退屈な遊園地
佐藤昇は金持ちだった。貧乏な家に生まれたが、生まれ持った商才と強運で、二十歳すぎに立ち上げた会社は大成功をおさめた。今は1人息子に継がせてしまったが、これも気を抜くことなく会社の為に毎日熱心に働いてくれており、心配はいらなそうだった。今は隠居生活に甘んじている。
さらに、彼の妻である正子はいまや世界にまでその名を響かせる超有名占い師だった。国内から国外から、セレブや政治家たちが彼女のもとに集い、高額の報酬を支払っていく。
「退屈だなあ・・・。」
昇はブランド物のソファに腰掛けつつ、ぼやいた。そんな夫を、正子はたしなめる。
「あらあら、何のんきなことを。お金の心配をせず、毎日平和にくらしていけてる。これ以上望めばばちがあたりますよ。なんなら、ゴルフにでも行って来たらどうです。」
「ゴルフはもう飽きた。乗馬もだ。しかし、どうも退屈だ。これから新しい会社でも作ろうか。しかし俺も老い先みじかいしなあ。」
「そういうことを言ってる人が一番長生きするんですよ。」
呆れ顔の正子を放っておいてしばらく思索にふけっていた彼は、ぽん、とこぶしで手のひらを打った。
「そうだ、遊園地を作ろう!」
「はああ?」
正子は素っ頓狂な声をあげた。
「な、あなた、いうにことかいて遊園地って・・・・・・。」
しかし昇は1人うんうんとうなずき、早速近くにあった雑紙にイメージのようなものを書き込んでいく。大きな観覧車、メリーゴーランド、コーヒーカップ・・・。
「俺は貧乏暮らしだったから、子どものころ遊園地になんて行きたくても行けなかった。大人になってから遊園地で遊ぶというのも面白い。しかし一般の遊園地でこんなじいさんが遊んだのでは恥ずかしくて仕方が無い。それならば、自分で作ってしまえばいいのだ!」
随分無理やりな理屈である。
「しかし、こんな大きなものを作っておいて、遊ぶのが俺1人というのも悲しいものがあるなあ。そうだ、正子、いいことを思いついたぞ!」
「・・・もうあなたが何を言っても驚きませんよ、わたしは。」
だがさすがに次の言葉には度肝を抜かれた。
「子どもを誘拐する!」
「・・・はあああああ?!だ、だめですよあなた。それは犯罪です!」
「いやいや、違うさ。まずこの遊園地が完成したら、俺が遊ぶ。そして飽きたら、生活が塾やお稽古ごとにがんじがらめになってしまっているかわいそうな子どもをさらってきて、遊ばせてあげる。」
「入園料は?」
「子どもから取れるかそんなもん!」
二人とも、たいがい感覚が世間とずれている。
とはいえ、まだ常識をもっている正子は反対した。しかし昇もそう簡単にひとのいうことを聞くたちではない。すぐに工事は開始され、遊園地は驚くほどのスピードで完成した。
「まああああさこおおおおおおおお!まわるまわるうーーー。」
「ちょ、あなた、もうコーヒーカップは下りてますよ。ちょっと、しっかりしてください。」
完全に目を回した昇を支え、ベンチに座らせた正子は大きなため息をついた。遊園地が完成してから一ヶ月、ずっとこの調子で遊んでいるのだ。しばらくすると昇は大きく伸びをして、立ち上がった。
「さて、自分は充分堪能したし、そろそろ子どもをさらってくるとするか!」
「本気だったんですか、あなた・・・・・・。」
もちろん、とうなずき、どこかしらに電話をかけはじめる。ある会社に、てきとうな子どもを1人誘拐してくるよう、依頼しているのであった。
「・・・そうだ、決して見つからんようにな。・・・ああいや、だれでもいいわけではない。塾やら、お稽古ごとで忙しい、遊ばせてもらえないようなかわいそうな子どもをつれてくるのだ。・・・ああ。意外と貧乏暮らしの子どもは外で自由に遊んでるから楽しいもんさ。・・・え?そんなアバウトな依頼じゃ困る?・・・しかたないな、じゃあ俺の家の三軒隣の家に、今年小学校にあがったばかりの男の子がいるはずだ。その子をさらって来い。ん?・・・そうだそうだ。瓦屋根に、大きな門の。そうだ・・・。」
三時間ほどすると、バイオリンケースを抱えた、ぽおっとした男の子が黒塗りの車から降りてきた。昇は、その車の助手席に座っているサングラスをかけた男に、報酬として札束を渡した。
「確かに預かりましたよ、ダンナ。しかしあのガキ、変なやつっすね。お菓子を買ってあげるからついてこいというと、〝母さまに知らないひとについていってはいけないと言われている〟というんで、冗談で俺が知らない人の車に乗ってはいけないとはいわれていないだろう、と言うと、簡単に車に乗ってきたんすよ。その後も特に暴れるでもねえ。まあ、金がもらえりゃ俺はどうでもいいんすけどね。」
そうして車は走り去り、後には佐藤夫妻と相変わらずぼうっとしている男の子だけが残った。正子は優しくほほえみ、話しかける。
「急に変なところにつれてきてしまってごめんなさいね。バイオリン教室のあとだったのかしら?」
男の子はこくっと首を縦にちいさく振った。昇はその子の手に握られているバイオリンケースと楽譜の入った袋を取り上げるととん、と背中を押した。
「ほらきみ、遊園地だよ。好きなもので遊ぶといい。大丈夫、ちゃんとお家には帰してあげるから。」
動こうとしないその背中を今度はすこし強めに押すと、メリーゴーランドのほうへふらふらと歩き出した。昇は再び携帯電話を取り出し、調べておいた番号に電話をかけた。あの男の子の家へだ。たったワンコールで相手方につながった。
「もし、とおるちゃん?おかあさまよ。今どこにいらっしゃるの?」
そうか、あの子はとおるという名前なのか、とのんきに考えながら、昇は変声ガスを吸ってから応えた。
「やあ、そのとおるちゃんを預かってるものだがね。」
電話口でひゃああっと悲鳴があがった。奥様、奥様、と気を失いかけたらしい女を案じるお手伝いたちの声がする。なんとか呼吸を落ち着けたとおるの母親は、震える声で
「うちの子をさらって、何が目的ですの。いいえ、わかっておりますわ。お金でしょう。いくら欲しいのです、一億、十億、百億ですか!」
と叫んだ。
「いやいや、金はいらん」
「じゃあなんですの。わかったわ、あなた、他にも犯罪を犯してらっしゃるのね。それをもみ消して欲しいのでしょう。いいわ、夫の知り合いに警視総監が・・・・・・!」
「いやいや、俺は犯罪など犯したことは無い。」
「うちの子をさらったのは立派な犯罪ですわーーーーーー!」
もっともだ、と正子は強くうなずいた。
「すまんな、今日の夜には必ずお宅の息子さんを無傷で返すことをお約束しよう。無論、代償などいらん。」
電話の向こうで小さく息をつく気配がした。しかしとおるの母もちろんそんな言葉を鵜呑みにするほど馬鹿ではない。
「じゃあ、その証拠にとおるちゃんと話をさせてちょうだい。」
「いいともさ。」
昇はぐるぐると回るメリーゴーランドを見つめていたとおるに、携帯電話を渡した。お母さんだよ、と告げると、無表情のままそれを耳にあてる。
「かあさま。」
「とおるちゃん?!とおるちゃんなのね?!今どこにいらっしゃるの?!」
とおるは一度ぐるっとあたりを見回して、昇の顔をちらっとみやった。
「遊園地。」
「遊園地ですって?」
「知らないおじさまが、ここで好きに遊びなさいと、言っています。」
「そうなの・・・。逆らえば何をするかわからないわ。とおるちゃん、遊びなさい。」
「はい。どれで遊べばいいでしょうか。」
「・・・なにがあるの。」
「正面にメリーゴーランドがあります。左手には観覧車とコーヒーカップ、右手方向にはジェットコースターとお化け屋敷、真後ろにはゴーカートがあります。」
「そうなの。とおるちゃん、ちょっとまってらっしゃい。」
「はい。」
切れた電話を見つめて固まっているとおるに、昇は話しかけた。
「お母さん、なんていってたかい?」
「ちょっとまってらっしゃい、と。」
「ふうん、まあいいや、ほら、メリーゴーランド、乗ってごらんよ。」
しかしとおるは頑としてそこを動かなかった。母親に待っていろといわれた、と、それしかいわなかった。抱き上げようとした昇の腕に噛みついた。そのあとも、握り締めた携帯電話を、ぼうっとただ見つめていた。
とおるの母はただちに自分の母親、要はとおるの祖母の家に電話をかけた。そしてヒステリーぎみに事情を話した。
「お母様、どうしましょう?相手はとおるに遊園地で遊ぶよう指示しているようです。どの遊具で遊ぶべきでしょう?もしその遊具に毒が仕込んであったりしたら・・・・・・!」
とおるの祖母も混乱したように何度もため息をくりかえしていたが、ちょっと待っていてちょうだい、と一方的に電話を切った。とおるの母は受話器を握り締め、そこから動かなかった。
「あなた、あの子、まだあそこから動かないわ。」
「どうしたもんかなあ・・・・・・。」
昇は先ほど噛みつかれた腕をさすり、弱りきったように頭をかいた。すると正子の携帯電話が小さく震える。
「もしもし?ああ、緊急の依頼?ご予約はなさっていないんでしょう?断ってちょうだい。ええ?田中様なの?」
「どうしたんだい?」
正子が小声で応える。
「緊急であることを占ってほしいという依頼がわたしの事務所に入ったらしいの。普段なら断るのだけれど、依頼主が田中様というお得意さまなのよ。どんな小さなことでもわたしの占いを頼りにして下さっていて、毎回巨額の謝礼金をくださるの。でもここにはタロットカードも星座盤もないし・・・・・・。今回、一億の謝礼金を支払うと言っているらしくて・・・。」
「てきとうにいっておけばいいんじゃないか。一億を反故にするのもあれだし。」
「そうねえ。とりあえず相談内容だけうかがってみるわ。・・・・・・ねえ、どんな相談内容なの?・・・ええ、・・・ふむふむ・・・え・・・?お孫さんが誘拐されて遊園地に連れて行かれた・・・・・・?・・・え、ええ・・・そこで遊べと命令されている・・・?・・・従わなければ命の保障はないですって・・・?・・・・・・どの遊具で遊べば孫が無事でいられるか占ってほしい・・・・・・?」
正子はぽかんとしている夫と、向こうでつったっているとおるを交互に見て、
「メリーゴーランドはどうでしょう。」
と答えた。
しばらくして、とおるが携帯電話を開き、何度かうなずいた後、楽しそうにメリーゴーランドで遊び始めた。
正子はその様子をしばらく眺めていたが、思いついたように昇に問いかけた。
「ねえあなた。この一億円は入園料にはならないわよね?」
了