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ゲームに三国志の武将が封印されていたから解放するために戦ってみる (旧題:三国志~武幽電~)  作者: 伏(龍)
第2章

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34 断金

◇ ◇ ◇


 関羽たちを飲み込んだ波は、中州の沿岸部を根こそぎ洗いながら下流へと流れ去っていった。同時にあれほど激しく波打っていた水面も、不自然なくらいもとの穏やかなものに戻っていた。

 関羽たちを押しつぶした大波の轟音もすでになく、水を被った木々の葉から雫が落ちるポタポタという音だけがなぜか大きく響いて聞こえる。


「かぁ~!! 相変わらずえげつねぇなぁ! お前の必殺技は」


 そんな静寂を破ったのは、ガサリと茂みを掻き分けて中州の林から出てきた漢だった。 その手に弓を持っているところを見ると、先ほど矢を射ていたのはこの漢らしい。

 髪はぼさぼさ、衣服も軽鎧を着崩しており、一見みすぼらしそうに見えるが、不敵に笑うその姿は闊達で陰にこもる雰囲気は皆無である。それに格好こそだらしなくしているが、容姿は精悍であり身体も鍛えこまれているのがわかる。

 漢は下流を眺めながら、遅れて出てきたもう一人の漢に笑顔を向ける。


「だが、相応に溜めが長いのと使える場所が限られているからな。使える機会はそう多くないのが欠点だ」


 後ろから出てきた漢は、同じ茂みから出てきたにも関わらずまったく音を立てなかった。 こちらは黒く長めの髪はきっちりと綺麗に櫛が通され、その衣服にも一寸の乱れもない。 なにより、その容貌は男ですら息を飲むほどに整っている。だからといって、その立ち姿あらは軟弱な印象はない。

 弓の漢が虎のような強靭さを持っているとすれば、容姿端麗な漢は豹のようなしなやかさを持っていた。

 ゆっくりと隣まで歩いてきた長髪の漢に、弓の漢は笑いながら肩に手を回すと力強く引き寄せ、髪の毛をわしゃわしゃとこねくり回した。


「ちょ、何をする! やめろ! 伯符(はくふ)

「おまえは……あいっ変わらず、かてぇ! 俺が誉めてやってんだから遠慮なく喜びやがれ!」

「いまの言葉のなかのどこに誉め言葉があった!」

「うるせぇ! 俺がすげぇって言ってんだからそれでいいんだよ!」


 伯符と呼ばれた漢は笑いながら髪をかき混ぜ続けて、どう考えても手櫛では元に戻らないくらいになってからようやく解放した。


「伯符! ふざけてる場合か!」

「……公瑾(こうきん)、あれで終わったと思うか?」


 乱れた髪を直そうとせわしなく手を動かしていた公瑾と呼ばれた漢が手を止めて下流を見る。


「あれで片付いた可能性がないわけではない。だが……遠目にしか確認はできなかったから絶対とは言えないが、あの姿……そしてお前の弓を無傷で撃ち落とす武」

「関雲長」


 公瑾の言葉を遮って伯符が声を震わせながら言う。


「間違いないだろうな」


 公瑾の肯定の言葉に伯符の体が震え始める。その様子を横目で見ながら公瑾は小さくため息をつく。


「やれやれ、また悪い癖が始まりそうだな」

「なるほど……伯符、公瑾……孫策と周瑜(しゅうゆ)であったか」

「なに!」

「まさか!」


 突然聞こえてきたその声に、ふたりは同時に『振り向き』そこにいた人物に驚愕した。 あの波に押し流されたはずの人物が、まさか上流から現れるとは思っていなかったのである。


「江東の小覇王に美周郎(びしゅうろう)か……たいそうな呼び名だな」


 悪来に跨り、ふたりを高い位置から見下ろしながら関羽が湿った髯をしごく。だがしごくたびに垂れる水滴を見ると、今回に限ってはしごくというよりは絞るといった方が正しいか。


 孫策 伯符


 孫呉の礎を築いた3人の英傑のうちのひとり。

 3人の英傑とはひとりは孫策の父、孫堅であり、もうひとりは弟孫権である。孫策は武勇に優れ、豪放磊落で闊達な性格であったとされる。

 父、孫堅の早すぎる死により、若い頃は袁術の配下として雌伏の時を待つ。やがて、時を得て一気に江東を支配下に治めた孫策は孫呉の礎を築く。

 『断金の交』(=二人の友情は「断金」、つまり金属を断つほどに堅い絆で結ばれていた)と呼ばれた親友の周瑜と共に天下を取るべく意気軒昂であったが、江東平定の際に反抗勢力の襲撃を受け怪我を負ってしまう。

 幸い怪我は命に関わるものではなかったが、そのあと療養中に現れた干吉(うきつ)という仙人を世間を惑わすものとして処刑。しかし、処刑後にその于吉の亡霊に悩まされるようになり、呪いとしかいいようのない状況の中、傷が悪化して26歳の若さで死亡する。

 孫策は後継者に実子の孫紹(そんしょう)ではなく弟の孫権を指名し、その補佐役として張昭と周瑜を指名したとされる。



 周瑜 公瑾


 孫策の死後、君主となった孫権を補佐し全軍の指揮を任されるようになる希代の名参謀である。また、周瑜はその容姿が端麗なことから「美周郎」とあだ名されていたとされる。

 かの有名な『赤壁の戦い』においても優れた采配をとり、見事に曹操軍を追い返した。

 このとき自らの策を全て見透かしてくる諸葛亮を危険視し暗殺を企むも、果たせず。終始ライバル視しながら対抗したが遂に敵わず病に倒れてしまう。

 臨終の際にも諸葛亮からの挑発的な書状を読み「天はこの世に周瑜を生みながら、なぜ諸葛亮をも生んだのだ!」と叫び、血を吐いて憤死したとされる。

 周喩もまた若く、わずか36歳であった。


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