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1 ビールのように苦い出会い

 四月の頃は新入生で溢れかえっていた食堂も、六月になった今では以前までの落ち着きを取り戻していた。

 昼食を食べるなら必ず食堂であるべきといった固定概念の誤りに気づいたか、一年の前期にしてサボり方を覚えてしまったのか。理由はどうであれ、上級生はようやく激することなく学食にありつくことが出来る。


 しかし、僕は食堂には行かない。ましてや、昼食を食べるつもりもない。


「へっへっへ、今日はチャレンジ企画だね」


 気色悪い笑い声も、人が滅多に来ない学部棟の裏に位置する寂れた中庭では気にせずに出し放題だ。

 本日の講義は午前で終了。さっさと家に帰ればいいところを敢えて帰らず、スーパーに寄った後に再び大学へ戻ってきた。

 手に持つのは、缶ビール。


「さあ始まりました水瀬流世(みなせりゅうせい)の一人酒~! 本日は、なんと真っ昼間の大学構内にて開催します!」


 プシュ、と音を立てて缶の蓋を開く。持参したマイグラスに注がれる金色の液体と白い泡は真上の太陽を浴びてより神々しく輝く。

 嬉しさのあまり声が大きくなり、テンションが高くなる。

 飲む前からこの高揚感。どうやら僕の目論見は成功みたいだ。


「平日の真っ昼間、しかも大学の敷地内。そんな場所で飲むビールは美味しいでのは?」


 僕は昨夜ふと思いついたわけなんですよ。


「さあさあ検証しましょう。それでは、乾杯!」


 太陽に向け、ビールを高々と挙げる。誰かと声を揃えるわけでもなく、グラスをぶつけ合うわけでもなく、一人で飲み始める。

 早速、一口目を……っ、こ、これは……!?


「んぐ、んぐ……美味い。う……うまーい!」


 なんだこれは。めちゃくちゃ美味しいよ! 授業終わりのビールは最高だ!

 何より、このシチュエーションが素晴らしい。


「今頃、他の人達は三限に提出のレポートを慌てて書いたり、部活の練習に励んだり、四年生はゼミ室に閉じこもって作業する中、僕はビールを飲んでいる。この背徳感! この特別感! たまりません!」


 昼間からお酒を飲むことぐらい、大学生なら余裕で実行に移せる。だが家ではなく、大学内にて一人で飲む奴がいるだろうか。

 誰かに見られたら恥ずかしいというスリルの相乗効果もあり、ビールが格段に美味しくなっているのだ!


「美味しい~。これは三大・美味シチュに迫る勢いだねっ」


 一人でハイテンション。感想を述べてはビールを啜る。飲んで注いでを繰り返し、缶の中身はあっという間に空になった。

 飲む勢いが早いのは良シチュエーションである証拠。


「二本目いっちゃいましょう」


 小休止を挟まず、口笛混じりで新たに缶を取り出す。

 これを飲み終えたら帰ろうかな。人通りが少ないとはいえ、長居するのは危険だ。


 だって僕は一人でコソコソと飲みたいのだから。


 大学生ならば、大人数で盛り上がる飲み会こそが王道だろう。

 けど僕はそれら一般的な飲み会には興味がない。大声で馬鹿騒ぎ? コールとゲームの嵐? 吐くまで飲む? 粋じゃないね。

 自由きままに。無理せず自分のペース。自分が美味しいと思える環境とコンディションで飲むのが一番の幸せ。


 一人でいい。一人がいい。寂しくなんてない。

 これが僕、水瀬流世の一人酒だ。


「気分も良いことだし、改めて乾杯しようかな。では二本目を……かんぱー」




「ねぇアンタ」




「い! ……へ?」


 掲げた缶ビールとは反対側、背後から声をかけられた。しかも、女の子の声だった。

 ……え。後ろに、誰かいる……!?


「固まってないで何か言いなさいよ」


 尖った声音は間違いなく僕に向けられていた。

 顔が赤くなるのは酔いのせいではない。一気に膨れ上がる羞恥に動転ながらも恐る恐る振り返ると……人がいた。


「あ、ぁ」

「何よ」


 は、恥ずかしいぃ! ひゃあぁぁあ!?

 見られた? 一人で実況解説して飲んでいるところ見られちゃった!?


「……いつからそこにいました?」

「アンタがビールを飲み始めた時から」


 曰く、最初から見ていたらしい。あ、これ顔真っ赤になるやつだ。

 ほろ酔い気分は消え失せ、馬鹿なことをするんじゃなかったと後悔する。しかし時既に遅し。


「随分と楽しそうね」


 完全にやらかした。一人で謎に騒いでいるイタイ奴と思われたに違いない。あ、あぅうぅ……。


 しかもこの人……美人さんだ。

 光彩が煌めくベージュとピンクアッシュの明るい髪は毛先がふわりとウェーブし波打って、それでいて一本一本が細くサラサラのまるで上質な絹のよう。

 整った顔はパッと見た瞬間に息飲んでしまう程の美しさ。小さな口と鼻、鋭くも大きな瞳。

 酔いがさらに醒めてきたのは、この人の容姿端麗さにあてられたのかもしれない。ただただ綺麗で、思わず見惚れてしまった。


 同時に、僕は自身の大学生活が終わったことを察した。

 容姿を見ただけで分かる。この人はリア充だ。陽キャだ。そう、陰キャな僕とは住む世界が違う人なんだ。

 最悪だよ。一番見られたくないタイプの人間に目撃された。明日から僕はウェイウェイ種族の陽キャグループから指を差されて「見ろよ、あいつが実況・酒飲みボッチだぜギャハハ」と嘲笑されるのだろう……。


「や、その、えっとあの……うるさくてすいましぇん」


 陰キャで根暗で気弱な僕。しどろもどろに口を動かすも、まともに喋れていない。軽く噛んだ。ひいぃ、恥の上塗り。

 対して美人さんは黙ったまま見つめてくる。大きな瞳が僕をまっすぐ捉えて離さない。

 ど、どうしよう。逃げたいエスケープしたいとんずらしたい。噛んだけど一応は謝罪をしたし、去ってもいいよね? うん、そうだそうしよう。レッツ逃走。


「待ちなさい」


 意を決した直後に呼び止められた。ひいぃ!?


「……」

「こっち向きなさいよ」

「な、なんでしょうか」

「ビクビクしないで」


 や、ビクビクしますって。ビクビクどころかビクンビクンですよ。痙攣だよ。

 美麗な女子大学生と向かい合った状態で平常心は保てない。無理無理、果てしなく無理。


「ごめんなしゃい……」

「名前は?」

「へ?」

「アンタの名前! 答えなさい」

「み、水瀬流世。経済の二年生です」

「同級生なのね。私も二年よ」


 おっ、そうなんだ。じゃあタメ語でいいね。ウェイ☆

 とか言えない! もれなく敬語継続だ。ひたすら敬語でひたすら吃るよ。だって僕はボッチ大学生。


「ふーん」

「あ、あの、帰ってもよろしいでしょうか」

「駄目」

「えぇ……」


 美人さんは尚もこちらを見る。ボッチで可哀想な奴、といった風に馬鹿にされると思いきや、何も言ってこない。でも、じゃあどうして僕は声をかけられたのだろう?

 暫しの間、沈黙が続く。僕に目を合わせ続ける胆力はなく、右を見たり左を見たりとキョロキョロして視線を逃がす。


「……アンタ、一人なのに楽しそうに飲んでいたわね」


 そうしていると、いつの間にか美人さんが移動して僕の眼前に立ってい、ぎゃあ!?


「あわわわ!?」

「アンタなら知っていそうね」

「あばばば!?」

「うるさい。動揺しすぎよ」


 焦るって! こんなに綺麗な人がこんなに近い! 意識を失う何秒か前!

 その何秒後が訪れるより先に、目の前の美人は僕の手から開けたばかりの缶ビールをひったくった。

 そして顔を上げて、一気に飲み出した。え……ええぇ!?


「ぼ、僕のビールが」

「ぷはっ……何よ、不味いじゃない」

「えぇ……?」


 人のビールを奪った挙句に不味い発言。な、なんて人だ。僕のビールが……あうぅ、二杯目が……。

 だけどこれで話すことはなくなったはず。僕は用済みだ。よし、今度こそ去ろう帰ろう。レッツゴーホーム。


「待ちなさい」


 何この人全然帰らせてくれないんだけど!?

 なぜだ。なぜ僕がこんな目に……。一人で飲むのが好きなだけの平凡な陰キャ。今日も一人、誰とも喋らず平穏に過ごすはずだった。


「私の名前は金束小鈴(こづかこすず)よ。水瀬流世、アンタに協力してもらうわ」


 呆ける僕を、美女子大生は見続ける。いや、睨んできた。

 鋭くて大きな瞳は威圧的で、けれど凛として美しく。怒気を含む口調は怖いけど、女の子らしい高い声で。

 そんな美少女が僕に話しかけてくるなんて思いもしなかった。そして、思いもよらない言葉を僕に言い放った。




「私に、ビールが美味しいシチュエーションを教えなさい!」

「……へ?」


 これが彼女、金束小鈴と僕、水瀬流世の出会い。

 素敵でドラマティックなものとはかけ離れた、まるでビールのように苦い出会いだったんだ。

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