第四話 ネコ美さんは見た
猫は時々、虚空を見つめる。
それが外の景色や、青い空であったりすれば良い。何の問題もない。
だが時にそれは天井であったり、部屋の壁であったりする。するとどうだろう。途端に何か意味があるるように思えてはこないだろうか。
やつらが実は建築に興味があって「この壁良い建材使ってんな」とか、「この構造、脆くね?」とか思っているなら良い。あまり問題はない。後者は不安になるが。
あるいは虚無にこそ美を感じる人種(猫種?)で、部屋の隅や天井に至る無の空間に親しみを覚えているのでも良い。これも大した問題ではない。共感はしかねるが。
人間とは想像する生き物だ。未知のものや空白があれば、そこに物語をつくることで無理解や不足を埋めようとする。
しかし今回の「猫が虚空(それも壁だの天井)を見つめる理由」の物語を、「建築に云々」、「虚無にこそ云々」でよし補完できた、と納得できるだろうか。
そこで新説の登場――猫には人に見えない何か、要するに霊的な何かが見えているのではないか――とする説だ。……まあ本当は新説などではなくて一般に、というよりかは猫を飼った経験のある人達によく言われていることなのだけれど。
それはさておき。古くから猫は神聖視されたり、物の怪として畏怖の目を向けられたりしてきた。
古代エジプトにおいて猫は神聖な生き物とされ、貴い人達と同じようにミイラにして猫型の棺に入れ葬られていたそうだ。しかも頭が猫のバステトなんて女神もいるし、よほど猫を重要視していたのだろう。
逆に日本では猫が妖怪に変化した化け猫だの猫又だのがいて恐れられたりしていたし、中世ヨーロッパでは魔女の使いとして迫害されたりもしていたらしい。
当時の日本では、尾の長い猫が妖怪になるとして避けられたり尾を切られたりした程度で済んだ(十分ひどい話だけど)そうだ。だが中世ヨーロッパでは、猫の数が減ったせいでネズミが増え、ペストが流行ったんじゃないか、なんて言われるほど多くの猫達が殺されてしまったようだ。
このように昔の人達だって聖邪の違いこそあれ、猫に不思議な力を感じずにはいられなかったのだ。
〝猫が見つめる虚空の先には何かがいる〟
なんてトンデモな説が我々現代人の間でそれなりの説得力を持って受け入れられようと、何の不思議もないだろう。
――で、こうして長々と語ってきたけど結局何が言いたかったのかって?
それは「猫が壁とか天井見つめてると何かコワイよね」ってこと。まあ実際はあいつら耳が良いから物音が聞こえている方を見てるだけなんだろうけど。
――でも、猫のそれはいいとして、ネコ美さんの方はどうなんだろうか。
* * * * *
「……ネコ美、さん?」
俺はネコ美さんの方を振り返った状態で固まっていた。
「……」
ネコ美さんは沈黙を保ったまま、ピンと耳を立てて部屋の隅の一点をただ見つめている。
「ネコ美さ~ん?」
「……」
「ネコ美さん!」
「っ!?」
ようやくこちらの呼びかけに気づいたネコ美さん。
「なんかずっと部屋の隅見てるけどどうかしたの?」
ネコ美さんはかなり驚いたようで、胸を押さえながら肩を上下させていた。しばらくすると落ち着いたようで、
「なに?」
と問いかけてきた。しかし、どうして俺は気づかなかったのか。よくよく考えてみればネコ美さん自身がそんなようなモノなんだから、あいつが見えたとしても全く不思議じゃない。
「……ネコ美さんにも、見えるのか?」
「??」
ネコ美さんはよく分かっていない様子。ではもう一度分かりやすく。
「ネコ美さんにもあそこにいるやつが、見えてるのか?」
「?? 見えてるよ。なんで?」
どうしてそんな当たり前のこと聞くんですかといったテンションで聞き返されてしまった。やっぱり。
俺はネコ美さんの存在をネコ美さんとして認識することが出来る類いの人間だ。分かりやすく言い換えると、俺は霊感体質である。
ネコ美さん曰く、大抵の人間にはネコ美さんは普通の女の子に見えるのだそうだ。しかも存在自体希薄で、目に入ってもほとんど気にならないし、別れるとすぐに忘れてしまうのが普通の人の反応だそうで。俺のように耳としっぽが見える上に覚えたままでいられる人間は珍しいのだそうだ。
俺も子供の頃からのことだし、そういうのが見えてもほとんど気にすることはなくなってたんだけどな……。
「あいつ、危ないやつだと思う?」
「?? 別に?」
「……やっぱりそうか」
「ん。あれは食べると、怒られるやつ」
「!?」
ん? 今、なんて?
「食べると怒られるやつ?」
「ん。そう」
どういうことなんだろう。ネコ美さん、あれ食べるの? マジで?
……あまり想像したくないし、深くは聞かないでおこう。ネコ美さんも危ないやつではないって言ってたし、今夜はもう寝ることにするか……。
明日はバイト先のコンビニで夕方のシフトに欠員が出たらしく、久しぶりの夕勤である。
コンビニの夕勤といえば、夜勤と違い忙しい割に給料安いでおなじみの時間帯。なので正直断りたかったのだが、店長には世話になってるし家が近い上に大学が夏休みであることも知られてるし、で断れるはずもなく。
あまり眠くはなかったが、慣れない夕勤でミスをしたら悪いしな。俺は碌に見てもいなかったテレビを消して、ネコ美さんに声をかけた。
「ネコ美さん、俺は先に寝るけど電気は点けたままの方が良いか?」
「んーん。消してもいいよ」
「そっか、ありがとう。じゃあ、おやすみ」
「ん。おやすみ」
俺はネコ美さんにおやすみを言い、電気を消してから布団に入った。
暗闇の中に見えるネコ美さんはまだ部屋の隅を見つめていた。
その晩久しぶりに見た夢ではネコ美さんが悪霊達をばりばりむっしゃむっしゃと食べていた。それはもう、豪快に。
翌日バイトを終え帰宅した俺は、夕飯の準備に取りかかる。今日はバイト先でもらったコンビニ自社ブランドのプレミアムビーフカレーにいくつか具を足し、カレーパーティーを行う予定だ。まあ割と頻繁に開催されるパーティーではあるのだが……。
カレーの支度が終わり食卓へと運んでいくと、ネコ美さんは部屋の隅を見つめていた。
「ネコ美さん、カレー出来たぞ」
「……」
――どうやら夢中のようだ。
「……ネコ美さん?」
「……はっ、カレーのにおい?」
ようやくカレーの存在に気がついたのか、鼻をヒクヒクし出すネコ美さん。
「……そんなに気になるのか?」
「カレーのこと?」
……天然可愛いがそういうことではない。
「カレーじゃなくて部屋の隅にいるあいつの方だよ」
「ん。あっちもおいしそう。でも、食べると怒られる」
再び怒られる発言か。……やはり深くは聞きたくないけれども、はっきりさせておいた方がいいんだろうな。
「怒られるって、誰に?」
カレーとあいつに興味津々、絶賛ソワソワ中のネコ美さんは、
「ん、誰にだろ? ミケは、知らない?」
と逆に聞き返してきた。ネコ美さんも知らない? どういうことなんだろうか。
「誰に怒られるかも分からないのに、どうして怒られると思ったんだ?」
「なんでだろ。知ってた、から?」
さらに要領を得ない答えが返ってきた。俺が首を捻っているとネコ美さんが、
「カレー、食べないの?」
と上目遣いで一言。……冷める前に食べてしまうか。
お腹もふくれてご満悦のネコ美さん。空腹が満たされ、部屋の隅のあいつには興味を失ったのか、ベッドで丸くなりテレビを見ていた。
某国営放送が野生動物のドキュメンタリーを放送していて、画面の中を縦横無尽に走る動物たちに釘付けのようだ。動きに合わせてキョロキョロと動く瞳が微笑ましい。
……決してシャツから覗く谷間がとてもけしからんとか、不純な理由で笑みを浮かべているわけではないのだ、俺は。
そんな誰に対する言い訳かも分からないことを考えつつ、食器を洗い終えた俺は再びネコ美さんへと問いかけてみた。
「さっきネコ美さんは知ってた、って言ってたけど誰かに教えてもらったのか? 考えてみればネコ美さんと会ったときに、どうして猫耳妖怪は猫に化けられるとか、人の記憶に残らないとか知ってるのかが不思議だったんだよな」
ネコ美さんは珍しく考え込むように首を捻ると、
「……ん、そういえばミケに会う前のこと、あんまり覚えてない、かも? んー、あんまりじゃなくて、全然、かも」
と自信が無さそうに言った。ネコ美さんは記憶喪失なのか? ということは猫だったときのことも覚えていない?
「誰かと一緒にいたような? いなかったような……。でもたましいを食べると消えちゃうから、悪くないのは食べちゃダメだって、知ってる……。なんでだろ?」
混乱するネコ美さんは可愛らしく小首をかしげている。今まで深く考えたことがなかったのか、どうして色々なことを知っているのか不思議になってきたようだ。
「で、消えちゃうとどうなるんだ?」
「もう生まれ変われない? んだって」
なるほど。怒られる理由は分かったけど、そんなことで怒るのは神様くらいじゃないのだろうか。まだネコ美さんは考え込んでるみたいだし、これ以上聞いても仕方なさそうだな。
あくまで聞いた話からの想像だけど、妖怪になったばかりのネコ美さんに色々なことを教えた人物がいそうだな。ネコ美さんと同じ妖怪、あるいは神様的なやつなのかもしれない。
そんなことを考えていると、首を捻りうんうん唸っていたはずのネコ美さんは再び野生動物のドキュメンタリーを見ている。
ネコ美さんは考えるのに飽きてしまったのか、早々に思い出すことを諦めてしまったようだ。
それに引き替え、画面の中を懸命に逃げ回る草食動物ことヌー、おまえ頑張ってるな……。
しばらくネコ美さんと一緒にドキュメンタリーを眺めていた俺は、風呂にでも入ってもう寝ようかなと立ち上がった。ふと、気になって部屋の隅に目をやると、昨日からそこにいたはずのあいつは、いつの間にかいなくなっていた。