20 貴婦人
妖精はさっきとはちょっと違う、爪楊枝のような細いステッキを取り出すと先端から放出される光の糸で空中に魔方陣を描いていく。
「わ、凄い綺麗…」
茜はその幻想的な光景に見とれている。演出は違うが玄も同じことを体験しているのでその気持ちは痛いほど分かる。
そして、玄のときとおなじようにゆっくりと描かれていった光の魔方陣から、徐々に白い煙の様なものがあふれ出し、やがてそれは人の形へと変わっていく。
「……」
隣を見ると、最初は魔方陣の華麗さに『きゃぁ』とか『うわぁ』と言っていた茜も今は人影に釘付けである。しばらくすると、煙の向こうに直立した人影を残し、魔方陣は消えていた。
「女の人?」
その人影を見て玄が思わず呟く。なぜなら、現れた人影は直立していても明らかに小柄だった。そして長い髪をまとめたらしい頭部、そこを飾っているらしい髪飾り。ゆったりとした裾や袖口の広い服装も、明らかに女性のものだった。
完全に煙が晴れると、その人影はゆっくりと閉じていた目を開け、まっすぐに茜を見つめた。品があるたたずまいだがその眼差しは強い。強い意志を宿し、か弱い女性のイメージを感じさせない。それでいて決して無骨な感じはない。
意志の強い瞳、白い肌、赤い唇、整った顔立ち……。
「美人だ……」
ぱしっ!
思わず呟いた玄の後頭部に、茜は反射的に突っ込む。と、同時に驚愕から立ち直ったようだった。
「えっと……あなたは誰?」
とりあえず誰だかわからないのだから、茜の取った行動は間違っていない。
そう、これがただのゲームなら。
「……」
問われた女性は茜を見据えながら、その問に答えようとはしない。玄は、やっぱりなと内心で思いながらも話を進めたいので茜へと伝える。
「茜、まず自分から名乗る。そして相手に対してきちんと礼を尽くすんだ」
「へ? なんで? これゲームでしょ。なんでゲームのキャラ相手にそんな気を使うの。そもそもこっちの態度とかで、相手の行動が変わるような高度なシステム搭載されてるの?」
茜の疑問は至極まともである。
普通のゲームなら、こっちの音声を認識して相手がそれに応じた対応をするような高度なシステムなんてない。せいぜい、いくつかの選択肢に対応した反応を設定するくらいのもの。しかし……。
「茜、お前は正しい。詳しいことはあとで説明するから、いまはあの人をひとりの人間として、これから一緒に戦うことになる唯一無二の相棒として接して欲しいんだ」
玄の言葉にピンと来た茜はにやりと微笑む。
「あんた……なるほどね。昨日今日のおかしな行動パターンがなんとなく繋がったわ。了解。でも、あとできっちり話してもらうからね」
そう言って立ち上がった茜は、居住まいを正して相手と正対し、軽く頭を下げた。
「私は秋茜。でもこれは、ゲーム上の仮の名前。本当の名前は森崎茜よ。さっきは失礼があったかも知れないけど、こっちも知らなかったことまでは責任取れないし、それは水に流すってことでいいわよね。なんでも、これから相棒ってことでふたりでやっていくみたいだから、仲良くやりましょう」
一気にそう言って胸を張る茜。
「…………で、私は名乗ったけど?」
(うわぁ、茜らしい)
内心で冷や冷やしながら玄は成り行きを見守る。茜は玄の言葉を守り、これからの相棒として必要以上にへりくだらず、最低限の礼儀でもって相手と接しようとしている。
そんな茜の態度に、ずっと無表情に茜を見続けていた女性がゆっくりと袖で口元を隠して、くつくつと笑い始める。茜はそんな様子を不敵な笑みで見守っている。
「おもしろい人ですね。いいでしょう、私も名乗りましょう」
口元を隠していた手を下ろすと、真剣な目を茜に向けた。
「わたくしは……姓は孫、名は仁。孫仁と申します。『レン』、と呼んでもらって構いません。私もあなたを茜と呼びましょう。そういう付き合い方をお望みなのでしょう?」
レンは茜に問いかけるように微笑む。
「ええ、分かってもらえて嬉しいわ。女同士、仲良くやりましょう」
なんだか意気投合しつつある二人を尻目に、玄は今聞いた名前を思い起こす。
孫仁
演義では孫尚香と呼ばれることが多い。呉の君主、孫堅の娘で孫策や孫権の異母妹にあたる。
後に政略結婚として、30近くも年の離れた劉備と結婚し、仲睦まじい夫婦となる。
気が強く、身の回りには常に武装した侍女たちが付き、自身も剣や薙刀を操り、常に腰に弓を装備していたことから『弓腰姫』とも呼ばれていた。
しかし、後に劉備と孫権との関係が悪化すると、呉の参謀であった張昭と魯粛は母が危篤との偽報を彼女に送り、阿斗(後の劉禅・劉備の子)を引き連れさせ、共に帰国させようと計画する。
彼女は母の病状を確認するために、言われたとおり帰国しようとするが、それを趙雲や張飛らによって見咎められたため、阿斗を彼らに預け、彼女はそのままひとりで母国に帰国することになる。
そして、帰国した先で偽報だったことを知るが、再び劉備の元へ戻ることは許されなかった。彼女はその後、決して再婚はせず、後に劉備の最後の戦となる『夷陵の戦い』で劉備が戦死したという誤報を聞き、絶望して長江へ身を投げたという話が演義では語られている。
演義では、多分に脚色されることが多いため、そこまでドラマティックな展開だった訳ではないだろうが、劉備と仲が悪くなかったというのは本当のことだろう。
当然、関羽とも面識があるはず。しかし。劉備のもとを離れて、呉に帰ったとなれば事情はどうあれ、関羽にとっては面白くない出来事だったのではないだろうか。
(仮に同盟するとして、うまくいくか?)
ここまできたら、できれば茜と同盟を結び協力して戦っていきたい。しかし、関羽が納得しなければ同盟どころか共闘すら取れないだろう。
(また、説得か)
関羽を説得することの難解さが既に身に染みている玄は内心で盛大なため息をつく。 玄が考え込んでいる間に茜と仁は、システムの説明を受けていたらしく仁が初期装備の剣を降って、弓を引いていた。
「こうして武器を取るのも久しぶりですね」
仁は少し寂しげな笑みを浮かべる。
「あの人が怖がるので、一緒になってからは訓練もほとんどしませんでしたから……」
「えっと……玄?」
急にしんみりとした仁の様子を見て、何かあったのだろうと察した茜が玄に助けを求める。玄の影響でゲームや三国志に詳しくなってきたとはいえ、ゲームではあまり戦場に出ない孫仁の裏事情までを把握するには至っていない。
おそらく孫仁というのが、孫尚香と同一人物だという認識もないだろう。
「孫仁というのは、演義でいう孫尚香と同一人物だよ」
「え? じゃあ、あの劉備の奥さん?」
そこを玄が指摘すると、さすがに驚いた茜がまじまじと仁を見つめる。
その驚きはまっとうなものではあったが、玄にしてみればそろそろ孫仁の存在そのものの方に疑問を感じてほしいところである。
「孫仁、俺は徳水玄と言います。茜とは友人でこれからも多分顔を合わせることになると思います」
驚く茜をそのままに玄は孫仁へと話しかける。
「玄……と言いましたか? よい名ですね」
「ありがとう。それで、いきなりなんですが……ひとつだけ確認していいですか?」
「玄?」
突然話の主導権を握って話し始めた玄に、茜が訝しげな声を漏らす。
いつもの玄なら、他の人がゲームをしているところを脇から邪魔をするなんてことはありえない。それは、玄のゲームオタクとしての矜持に反する行為なのだ。
「孫仁、あなたは呉の君主孫権の妹……『ご本人』で間違いないですよね」




