立ち上がる金属の骸骨
――秘密の研究所に、秘密の研究施設か。
中村は、ぽつりとそう呟いた。
加山が武器に使ったチェア、それを隠し扉付近まで手繰り寄せ座っていた。
背もたれを正面に向け、腕を乗せ、上半身を預けるだらしない姿勢だ。
目の前には様々な機械に取り付き、無表情で作業をする森川が居た。
それを見ながら、都市伝説の半分は本当だったんだなと実感させられた。
森川に預けた仁藤の身体は、人がすっぽり収まるカプセルに入れられ、そして銀色のカバーで見えなくなってしまった。いったい何を施しているのかはわからない。少なくとも遺体に岩盤浴をさせているわけではあるまい。
「仁藤は、助かるんだよな?」
そう聞いてみるが、森川は返事をしなかった。
無視をしているわけではない。
最悪のケースはまだ脱していないのだろう。そしてそれを口にするのが怖いのだ。
黙々と作業を続ける森川に、中村は肩を竦めると、
「わかった。じゃあそれ何してるのかわかるように説明してくれよ」
そういうと、やっと森川は口を開いた。
「ハイドロゲルで身体を安置し、腐敗と感染を抑制しつつ、人口塩基とマイクロナノマシンで人為的に治癒力を再現しています。
外傷は塞がるはずです。――ただ」
そう説明しながら、キーボードを休まず打っていた彼女はにわかに立ち上がり、壁際の機械のスイッチをいくつか押した。するとゴウンと機械が動き、タンクに収められていたゼリー状の何かが、ゴボゴボと流れの悪い便所みたいな音を立てて減っていく。
「蘇生そのものは、S.D.Fによる未知の力に委ねています。
ですから……その」
「言いにくいなら別にいい」
機密事項とか、仁藤の容態の不安定さとか、いろいろ口にはしづらいだろう。
正直森川の説明はまるで理解ができなかったが、本当のところ彼女に話題提供をすることだけが目的だったため話さえできればそれでよかった。
「……」
だが森川は、神妙な面持ちでしばらく黙ると、
「こちらのU-1素体に埋め込んだ〝エリクサー〟に、人体の再生を指示できるか試したところです」
「お、おいおい、喋っていいのかよ」
機密主義の森川が、ほぼ自分からS.D.Fの話を始めた。
こんな事は初めてだった。
「いいわけありません。ですから口外は厳禁です」
「じゃあなんで……」
「先輩も、彼も、〝そういうもの〟に巻き込んでしまったから。
知る権利はあると思うんです。それに、」
ちらりと森川は三久田を見た。
「私が意地になりすぎたせいで、傷ついた人も居ます」
中村が彼女を保護した時には、三久田は失神していた。
首に爆薬を括りつけられ、あと一秒遅ければ頭が吹き飛ばされるとこだったのだから、無理もない。彼女を拘束していた手錠はワイヤーカッターで千切り、解放し、今は上着で包んで床に寝かせて、小早川が護っている。本当ならすぐに病院にでも連れて行ってやりたい。だがここまでの事をしでかした犯人は、まだ捕まっていないのだ。
テレポートを使うあの男が再び現れ、彼女達に危害が及ばないとは限らない。
だからといって、公の警察にも通報できない状況になってしまった。
仁藤の体を蘇生させるために、森川は危ない橋を渡っている。
今彼女がやっているのはS.D.Fの私的利用にあたるそうだ。
とどのつまり、かつての加山と変わらない。発覚すれば、今度は森川が研究所や学園を追い出される。だから今、部外者を立ち入らせるわけにはいかないのだ。
中村達はこの場で事の成り行きを見守るしか術はなかった。
今は三久田を小早川が、森川を中村が着いて護っている格好だ。
――さっきの口ぶりから、森川と三久田に何かあったらしいな。
それを掘り返すのは良くない。そう考えた中村は話題の流れを少し変える。
「そのエリクサーってあれだろ、錬金術の賢者の石ってやつ。
使いこなせるのか?」
「使いこなせる、と言うと語弊がありますが。あらゆる物質の創世能力があるとされているエリクサーですが、指示系統に関しては、協力者の情報提供の元、ある程度の解析が進んでます」
「へぇ、すげぇじゃん」
「理屈がわかればあとは簡単でした。実は言語がアセンブリ言語に近いもので、意外にも単純なんです。これはユーザー側に配慮された形跡と言ってもいいでしょう。協力者の話ではこの伝説上の物質には多くの個体と所持者が居て、管理する社会が――、」
森川がなにやら難しい事を喋っているが、やっぱり中村にはよくわからなかったし、今はとてもじゃないが頭に入って来ない。ほとんど聞き流していた。
今はただ、彼女の傍で先輩として支える役目を全うしなくてはならない。
それくらいしてなくては、仁藤が蘇った時に顔向けできないじゃないか。
その場居たにもかかわらず、後輩に死傷を負わせたのが悔しくて情けなかった。
何故あの時飛び出せなかったのか。
もっと早く動けば、仁藤を突き飛ばし、自分が爆弾を奪う事も出来たはずなのに。
ああ。くそ。中学の頃から変わらねぇ。
……俺はいつまでたっても二流だ。
「そう言えば聞いていませんでしたね」
作業を続けながら、森川が次の話題に移った。
「どうやって私達の危機を知ったんですか?
私、加山に脅されて通話を無理やり切ったのに」
「ああ、それはな。仁藤だよ」
ファミレスで通話を切った直後の事だ。
『杉田先輩、今すぐ研究所の場所を突き止めてください!』
偶然の一致として片づけた中村達とは違い、仁藤はこう訴えた。
『今の声、結花ちゃんは何かに怯えています!
結花ちゃんに何かあったんですよ!』
「わ、私の声だけで勘付いたんですか!?」
「イカレてると思ったぜ。……いや、実際イカレてる」
中村は呆れた表情を造り、自分の頭をつんつんと突いた。
〝ここが変ですよ〟のジェスチャーだ。
「けどこいつがお前の事を誰よりも理解してるような気がしてさ。
俺達は信じてみたんだ。
でも、確信は得られないから通報はできない。
だから直接乗り込んだってわけ」
杉田が研究所の場所を突き止めるのは早かった。
「お前、仁藤のE:IDフォンを車に入れたままここに来ただろ」
「あ」と、森川は声を漏らした。
寮で小早川と仁藤がもめている時に、間に入るようにして森川はE:IDフォンの返却にやってきた。聞けば仁藤が彼女の車に忘れて行ったそうだ。森川は一度この研究所までやってきて、仁藤の忘れ物に気付いて届けに向かったのだ。
「お前のE:IDフォンは杉田を封殺してても、仁藤の新品は簡単に追えるからな」
「でも、ここにあるジャミング機能で追跡を妨害するはずです」
「ぶっちぎった場所さえわかれば十分なんだとさ。
杉田曰く、『勝ちの見えたチェスみたいなものよ』――だってよ」
あの巨乳ハッカーが本気を出せば、結花の極秘の研究所を突き止めることなど造作もないことだった。『学園で知らないことは無い』と豪語するだけの事はあって、あの女はすべてを把握してるか、意図的に遠慮しているかのどちらかなのだ。
「けど……もっと早く着いていれば良かったのにな」
そうすれば三久田も仁藤も、こんなことにはならなかったかもしれない。
中村は腹から沸き起こる怒りを、ドンッと強く足踏みすることで堪えた。
すると森川は首を振り、
「いいえ、来てもらえなければ、どんな惨事になっていたかわかりません。
……それに、もう二度と悔やまないようにする方が先決です」
「……?」
仁藤を救う事を言っているのか、それとも。
中村は、何か彼女の中で決心したものを感じ、
「なあ。妙な事考えてるなら――、」
無茶は止せ、注意をしようとしたその時、
『ミツケタ』
背後から声が響いた気がした。
振り返るが、モニター室の中央で困惑気味に警戒している小早川しかいない。
「おい、今の」
「はい、自分にも聞こえました」
中村と小早川はアイコンタクトし、警戒を強めた。
身体を硬直し、辺りに神経を行き渡らせる。
相手はテレポートをしてくる。どこから来ても――、
『ミツケタアアアアアアア!!』
突如、部屋が揺れた。
隠し部屋の天井付近に出現した何かが、カプセルに垂直落下したのだ。
衝撃で機材が散乱し、ガラスの割れる音、バンバンと機材がショートする音、けたたましいブザー、そして森川の絶叫が辺りに木霊した。
『賢者の石、ミツケタゾォォォォォォ!!』
にわかにできた騒乱の上で、そいつは雄たけびを上げた。
獣のような体毛に覆われた怪人だ。
体長は小早川よりも一回り大きく、熊とも狼とも言えない獣の顔。
動物の体臭が鼻を突いた。
胴のあたりに、着衣の残骸らしき布切れが巻きついている。加山の作業着だ。
恐ろしい事だが、この怪物は加山が変貌した化け物と見て間違いなさそうだ。
その足元にはくの字にひしゃげたカプセルがあった。
仁藤が治療を受けていたカプセルだ――ッ!
「てめぇ!!」
中村は怪人と化した加山に飛びかかった。
未知の怪異を目の前にした恐怖より、後輩を下敷きにされた怒りが遥かに勝っていた。武器として持ってきた木刀を振り上げ、一撃ぶち込んでやる!
だが、しかし。
どんっ、と胴のあたりに衝撃を感じた時には、壁際に叩きつけられていた。
野蛮な暴力は中村の力が及ぶところでは無かったのだ。
その間に怪人はカプセルの残骸を漁り、何かを探し出そうとする。
小早川が持っていた機銃で怪物を撃つが、あれは改造モデルガンだ。
常人を内出血させる程度が関の山で、あの怪物に射撃しても効果は薄いだろう。
二人掛かりで取り押さえれば、何とか引き剥がせるか、そう算段したところで、
「そのカプセルに触らないでッ!!」
なんと怪人に取り付いたのは森川だった。
怪人がカプセルに突っ込んだ腕に、怖れもせず全身でしがみつき、
「先輩に、仁藤さんに――触らないでッ!!
「よせ、森川ッ!!」
怪人は動きを止め、ギロリと森川を睨んだ。
『森川……結花――!』
奴の憎しみが華奢な少女を射抜く。
「…………」
殺意という興味を突き付けられた少女は竦み上がった。
すかさず怪人は巨大な手で森川の身体を捕え、
『森川結花、オ前ノセイデ!』
高々と晒しながら唸り声をあげた。
「お願い、何でもするから、もうやめて」
足をつける事すらままならない森川の、その頬に落涙が走る。
「もう壊さないで……大切な人たちなの」
『先ニ壊シタのはオマエダッ!!』
もうダメなのか。俺は森川まで救えないのか。
中村が目を伏せたその時。
『その手を離せ』
そいつは踏みつけられたスクラップから現れた。
がんがん、バリバリと邪魔な瓦礫をどかすと、慄く一同をよそに、そいつはゆっくり立ち上がる。
金属の骸骨だった。唯一顔だけが目と鼻だけを造形した、無表情なマスクを装着してある。
目から顎にかけて伸びるつなぎのラインが、涙の軌跡のようだった。
首から下はすべて、むき出しのまま、まるで銀色の骨の標本だ。ワイヤーでも仕込んであるのだろうか、なんにせよ、そんな不安定な状態で立って歩いていること自体が異様な物体だった。
肋骨の向こう、心臓にあたる部分が青く発光している。
怯えた怪人は後ずさり、モニター室まで距離を取った。
それを追い、金属骸骨は自分の状態を確認しながら、一歩踏み出す。
一歩、また一歩。その度、がしゃり、がしゃりと金属音で出来た足音が響く。
胸の発光が一層強くなり、まばゆい光に中村は一瞬目を覆い――、
視界を取り戻した時、骸骨は鋼鉄のボディーを手に入れていた。
全身は鈍い銀の光沢で輝いていた。分厚い胸板があり、その下は腹部は横一線にラインが引かれている。おそらく、腰をかがめる姿勢を取るためだろう。下半身や腕も同様に、人間的丸みを再現しながらも、要所要所に昆虫の外骨格のような突起があり、攻撃的な印象を受けた。そんな、ヒトガタの造形物を、この骨は瞬く間に手に入れていたのだ。
一言でいえば、骸骨の標本がアンドロイドに進化してしまった。
そしてこのアンドロイドの鈍く輝くその冷たいボディの内側からは、滾らせている怒りの炎をはっきりと感じさせた。
その様は、まるで人の心を持っているように思えた。
そいつは怪人に対峙すると、口もないのにこう叫んだ。
『結花ちゃんから――手を離せッ!!』
このアンドロイドは、仁藤……、なのか?




