50m先の君
四月末のよく晴れたある日。僕らの中学はスポーツテストを実地した。
じりじり じりじり
少しずつ少しずつ、頭の天辺が焼かれる感じがする。
「あっつい……」
僕は思わず呟いた。
今、僕ら1年2組はグラウンドにいる。50メートル走の計測のためだ。
太陽が真南に昇ると、暖かいというより少し暑い方に感覚の天秤が傾く気がする。なんだか日干しされてる布団の気分。
早いうちに外での計測をやってくれていれば、干し布団にはならなかったのに。ちょっとこの計測の順番を決めた人が恨めしい。
それでも子供はめげないもの。計測前は暇だから、皆暑いのも気にせず、各々好きなようにおしゃべりをしている。
勿論殆どの子が番号順で並ぶようにという指示は無視。一応列にはなっているけど。
そんな中、先生の目もないのに忠実に指示を守っている生徒もいる。ちなみに僕もその一人。
でも結局暇なのは皆一緒で、当たり前に僕も暇。とりあえず自分が呼ばれるまでは、その場に腰を下ろす事にした。俗に言う体操座りで。
僕の出席番号は最後の方だから、不自然な感じはしないと思う。これが真ん中とかだったら、恥ずかしいから頑張って立ってただろう。
膝を抱えて、そこに顔を埋めて目を閉じる。すると耳が研ぎ澄まされたように色んな音が聞こえてくる。
皆の発する話し声。スタート合図の笛の音。計測が終わって戻ってきた子の会話。
時折感じる風の音。空に羽ばたく鳥の声。誰かが歩いて擦れる砂の音。
時間があるとき、こうやって目を閉じて音を聞くのが、僕の趣味。自分に関係ないようで関係ある音。それに気付くことができるから。
だけど今は止めた方がいいかも。
目蓋の裏。 ――真っ黒な世界。
誰かの足音。走る音。
じりじり じりじり
陽に晒される首が暑い上に痛くなってきた。
僕は右手で首の後ろを押さえて首を上げる。
「……あ」
目の前に人がいた。小学生時代からの親友で、僕の憧れの人。
それと毎回この時期は僕に運動の仕方を教えてくれる先生でもある。
彼はつま先立ちの状態で膝を折り、その上に腕を乗っけて、じーっと真剣そうな顔で僕を見ていた。
けれど僕と目が合った途端破顔して、片手を軽く掲げる。
「よ」
「ん」
僕も同じように手を挙げて、小さくタッチ。僕達流の挨拶。
彼はすり足で移動して、僕の隣に足を投げ出して座った。
「あっついなー、春なのに」
「そーだねー」
「このままいったらゴールデンウィークはもっと暑くなるんじゃねぇ?」
「なんやかんやで戻るかもよ。気候なんで気まぐれだし」
それに、雨かもしれないし、と僕が続けると、彼は眉根を寄せ心底嫌そうな顔をして、
「それは勘弁。暑いのも嫌だけど」
と言った。
僕はその横顔を見ながら、ちょっと幸せを感じていた。
彼は小学生の頃から、文武両道の何でも出来る人だった。さらに背も高い方で顔もイケメンの部類に入るし、もてた。
さらに、お祭り好きでリーダー向きだけど驕った様子がなくて、礼儀正しくて他人のことも思いやれて、それすなわちもてた。
男の子としても、一人の人間としても、彼は人気者だった。
そんな完璧な彼だから良く目立つし、どちらかと言えばもやしで平凡な僕は、話す前から憧れを抱いていた。
そして、そんな人気者と友達になれたのは、今日みたいなスポーツテストの日。たしか小学3年生くらい。
何をやっていたかは忘れたけど、さっき言った通りもやしだった僕は、計測中にすっ転んで怪我をした。
別に膝を擦りむいただけの小さな怪我だったけど、血は出るし痛いし恥ずかしいし、何より皆の馬鹿にしたような笑いを含んだ視線が悲しかった。
実際笑い声も聞こえた。妙に間伸びした「大丈夫ー」の声は、励ましじゃなくてただの嘲笑だった。
泣こうかと思った。計測を止めようかとも思った。でもこのまま去るのは悔しい。
だから僕は痛い足を引きずって、計測を続けた。
終わった後は、ずっと地面を睨みつけていた。但し、涙腺は緩み、すぐにでも泣きそうな状態だったけど。
その時、声をかけられたのだ。
『よく、我慢したな』
真剣な声だった。からかいとか上辺だけの台詞じゃなくて、心のこもった言葉だった。
それにつられてそろそろと顔を上げたら、彼がいた。
彼は今よりずっと幼い顔立ちで、僕と目が合った途端破顔して、右手を差し出してきた。まるで紳士が貴婦人をエスコートする時みたいに。
『ちゃんと洗わねぇと』
その彼の言葉をきっかけに、僕は結局泣いてしまって。そんな顔を見られないように、ひたすら下を向いていた。右手はしっかり彼の手を握って。
その後、保健室でバンソーコーを貼ってもらってから戻る際に、僕は彼に友達になってくださいと頼んだ。
僕みたいのが図々しいかなとも思ったけど、勇気を出して言ってみた。
なのに彼は、一瞬きょとんとして、なんと失礼なことに、吹き出した。
僕が困惑しつつも返事を待ってると、彼は数十秒笑い転げてから、まだ微妙に笑いながら、
『何言ってんだよ。俺たち前から友達だろ』
と言い切った。
でも一回も喋った事ないのにと返すと、彼の中ではクラスメート皆が一応友達なんだと答えられた。
僕とは全然違う≪友達≫の定義に吃驚していると、また右手を差し出された。今度は握手を求めるように。
『じゃ、俺たち今日から親友な』
突然の親友宣言。なんて軽い。
僕なんかでいいの? そうおずおず問うと、彼は僕の右手を取って自ら握手をしてきた。
『だってお前面白いし』
それが彼の理由だった。
そんな理由で親友が続くのかとも思ったけど、ちゃんと続いているから驚きだ。
と言うか、彼が僕に飽きないところがびっくり。
僕の方は彼に盲目的な想いを抱いてるので、自分から絶交なんてしないはずだから。
一度危機が訪れたとするなら、彼から公立中学を受験すると告げられた時。
僕はもやしだけど全てが平凡で、公立の中学校に入れるほどの成績はなかった。
彼は余程のことが無い限り、入試を通過してしまうだろうし。
そしたら彼は、遠くの町にあるその学校に通うために寮に入ることになってしまう。
僕はそんなの嫌だった。だけど僕が頼んで彼が入試を辞めるとは思えないし、そもそも僕個人の気持ちのために彼を引き止めるのは、もっと嫌だった。
だから僕は一生懸命勉強した。彼と同じ学校に行けるように。
元々友達と遊ぶ事も少なかったし、別に彼のように完璧に出来るようになる必要もなかったので、それほど苦にはなかった。
ただ、合格発表の時は、怖かった。
彼と僕と彼の母親と僕の母親で見に行って、何とか補欠で合格していると分かった時は、足の力が抜けてその場にへたり込んだくらい。
そうして、もやしで平凡だった僕は、昔には考えられなかったことだけど、家族と離れ、親友の後を追ったその先で、憧れの人の隣で学校生活を送れている。
これを幸せに思わなくて何だと言うのか。
それからしばらく他愛無い話をした。丁度今日の昼食の話に差し掛かった時、彼の前の子の名前が呼ばれた。
「あぁ、そろそろか」
彼が立ち上がり、お尻に付いた砂をぱんぱんと叩く。その途中で、
「あ、そうだ」
手を止め、振り向いた。僕は下から彼を見上げる。
頭上には太陽。必然的に視界に入ってしまう白い凶器に、僕は額に手を翳して遮り、続きを促した。
「んー?」
「ゴールデンウィーク。予定空いてるよな」
「空いてるけど…」
僕の答えに満足げに頷く彼。
何かまた変なことに巻き込まれそうな予感。
「クラスの奴らが町案内も含めて遊びに行く計画立ててくれたんだ。お前も一緒に連れて行くことオッケーしてくれたから、一緒に行こうな」
やっぱり。予感的中。
元々僕は内行的で他人との接点があまり持てない奴だ。
それゆえに、彼は僕に人と接する機会を作ろうと、よく色々な所へ連れまわすのだ。
僕としては、彼が気にしてくれるのは嬉しい。
でも、
「えっと……皆は君と遊びたいんだと思うよ?」
僕がいても、皆はあまり楽しくないだろうし。
控えめに自分の意見を言うと、彼は盛大に溜息を吐いた。
「俺はお前とも遊びたいの」
だから連れてく。分かったか? と訊かれて、僕は照れくささを隠して、小さく頷いた。
皆に優しく完璧な彼が、僕には我侭を言って不完全な一面を見せる。
何だか自分が特別みたいに思えて、
本当に、幸せだ。
前方のスタート位置に向かう彼を笑顔で見送り、僕は目を閉じた。
聞こえる雑音。鋭い笛の音。彼の蹴る地面の音。
僕は暑いのも気にせず、膝に額を乗せる。
目蓋の裏。 ――真っ黒な世界。
雑音が遠く聞こえる。耳に残るのは、誰かの足音。
たっ たっ たっ たっ
リズムカルに、直接頭に響く音。
分かってる。これは現実じゃない音。幻聴。
僕が最近見る夢の、記憶。
真っ黒な背景の世界で少年が走っている。親友であり憧れの人でもある少年。
そしてその後ろを付かず離れず追いかける、僕。
決して追いつかないように、されど見失わないように、僕は一定の距離を保って彼を追いかけている。
近づき過ぎてはいけない。だけど離れる事も許されない。
だから僕は、ただ今の関係がずっと続くように、上手く速さを調整する。
なのに、たまに彼は残酷だ――
僕の番が来た。スタートラインに立つ。
「よーい」
片足を前に出して、逆の手を構え、前かがみになって、足に力を入れる。
――彼に教えられた通り。
「どん」
鋭い笛の合図で、思い切り地面を蹴り、走りだす。
何も考えずに前へ、前へ。
腕を素早く大きく振り、地面をしっかり蹴り、膝を高く上げて。
――全て、彼に教えられたこと。
「――!!」
ふいに僕の名前が呼ばれた気がした。
疲れた意識を数メートル先のゴールに向けると、そこには彼が待っていた。
彼は学校指定の黒のハーフパンツに右手を突っ込み、左手を口元に持ってきて、僕に何か叫んだ。
――真っ黒な中で時々彼は立ち止まる。そして、しばらくじっと後ろを見据えている。
まるで誰かが追いつくのを待っているように。
僕は決して追いついてはいけないのに。―――戻れなくなるから。
彼はそれを知っているはずなのに、僕に追いついて来いと言うように立ち止まる。
僕は、その度に辛くなる――――
「今九秒!」
僕は疲労で苦しくて止まりそうになる足を、一生懸命進める。
目標は十秒。彼の励ましで少しだけ何とかやり切れる気がした。
ゴールまであと五メートルを切る。
足はどんどん重くなり、咽も喘息みたいにひゅうひゅう言って鉄の味がする。
でも、あと少し、あと少しで……
転んだ。
――夢の中で彼は走っている
真っ黒な背景で走っている
僕はその後を追いかける
決して追いつかない距離で
決して見失わない距離で
それを保ち続けていれば
彼を失うことがないから
僕は自分の気持ちよりも
彼と少しでも長く
一緒にいられる時間をとります
僕は
決して太陽に追いつけない月であり
決して人から離れられない影だから
それが“弓影深月”なのだから
「弓影」
ゴールで日向晴人が右手を差し出してきた。まるで紳士が貴婦人をエスコートする時みたいに。
僕はちょっと苦笑いで彼の手を取る。大仰に擦りむいた膝はずきずきと痛い。
「ちゃんと洗わねぇとな」
日向が、初めて会った時からずっと変わらない笑顔を向けた。
<終>
中学生時代に書いたものです。
この冬の時期に春の話なのに他意はありません←
しかし、この時の方が地の文が書けた不思議……分かりにくいけど;;
大きくなってから文才が落ちたと言うことか……OTL
意見・感想よろしくお願いします><
12月 双海みりん




