戦う〝リスク〟
――……くん。
――しょう、くん。
僕を呼ぶ声が聞き得る。
女の子の声、そうだ、すごく懐かしい――。
「翔くん!」
「……?」
気が付いたら、翔は児童公園の真ん中に立っていた。
目の前には両腰に手をやり、〝怒ってます〟といわんばかりの女の子がいる。
結花だ。
小学生の頃の結花だ。
「また無茶して!」
結花はハンカチを取り出すと、翔の頬を強引に拭った。
じゃりじゃりとした感触が肌に走る。
「ケンカしちゃダメって、何回も言ってるのに!」
ああそうだ。
僕はさっき、上級生を相手に、ひと暴れして……。
そんで突き飛ばされてノックダウンしたんだっけ。
「だって。あいつら、あつしくんをいじめてたんだ。
それに結花ちゃんの悪口も言ってた」
そしたらカッとなって飛びかかったというと、結花にまた、
「こらっ!」
と叱られた。
「それでも、危ないことしたらダメでしょ?
翔君は背が小さいから、絶対勝てないんだから!」
「だって」
「だってじゃない。
次にいじめっ子見つけたら、結花を呼んで。
ケンカするだけが誰かを守ることじゃないよ?」
「…………」
納得がいかずに、翔は押し黙る。結花はこまったな、と呟いて笑った。
「結花はね、翔君が怪我するのをもう見たくはないの」
――でも僕はあの時、結花ちゃんと約束したんだ。
〝泣いてる誰かを救う〟って……。
翔はそうは言わず――いや、それを説明する力を持たないまま、
「次は怪我をしないようにする」
と結花に言った。
「そうきたかぁ……」
真意に気づいたのかそうでないのか、うぅん、と結花は悩んだ末、
「でも、それが翔君らしいのかも」
と、微笑んだ。
「ケンカするだけが誰かを守ることじゃないのかもしれないけど、誰かを守るためには自分が危ない目に遭う覚悟は必要かもしれないね」
だが、すぐにまっすぐな目をして、
「でもね、翔君。よく聞いて。
それは誰かに褒められることはないよ。
勝っても負けてもケガしても、先生や、お母さんに怒られるよね?
全部自分が悪いんだ。〝リスク〟っていうんだけど、どんな結果でも翔君自身が背負っていかなきゃいけないんだよ。わかるかな?」
「なんと……なく」
おぼろげに翔は頷く。
「それをわかってて、それでも翔君が戦うなら。
――結花は、翔君を応援するよ。
怪我したら、結花が手当てしてあげる。
だから、ね? 約束して。
本当に戦わなきゃいけないとき以外は、決して無茶しないで」
翔は、わかった、と頷いた。
そして。
〝結花ちゃんが危ないときは、僕はそのリスクを背負って、戦うよ〟
彼女に聞こえないように、そう呟いた。
「じゃあ――いこっか♪」
彼女が手を差し伸べる。翔はその手を掴んで、彼女の後を、
『――待てよ』
男の声が遮った。
『翔、そっちじゃないぞ。
お前が行かなくちゃいけない場所はそっちじゃない』
――……?
幼い結花が、少しだけ寂しそうな顔をして何かを呟いた。
〝負けないで〟〝がんばってね〟〝ごめんね〟
……果たしてどれだったのだろう。全部だったのかもしれない。
夢を見ているような不思議な感覚で、翔はあたりを見回した。
途端に、景色が渦を巻く。
ぐにゃりと、水面に様々な絵の具を差し、そしてその上を撫でるように。
世界がぐるぐるとめぐり、翔は何かに強く引きずられて――、
『もう壊さないで……大切な人たちなの』
――結花が泣いている。
翔はぼんやりとした意識の中で、確かに彼女の悲鳴を聞きつけ、ハッと覚醒する。
結花が怪物に捕まっている、彼女が危ない。
待っててくれ、いま助ける!
翔は立ち上がろうと試みる。が、どういうわけか体に力が入らない。
まるで首から下が鉛になってしまったみたいだ。
ああ、くそ。どうしたんだ、僕。なんで動けないんだ……?
どれだけ焦っても身体はもがくことすら叶わない。
早く立てよ。立ち上がらないと、怪物に結花が殺されるぞ!
力が入らない。力が欲しい。
結花を救う力が欲しい――ッ!!
苛立ちが願いに変わったその時。
『翔、力が欲しいなら貸してやる』
頭の中に男の声が響いた。
凡庸としていて、酷くエコーがかかった、聞き取りづらい声だった。
『だから頼む。――俺の代わりに森川を護ってくれ』
妙に親しい感じで彼女を呼ぶその声に、翔は、どこかムッとして、
「誰なんだ、お前は」
『もう名前は名乗れない。俺とその世界の繋がりは断たれた。
名前を名乗ればお前に託すこともできなくなる。
森川は必死に繋ぎ止めようとしてくれていたけど……。
俺とお前、二人とも戻ることはできない』
「言ってる意味が分からないぞ! お前は結花ちゃんのなんなんだよ!!」
声は質問に答えなかった。
その代り翔の前に黒い影が現れ、ぬっと手を伸ばす。
『時間がない、手を取れ、翔。
俺の最後の繋がりで、お前をこの世界に引き戻す』
体格から、翔とそれほど変わらない少年に思えた。
顔は……影がかかってて、輪郭と髪型ぐらいしかわからなかった。
まるで『誰の写し鏡にでもなれる』、そんな意図を感じる個性を殺した表情だ。
「お前が誰かは知らないけれど、お前の代わりなんてまっぴらごめんだ」
口で否定しながら、翔はその手をぐっと掴んだ。
「僕は僕として、結花ちゃんを護る。あの時の誓いを果たす!!」
『そうだ、それでいい。
頼んだぞ、翔。何があってもあの子を護り抜いてくれ』




