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ココに来たのは、一体いつのことだったか。
そんなことを思いながら細い木の道を歩いていた女は、ふと道の両脇に咲き誇っている黄色い花に目を留めた。そう、男と来た時はまだこの花は咲いていなかった気がする。満開時期に合わせてやって来たつもりだったが、狙いが外れたのか、男が参考にしたという本が悪かったのか、数輪の花しか咲いておらず、他は全て蕾であった。
その時の男の様子を思い出して、女は思わず苦笑する。
絶対満開だから楽しみにしててと言いながら車を運転していた男が、ほとんど咲いていないこの様子を見て、おたおたとしながらごめん、ほんとにごめんと繰り返して言って来た。気にしてないよ、と男に返事をして、尾瀬の間に埋まる二本並んだ木製の長く細い橋を、二人並んでゆっくりと歩いて行ったのだ。
最初の方は女が怒っているのではないかと気にしているかのようにちらちらと見上げてきていた男だったが、道の途中、尾瀬に溜まった水に背の低い山が反射しているのを見てすごい、と女が声を上げたのを見て、ようやく安心したらしい。もう少し行くと、別の花が咲いてるはずだからと子供のような笑顔を浮かべて女の手を引っ張ったのだ。今にして思えば、男のそういう無邪気な所に妙に安心して、寄りかかっていたような気もする。
男にとって、それは苦痛ではなかったのだろうか。
苦痛では、無かったのだろう。勝手ながらも、そう思う。事実、親からもあまり頼られることのなかった男は、出会って最初のうちは女に寄りかかられるのに落ち着かない様子を見せたが、その内それに慣れていったのだろうか、落ち着いてとはいかないが、優しく、女の弱さを抱きとめてくれていた様な気がする。そんな、気がしていた。
でもそれは、勝手な思い込みだったのだろう。
結局男は、最後の最後まで女に寄りかかっていた。別れるあの瞬間も、そうだ。男よりも自分の方が辛かったのだ。辛かったはずだ。あの言葉を言わせておいて男の方が辛いなんて、そんなはずは無い。そんなこと、あってはならないのだ。
そこまで考えて、女は無理矢理に思考を止めた。確かにあの男は、子供が生まれた時の苦しみも、居なくなった時の胸が引き裂かれるような痛みも、知らない。
だからと言って、男が苦しまなかったわけでもない。それは知っている。知っているからこそ、恨めしいのだ。それなのに、男に対する愛情を捨て切れていない。そんな自分が、どうしようもなく嫌いだった。
そしてふと、自分が死のうとしているのはその為なのかもしれないと思った。それと同時に、そうじゃないとも思う。ただ男を巻き込んで苦しめたいだけなのかもしれないし、違うのかもしれない。
自分は、どうしようもないぐらい、馬鹿だ。どうしようもなく馬鹿な上に、愚かだ。こんな訳の分からない思考を持って、こんな事をしようとしている。赤の他人を巻き込んで、相手が苦しむだろう事を知っていて、こんな事をしている。
だから自分は最低だと、そう思う。
私は、最低だ。