9 茜
自宅への帰り道、店主に言われたことを考えながらのんびりと自転車をこいでいた玄だったが、まだ決断するまでには至らず、そのまま自宅に帰る気にはなれなかった。そこでふと思いついた玄は、急遽ハンドルを切ると角を曲がりとある公園へと向かった。
その公園は、自宅からほど近い場所にある玄の幼い頃からのお気に入りの場所であり、母親である恵と玄の公園デビューの地でもある。さほど大きい公園ではない。小さなジャングルジムと砂場と滑り台、そしてブランコ。あとはベンチが数脚と小学生がドッチボールをするのにちょうどいいぐらいのスペース。
それがこの『桜公園』の全貌だが、その名前の示すとおりこの公園の周りは桜の木が植えられていた。
そして、いまの時期ならまだぎりぎり桜が咲いている。日も暮れてくれば、ささやかな花見を楽しむ大人たちがいるかも知れないが、いまの時間ならば比較的静かだと思ったのだ。
到着してみると案の定、公園内は数人の子供たちが砂場で遊び、それを見守る母親が1人いるだけで静かなものだった。そして開花以降の好天気に恵まれて、比較的多くの花を残していた桜は、その淡い花びらを惜しげもなく風に舞わせ、散りゆく花びらの雨は玄の気持ちを和らげてくれた。
玄は自転車を公園内に乗り入れて、ベンチの脇に止めるとベンチに座って空を仰いだ。
そこには桃色の桜の向こうに広がる青い空が見える。
「いい天気だな……」
頬を温める優しい陽射しを受けながら、穏やかな気持ちで目を閉じた玄は、店主に言われたことを考える。
おそらく関羽は戦いに赴くことを厭いはしないだろう。そして、余程の事がない限り負けることもない。ただし……あくまでその戦いが千八百年前の条件と一緒ならば、である。
関羽たちは、霊体を一部デジタル化されて、プレイヤーへの服従と同時に特殊能力を与えられている。例えば関羽ならばステータス画面を確認するとこうなる。
『関羽
体力: 100
武力: 98
知力: 79
技能: 武器5/罠2/馬5/指揮4/術2(火2・風1・水3)
必殺技: 青竜斬(武)/火旋撃(武)』
体力は待機モードでは減ることはない。そして待機に戻れば、時間と共に最大値100まで回復する数値だが、フィールドでダメージを受けたり、術や必殺技を繰り出すと減少する。当然これが0になると死亡扱いになりゲームオーバーになる。
武力と知力はそのままの意味。最大値は原則100まで。だがゲーム内で手に入れられる装備品により実質その値を上回ることもある。
技能。これはどうやらそのまま武将たちが身に付けている技術を五段階に分けて表示しているらしく、技能欄は武将ごとによって内容は千差万別のようだ。
ここまでは、実際の能力を数値として表しただけなので、プレイヤー側にとっては貴重な情報だとしても関羽にとってはなんら差し支えはないだろう。
問題なのは術と必殺技。術は早くいえば魔法だ。火なら火を出すことができるし、風なら風を吹かすことができる。使い方、使いどころは使う者次第だが、うまく使えば戦局をかなり有利に運べることになるだろう。
術に向いているかどうかを術レベルが示しており、更に使える術とその個々のレベルが表示されている。術レベルが高ければ、術使用時の体力の消耗を低く抑えられるし、個々のレベルが高ければより強力な術が使える。
必殺技は術との併用や力を込めた一撃で、普通の攻撃よりも威力の高い攻撃を繰り出せるが、その代償として体力を消耗する。関羽の場合は武器を使った必殺技であるため、武器レベルが高い関羽は少ない体力消費で技を繰り出せるはずだ。
おそらく、これが文官タイプの武将ならば術主体の必殺技を使うことになり、術レベルが重要視されることになるのだろう。
そしてこの2つの能力は関羽が生きていた時代にはなかった能力。当然関羽には対策も使い方もわからない。関羽一人の力はとても大きいが、そういった特殊能力は得てして大を上回ることがある。様々なゲームをやり込んできた玄にはそのことがよくわかる。となればこの戦いで関羽が勝ち残る為には、そのての戦い方に精通した自分の力も役に立てるのかもしれない。玄はそう考えるようになりつつあった。
「……! …………っん! 玄ってば!」
(とにかく少しでも長く勝ち残ろう……その間に何か考えればいい。負けてしまったらたぶん二度とこのことにかかわる機会はなくなるような気がする。俺に何ができるかはわからないけど、俺以外に武将たちを解放してあげたいと思う人がいなかったら、関羽たちはいつまでもあのままかもしれないしな)
「玄! 玄ったら! 次呼んでも無視したら殴るからね。5秒前、4、3、2、1、0。せーの、玄!」
(よし! 今夜、関羽と話し合おう。俺にも手伝わせてくれって。うん、そうと決まれば重く考えるのはやめだ! とにかく優勝するまでに何か考えればいいんだから。きっとおじさんも協力してくれるだろうし何とかなるさ)
落ち着いた雰囲気の公園で、ゆっくりと考えられたのかよかったのか、もともとが楽天家の玄らしく見事に気持ちを切り替える。
「はい、ぶっぶっー」
ゴスッ!
「ぶっ!! ぐえっ! な、な、ななんだ!」
ようやく気持ちの整理ができて、気分をすっきりさせた玄が気持ちよく目を開けようとしたその瞬間、玄の額に激しい衝撃が襲う。さらにベンチに腰掛けて上を向いていたからたまらない。一瞬だけ首が気持ち悪いくらいにのけぞった。
額と首の痛み、そしてむせかえって咳こみ、涙目になりながら額と首を押さえて目を開けた玄の目の前には、すらりとしたジーンズに淡いピンクのティーシャツ、その上から白いパーカーを羽織った女が腰に手を当てて仁王立ちしていた。
玄は見知ったその人物を確認すると、なんとか息を整えて口を開く。
「う、ごほ……あ、茜か。お前なぁ、いきなり人を殴るなんてどういうつもりだ? 危うく首の骨が折れるところだぞ!」
「なに言ってんのよ! 私は何度も何度も玄を呼んだし、答えなければ殴るって宣言して呼んだのに、それでも無視したのは玄でしょ!」
染めてるのか、それとも地毛なのか分からないが、淡く茶色がかった髪をポニーテールにまとめた茜は傲然と言い返す。
「そんなの知るか! 何も殴らなくたって優しく揺するとか、気付くまで隣で待つとか、もっと女らしい対応の仕方があるだろ」
全く謝るそぶりのない茜に、玄もちょっとむかっとしてムキになって言い返す。
「……玄は私にそうして欲しい?」
「え?」
当然同じテンションの反応を予測していた玄は、ちょっと真面目な顔で問い返され思わず言葉に詰まる。
高校に入ってから知り合った森崎茜は、一年のとき同じクラスになり、自己紹介で自宅が思ったよりも近いということがわかってから、少しずつ話すようになった。そしてこの春、進級した今年も同じクラスになり、やや腐れ縁になりつつあるが一般的な見識からいえば10人のうち8、9人は可愛いと答えるほどの美少女だ。
だが、それはお嬢様系や清楚系の可愛さではなく、元気一杯の快活系美少女。明るい性格とメリハリの利いたスタイルで女性としての魅力を十分に持っている。
玄と茜が通う高校では、密かに彼女を思っている男たちも少なくない。いや、むしろ間違いなく多い。しかし、引く手数多の彼女は、今までどんな相手から告白を受けてもOKを出したことはなく、校内では誰が茜を落とすのかと噂になるほどだった。しかし、意外なことにそんな彼女は玄と仲がいい。それはもう周りから見れば恋人同士じゃないかと勘ぐられるぐらいに。
玄は自分が一種のゲームオタクであることを隠そうとはしていない。むしろ、あとでばれて引かれるよりはと前もって公言している。そのせいなのかどうなのか、比較的まともな外見の割に女子に人気がない。
どうやら女子高校生という世代には『オタク』という言葉だけで、その人間を低く見てしまう傾向が未だに根強くあるらしい。ただ、対する玄はそんなことは一向に気にしない。女子に人気が無いのは寂しいことではあるが、自分の本当に好きなことを隠して生きるのはもっと寂しく虚しいと思っているからだ。
玄はゲーム好きとはいっても性格は明るく社交的で、そこそこ成績もいいし運動だって平均点以上は取れる。玄のオタクというレッテルさえ気にせずに歩み寄れば、玄は楽しく信頼できる好人物といえる。
その点、茜は偶然に感謝している。入学当時、まだ玄がゲームマニアの徳水と定義される前に、ただの徳水玄として知り合ったお陰で、先入観に惑わされることなく玄を知ることができたからである。
そして、一度玄を知ってしまえば、あとからゲームオタクということが発覚しようが『それってなにか彼のマイナスになるようなものなの?』と思えるようになる。むしろ、周りがマイナスに思うことを充分に承知しながらも、偽らない玄が格好良くさえ見えてくる。
茜に今まで好意を寄せてきた男の子たちは、確かに見た目が格好良かったり、運動神経抜群だったり、女心をくすぐるような語りをしてくれたりしていたが、茜にはそのどれもがなぜか薄っぺらく見えたのである。なぜなら誰も玄ほど、なにかに打ち込んで夢中になっているようには見えなかったから。
茜にしてみれば、野球に夢中になるのもゲームに夢中になるのもさして変わりはない。昨今ではプロのゲームプレイヤーとして年間数千万を稼ぐような人だっているのだ。
ようは陸上競技の百メートル走か、二百メートル走か程度の僅かな違いしかない。どちらが上とか下とかという問題ですらない。どれだけ真剣に取り組んでいるかが大切だと茜は思っている。
ただ、だからといって玄の事が好きなのかと聞かれると、少し考えてしまうというのが茜という人物だった。
確かに、他の男の子には感じない魅力を感じているし、結構気にはなるし、かまってもらいたかったりする。玄の見ている世界を見てみたくて、高い身体能力を買われて誘われた幾つもの運動部の誘いを断り、学校からは非公認のゲーム同好会に玄と共に在籍しているのもそういった理由からだ。
親友の舞に言わせれば……。
「あんたは玄くんを好きだということを素直に認めたくないだけ。何となく惹きつけられてそうなったから、スイッチが入ったことに気がついてないだけよ。特に大きなイベントっていうか、きっかけがあった訳じゃないし、玄くんも鈍いからあんたが意識するような言動は取らないでしょ。これでライバルでもいれば、あんたも焦って気づくんでしょうけど。幸いというかなんというか、玄くんのああいう趣味が防壁になって今のところ悪い虫は近づかない。あんたは安心していられる訳ね。あんたは自分が玄くんを好きだって気づく、ロマンティックなきっかけが来るまで気づいていない振りをしていたいのよ」
そう言われると「なるほど……言われてみれば思い当たる節はある」と思わなくもない茜だが、それだけはっきりと言われてしまうといい気はしない。その感情が顔に出たのを目敏く見つけられてしまうと舞はにやりと人の悪い笑みを浮かべる。
「あたしは別にあんたたたちがどうなろうと構わないけどね。ただ、お節介な友人その1として一つ忠告してあげるわ……確かに悪い虫は寄ってこないかもしれないけど、玄くんが寄りたくなるような花がいないとは限らないわよ。玄くんはイメージが悪いだけで、外見も中身も申し分ないんだから、自分から動き出せばすぐに周りの風聞なんて間違いだってことにお花さんも気づくでしょうね。あとはそのお花さんが、どう心境を変化させていくのか……あんたが一番よく分かるんじゃないの?」
舞のその言葉に、茜は否定的な意見をなにひとつ返すことができなかったのである。
結局、自分の恋愛スイッチが入っていることを確信するまではできなかったが、自分に恋愛スイッチがあって、それがどうやら入っているのかも? というくらいには自分の気持ちに気づいてしまっていた。
ところが肝心の相手である玄は全くそんな素振りを見せない。それなのに自分だけが、そんなふうに考えて悩んでいることが最近の茜としては無性に悔しく感じていた。と同時に友人に煽られてしまったために、なんとなく感じるようになってしまった不安も胸に燻っていて、落ち着かない毎日を過ごしていたのである。
そんな状況だったせいもあり、家でのんびりとしていたら、もやもやといろいろと考えてしまっていた。そうこうしているうちに、どうせ玄は、家でのほほんとゲームでもしているんだろうな、と思ったら今度はだんだんとむしゃくしゃしてきてしまったのである。
もう、それならばいっそ玄の自宅まで押し掛けてやろうと思いきって家を出た。
しかし、ちょっとドキドキしながらインターフォンを鳴らすと、既に顔見知りになっている玄の母、恵に玄が外出していると言われてしまった。それはまだいい、問題はそのことを聞いた自分が、想像以上にがっかりしてしまっていることに、気がついてしまったことだった。
すぐ帰ってくると思うから寄っていかない? と恵が家に誘ってくれたが、玄がいない家にこんな動揺した状態で上がりこむのは、いろいろ問題がある気がしてお誘いを力無く断り、とぼとぼと家に帰る途中に通りがかった公園で偶然玄を見つけたのだ。
そのときの茜の顔は、自分では気がついていなかっただろうが、おそらく自分で見てしまったら、恥ずかしくて顔をあげられなくなるほどに劇的な、哀から喜への変化だった。




