この巨乳お姉さんは何でも知っている。
「……なんだかなぁ……」
翔はもう一度ため息をついた。
人生をひっくり返すレベルの努力をして、友人からは白い目で見られながらも突っ走り、必死に追いかけてきた先で聞いた言葉が〝どちらさまでしょうか?〟だってさ。あまりの報われなさに号泣しても良さそうだが、もう、泣く事も越えて放心していた。
そりゃ、正直言って、結花とゴールできるとか本気で信じているわけではなかった。
三年もたてば他人になってしまっているのはわかっているし、彼女の趣味趣向だって様変わりしているだろう。翔がラブコールを送っても、選ばれる確率は低い。
それでも翔は結花に近付きたかった。
昔のクラスメイトでも、古い友人でも構わない。物理的な距離と精神的な距離を少しでも縮めたかった。
後の事なんて、あまり考えないようにしてここまでやって来たのだ。
それが取りつく島も無しって。
並の学力からトップクラスまで急上昇したんだぜ?
難攻不落のフジサキシオリもイチコロだっつーの。
……なんかもう、体のど真ん中にぽっかり穴が空いてしまった気分だった。
「あーあ。僕、今までなにやってたんだろうね」
「かわいそうに。青春ズタズタね」
「同情なんかいらないやい。余計虚しくなる」
「せっかく地元から追いかけて来たのに。
でも恋愛なんて案外そんなものかもね。
新しい恋をオススメするわ」
「だからっ!
そういうのいらないつってうおおォ!?」
仰天した翔はひっくり返った。人がいるとは思わなかったのだ。
パイプ椅子と共に床に叩きつけられ、そく頭部を軽く打ちつけてしまった。
ちかちかする視界を奮い、起き上る。
「騒々しいのね」
対面の席に座った女子生徒が言った。うるさいと文句を言う割には、当の本人はこちらには目もくれず涼しい顔でノートパソコンをカタカタやってる。
えらい美人だった。
白い肌に、やや釣り目の整った顔で、澄ました表情をしている。
何よりも服の上からもわかるバストサイズが際立った。
結花の可愛らしさとはまたちょっと違う意味の魅力にあふれた女性だ。
いうなれば結花の場合、観察すればするほど可愛らしさを見出せる、タンポポやスミレのような野花の可憐さだ。
転じて彼女は、花瓶で凛とした存在感を示すユリのような美しさだ。
「何?」
ちょっと見惚れていると、美人が言った。
襟のリボンの色は青。二年生だ。
余談だが翔達の学校は男子はネクタイ、女子ならリボンで学年の見分けがつく。
一年生は緑で、青は二年生、三年生なら赤といった具合だ。
「い……いつからそこに?」
「少し前よ。全然気付かなかったのね」
どうやら鬱祭り真っ最中で気が付かなかったようだ。
「あ、はい……すみません」
先輩なので敬って頭を下げると、
「いいのよ。
私も挨拶しないで入ってきたんだから」
と、彼女は微笑んだ。
ただし、パソコンからは目を離さない。
「情報科二年の杉田さおりよ。
よろしく、仁藤翔君」
「普通科一年の仁藤翔です。よろし……」
……ん?
なんか、この自己紹介変じゃないか?
「あの、なんで名前を?」
小学生じゃあるまいし、名札なんぞ付けてないぞ。
すると杉田はカタカタ音を鳴らし、
「仁藤翔、出身中学校は住之川中学校。
これといった趣味は無くて、流行りに合わせる程度。
二年生まで中の下といった成績だったのが、三年が始まるころには上の下、夏休みにはトップに手が届くに至る。先生も諸手を挙げて喜んだでしょうね。その真意はここ青海学園に行ってしまった幼馴染、森川結花を追いかける事。愛に走るおバカさんねー。
でも私は嫌いじゃないわ」
「え? ……え?」
「身長は160体重は47。ちょっと小柄ね。
将来の夢と好きな異性のタイプは――あはっ、これは言うまでも無いかしら?」
何をこの人、初対面で人のプライベートベラベラしゃべってんの?
戸惑う翔に構わず杉田は続ける。
「あらあら、勉強中に聞いてた深夜ラジオで七回もハガキ読まれてるじゃない。
ユーモアのセンスあるのねー。でも自虐ネタばかりでちょっとイタいかも。
小学校の時結花ちゃんにしたイタズラはもう気にしなくていいわよ?
どうせ、忘れてるから。
嫌いなものはキュウリか……給食で泣きべそかいてたみたいね。
あら、幼稚園の時は結花ちゃんに……、」
「ちょ、ちょっとちょっとちょっとォ!!」
翔は机に乗り上がり、ノートパソコンをひったくった。
「なんじゃこりゃあああああああ!」
翔は絶叫した。パソコン画面にはずらずらと翔のプライベートが書き記されていた
プロフィール的なものから、戸籍、学歴資料に、カルテ、そしておよそ本人しか知らないようなこと細かなことまで全部だ。
「なにこれなにこれなになにこれこれ!?
どうなってるの!! なんでこんなの書いてあるの!?
ちょっと、杉田先輩……、」
「んー、お姉さん思うんだけどぉー、」
翔が問い詰めようとしたが、杉田はとぼけた声で無視し、
「――落ちてるエロ本を公衆トイレで読むのは、ちょっと感心しないかな?」
「ぎええええええええええええええええ!!」
初対面の! 女性に! アレを知られたッ!!
恥辱で心臓が止まりそうになった翔は、たまらず机の上をごろごろと転がった。
「あらら。思ったよりダメージ大きかったわね。
私ならこっちより小四の夏の結花の赤白帽をアレしちゃったほうが……」
「やめてええええええええええええええ!!」
翔は泣きながら懇願した。
このプライベートハザード攻撃をこれ以上受け続ければ本当に死ぬ。
「うぅ……僕に……何か恨みでもあるんですか……?」
今すぐ死にたい気分を必死に抑えて、翔は尋ねた。
このままこの訳の判らない理不尽で死にたくは無い。
「いいえ。無いわ」
杉田はけろっとして答えた。
「じゃあ、どうして……、どうしてこんな酷い仕打ちを……?」
彼女はにこりと笑い、
「だって、これであなたは私に逆らえなくなったでしょ?」
わぁー、素敵な微笑みで凄い事言われちゃったよ。
理不尽もここまで来ると気持ちいい。翔は天にも昇る心地になった。
「情報は力よ、仁藤君。お勉強になったわね」
「出会って五分で弱みを握られるなんて思ってもみなかったですよ。
いやあ、大変勉強になりました。ちょっと首括っていいですか?」
「あら、ダメよ。せっかく手に入れた駒が無駄になるわ」
笑顔で却下された。
「ところで仁藤君、いつまで机の上に居るの?
行儀が悪いし、頭が高いじゃない」
杉田女史の御前である。翔は平に平に、床に這いつくばった。
いっそこんなことなら封建時代に生まれてくれば良かった。
「椅子に座っていいわよ」
許可をいただき元の位置に戻る。
「そっちじゃないわ。こっち」
杉田が自分の隣の席を示す。
「何でですか?」
「理由を聞く許可は出してない」
年功序列を超越した上下関係に、翔はしぶしぶ従う。
座りなおしたパイプ椅子は、また一段と冷たく感じた。
杉田は再び涼しい顔でカタカタやっている。
今度は何を暴く気なんだと覗き見たが、なにやらプログラミングの最中だった。
関係無いのかもしれない。いや、もしかしたらこうやってハッキングでもして回っているのだろうか?
――しかし、どうでもいいけど乳デカイな。
こうして近くで見ると、やっぱり美人だ。学年は一つだけ上だが、切れ長のまつ毛に細い目、目の前のモニターに集中してキュッと縛った唇など整った顔立ちは年齢以上に大人びた印象を纏っていた。
その分、高嶺の花というか、どこか話しかけづらい雰囲気もある。翔みたいな凡人には、レベルが高くて相手してもらえないような気にさせられるからだ。
こういうドタバタした出会いでなければ、「すごい美人が居るなぁ」と振り返るだけで、会話する勇気もないまま、ましてや人間関係なんて築けなかったかもしれない。
こうして隣に座れるのはちょっとラッキーだったかも。
――ま、結花の可愛さには劣るけどさ。
いやでもしかし……乳デカイな。
制服越しにもかかわらず、その連峰の立体感は己の強大さをありのまま誇示している。トップからアンダーまでの高低差は、布地ごときでは隠せない険しさがあった。
さらにその山は活火山らしく、指先でキーボードを叩く振動が二の腕から伝わり、微弱な地震を繰り返していた。きっと麓では上質な温泉が湧いているのであろう。ぜひ飛び込んでみたいものである。ガイドブックによると山と山の間が名所との事だが、山頂攻略も捨てがたい。
うわすげぇ。よく見るとカッターシャツのボタンの付け根が歪んでやがる。
ボタン穴の隅っこで強いテンションがかかっているからだ。
〝はち切れんばかり〟って言葉はこのために誕生したに違いない。
これ、この人がストレッチでもしたら弾け飛ぶんじゃないのか?
――……何故だろう。ごくりと喉が鳴った。
重圧に耐え続けてよく頑張ったねボタンさん。
無性にそんな優しい言葉をかけてあげたくなってしまった。
辛かったね、大変だったね。
だから、ね、ほら。なんなら今すぐ楽になってもいいのよ?
「――で、これからどうするの?」
「えっ、胸は大きい方だと思いますよ!」
「はぁ?」
やべぇ、しまった! いきなり声を掛けられたから変な事口走っちまった!
「正直見られるのには慣れてるけど、今のは最低だわ」
杉田は呆れた目でこちらを見ながら、カタカタとブラインドタッチする。
翔のプロフィールに『初対面の女性の胸をジロジロ観察』が加わっていた。
「……それ、消してもらえます?」
ダメもとで聞いてみたが、「今後の態度次第ね」っとあしらわれた。
諦めて会話を進めよう。
「どうするって何をですか?」
「結花の事よ。おとなしく諦めちゃう?」
「そんな事聞いてどうするんですか」
「質問を質問で返さないの。あなたがどうしたいのかを素直に答えればいいのよ」
「……」
即答できず、翔は少し悩んだ。
覚えていないと言われて、たったそれだけで結花の事を忘れられるだろうか。
結花への気持ちは消し飛んでしまったのだろうか。
――いいや、違う。
第一……まだ、僕は。
「結花ちゃんに正式にフられたなら、諦めます。
でも僕はまだ、僕の気持ちを伝えていない」
そうだ、すっかり忘れていた。
僕がどんな犠牲を払ってここまできたとか、結花が僕を覚えていないとか、そんなことどうだっていいじゃないか。
〝君の事が好きなんだ〟
――その一言が言えないまま、リタイヤすることはできない。
「なら、もう少し頑張っちゃう……ってこと?」
杉田の最終確認に、翔は頷いた。
「そう。よかった」
そういうと杉田は微笑んだ。
「何がですか?」
「もう少し楽しめそうだから」
微笑むっつーかニヤニヤしてるぞこの人。
翔の背筋に悪寒が走る。
「そんなに嫌そうな顔しないでよ。
あなたの助けになるかもしれないのよ?
私なら結花の情報を全てと言っていいほど引き出せるわ。
さっきあなたにやって見せたようにね」
「あ、そうかっ!」
どういう理屈かさっぱりわからないが、杉田の情報網であれば他人のありとあらゆるプライバシーを暴露することが出来るのは、つい今しがた身を持って証明済みだ。
彼女の助けを借りることができるなら、あるいは結花に想いを告げることが叶うかもしれない! これは強力な味方だぞ!
「杉田先輩! 手を貸してくれるんですか!?」
「ええ、いいわよ」
杉田はニコリと笑い、快く答えると、
「ただし条件があるの」
ほら来たよ! こういう人だよ! ……今日初めて会った人だけど。
しかしここで退いて彼女の協力を失うわけにはいかない。
どのみちここに至るまで大変な犠牲を払ってきたんだ。
今更何を要求されても怖いものなんかあるか!
「わかりました。条件、呑みます」
「あら、まだ何を要求するかもわからないのに?」
「今更失うものもないですから」
「私に全賭けなのね。賢い選択だわ。
じゃあ……」
と、杉田は言葉を区切り、
「私にキスをして」