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そもそもあの女は、友人の女が連れて来た人で、自分とは何の接点も持つはずではなかった人なのだ。
静かな湖面を眺めながら、男はそんなことを思い、苦笑した。ならば今、女を捜す必要はないのだと、そう言いたいのか。いや、そんなことを考えるのは、もしかすると疲れているせいではないだろうか。
昨日は街中にある川を辿ってみたり、近くの建物などに寄ってみたりはしたものの、思った通り、女を見つけることは出来なかった。分かっていたことではあるけれど、女を見つけるヒントすらも手に入れられないと、女からの電話が無かったかのような、そんな気分に襲われる。
だからといって女を捜すのを止めるわけにもいかず、男は車に乗って、女と昔やって来た湖まで遠出して来たのだ。ここに来るまでほぼ丸一日掛かったのだから、疲れるのも当然だろうと思う。だから少しぐらい休んでも良いのではないかと自分を甘やかして車を止めたものの、どうにも落ち着かない。
全く動かない水面に小さな石を投げ込んで、男はその波紋を黙って眺めた。
気持ちが、風に揺られる木々のさざめきのように自分の中で動いている。この落ち着きの無さはまるで、女が何を考えているのかよく分からない目を、じっとこちらに向けてきた時のようだ。
女はいつも、男の目を通してその気持ちを見透かすかのように見詰めて来た。そしてその後に、優しく、まるで小さな弟に対するかのように笑いかけ、ざわめいていた男の心を静めてくれた。そしてそれは、毎日のように繰り返される儀式のような物だった。毎日する挨拶と何一つ変わらない。毎日食べる食事とも何一つ変わらない。そういう、モノだったのだ。だから逆に、女が居なくなって、その、全てを見透かすような瞳が自分の傍から離れてしまい、暖かな微笑みが闇の中に溶け込むように消えてしまって、男はどうしようもなく嘆き悲しんだのだった。
今はもう思い出すことも無くなったその感覚に、男は思わずため息をついた。また、新しい彼女の影に隠れていた女の存在が、未だ自分に大きな影響を及ぼしていることに対して感嘆もしていた。
そう、それだけ、あの女の存在は大きかったのだ。そのことは自分でも良く分かっていたはずだ。
分かっていたから、無視した。
女が自分を思って離れていったのに、その空白の為に自分が潰れてしまったら、立つ瀬が無いと思ったのだ。だから無視して、新しい彼女を溺愛した。まるで酒に酔い現実から逃れるかのように、男は彼女に酔い、現実から逃れたのだ。女を探すという新たな現実を突き付けられた今、その事実をまざまざと、見せ付けられているような気がした。
それがまた、苦しかった。
いい加減暗くなり始めた空を見上げて、青さよりも闇を反射するようになってきた湖を覗き、男は行くか、と小さな声で呟いた。とりあえず車に乗って、記憶を探り、次に行く場所を決めよう。あまりのんびりとしていたら、女を見つけることは出来なくなる。
いや、正確に言おう。
女を見つける望みすら無くなる、と。
だからこそ、か。元々細い光の筋のような物だけど、直ぐに消えてしまいそうな望みだけれど、それでも自分の為に、そしてあの女の為だと思って、この光を捉えようと、そう思うのだ。
だから男は、再び車に乗りこんだ。そして次に行く場所を考えながら、女がこれから辿るであろう道筋を考えながら、男はエンジンを掛けた。