翔と祐樹の入学
――ガタン。
座席が大きく揺れて、翔はハッとなった。
気がつけば11年ほど経ったの深夜バスの中だった。
時速数十キロで流れていく景色を霞む瞳で眺め、遅れて〝今〟を認識し――……、
ああ、なんだ。夢か。よだれを拭って呟いた。
――やっぱりもうすぐ会えるってどうしても意識しちゃうんだな。
かつてのいじめられっ子は、まあ一般的に健全と言える範疇ですくすくと成長し、めでたくも本日より高校生となる。この深夜バスが向かう先にその新天地、
『お待たせしました。
終点〝青海学園・西ゲート〟です』
録音された女性アナウンスが到着を通達する。
青海学園、今日から翔の生活の基盤になる大型学園都市だ。
車内の照明が点灯し、着席していた乗客たちが黙々と立ち上がる。明け方までバスに揺られていたせいか、みんなどこかグロッキーな印象だった。はて、乗るときは人がまばらだった気がするが、寝ている間に結構な人数になっているな。少し驚きながら、翔は頭上の荷物を取ろうと立ち上がる。
「む」
翔のバックが端に寄せられ、代りに大きなスポーツバックが場所を占拠していた。
まいった、翔は人より少し身長が低い。手を伸ばすが、取っ手に指をかけられる程度の距離だ。このまま強引に引っ張り出すと他人の荷物ごと引きずり落とす事になる。
「……ほらよ」
そこで見知らぬ少年が助けてくれた。おそらく同い年だろう。平均身長の少年は、器用に翔の鞄を引っ張り出して渡してくれた。
「あ、どうも」
「ん」
特に見返りも求めず、彼は出口に向かう。
翔もその背中につく格好でバスを降りた。
4月上旬の午後6時はまだ少し暗く、軽く霧が立ち込めていた。
凍えるほどではないが、風が吹けば少し寒い。
目の前には見上げるほど高い、十メートルほどのコンクリートの壁が立ちはだかる。
ダムの目の前に立っている気分だ。振り返ればバスのロータリーと、木。森。木。森。あとはアスファルトの道が二車線、下り坂になってきた道へ伸びているだけ。
その向こうは伺えない。
学園都市と言っても他の都市部よりかなり離れた山の中にあるため、周囲は緑林で満たされている。なんというか、どこか得体のしれない場所に放りだされた気になってしまってちょっとだけ不安になった。
コンクリート壁の足元、といっても翔の目線の高さには、ガラス張りの白い建屋が埋め込まれていた。空港や、ちょっと新しい駅舎といった印象の建造物で、この学園に入場するためのゲートだ。そこの出口からずらりと長蛇の列ができていた。
翔のバスよりも先に来た連中がまだ入場しきれてないらしい。
この学園に入場するためには、身分証を兼ねた専用のスマートフォン〝E:IDフォン〟が必要になる。駅にパスをかざす感覚で改札に翳すだけだ、と説明会で聞いていたが、ここにいる人間のほとんどが新入生だ。不慣れだったり、紛失したり、要領悪い奴がゲートの手前で探し始めたり、まあそんな感じの理由で渋滞しているのだろう。
げんなりしていると、正面の少年、先ほど鞄を取ってくれた彼が振り返り、
「どっから来たの?」
どうやら翔は暇つぶしの相手に抜擢されたようだ。
「住之川だけど」と、翔は地元の名前を明かす。
そっちは? と尋ねると、彼は、
「俺は名古屋。
……なんか監獄みたいだよな、ここ。
ホントは地元の高校が良かったんだけどさ」
彼は愚痴交じりにそんな身の上話をした。
「知り合いがコネでこっちに来ちまって、強引に誘われたんだわ。
まあ俺の進学も優遇してくれたって言うし、文句言えないけど」
話を聞いた翔はなんとなく、思い当たる節を感じ、
「当ててみようか」
「何を」
「その知り合い、女の子だろ」
「いっ!?」
図星らしい。良いリアクションだ。
続けて畳みかける。
「たぶん、幼馴染みだからほっとけなかったんだね。
なんとなく一緒に居ないと不安になる。そういう子だろ」
「なに、お前エスパーかよ!」
「ははは、違う違う」
可笑しくって翔は吹き出すと、
「僕も似たようなもんだから。なんか、他人の気がしなくてさ」
知り合いにちょっと誘われたくらいで遠方の寮生活を始めたりはしないだろう。
つまり彼とその子はそれなりの間柄ってことだ。
彼の態度からして、少し手がかかる子のように感じた。
彼はなんだかんだ面倒見良さそうだし。
あとはまあ……同じような相手を持つ者同士の〝におい〟みたいなものか。
こればっかりは感覚的なものでうまく言葉で表現できない。
推理とまではいかないが、勘が働いてそうツッコんでみたら見事的中した。
「へぇ。じゃ、お前もあれか。〝幼馴染み〟と一緒に?」
彼が聞いてくる。
「いや僕は追っかけてきたほう。あの子、三年前にこっちに来てさ。
中学受験はさすがに無理だったけど、高校こそはって思って」
そういうと彼はニヤッと笑い、
「当ててやろうか」
「なんだよ」
「惚れてるな?」
翔は視線を逸らして返事をしなかった。
ちょっと話をしていると、存外に時間は早く過ぎる。
二人でゲートを潜った。本当に駅の改札みたいにすんなり通過できた。
抜けた先には別のロータリーが構え、ビル、幹線道路、中規模の建屋など一般的な街が広がっている。翔達が見る学園の最初の景色だ。
何を手間取っていたのか、改札増やせよ、遅刻したらどーすんだ。
二人でそんな事を口々にぶー垂れていると、
「ゆーくーんッ!!」
ぱたぱたぱたと走るつっかけの音。
長い三つ編みおさげを二本靡かせた少女がやって来た。
うわーお、ピンク地に白い水玉のパジャマ姿だ。
ボタンも掛け違えていて、走るたびにおへそがちらちら見える。
「あ の ば か」
ゆーくんは唸る犬のように歯を剥き、ダッシュ。
「パジャマで出て来るな!」と彼女を一喝した。
「ごご、ごめんなさい! 寝坊しちゃって、その、着替える時間が……」
「迎えはいいって言っただろ!」
どうやら彼女が〝幼馴染み〟らしいな。
なんというか、会話が苦手で印象の薄い、ちょっと空気が読めないタイプの子だ。
着替える時間は無かったというが、おさげを結う時間はちゃんと設けていたらしいところが、なるほどとんちんかんというか手がかかりそうだ。
そう思っていると、
「三つ編みより先に着替えろよ!」
ゆーくんが同じことをツッコんだ。
「うぅ、だって」
彼女は俯き、ごにょごにょと何かを呟いた後、酷く言い辛そうに、
「ぐしゃぐしゃの髪で早朝の街を歩く男女とか、その。
なんか〝事後〟っぽくていろいろ不味いんじゃないかと……」
「何の〝事後〟だ何の心配だ何でそうなるんだッ!!
つかだったらなおさらちゃんと着替えて来いよッ!!」
おとぼけ幼馴染みも去ることながらゆーくんも相当ツッコミ慣れしてる。
このやりとりが日常茶飯事って事だろう。苦労がうかがい知れる。
なんとなく傍に向かうと、ゆーくんは女の子に回れ右を指示、「それ掛けなおせ!」と、とりあえず恰好を整えさせた。これ以上はお邪魔っぽいな。
「じゃ、僕は行くよ」
翔はそう宣言する。
「おう。なんか悪かったな、変なとこ見せて……。
あ、そうだ。自己紹介」
そう言えばお互い名前も知らなかった。
「北高校の下山祐樹」
「中央高校の仁藤翔。
えっと。こっちで最初にできた友達って事になるのかな」
「かもな」
祐樹はそう言って笑った。
すると何故か〝幼馴染み〟が歩み寄り、ぺこりと会釈をした。
「北高校の桜井亜利奈です」
お。
亜利奈って子、地味なだけかと思えば、正面からみると結構良いセンいってる。
小顔でくるりとした瞳に、朱色の頬。甘えたがりな小動物みたいで可愛らしい。
祐樹、お前意外と役得だな。
「えと。あの。ユウ君がお世話になりました。
後は亜利奈の仕事なので、もう大丈夫です」
……うーん、やっぱなんか違う。ずれてるなぁ亜利奈ちゃん。
「なんでお前が保護者ヅラしてんだよ……」
赤っ恥をかかされた祐樹が「じゃあな」と手を上げ、亜利奈を連れて去っていく。
言ってた以上に大変そうだ。
翔はどこか同情して二人の背中を見送っている、
と、――ちょっとして亜利奈が立ち止まった。
そしてくるりとこちらを向くと、
「…………」
――パジャマ姿の少女は目線で翔を捕え、それっきり動かなくなった。
「えっと」
「…………」
「な、何か用?」
「…………」
こちらの戸惑いなどお構いなく、無言、無表情でこちらをじっと見ている。
沈黙したその姿は、さっきまで祐樹と喋っていた彼女とはまるで別人のような、何とも言えない〝無〟の圧力があった。その温度を全く感じさせない冷たい目線は突き付けられた刃物のようで、背筋が凍った。
甘えたがり? 可愛らしい? いやいや能面みたいな血の通っていない何かに見えるよマネキンとにらめっこしてるみたいだよてかなにこれ怖いって!
「――ぼ、僕、何か気に障る事致しましたか?」
問いかけてもぴくりともしない。
ただただじっと、まっすぐ、動かずにこちらを見ている。
翔はカマキリが狩りをする瞬間を思い出していた。
静かに待って、獲物が傍に来た途端に、今までの静寂が嘘だったかのような速度で、ザクッと捉える。気が付けば大きな鎌の中に悶える獲物が居るのだ。
――今の置かれている状況はそれに近いような気がしてきた……。
迂闊に一歩出ればやられる。
何故かそんな確信がする。生存本能とかそういうのが働いているのかもしれない。
目が乾いてきた。でもまばたきが出来ない。目を逸らす事すら恐ろしい。
突然始まった命のやり取りは、
「おい、亜利奈! 置いてくぞ!」
祐樹が呼びかけた途端、彼女がぱっと向きを変えて終焉を迎えた。
その切り替えたるや、翔など居なかったかのようになんの余韻も無かった。
やっとまばたきが許される。翔はつまった息をどっと吐いた。
なに、なんだったの!?
今僕、殺されかけませんでした!?
威圧感だけで圧死しそうだった。
そしてさらに異様な光景が広がる。祐樹と合流した亜利奈の態度だ。
人間的な温度を取り戻し、あれこれ喋って祐樹に叱られている。
そのギャップがまた怖い。あの子、こっちは人間扱いしていないって事か。
一方祐樹はというと、亜利奈がこちらに気迫を向けている間ただの一言も発しなかったため、さっきの冷血殺人オーラに気付いていない。
〝後は亜利奈の仕事なので、もう大丈夫です〟
……なんだろ。最後の一言が意味深に感じてきた。
祐樹にもう近づくなっていう警告のような気がする。
そう言えば祐樹は、この学園に亜利奈のコネで入って来たって言ってたな。
「う、うーん」
翔は嫌な考えが過り、うっすらと冷や汗をかいた。
あの二人、実は引っ張られているのは祐樹の方なのかも……。
あえて目が離せない可愛いドジッ子を演じて、祐樹の目を逸らさせないようにして、見えない糸で操り上手に管理し、着々と自分好みの男に仕上げている――……、
とか?
「い、いやいや。まさかね」
いくらなんでもそれはないだろう。亜利奈だって女子高生だし、そこまでの行動力と権力があるとは思えない。はははと笑って一蹴した。
が、――何か拭えないものがある。
ぶるっと鳥肌が全身を支配した。
だったら怖いよな。ヤンデレって奴かよ。
……うん。
朝から他人で変な妄想しちまったな。さっきの視線だって亜利奈が不思議ちゃんってだけで殺意があった確証なんてないし、ただの思い過ごしに違いない。
翔は自分を強引に納得させ、目的地に向かって進み始めた。
――だけど、なんだかんだで羨ましいな。
二人にどんな感情が交差しているかはともかく、翔にとっては3年前に途切れてしまった関係がそこにはあった。自分も早く取り戻さないとな。
陽が昇り始め、街が白んでいく。
高層ビルの隙間から登る陽の光が、翔の身体へさんさんと降り注いだ
それが何かの始まりを予感させて、胸が躍った。
「よーし。まってろよ、僕の天使ぃ!」
この学園のどこかにいるあの子に、翔はそう投げかけた。
†
「……?」
少女は不思議な錯覚を感じ、振り返った。
今、誰かに呼ばれた気がしたのだ。
まんまるの眼鏡と長い一本の三つ編みを揺らし、首を傾げる。
――……そんなはずはないか。
制服の上から着た白衣の襟を直し、辺りを見回す。
人が数人入ればもう居場所のなくなるような狭い部屋に、数多くの大きなキャビネット。中には最新の電子機器がひしめき、ひっきりなしに人工知能を補助する演算を続けている。蛍光灯などの明確な照明は無く、絞ったLEDの寂光が手元を照らすのみだ。彼女の身長をゆうに超える巨大な3つのタンクに収まっている、細胞の原材料となるハイドロゲルがガロン単位で詰まっていた。それらに悪影響を与えないためだ。
部屋の中央には人間を収められるサイズのカプセルが二つ、診療台のように並んで置かれていた。
ここは限られた人間しか知らない研究所だ。
連絡もなく誰かが来ることはあり得ない。
長いおさげを撫で、気のせいだと判断し、大きな眼鏡の位置を直す。
彼女はカプセルを見た。
一つには古びた分厚い書物。下手に触れると破れてしまいそうなほど劣化した遺物だ。それを非破壊検査に用いられるXレイ装置が内容を一枚一枚、丁寧に内容を解読していた。もう一つのカプセルに入っているのは、一見すると人間の骨の標本のようだ。骨は特殊なファインセラミックスでできていて、鉛のように鈍く輝く。
肋骨の隙間から見える、心臓に当たる部分には青い輝石がはめ込まれ、脈をうつかのように明暗を繰り返している。
伝説の中にしか存在しなかった、〝賢者の石〟だ。
銅板製のラベルには、
〝A In Z With Ultimate-1《全てを持つ究極の個体》〟
と刻印されている。
今呼んだのはあなたですか?
もしそうなら、帰ってきてくれるってことですか?
――ううん。私が必ずあなたの帰る場所を用意して見せます。
日に日に希薄になっていく彼への記憶を手繰り寄せ、少女は笑んだ。
「先輩、もうすぐ会えますね」
†
――あいつ、死相が出てたな。
一方、幼馴染みに数多くの秘密を持つ少女、亜利奈は、祐樹を彼の新居に案内しながら、その道中でぽつりとつぶやいた。隣に歩く祐樹が、
「あ? なんか言った?」
「え、亜利奈は喋ってないよ?」
咄嗟にそう誤魔化すと、祐樹は空耳と納得したようで首を傾げるにとどまった。
「そ、それよりユウ君、お荷物持つよ」
「いいよ。お前どうせ重いって言ってすぐ根を上げるだろ」
「うぅ、……そうかも」
そんな会話をしながら、頭の片隅では、さっきの少年が妙に気になる。
亜利奈は多くの人の死を目撃し、その中でいくつかは自分が携わっている。
だからなんとなくその日に死ぬ人間の独特な相には勘が働くようになった。
断言できる。
〝仁藤翔の命日は今日だ〟
それが事故なのか、事件なのか、自殺なのか、持病なのか。
そこまではわからない。が、あの男は死ぬ。
学園に入学早々死んでしまうとは、中々哀れな奴だな。
――教えてやっても良かったんだけど……。
ちらりと亜利奈は祐樹の顔を覗き見た。
この世のありとあらゆるものより愛おしい彼は、その隣に歩く少女の手が血にまみれていることを知らず、ただ世話の焼ける幼馴染みとして、不満を言いながらもこうして傍で見守ってくれている。
「ねえ、ユウ君」
「あ?」
「世の中、知らない方が良い事もあるよね」
亜利奈の発言に、祐樹は訝しむ表情を見せたが、
「ま。そうだな」
と適当にあしらうように返事をした。
うんうん。祐樹の為に亜利奈が立てた計画の邪魔にさえならないのであれば、あの男の死などどうでもいいことじゃないか。せいぜい、最初で最後の学園での一日を楽しんでくれたまえ。
「ユウ君、素敵な学園生活にしようねっ♪」
「あんまり張り切りすぎてトチるなよ」
そういいながらも、祐樹は同意する様に笑ってくれた。
祐樹の視界から外れた亜利奈の表情は邪悪に笑む。
うふふ、楽しみだなユウ君との学園生活。
まっててね、ユウ君。亜利奈は必ずユウ君を幸せにしてあげるよ。
だから――そのための障害になるものは全て排除してやる。
――ここは『青海学園』。
様々な学校と様々な思惑が集まる学園都市だ。
翔と祐樹、今日からここで暮らす二人の少年は、この学園で起こる数々の事件に深く関わることになるとはまだ知る由もなかった。