44 到着
「茜……お前がそう思うことは決して間違ってないよ」
走り去る悪来と孫仁の背中を眺めながら呆然としていた茜に玄の声が聞こえる。
「でも、彼らにはやらなくちゃいけないことがある。守らなきゃいけない矜持があるんだ」
「でも!」
「例えばだけど……母親が我が子を守ろうとする時、わが身をなげうっても構わないと思うのと似てるような気がする。俺だって、お前が不良に絡まれてたりすれば助けるよ。ちょっとくらい殴られたり、蹴られたりしたって、そこで引いてしまえば自分が守ろうとしたものを失うかうもしれないし、何よりも自分の中の大切なものがきっと折れてしまうから」
「玄……」
身体を張って自分を助けてくれるという玄の言葉は正直嬉しい。だが、血まみれで走っていた悪来の姿が脳裏に凄惨なものとして焼きついて離れないのだ。
「今はいい。もし、孫策たちとの戦いに無事に勝つことができたら……そのときに決めればいいと思う。どうしても納得できないなら、VSを俺に預けてこのゲームのことは忘れて過ごすことだってできるんだから」
「……わかった、いまは勝つことに集中する」
「ありがとう、ごめんな。こんなことに巻き込んじゃって」
「そんな! 巻き込んだなんて……これは私が自分で首をつっこんだことよ」
「……しばらくしたら悪来たちがここへ到着する。そうしたら戦いは一気に決着に向かうと思う。もう少しだけ頑張ってくれ、茜」
玄の心配げな声が聞こえる。そんな声を出させてしまっている自分が情けないと思う。それでも一介の女子高校生にはあの悪来の姿は刺激が強すぎた。
(玄の言うとおりにして私は……)
◇ ◇ ◇
「関羽、そのままで聞いて。まもなく孫仁たちがここに到着する」
茜の精神的なダメージも気になって仕方ないが、今はどうすることもできない。正直、玄自身も悪来の血まみれの姿に心が折れそうになる。
でも本当に辛いのは、悔しいのは実際に傷つけあいながら戦わされている武将たちだ。彼らを救うために彼らを苦しめる。矛盾しているが、玄にはこれしか方法が思いつかない。
正しくないかも知れないが前に進むしかない。そしてやると決めたからには最後までやりとおしたい。
(だったら俺は自分にできることを精一杯やるだけだ)
玄の前では相変わらず劣勢のまま関羽が孫策の攻撃を凌いでいる。
「孫仁に覚悟があるとは言え、あの剣と鎧を装備した孫策とぶつけるのは正直危険が大きすぎる。関羽が周瑜を倒すまでの間をなんとか凌いでくれればそれが一番いいんだけど、ちょっと厳しいか。肉親としての情に訴えるにしても、既に孫策は自分の父親孫堅と弟の孫権を倒している……なのに妹だからという理由で攻撃ができないと思うのは考えが甘い」
玄の独り言のような言葉は関羽に間違いなく届いているはずだが、関羽の挙動に変化は無い。
「結局、孫策を倒せるのは関羽だけだと思ってる。だから孫仁には周瑜と戦って、勝ってもらう。大技を連発して疲労している周瑜なら、決して無理な勝負じゃないと思う。関羽の策もきっと孫仁を助けてくれるはずだしね。それに……孫仁が戦えるということは彼女を訓練した関羽が誰よりも知っていると思う。そして、そうする以外にこの戦いに勝つ方法はないと思う」
玄の悲観的とも受け取れる意見に、戦っている関羽の背中が怖くなったように感じるが、玄にしても別に弱気になった訳ではない。自分なりに戦況を分析した結果がそうなっただけだ。
「だから、孫仁が到着して周瑜と対峙したら孫策を倒すための戦いに変えていい。ここだという好機があれば技も使って構わない。後のことは孫仁と……孫仁と茜に任せよう。俺はふたりを信じる」
孫策と激しい打ち合いを続けながら関羽は髯に隠して口元を緩めた。
「ふ、ひよこがどんどん大きくなりよるわ」
「なぁにをぶつぶつ言ってやがんだぁ! いつまでも守ってばかりじゃ俺には勝てねぇぜ」
傍目から見ても重傷の関羽をこれだけ攻めても押し切れない孫策は内心の焦りをごまかすようにさらに激しく攻め立てる。
「ふん、思えば私はなんでもひとりでやろうとしすぎていたのかも知れぬな……」
関羽は孫策の攻めを凌ぎながら束の間、生前のことに思いを馳せる。
赤壁の戦いの後、劉備は荊州を拠点として益州へと攻めあがっていった。当初の予定では益州を落とすまでは当時、鳳凰の雛、鳳雛と呼ばれた希代の智者ホウ統が劉備に随行して策を奮い、その間は諸葛亮が荊州に残ることになっていた。
そして、益州平定後はホウ統と諸葛亮は入れ替わり、荊州の内政をホウ統が管轄し、軍事防衛を関羽が管轄するはずだった。
しかし、ホウ統は落鳳破と呼ばれる場所で伏兵に遭い益州への進軍半ばで非業の死を遂げてしまう。そのため諸葛亮が急遽、益州平定の増援として赴くことになる。
結果として荊州を守る関羽は内政、軍事、外交まで全てをひとりで背負うことになる。
それは全ての分野に広い見識を持っていた関羽だからこそできたことだが、荊州は北の曹操と南東の孫権に挟まれ、常に狙われ続ける要衝の地である。その負担は想像を絶するものだったことは間違いない。
「ひよこが育ちゆくのを見るのも悪くない。もう少し息子たちにも稽古をつけてやるべきだったのかもな」
関羽は自分らしくもない短い感傷に、思わず自嘲の笑みを浮かべる。
「て、めぇ~! 何笑ってやがる!」
関羽の笑みを自分への嘲笑だと勘違いした孫策が激昂して挑みかかってくる。しかし、余裕は無いが防御に徹している関羽はその攻撃を確実に一つずつ受けて流していく。たまによろけて見せるのも忘れない。
「伯符! 最後まで冷静でいろ! 油断するな!」
傍観している周瑜も関羽の動きが鈍っていくのをみて勝利を予感しているのだろう。その指示は確実に勝利を掴むための指示だ。
その時、関羽の耳に微かな嘶きが聞こえてきた。
「……来たか」
「おらぁ! そろそろ往生しろや!」
孫策が怒りに任せて大上段から剣を振り下ろす。関羽はその攻撃をあえて剣で受けず、地面に飛び込むように転がってかわすという過剰な回避行動をする。
「あ! ……さすが関羽」
体勢を立て直した関羽の位置取りを見て玄が感嘆の息を漏らす。
関羽があえて大げさな回避をしてまで移動した位置は、悪来が抜けた中州の橋を背に孫策を左側、周瑜を右側に望む位置だったのである。
その場所は、うしろから駆けつけてくる悪来と孫仁をもっとも安全な形で迎え入れられる位置だった。
ふたりが到着すれば、互いに背を守る形でそれぞれの敵に対することができ、到着後に動けなくなるであろう悪来をも守ることができる。そして、今度は孫策と周瑜のふたりを分断しつつ退路をも遮断する形になる。ただし……。
「……伯符、この位置からなら二人がかりで攻められる。一気にこの戦いを終わらせるぞ」
「おう!」
それはあくまで孫仁たちが到着すればの話である。それまでにその場所に移動してしまえば、孫策の言うとおり両サイドから挟み込まれる形で攻撃を受けてしまう。
だからこそ関羽は間もなく悪来と孫仁が到着するという、このタイミングを見計らってそこへ移動した。
「慌てるな周瑜よ……おまえの相手は私ではない」
関羽が剣を片手に髯をしごきながら周瑜を制止する。
「なに?」
周瑜が訝しげな表情で問い返そうとしたとき、関羽の背後より蹄の音が響く。
「む?」
「なんだなんだ?」
その音は孫策と周瑜にも届いたらしく、ふたりは関羽の背後に上がる砂煙を見つけ不審な目を向けた。だが、そのときには砂煙すら置き去りにして猛烈な速度で橋を渡った悪来が関羽の背後に どうっ! と倒れこんでいた。
「馬鹿な! あなたは!」
「おほ! 別嬪じゃねぇか」
悪来が倒れこむ寸前に宙へと身を躍らせ、ふわりと関羽の隣に着地した人物を見て、周瑜と孫策はそれぞれに異なる反応を見せた。
「おい! 公瑾。おめぇ、あの別嬪と知り合いかよ。小喬って嫁がいながら隅におけねぇな! お前もよ」
「ば、なにを言っている伯符! 私は小喬一筋……ってそんなことはどうでもよい! あれは! ……見てわからぬのか? 私よりもお前の方が…………だがそうか、お前が死んだときと比べれば印象が大きく違うのも当然か」
孫策が死んだときの孫仁の年を思い出して周瑜は頷く。
「あ? 何言ってるんだ?」
「伯符、あの方は仁姫。孫仁様だ。異母妹とはいえ実の妹だぞ」
「は? おいおいちょっと待てよ。レンはまだこのくらいだったんだぜ」
孫策は腰の上辺りに手をかざしながら笑う。
「伯符……同じことを何回も言わせるな。孫権様も成長されたお姿だっただろう。この世界では肉体が最盛期の頃の年代に戻るようだからな」
「おぉ! そっか。そうだったな……じゃあ、ありゃあ本当にレンなのか?」
周瑜は頷く。
「で、公瑾。そのレンが関羽の隣にいるのはどういう訳だ?」
孫策の声に剣呑な響きがある。
「く……やっぱり身内といえども敵には容赦しない感じだな」
予測していたとはいえ、まったく意に介す素振りがない孫策に玄は悔しげにうめく。
「孫仁様はお前の死後、劉備の下へ嫁いだ。関羽と面識があってもおかしくない」
「そっか、まあ細けぇことはいいや、公瑾。レンは俺の味方か? それとも…………敵か?」
孫策の握る剣に殺気がこもっていく。
「この状況から察するに…………敵だな」
「かぁ~悲しいね! 親父に弟に……さらに妹まで手にかけなきゃならねぇのかよ!」
と、言いつつも孫策は獰猛な笑いを浮かべ、特に動揺しているようには見えない。
「く、やはり馬を逃がしたのは失策だったようだ」
周瑜が舌打ちをして、自らも戦いに加わるべく剣を抜く。




