お父さん参上
「咲、先程から周りが俺たちを見ているような気がするのだが…」
様々な店舗が並ぶ大通りの中を並んで歩く男女。
恋人同士と見られているのかもしれない。それだけなら別段特別なことではないはずで、そこらを歩く男女などそこここに溢れている。
が、要因は非常にシンプルなことだ。
この隣を歩く男が周囲の視線を集めているのである。
私よりも頭一つ分は大きい彼は、きっと眦を尖らせ、ガラスで出来たような青い瞳をきょろきょろと忙しなく周囲へ廻らせている。
今日は陽射しが強く、首の付け根辺りまでちょろっと伸びたはちみつ色の髪が光を受けて輝いているようだった。
白いうなじは日差しに灼けてきたのか、じんわりと赤くなっている。
くっきりとした二重の瞼がこちらへ改めて視線を移すと、咲、暑い…と文句を垂れた。
「もうちょっと我慢して。もう少しだから」
注意をすると、雑踏のそこここから注がれていた(主に女性の)視線が背中へちくちくと刺さる気がした。
ーーーーやっぱあれ彼女だよ。
ーーーーやっぱそっかぁ〜いいなぁ〜イケメン。
(聞こえてますよー。まあ悪口じゃないだけましかな…)
休日の昼時は多くの人が行き交い、中には羨まし気にこちらを見つめてくる視線もあった。
主に女性の視線を集めて止まないのが、この隣を歩く見目麗しい男という訳だが、私にもおまけのように視線が注がれる訳で。
こちらは至って平凡な顔立ちをしている訳だから、中には
釣り合わない
だの
うそ、ブスじゃん!
だの罵詈雑言を囁かれるのである。
(もう、余計なお世話だよ‼︎)
視線から逃れようと足早になると、暑さにノロノロ速度が落ちていた彼が、慌てて後ろを付いてきた。
「置いていくな!咲!」
まるで大型犬が飼い主の元へ駆け寄るようだったので、周囲の視線がまた羨ましいやつ。と私を見る。
はぁ、と私は抑えきれずにため息をついた。
ため息をつかせる原因を説明すると、まず私の父親の話からしなければならない。
父は世界的に有名な考古学者で、その界隈では父の名を知らぬ者はいない程だというが、実際のところ私にはさっぱりわからない。
娘から見れば、いつもよれよれの無地のポロシャツにジーパンを履いた冴えないおじさんである。
今年55歳になる割には頭頂部は豊かだったが、この年の男性の例に漏れず中年太りしており、全体的に丸みを帯びたフォルムは、近所の小学生達にクマさんと言われている。
父もそれを特に気にしている訳ではなく、むしろ気に入っているのか、クマさんになりきって、子供と遊んでいるのを見たこともあった。
またある時は、考古学の研究だと言って、いつの間にか家を出ていき数日帰ってこないこともあり、かと思えばいつの間にか帰ってきて、考古学研究の延長線なのか台所で何やら実験をしていたりする。
今は亡き母曰く「いつまでも少年みたいなお父さんが好きなの」ということで一緒になったようだが、娘のこちらはたまらない。
私のお気に入りのマグカップは割るし、突然いなくなってはいつの間にか帰っていたりと、こちらは振り回されてばかりだ。
そんな父がついにやってしまった失敗の結果が、こちら。
はちみつ色の髪に真っ青な瞳。
彫刻のように白い肌と高い鼻を持ち、くっきりとした二重瞼は少し垂れて甘い印象になるが、きりりとあがった眉尻が、精悍な面立ちにしている。
頭身は、私の頭一つ分あるので180cmはあるんじゃないかと思う。
要するに非の打ち所がないイケメンである。
そこで何が失敗かって、彼が望んでここにいるわけではなく、強制的にこちらへ連れて来られたことにあった。
彼と初めて出会った瞬間を鮮明に思い出せるのは、つい昨晩の出来事だというのもあるけれど、混乱状態に陥った彼が剣を振り回して大暴れしたことも原因だった。
***
「どういう事か説明しろ!貴様がやったのか!」
怒声もかくやという程の大声で叫ぶと腰に帯びた長い筒状のものから、すらりと鈍く光る長物を取り出した。
血の気が引くという表現を初めて実感した。それを目にした時、首筋から腰の辺りまですぅっと冷たくなるのがわかるのだ。
「ちょ、もしかしてそれって…け、剣じゃな」
ドスッーーーー
言い切る前にその剣が私の背後の扉へと突き立てられる。
ひゅっと息を飲む間に、ズボッと音を立てて剣が引き抜かれると、扉を隔てて見えないはずのリビングが見えた。
カチャッと重たい金属音が耳を掠めると、その切っ先が目の前に突きつけられる。
「俺はラスキア国が第八王子ゼノヴァルトゥール。俺の手に掛かるとは、冥府の女神ラパルマへの良い土産話になるだろうな!」
ひっ何言ってるか、わかんないけど、とにかく私の命が危ないのだけはわかった!
「やめてやめて!!ちょっと落ち着いてよ!!」
「命乞いか!」
「そうだよ!だからそれしまってってば!」
「小癪な外道が!」
いやぁぁあ日本語なのに言葉が通じないよおおお!!!!
まさにその男が剣を振り下ろそうとしたその時、思わず目を瞑った私の耳に、パチパチパチと乾いた音が響いた。
恐る恐る目を開けると、目の前のその男も何が起こったのかわからないのか、ぴたりと手を止めて辺りを見回している。
「やったー!咲ちゃん!お父さん成功したよ!」
声のした方を振り向くと、つい先ほど風通しの良くなったドアが、いつの間にか全開になっていて、そこには丸いフォルムをしたおじさんが満面の笑みを浮かべて立っていた。
パチパチパチという音は鳴り止まず、よく見ればそのおじさんは拍手している。
「お父さん!!」
思わず叫ぶと、お父さん?と目の前の男は私と父を交互に伺って復唱した。
父は満面の笑みを絶やさず、散乱した本をよいしょ、と掛け声をかけながら避けて部屋に入ってきた。
「これも研究の成果だよねーたまたま見つけてきた古文書でさーいやはやなかなか解読するのが難しかったけど、さすがそこはお父さん!見事に解読して成功したんだな、これが!」
緊張感のかけらもない明るい声に、男は戸惑っているようだった。
その隙にそろそろと立ち上がって、父の元へ素早く駆け寄る。
「でさーお父さんが何を成功したって、咲ちゃんの為にいいものへぶぅ!!!!」
抉りこむように父の重厚なお腹へ拳をめり込ませた。
「ぐおおおおお父に手を挙げるとはぁ…お母さんと出会った日を思い出す…」
「そーゆーのいいから!またなんかやったんでしょお父さん!あの人は何なの!?」
明らかにこの現代日本にあるまじき格好をした男を指差して父に詰め寄る。父はというと、おお、銀の防具かぁかっこいいねぇなどと呟きながら、男をしげしげと見つめて、うんうん。なかなかイケメン!などと大きな独り言を言っている。かと思うとくるりと私に向き直ってトンデモないことを言い放った。
「咲ちゃんに彼をあげるよ!」
は?
父の突然の言葉に二の句が告げなくなる。ほったらかしにしていた男も状況が飲み込めずに、目が点になっている。
その様子が面白かったのか、父は、あははははと豪快に笑ってなおも言った。
「咲ちゃんも、もう24歳でしょ?今までカレシの1人もできたことないでしょ?だからさ、カレシにいいんじゃないかと思って!」
頭がついていかない。酸欠になった魚のようにパクパクと空気を食べて言葉にならないまま、父と男を交互に見やると、男がついに声をあげた。
「何を言いだすかと思えば…まるで家畜の売買のように…俺はお前たちの家畜になどならないぞ!ここでお前たちを殺してやる!」
「わーちょっと血の気が多いね」
「血の気とかそういう話じゃなきゃあああ!!!!」
再び男が剣を振り上げて襲いかかってきた。思わず頭を抱えてしゃがみこんだが、父は無抵抗のままだった。
父が文字通り剣の錆となる未来が頭を掠めたが、その時信じられないことが起きた。
カキィンーーーっと金属音がぶつかり合うような音が一瞬にして部屋に響き渡り、同時に重い物が壁にぶつかる鈍い音がしたのだ。
そろそろと目を開けると、父が仁王立ちしており、部屋の隅で呆然と壁にもたれている男がいた。
よくよく父を見れば古ぼけた本を片手に持っていて、開いたページが衝撃の余韻かパラパラと風に波打っている。
「ふふふ。君を召喚したのは僕だよ。無駄な抵抗は止めた方がいいと思うなぁ」
はっはっはと鷹揚に笑う父はまるで悪役である。いや、きっとあの男にとっては悪役の魔王に他ならないだろう、悔しそうに奥歯を噛み締めて父を睨みつけている。
と、いうことで。と父がパンっとかしわ手を打って言った。
「僕は君と契約をしたんだ。君だって契約を結んだはずだよ」
話について行かれないが、耳を傾けることにする。男の方はというと、はっと息を呑んだ。
「確かに条件を呑んだが…こんなことは聞いていない。何故俺が貴様の家畜になる話になるんだ」
「家畜なんて言ってないでしょ?僕と契約したんだから、娘のカレシになってよ!」
「カレシとはなんなんだ!奴隷か!」
何だか頭痛が起きてきた…。
「ちょっと待ってお父さん…状況が読み込めないんだけど…」