8 相談
翌朝、といっても眠りについたのが遅かったため、玄が目を覚ましたのはお昼も近くなってからだ。玄は部屋に射し込む明るい光で、ぼんやりとしたした頭をリセットすると大きく伸びをしてから起き上がる。
「……そうだった!」
そこまできて、ようやく完全に覚醒し昨晩のことを思い出した玄はベッドを飛び出すと、机の上に置いてあったVSを覗きこむ。すると、画面上では関羽が黙々と身体を動かし即席の武器を振っていた。どうやら疲労という概念は無いらしく、ほうっておけばいつまででもやっていそうな勢いだった。
玄は、それを見て昨晩のことが夢ではなかったと再確認するとともに、あれからずっと訓練を続けていた関羽に感心する。ついでに全体のステータスを確認してみるべくVSを操作して昨日と同じ大きな黒板の様な物を表示させると、そこには88と2の数字。
あれからユーザー登録が1件あり、5人がまた新たに負けたということだろう。玄はその冷酷なまでの数字の増減に、ぶるっと身震いをしてため息をつくと、頭を振って気を取り直し一階へと下りていく。
両親との決まりごとで、休みの日の朝食だけは抜いてもいいことになっている。休みの前の日くらいは夜更かしして、寝坊しても構わないという配慮だろう。
階段を下りてリビングに入ると、テーブルでは玄の父親の信がくわえ煙草で新聞を広げている。煙草に火は着いていない、妻である恵に禁止されているからだ。
玄の父親は公務員であり土曜、日曜、祭日は休みで家にいることが多い。恵も玄が産まれるまでは社会でバリバリ働く女性だったが、出産を機にきっぱりと仕事を辞め主婦業に専念していた。
「おう、起きたか。昨日は随分遅くまでやってたな。結構な音が聞こえてたぞ」
紙面から視線を玄に移して信が微笑む。いつもは音にも気を使ってゲームをする玄だが、さすがに昨日はそこまで気が回らなかった。そのため、普通に関羽たちと会話していたのが漏れ聞こえていたらしい。
「まあ、ね。最新機種を買ったからちょっと夢中になったみたい」
「でも、あんまり遅い時間までやるのは感心しないわよ玄。あんな音出してたら近所迷惑よ」
恵が台所から、皿に盛った昨日の夕食の残り物の野菜炒めを運びながら注意を促してくる。
「ごめん、わかってる。今度はちゃんと音を絞るよ、昨日はちょっと気が回らなくて。あっ、俺が運ぶよ」
素直に謝罪して、恵から皿を受け取った玄はテーブルへと運んでいく。
「ありがと、玄。そうして頂戴」
頷いて台所に戻る恵と入れ替わるように信が玄に話しかけてくる。
「玄、バイトはどうしたんだ?」
「取り敢えず目標額は働いたし、学校にばれるとやばいから一昨日やめた。残りの給料は再来週に入る予定かな」
玄は質問に答えながら、テーブルに置いた皿が見栄えよくなるように他の皿との位置を調整して、その流れで信の手から新聞を取り上げて畳む。「あっ」という声を漏らして恨めしげな視線を向けられるが、どうせ食事が始まれば恵が取り上げてしまうのだから早いか遅いかの違いだ。
折り畳んだ新聞をリビングのソファに放り投げようとした時、新聞の見出しが目に入る。
『VS購入に長蛇の列! 徹夜組二千人』
(おじさんのお陰でVSを手に入れられた俺は運が良かったと思うけど……関羽、あんな風に人の魂を束縛できる物が本当にあっていいのかな)
「玄、準備できたわよ」
そんなことを考えていた玄の思考は恵の声によって中断される。
「うん、いまいく」
玄は新聞を放り投げ、食卓に向かいながら『芸夢』に行って話を聞いてもらうことを改めて決意した。
食事を終え、両親とたわいもない会話をしたあと、玄はVSを肩掛け鞄の中に入れて家を出る。庭先に止めてある愛車に乗って、昨日最速を更新した道のりを、のんびりと逆走していく。
昨日よりも1.5倍ほどの時間をかけて目的地に辿り着いた玄は、店舗脇のいつものところに自転車を止めると『芸夢』の入り口をくぐった。
「おや? いらっしゃい、玄くん」
どうやら店内には他にお客はいないらしく、カウンターに座ってゲーム情報誌を眺めていた店主が玄を見て顔を綻ばせる。
「昨日VSを買ったばっかりなのに、また顔を出すなんてどういった風の吹き回しだい?」
玄をよく知る店主には、新しいハードとソフトを手に入れた玄が翌日も顔を出すというのは、常ならば珍しいことだった。
「はは……ちょっとね」
一方玄としては、自分でも未だに夢でも見てるんじゃ無いかという気分が拭いきれない。店主に昨日のことを話しても、馬鹿にされるのがオチのような気がしてつい言葉を濁してしまう。
「……なんてね、多分来ると思っていたよ。本当は、昨日来てもおかしくは無いと思っていたんだけど」
「おじさん! ああいうゲームだって知ってたの!」
玄は、店主の言葉に目を見開いてカウンターに詰め寄る。まさか店主が昨日のゲームの内容を知っているとは思わなかったのだから当然だ。実際にゲームの封は切られていなかったし、限定100本のゲームが同じところに何本もあるということは考えにくい。
「少しはね、それの仕入先が知人だったんだ。顔見知りにでも売るか、何だったら自分でやってみてくれって言われて仕入れたんだけど……その時に少し、内容については聞いていたんだよ。ただ、正直眉唾ものだとは思っていたんだけどね」
「そう、なんだ…」
玄は小さく呟くと、店主の前にVSを鞄から出してそっと置いた。置かれたVSの画面上では相変わらず関羽が鍛錬を続けている。その姿をぼんやりと眺めながら、玄はぽつりぽつりと昨日家に帰ってからのことを店主に話していた。
「……こんな事ってあるのかな」
最初はVSの画面を見て驚いていた店主だったが、玄の話を全て聞き終える頃には落ち着きを取り戻しており、静かに首を横に振った。
「それは私にも分からないことだよ……これだってそう見えるだけで、本当は良くできたプログラムかもしれないしね」
「おじさん! 違う! 違うんだよ……本物なんだ! 本当に1人の人間としての心がここにあるんだよ!」
玄には単なるゲームとして割り切って遊ぶという選択肢もあった。しかし、1人の人間としての人格がある関羽と出会ってしまった以上は、もはやゲームのキャラクターとして関羽を扱うことはできなかったのである。
「玄くん……」
「おじさん……昔、なんかで読んだんだけどさ。魂って長くても四百年位で転生するんだって。そう考えたらさ、三国志の武将なんて千八百年以上も前の魂だよね。あり得ないよね……」
玄は変わらず画面の中の関羽を見ながら力なく呟く。
「玄くん、私はね転生自体は否定しないけど、四百年なんて時間は関係ないんだと思う。私はね、死んだ人っていうのは皆に忘れられてしまったときが転生の時期なんじゃないかと思ってるよ」
「……忘れられたとき?」
「そう、そりゃ私は死んだことないから分からないけどね。でもね、形の無いものっていうのは、結局の所は人の心が作るものだと思うんだ。愛とか友情とか信頼とか……幽霊や魂なんてのも」
「おじさん……」
なにを言おうとしているのかはよく分からないが、店主の言葉はどこか玄の心を引きつける。
「今を生きる人たちが、死んだ人たちを覚えていればその人の魂はなくならない。本当の意味で死んだんじゃない、とは思えないかな。全ての人に忘れられた可哀想な魂は、また新たに生を受けてやり直すことができる……そうであったらいいと私は思っているよ」
優しい微笑みを浮かべながら店主は静かにそう言った。
「魂のままでいることが生きているよりもいいってこと?」
「……それはわからないけど、生きてる間にできる楽しいことや気持ちいいことが死んでからはできないって誰が確認したの?」
店主に問われ玄は返答につまった。そんなことは誰も確認することはできない。そんな玄を見て店主は笑みを深めると沈んだ場を明るくするようにおどけて手を広げた。
「もしかしたら、生きる事で縛られてきたものがない分……そうだな例えば、重力とか、空気とか、欲とか、仕事とか? そういうものがまったくなかったとしたら、生きているよりもずっと過ごしやすい世界かもしれないよ。まぁ個人的には、悪い意味で記憶に残るような人は、忘れさられるまで罰を受け続けるようなシステムであって欲しいけどね」
「じゃあ! 魂のままで転生できないのは嘆くことじゃないってこと? 俺たちが覚えていてあげるから、関羽は関羽のままでいられるのかな?」
すがるような目で店主を見ている玄を店主は暖かい目で受け止める。
「うん、そうだったらいいね。問題は、せっかく縛られるものがないはずの魂たちが、どういった理由か半デジタル化されて束縛されていること、なんだろうね。玄くんに当てはめれば勝手に身体の一部を機械化されて操られているみたいなものだからね」
玄は自分の内部を機械と取り替えられた様子を想像して眉をひそめる。映画などで架空の物語としてならかっこいいかもと思わないでもないが、実際に自分の身体でとなったらかなり有難くない状況だろう。
「そっか……じゃあ、どうすれば元に戻るのかな? ソフトを壊せば戻ると思う?」
店主は玄の問に少し考えてから口を開く。
「無理……だろうね。仮にその場は解放されたとしても、魂を捕らえる方法がある限り同じことが繰り返される可能性は常に残るわけだからね。玄くんは武将の魂たちを元に戻してあげたいのかい?」
店主の言葉に玄は迷いなく頷く。
「それはさ……憧れの英雄たちが身近にいるっていうのは嬉しい。だけど、それはやっぱりゲームとしてでいいんだ」
「本物はいらない?」
「っていうか、そんなこと本来ならできるわけないし、やっちゃいけないんだと思う」
端末を手に取った玄はそういって目をふせる。そしてほんの少し躊躇ったあと、ゆっくりと口を開く。
「俺さ、昨日考えたんだ。本当に死んじゃった人をこうして形にできる方法があるとしたら、どんなことができるのかなって……それはとっても凄いことだと思ったよ。死んじゃった親しい人に会いたい人なんていくらでもいるだろうし、過去の偉人から当時の状況や歴史を確認したり、事故や犯罪の被害者から犯人を聞いたりもできる。でも! でもさ、なんか不自然だよ。死んでからもこの世にとどまれるなんて……死ぬことに恐怖がなくなったら、人間なんてみんな死んじゃうんじゃないかな……」
どこか怯えるように一気に吐き出した玄の言葉。その言葉に店主は、玄がそこまで真剣に生死について考え、悩み、死の本質を理解しつつあるのを頼もしく思った。
それはある意味、真理ともいえるようなものだ。最近の高校生がそこまで生死について想いをめぐらせることなどほとんどないだろう。
それは種の保存、本能の領域。
生き物が子を為す行為に快楽が伴わなければ、いずれ子供は産まれなくなり人は絶滅してしまうだろう。そして、死に苦痛が伴わなければ安易に死を選ぶものが増え、やはり人は滅んでしまうに違いない。
人以外の生物にはそんなことはない。なぜなら種の保存ということに対して、人間よりも遙かに強い本能を持っているからだ。悲しいことに何の理由もなく同族を殺したり、自らの命を絶つのは人間だけだ。
「玄くん……優勝してみたらどうだろう」
「えっ?」
「武将たちも心ないプレイヤーに無理矢理使われるよりは、玄くんに使われたほうがいいと思うんだ。それに、これだけのものを使って争わせてるんだ、きっと優勝すれば運営側から何らかの接触があると思う。そのときになんらかの交渉をすることもできるかもしれないし、勝負がつくまでの間の時間にいろいろ調べることもできるから、他の方法も模索できるんじゃないかな」
「おじさん……」
玄にこのままゲームを続けることを勧める店主の目は、とても真剣で本気でそう思っていることがわかる。
「関羽さんをご兄弟と再会させてあげたいんだろう?」
「それは! そうだけど……関羽を戦わせて、俺が優勝?」
呟く玄に店主は首を振る。
「違うよ玄くん。玄くんが関羽さんを使うんじゃない。関羽さんに玄くんが協力してあげるんだ」
「俺が、助ける? あの関羽を?」
完全に意表をついた考え方だったのか、店主の言葉に衝撃を受けたように玄は目を見開く。それは何故か。昨晩邂逅した本物の関羽の圧倒的な存在感に、自分が手助けできるようなことはなにもないと玄はいつの間にか思い込んでいたからだ。
「確かに、これが本当に当時の戦国の時代だったら玄くんの出番なんかないよね。でも忘れちゃ駄目だよ、納得できるできないじゃない。これはゲームなんだ、ゲームだったら玄くんにも助けてあげられる事があるんじゃないのかい?」
店主の言葉を玄は頭で反芻する。確かに玄は自他共に認めるゲーム好きのゲーム巧者だ。ゲームに関しては自信もプライドもある。もし、今回の一件も、関羽が本物でさえなければ心からこのゲームを楽しんでいたはずであり、それなりの結果を出せただろうという自信がある。
そこで玄は現状をもう一度、頭の中で整理してみることにした。
・本物だった関羽は、もう一度契りを交わした兄弟たちに会いたいと思っているし、今の状況に当然納得 などしていない。
・玄は関羽たちを何とかしてやりたいとおもっているし、ゲームも楽しみたい。
・優勝すればその糸口になる可能性がある。
・少なくとも自分なら武将たちを単にキャラとして扱い支配することはしない。
確かに利害は一致する。しかし……。
考え込んですぐに決断できないでいる玄を、店主は優柔不断だとか情けないなどとは思わない。むしろ他人を思いやれず、他人の痛みを想像できない人間よりも何百倍も好ましい。
「本格的にゲームに入るのは今晩からなんだろ? まだ半日ある。ゆっくりとまではいかないが考えてみたらどうだい?」
「……うん。そう、だね。わかった! ありがとうおじさん」
この店に入ってきたときよりは、だいぶん明るくなった表情で玄は手の中の端末を眺めると、ひとつ大きく頷いて店主に礼を述べると店をあとにした。