仁藤翔、死す
しまっ――た……!!
急所を突き、動きを封じたはずの加山は結花の背後で凶器を持ち上げていた。
奴の興奮しきった脳に麻薬様物質が放出され、痛覚を上回ったのだ。
まずい、やられる。身を護ろうとしたその刹那、
「うおおおおーーーーオォッ‼!」
怒声を纏い、横やりをいれる影があった。
飛来してきた少年は、伸ばした脚に全身の体重を乗せ、加山の脇腹にドロップキックをお見舞いし、見事に敵を壁際まで突き飛ばしたのだ。
仁藤翔、今日出会ったばかりの同級生だ。
「取り押さえるぞッ!」「了解!!」
さらに二人の男子高校生が雪崩れ込んでくる。
風紀委員長の中村と、北高生徒の小早川だ。
何故、どうやってここに彼らがやってきたのか。
疑問が過ったが、話は後だ。
鶫の首輪爆弾が起爆するまでに1分を切っている!!
結花は素早く切り抜け、首輪の解体に掛かる。
「ちきしょおおおおおおおおッ!!」
その時、身柄を抑えられた加山が吠えた。
一瞥した瞬間――、
しゅんっと奴は消滅してしまった。
「き、消えた……!」
「やはりS.D.F製のステルス機能か!」
抑えていたはずの男子たちは当惑しながら周囲を警戒した。
『私が追うわ!』
E:IDフォンから杉田の声が聞こえる。回線越しにバックアップしているようだ。
奴の動向が気になるが、意識の外に押しやる。
今最優先は爆発物処理だ。
結花は首輪のカバーを外し、解体作業を始める。
「皆さん、部屋から出てください! これは爆発物です!」
そう警告して、ドライバーをねじ込んだ。
残り時間、15秒。
もう起爆を止める時間は無い。
首輪を外し、部屋の隅で爆発させるのが最善策だ。
残り時間、10、9、8、
焦りでネジの穴にドライバーが刺さらない――!
7、6、5、
なんとかピンを外したが、ロックが外れない、
4、3、2、
マイナスドライバーを強引にねじ込み、その頭を拳で打つ。
ばきり、と小さな金具がへし折れた。首から引き剥がすと、
――1、
部屋の――向こうに――……、
……。
…………。
………………長い1秒だった。
爆弾が放物線を描くことは無く、結花は間に合わない事を悟った。
もう時間が無い。振り翳したこれは、私の頭上で、私の手の中で爆発するのだ。
嗚呼。この手、使えなくなっちゃうのか。頭も無事で済むのかどうか。
砕けた破片が頭頂骨より深く突き刺されば、後遺症もあるな。
この一秒で絶望が脳裏を駆け巡り、結花は心のどこかで諦めていた。
0。
その瞬間。
爆弾は彼によって強引に奪われた。
仁藤は微塵の迷いも見せなかった。
爆弾を胸に抱き、跳躍、結花から距離を取ったのだ。
――ドンッ!
肉体に阻まれた小さな爆発音。
彼は天井に叩きつけられ、そして受け身を取る術もなくばたりと落下した。
†
「にとおおおおおッ!!」
中村の絶叫が木霊する。動ける人間がうつ伏せになった仁藤に駆け寄る。
「おい、しっかりしろッ!!」
「待ってください!」
結花は息巻く中村を片手で制止した。
気持ちは同じだが、今乱暴に触れたら致命傷になるかもしれないからだ。
代りにそっと翔を起こし、腕に抱く。
その瞬間、彼はげふっと吐血した
息はある。が、ぜぇぜぇと苦しそうに呻く。
外傷は深くはないが、細かい破片が刺さり、酷いやけどを負っている。
なによりも衝撃であばらが折れ、内臓を傷つけているようだ。
悪いことに、吐血しているという事は、臓器に穴が空いた可能性が高い。
いつ致命傷に達してもおかしくない……!
「仁藤さん、聞こえますか?」
気道を確保しながら、意識の確認をする。
今は怯えで散っていく冷静さをかき集めて、少しでも応急処置をしなくては。
すると腕に抱く仁藤は目を開き、結花を見るとこう言った。
「怪我、無かった?」
結花の身体は衝撃で震えた。
――彼はこの状況でもまだ、結花の身を案じていたのだ。
「なんて馬鹿な事をしたんですか――ッ!」
思わずそう怒鳴ってしまうと、仁藤は血液の付着した口で「へへへ」と笑った。
「昔もよく、そうやって怒られたよね。
僕が怪我して、結花ちゃんが怒って」
嗚呼と、彼は天を仰いだ。
「たった三年なのに、すげぇ懐かしい……」
結花にはその記憶は無いのだ。
彼がどんな人物だったのか、自分とどんな関係だったのか。
まったくわからないのだ。
だからこんな状態でも、結花は彼を親しみを込めて呼んであげることが出来ない。
彼は命を懸けてくれたのにも関わらず、だ。
「そっか。覚えてないんだよね」
――こんな理不尽な事があっていいものか……っ!
結花は悔しくて歯を食いしばった。自分は、彼に応えてあげられないのだ。
出会ってからずっと、彼を警戒し、冷たい態度を見せてそれっきりなのだ。
彼は火傷だらけの手で結花の頬を触れると、
「いいんだ。結花ちゃんに会えた。
最後に君を護れた――……」
「だから、頑張って……」
「ここに来れて」
「良かったよ……」
そして彼の手は、
「――やめて……」
重力に吸い込まれるように、
「ダメよ、行っちゃダメ」
緩やかに、滑り落ちていく。
「お願い……目を閉じないで……ッ!!」
結花の懇願は彼には叶えられない。
腕の中にある、生きる力が失われていくのがわかる。
私に会いに来たと言った彼が、
私とたくさんの思い出があるんだと言った彼が、
今日から友達になって欲しいと言った彼が、
私の事を良く知っていて、親しげに話してくれた彼が、
これからきっといろんな夢を叶えていくはずだった彼が、
無情にも潰えていく、その冷たい感触がわかり、結花はぎゅっと彼を抱きしめた。
結花は彼に何一つ応えられないまま、出会ったその日に彼を失ってしまった。
「……ごめんなさい……」
後悔と謝罪は、もう彼の耳には届かない。
「杉田――救急車だッ!! 早くしろッ!!」
中村が怒鳴る。だが、それでは遅い。
心肺はもう停止した。蘇生マッサージをしても内臓を余計傷つけるだけだ。
血流と酸素の供給が止まった。救急隊が到着する頃には脳が壊死しているだろう。
現在の医療では、この状況下で彼を救う事は不可能なのだ。
――そう。〝現在の医療〟では。
結花は涙を拭った。
泣いている時間も、迷っている時間もない。
「小早川先輩、力を貸してください。彼を運びます。
中村先輩は鶫さんの手錠を外してあげてください」
「お……おう?」
急に冷静になった結花の姿に、中村と小早川は驚いた表情を見せた。
「杉田先輩はこれから起きる出来事が決して外部に漏れないように、セキュリティの強化と記録の抹消をお願いします」
『ダメよ結花』
鋭い彼女は勘付いたらしい。
結花の犯そうとしている行為を咎めると、
『気持ちは解かるわ。
でもこれがばれたら、今まであなたが積み上げてきたものを全部失うわよ』
警告を無視し、結花はパソコンに取り付き、解除コードを放った。
「さっき私は、一瞬迷ってしまったんです。
鶫さんとこの技術、どちらが大事なのかと」
部屋の隅の隠し扉が開く。
「だからこんなことになってしまった。
迷わず彼女を救っていれば、彼は死ぬような目には遭わなかった」
驚く一同を、部屋の中に向かうよう指示した。
ハイドロゲルタンクに、様々な演算装置。
素体が入ったカプセルと、魔術書の入ったカプセル。
〝A In Z With Ultimate-1《全てを持つ究極の個体》〟
の研究設備だ。
「もう迷って手遅れになるのは嫌です。
私は彼を死なせるわけにはいかないんです」
本来は虚空の彼方に消えた〝あの人〟を呼び戻すための研究だった。
だが今は目の前の命を救うために、この力を役立てる時だ!
「まだ間に合います……S.D.Fを使って、彼を蘇生します!」




