕は変態か。ムッツリを超えたド変態じゃないか!?
危なかった。もう少しでヤバイ性癖の扉を開けるところだった。ご褒美ありがとうございます! じゃないよ!?
「そもそも間接キスかどうかで悶々としていること自体が低レベルな気がして恥ずかしいぃぃ……」
「水瀬君は変な人ですね」
「あなたに言われたくないよ!?」




