一瞬の迷い
奴はついに、鶫の首に巻き付けられた爆弾を起動させた。
「なんて……事を……!」
結花は怒りで腹の底がぐらぐらとなったが、その感情をぶつけても鶫は救えない。
鶫を見る。
気が動転するのを通り越して、首輪を手に持ち、ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返していた。あのままじゃ過呼吸で脳を傷めるか、ストレスで内臓を病むかもしれない。
どのみち、5分以内にこの事態を解決しなくてはそれどころでは無くなるのだ。
「人殺しになりたくなかったら早くしろ!
賢者の石はどこだ!?」
加山は一方的に吠えた。
だが、こんな奴にS.D.Fを明け渡すわけにはいかない。
それが次にどんな事態を引き起こすのか、誰にも分らない。
今結花が判断を誤れば、明るみに出た技術によってその先の世界まで狂う。
〝賢者の石〟にはそれだけの力がある。
現実の改変能力があるあの石が複製されれば、遠くない未来にそれは兵器化するだろう。そうなれば、核兵器などおもちゃ同然となる。エリクサーのレプリカはあらゆるパラドックスを生み出し、パラドックス同士を潰し合う過去の改変合戦へと変化する。
いずれバタフライエフェクトで予想だにしない未来が出来上がり、世界が脆く崩れ去るだろう。
そうなったらおしまいだ。
大勢の人が死ぬ。大勢の人生が狂う。大勢の人が消滅する。
結花はそれを想像し、立ち尽くした。
……だったら。
――ここで鶫の命で事が収まるなら、最小限の犠牲といえるのかもしれない。
そんな考えが過ったその時、鶫が声をあげた。
「た、助けて……」
彼女は自由になる片手で首を掻き毟りながら、
「――死にたくない」
ゾクリ。
結花は、腰から足まで痺れる錯覚を覚えた。
今、私は何を考えていたんだ?
足し算と引き算で、鶫を見捨てようとしなかったか!?
違う、今すべきことはそうじゃないだろう!?
「まってて、今、それを外しますッ!」
結花は鶫の爆弾を解除すべく、屈みこんだ。
起爆方法、爆破の規模、首輪のつなぎ目。
一瞬でおおよその構造を理解し、タイマーを見る。
あと3分と20秒。
このくらいの雑な機械なら、それだけあれば解体できる!
「ルール違反だッ!!」
ウゥと唸り、加山が結花の手首をわしづかみにしてきた。
「離しなさいッ!!」
腰を捻り、対の手を躊躇い無く振り翳し、手の甲を鼻っ柱にぶつける。
いわゆる裏拳だ。中手骨の頭が鼻骨に直撃した。
鍛えた武道家でも今の一撃には怯むだろう。
非力な拳でも、最大限の効率を計算すれば大の男を伏せる事は可能だ。
人体の構造を理解している結花にはそれができる。ここまでは刺激しないよう努めてきたが、それもおしまいだ。
よろめいたところで、耳の下、顎の骨の付け根あたりに追撃する。
ゲッと呻き、加山は一回転した。
脳が揺れて、平衡感覚が狂ったはずだ。
さらに――これはちょっと気が引けたが――硬いつま先で金的ッ!!
獣と惑うような絶叫が部屋を揺らし、相手はもんどりうった。
結花はその間に机に取り付き、引き出しから精密工具を取り出す。
残り時間は二分を切った。邪魔さえ入らなければ――、
「森川様ァ――ッ!!」
鶫の警告に、振り返る。
しまっ――た……!!
結花の背後には、予想外に早く復帰した加山が、憤怒の形相でオフィスチェアを持ち上げていた。




