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1 芸夢

「えー! そりゃないよおじさん! いくら何でも定価って事はないじゃん。俺とおじさんの仲だろ。ちょっとくらいまけてよ」


 狭苦しい店内で響いたその声には、切実な響きがこもっているように聞こえる。


「だめだよ、だめ。いくら玄くんの頼みでもこっちも商売だからね。この最新型携帯ゲーム機VSは、どんなに需要があっても、データ量管理の観点から出荷台数はメインコンピューターの指示する台数しか売りに出さないんだ」


 カウンターの奥に座る細身の初老男性は、だいぶん白いものが混じった前髪を手で払いながら答える。


「いいかい玄くん。第一回の出荷台数は五十万台。これ以上はメーカー発表を信じるなら、最低でも半年は出荷されないんだ。そして、そんな無謀な売り方ができるのもVSのスペックが、異常に高いからなんだよ。その評判は前評判段階で、すでに金色の折り紙付きさ」


 視線を動かさずに、全てを見渡せる狭い店内の奥で、初老男性がカウンターの向こうで一気に言葉を紡ぎ、足りなくなった酸素を求めて大きく息を吸い込む。

 しかし、その説明を聞いても玄と呼ばれた学生服を着た少年の勢いは、まったく衰えることを知らなかった。初老男性との間にあるカウンターに身を乗り出し、ぐいぐいと顔を近づけてくる少年の額を店主は慌てて両手で押し返す。


 今年、高校二年生に進級したばかりの徳水(とくみず) (げん)はあまり背の高い方ではない。昨年の身体測定では百七十センチメートルには、まだ五センチも足りなかったのが密かなコンプレックスとなっている。


 そんな玄だから、店主に詰め寄ろうとすればどんどんカウンターの上に体を乗り上げていくことになる。


「ちょっと玄くん、カウンターの上には座っちゃだめだよ、もう! いいかい? VSは、仕入れれば仕入れた分だけ確実に売れるってことなんだ。言い換えれば、確実に利益が計算できる稀有な商品なんだ。うちみたいな小さい店には正直ありがたい商品なんだよ」


 店主いうことが本当ならば確かに優秀な商品だろう。単価あたりの利益率がどの程度なのかまでは、分からないが売れ残りがないというのが保証されたような商品などそうはない。


「だから、VS端末を仕入れるために、私の方でもいろいろ手を回したおかげで多少は元手もかかっちゃってるんだ。商売をしている以上はどうしたって定価で売らざる得ないんだよ。プレミアつけてネットで売れば間違いなく定価じゃ買えないよ、玄くん」


 店内には店主と玄の他には客はいない。そのため玄と店主の会話は誰にも聞かれてはいない。


「わかってるよ! だからこそどうしても欲しいんじゃないか! どんなにレアでもおじさんのところなら、必ずどっかから手に入れてくると信じていたからこそ裏で予約したんだから」


 玄は顔面を変形させながら店主の手を押し返し、とうとうカウンターの上に乗り上げて正座すると深々と頭を下げる。


「ちょっと玄くん。カウンターの上に座らないでよ。それに、なにも売らないとは言ってないんだよ。むしろ玄くんに売ってあげるつもりでちゃんと1つ残してある。他の場所では開店と同時に売り切れているし、ここだって開店15分で私が掻き集めた50台のうち49台は売却済み。それにも関わらず、学校が終わってからここに来た玄くんには、まだ購入できる可能性が残っているんだよ。後は定価の4万9千8百円(税抜)を払ってくれさえすればいいんだよ」

 

 そんな玄に苦笑しながらも、店主は優しい目を玄に向けている。


「……どうせおじさんは学校さぼって買いに来たって売ってくれないのはわかってるから、我慢して学校にいったんだ。だからお願いおじさん! 4万にまけて!」


 カウンターの上で正座をしながら、両手を合わせて再度頭を下げる玄に店主は大きく息を吐き出した。


「玄くん……無茶を言わないでおくれよ。お金がない訳じゃないんだろう?」

「そりゃ……確かに財布には6万円きっかり入ってるよ。学校に内緒で、夜中にコンビニで働いて必死で貯めたんだ」


 店主はそれを聞いて微笑む。


「いいねぇ、玄くんは。本当にゲームが好きなんだね」

「何だよ今更。ゲームが死ぬほど好きでなきゃ、おじさんと付き合っていける訳ないじゃないか」


 ふてくされたように頬を膨らませた玄の言葉を聞いて、店主はもっともだと頷き、声を出して笑う。


「頼むよおじさん! 端末に定価を払っちゃうとどうしたってソフトが買えないんだよ。 せっかく端末を手に入れても、ソフトがなかったらMPのない魔法使いと一緒だよ」


 いかにもゲーム好きらしい例えを持ち出して、手を合わせながらひたすら頭を下げる玄。


「なるほど、相変わらず上手いこと言うなぁ。確かにそりゃ宝の持ち腐れ、役には立たないなぁ」


「だろ! だから何とかしてよ。何もVSを必ず値引きじゃなくてもいいんだ。同時発売のRPGロールプレイングゲーム『あるいはこんな冒険者』と一緒に税込みで6万! お願い!」


「うーん。あれだって定価は2万2千8百円(にーにっぱ)だからね。消費税も合わせれば、本体合わせて7万6千円を超えるんだよ」


 店主は手元の算盤を弾きながら、カウンターの上に正座する玄を見上げる。


「そうだなぁ……いくら玄くんでも7万! 税込み7万までが限界だよ」


 最後通告としての店主の言葉に、一瞬がっくりと肩を落とした玄だったが、すぐに勢いを取り戻すとさらに店主に詰め寄った。


「そんなぁ! ……じゃあつけ(・・)! つけ(・・)といてよおじさん! 後2週間すれば残りのバイト代が入るからさ」

「じゃあ、それからおいでよ。とっておいてあげるから。さすがに高校生のうちから、つけ(・・)で物を買うなんて事は覚えさせられないからね」


 店主は優しく玄を諭す。


「えー! それはないよおじさん! おじさんが青少年の教育に厳しいのは知ってるけどさ。そこを何とかお願いします! こんな宝箱を目の前にしながら引き返すみたいなことできないって!」


 またしてもマニアックな例えを持ち出して必死に食い下がる玄。玄だって普通の例えが出せない訳ではないのだが、お互いに認め合う程のゲーム好きの2人だ。こういった例えの方が、気持ちを理解して貰えるらしい。


「うーん……確かに。ダンジョン奥深くまできて、そこに宝箱が見えてるのに、瀕死の重傷を負った身であと数歩が歩けない。しかし、かろうじて帰還の呪文は使える……途中セーブはできない。全滅すればここまでの苦労は全て水の泡。敵と遭遇(エンカウント)しないと信じてあと数歩を強行するか、それとも泣く泣く帰るか……私ならそれまでの苦労を考えると帰るしかないかなぁ、辛いなそれ」


 妙に具体的な納得の仕方をしながら頷く店主。


「だろぉ! だから、おねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがいおねがい! おじさん!」


 怪しげな呪文を唱えるかの様に、ひたすら懇願する玄を見て弱り果てる店主。ハードの数に限度があるVS関連のものは、なにからなにまで実に割高である。

 需要が異常なほどに高いわりに、購入することのできる人数が限られているため、ソフトもその台数を遙かに上回る量は市場に出しても売れない。


 だが、そのVSシステムを利用したゲームは、絶対に利用者を(とりこ)にできる。

 だから、高い開発費に比べて、少ない売り上げ数をカバーするだけの値を付けざる得ないソフトにも、VS所持者の購買意欲はいささかも衰えない。そう、自信を持っていえる程にメーカーはVSシステムに自信を持っている。


 店主は、玄の為に取っておいた最後の一台を置いてある自分の背後の棚を見てため息をつく。徳水玄は自分の数少ない友人である。

 自分の趣味と実益を兼ねた、このリサイクルゲームショップ『芸夢(げいむ)』が開店した時の一番最初の客でもある。そして、それ以来の付き合いで天涯孤独の我が身をおじさんと呼んで慕ってくれる得難い友人だった。


 本当のところは、いっそ無料(ただ)であげてもいいくらいに玄のことが可愛い、というのが本音である。ただ、だからこそ玄を特別扱いして甘やかしたくないのである。

 ほしいものは自分で努力して稼いだお金で、正当な対価を払って買う。自分の孫や甥のように思っている玄だからこそ、そんな当たり前のことを忘れて欲しくなかった。


 そう思っていたのだが、あまりにも必死に頼みこむ玄の様子に、そろそろちょっとは妥協してもいいかと思い始めた頃、その視界の端に一本のソフトが目に入った。

 店主は「あっ」と小さく呟くと、自分の思いついた考えにいたく満足して、満面の笑みを浮かべた。


「玄くん!」

「な、なんだよおじさん……急に大きな声出してさ。もしかして、しつこくしたから怒った?」


 慌ててカウンターから降りて姿勢を正した玄を見て店主は笑って首を振る。どうやら迷惑なことをしているという認識はあったらしい。


「違う、違う。玄くんは結局のところ6万円でVSと、なにか一つソフトが手に入ればいいんだよね。RPGは2週間後のバイト代の後でも構わないんだよね?」


 玄は突然の店主の言葉に、ちょっと考える仕草をすると慎重に答えた。


「……うん。確かにそうだけど、でも確か今日発売のものって、あとはギャルゲーじゃなかったっけ。立体投射の女の子に興味がない訳じゃないけど、それにお金は使えないよ。これから欲しいソフトもどんどん出てくる予定だし」


 玄の言うギャルゲーというのは物語の主人公になった自分が、様々なシチュエーションで出会う個性豊かな女の子たちと知り合いになって、徐々に仲良くなっていくというものである。玄だって健全な男子高校生だ。バーチャルで投影される女の子たちに興味がない訳ではないが、予算に限りがあるのなら自分の好きなRPGやシュミレーション系のゲームを優先したい。


「玄くんの好みは、わかっているつもりだよ」


 店主が、笑いながら玄の前に差し出したのは透明なケース。その中に透けて見えるMOサイズのゲームソフトには、なんのデザインもされていない。見た目から判断できる情報は、そのケースに貼られたラベルともいえないようなシールに印字された文字だけだった。


「三国志……ぶ、ゆう……でん。て読むのかなこれ?」


 渡されたケースを手にとって、訝しげな表情でその文字を読み上げる玄に店主は、にやりと頷く。


「そうみたいだね。『三国志~武幽電~』VS対応ゲームなんだけど、まだ試作段階っていうか、取り敢えず限定百本で体験版みたいな感じらしいよ。まだ非公式な物らしくて、店頭には並べずに手渡しで売ってくれっておかしな制約つき。だから大きな販売店よりも、うちみたいな小さな店に優先で回しているらしくてね。VSの確保に奔走していたときに、ある経路から手に入れたんだ」

「ちょ、おじさん。ある経路って……そんな怪しげな」


 といいつつ玄はそのソフトを手に取り、きらきら輝く目でそれを見つめている。店主は想像通りの反応を見せる玄を見て、さらに笑みを深める。


「玄くん? 三国志と名が付いたらどんな『くそゲー』でも……」

「やらずにはいられない! おじさんこれいくら! 結構こういう怪しげなルートの物ってすっげー面白かったりするんだよ! 独自の三国志解釈とかもあったりして、その意外性が楽しかったりするんだよね、おおー早くやってみたい!」


 そう、徳水 玄の好きなものはゲーム…………そして三国志。


 小学生の頃に某メーカーの三国志ゲームに玄ははまった。そして、それ以降は漫画、小説、テレビ、ビデオ、映画、果ては人形劇三国志に至るまで、ありとあらゆるものを網羅しようと日々研鑽している。高校生にしてその知識量は、すでに三国志オタクと言われるのに十分なレベルに達している。


「そうくると思っていたよ。定価は1万5千円だけど、VSとセットできっかり税込み6万円。それでどうだい?」

「買った! ありがとうおじさん!」


 残りのバイト代が入るまでの2週間、ひもじい生活を強いられる事になるが、そんなものは玄にとってはいつものことで、もとより覚悟のうえ。思い切りよく財布の中身を掴み出してカウンターに叩きつけた。


「毎度あり! あっ、それと玄くん。VSを開けるのは、きちんと家に帰ってからにするんだよ。たちの悪いかつあげの的にVSは充分なんだからね」


 代金を受け取り、紙袋に入れられたVSとソフトを受け取るなり、さっさと走り去ろうとする玄の背中に店主が声をかける。


「わかってるって。本当におじさんは心配性なんだから。なんだか本当の親戚みたいだよ」


 玄は、店主が外から見てわからないように気を使って包装してくれたVSを、感無量で抱きしめながら笑う。


「はは、私には家族がないからね。息子や甥がいたらこんな感じかなと楽しませてもらってるよ」


 店主も、玄に手を振りながら笑う。


「ちぇっ、皮肉ってら。無理矢理商品値切ろうとする客が可愛いわけないじゃん」

「へぇ、無理矢理値切ってるという自覚はあったわけだ」

「おおっと、やぶへび! じゃあねおじさん、またなんかあったら頼むね」

「気を付けて帰るんだよ!」


 無邪気な笑顔を見せながら、店を飛び出していく玄に声をかけながら、店主は暖かい微笑みで見送る。


「さて……司の言っていた事が本当ならすぐにでも玄くんが戻って来ることになるかもしれないが……どうなることか」


 『芸夢』の狭い店内へこぼれた、店主の憂いを帯びたため息は、来店したお客の為に作られた笑顔の中に溶けて消えた。


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