08
振り向き様に三本の矢を発射した逃走するタクロスは、生え際の後退した人族の胸部に矢が突き立った事に安堵の表情を浮かべ、手綱を引き騎乗獣を停止させる。
胸部に矢が突き刺さる事による衝撃にて騎乗するトカゲから地面へと落下したハセは、落下による衝撃を背で受け、口から吐血する。
仰向けとなったままのハセは追撃の手を逃れようと立ち上がろうとするも、全身が麻痺したように動かす事が出来ず、更に吐血を繰り返す。
「フッ、グッ……ここまでか。いつかはこうな……グッ」
「……まだ生きてるようだ、止めを刺すぞ」
「すまんな、みんな……ここまでのようだ」
騎乗獣から飛び降り、曲剣を抜き放ち、仰向けのまま動かぬハセへとタクロスが近づく。
虚ろになりつつある瞳でハセはタクロスが掲げた曲剣を眺め、鮮血で染まった口元を緩ませる。
ハセは壮年を迎える世代では唯一、最前線にて戦い続け、ジラフやゲッタの才に嫉妬する事も無く、世代間の軋轢が生まれぬよう自分の存在を潤滑剤とし、村では大きな役割を担ってきた男であったが、この時を以ってその生を終えようとしていた。
「死ね!」
怒声と共に怨念が篭る曲剣を振り上げたタクロスの耳に、甲高い笛の響きが三度届くが、曲剣はハセの首を目掛けて振り下ろされた。
「予定通り近接戦闘を仕掛けます」
「……」
ジラフの落ち着いた声を聞いた門前に立ち並ぶ自警団の面々は頷くことで了解の意を示し、各々が暗器を取り出し疾走を開始する。
速度を重視した移動であるため、自警団の十名による足音は一事撤退を行おうと騎乗獣を操るタクロスにも聞こえ、即座に振り返り迎撃のために武器、盾を構え、また弩を構えて矢を発射せんと照準を合わせる。
ジラフもこの弩による反撃を最も警戒していたが、構わずに近接戦闘へと持ち込むために突撃を継続する。
弩の射程内となるであろう約五十メートルとなる寸前に、タクロスの一団の方から見て右側の暗闇に潜む五名の狩人により放たれたクロスボウの矢が、弩を持ったタクロスを中心に突き刺さる。
風を切り裂く微かな音、肉や軍装の繊維を突き破る音により正面から突撃する自警団達にも、奇襲が成功した事がわかり、突撃する速度を更に加速させる。
数本の矢がタクロスの未だ動き続ける弩を構えた者により放たれ、自警団の一部の者の腕や肩に突き刺さり、ジラフの左頬にも矢が掠めるが足を止める者は一人として居なかった。
奇襲を終えた狩人達はクロスボウへ矢を素早く装填し、二の矢、三の矢を放ち終え、視認出来る弩を持つタクロスを戦闘不能へと追いやり、矢を放つ手を止める。
数秒後には自警団が近接戦へと移行する事が予想され、狩人達は指示を受けたわけでは無かったが各自が闇に溶け込んだまま制止する。
目前で開始される近接戦は既に狩人達の手を加える必要が無く、自警団とタクロスとが刃を合わせる音を確認した彼らは、意識を失い地に伏しているタクロス達の方へと足を運ぶ。
ジラフによって散布された神経伝達を乱すガスの残留が漂っている可能性が高いため、村長宅、左側から進路を執っている風上となる側の狩人の五名が、地に伏すタクロスの下へと接近する。
残留するガスの影響が無い事を確認した彼らは、すぐにクロスボウを手に一方的な射殺を開始し、数十秒後には地に伏していたタクロスの体中を黒く塗装された短い矢が無数に突き立てられていた。
一方、首長を含むタクロスの残党へとようやく手が届いた自警団も、ジラフを先頭に苛烈な切り崩しが開始されていた。
頬に傷を作り、姿勢を低くしたまま両手を交差させ、自身の懐に隠し持つ六本の鉄で出来た串を、指の間に三本づつ挟み、取り出す。
恐慌状態になりつつあるタクロスの者達の内、最初のターゲットへと向けジラフは三メートル程の距離から左手に持つ鉄串を、構えられたタクロスの盾へと向け投擲する。
投げ放たれた鉄串は特殊加工され、矢や弩の強力な貫通性能をも防ぐものであったが易々と貫通し、更に特殊加工された軍服をも貫通し、肉体へと深く突き刺さる。
ジラフの後を追うように疾走する自警団の者達も各々が暗器を手に、月光の下、タクロスを斬り、刺し、殴り潰していた。
ジラフの最も至近にて走る者は幼さの残る容姿であり、長い黒髪を頭頂部で結った女であった。
その自警団の女は刃物を持たず手ぶらに見えたが、拳に嵌められた黒いセスタスをタクロスの剥き出しとなった肉体へと正確に撃ち込み、純粋な打撃のみで対象を殺害していく。
二体目の対象を葬る際、眼球へと打ち込まれた拳の衝撃によって頭部から血や脳の残骸が周囲に飛び、ジラフにきつく睨まれるといった場面を作り出していた。
その他の者もタクロスに後れを取る者は皆無であり、その圧倒的な状況は、正に殺戮でしかなかった。
タクロスの首長はその光景を眼前にして悟り、傍らで最後のその時まで戦う姿勢を執る部下に告げた。
「ケラ、蜂を放て」
「……わかりました」
首長の命によりケラと呼ばれたタクロスは伝書蜂が収められている筒を、懐から取り出し、全て放つ。
「悟ったみたいですね」
「……」
首長の眼前へと殺戮の場を作り出した一人、ジラフが歩み寄り告げる。
茶色の髪は返り血により赤く染まり、両手には今しがた浴びた血が滴っていた。
両手の中指に嵌められた林檎の装飾と思わしき指輪からは鋭い刃が顔を覗かせ、赤く染まっていた。
首長はジラフの姿を無言で凝視し、大振りな曲剣を掲げ、間合いを詰めようと巨大な体躯を躍動させる。
横に控えるケラも同じく剣を構え、首長に続いて動き出すも、死角から忍び寄った自警団の一人の拳が、背中に叩き込まれ脊髄を粉砕させる。
タクロスの首長によって振り下ろされたその曲剣はジラフの肉体へと届く事は無く、自重を右方向へと即座に移動させたジラフによって回避された。
「あのー、参考までに一つ良いですか?」
「……クッ、ケラ……」
地面にめり込んだ曲剣を即座に引き抜きながら振り返った首長は、友であるケラの倒れ伏す姿を視覚に捉える。
人族の青年が何か告げているが、その言葉に答える事も意味を理解する事も首長には出来なかった。
「聞きたい事があるんですけど、ダメそうですね」
「……」
怒りを瞳に宿したタクロスの首長は、口を強く結び、全身の筋肉を隆起させ、地面を蹴り上げジラフとの間合いを再び一気に詰める。
その躍動から生み出された斬りつける力そのものは、一刀目を遥かに凌ぐものであったが、無駄な動きが多く隙もまた多かった。
その隙を逃すはずも無いジラフは左手を懐へと伸ばし、三本の鉄串を取り出し、そのまま左手を素早く振りぬく。
投擲の射線を瞬時に判断し、回避行動をするべく首長は急所となる体の部位を、曲剣の刃を横にし、腰を落とし、頭部を刃に隠すように俯き身構える。
しかし、投擲物が首長が持つ曲剣、もしくは急所以外へと突き刺さる事は無かった。
そもそもジラフは鉄串を指に挟んだままであり、一本も投擲していなかった。
この時点でジラフは勝利を確信し、その他タクロス及び敵性勢力の有無、住居区画の火災の消火活動など今後の行動について考えていた。
ジラフが最初の攻撃を右方向へと回避した時点で、タクロスの首長は絶対的に不利な立ち位置へと誘われていた。
ジラフは首長と対峙した時、首長が大振りな曲剣を両手で握りやや右方向へと傾斜させ構え、歩行や身のこなしからの観察からも利き手は右である事をすぐに理解しており、正面と左側面からの攻撃が有効だと瞬時に判断していた。
フェイクであった投擲攻撃に身構えた首長は、左の脇腹に走る激痛に顔を顰める。
馬族の特徴である強固な肋骨が音を立てて砕かれ、砕かれた骨の一部が臓器を傷つける。
この現象を生み出したのは、ケラという名のタクロスの脊髄を粉砕させた自警団の女であった。
首長は全身を電撃の如く走る激痛に耐えながらも、即座に曲剣を真横に一閃して反撃を試みるも、その剣線の速度は鈍く、そして不正確でもあった。
拳にセスタスを嵌めた黒髪の女は悠々と後方へと小さく跳躍して攻撃を回避する。
首長は満足に剣を振る事も、たった一度の打撃による喪失し、その時点で命の大部分も喪失していた。
自警団の女の追撃を振り払うようにタクロスの首長が曲剣を真横に一閃し、その反動でやや体を左方向へと傾斜させたその時、三本の鉄串が頭部へと突き刺さる。
首長の生が強制的に終了する。
死の淵を思い、考える事も許さぬ無慈悲な一手はジラフによって行われた。
「スク、生き残りは?」
「……」
左右の拳、顔、髪に肉片や返り血をつけた幼さの残るスクと呼ばれた女が、ジラフの問いに首を左右に振り答える。
「付近の伏兵の捜索、警戒は狩人さん達、お願いしますねー。自警団は火の手の消火及び、住居区画及び村の内部に潜んでいる可能性の高い、火を放った者の捜索を開始しますよ」
「ジラフ、ハセさんが戻らない。心配……」
「大丈夫だよ、スク。あのおじさんは丈夫だし」
「……戻るのが遅すぎる。合図の音は村のどこに居ても聞こえていたはず……」
「そう言われると、うん、そうだね。あのおじさんが合図を聞き、そのまま戦線に顔を出さないのは変だね」
「うん……」
目や口元、両手に付着したままの血を拭いつつ、スクはジラフへと不安な心境を吐露する。
怪我を負い継戦能力が低下した自警団の三名は、無傷のままの狩人によって手当てを受け、村長宅へと運ばれる。
ほぼ無傷である残る七名の自警団が住居区画へと向かい歩き始める。
住居区画から立ち上る火と煙を視覚に捉え、足を速めたくなる自警団の面々だったが、敵がまだ存在する可能性が高く、周囲への警戒を最大限にしたまま暗器を手にし、お互い一定の距離を保ちつつ進む。
憤りつつも冷静さを失わぬ自警団の面々は、火災の一際激しい区画へと到着し、横たわるハセの姿を発見する。
ハセの横たわる地面には出血による血の海が形成されており、すぐ傍には横たわるタクロスが三体あった。
ハセの周囲の住居は既に火災によって炭化した木材が剥き出しとなり、火は燻る程度の勢いであった。
目を見開き、体を振るわせつつも歩行する姿勢を乱す事無く自警団の面々と共にスクはハセの方へと近づく。
ジラフも戦闘中ではあってもどこか余裕のある表情を浮かべていたものの、今やその顔に余裕は一切無かった。
ジラフは自警団へと入団した当初から、ハセとは息が合い、数多くの死線を共に歩き、数多くの酒を酌み交わした。
死は常に隣にあり、受け入れられるようにと幼少時から徹底して教えられてはいたが、ハセの血溜りの中で横たわる姿を見たジラフの心中を少なからず揺さぶっていた。
スクも両親を既に亡くしている事もあってハセを最も慕っており、ハセの姿にジラフ同様、戸惑う心中を必死に制御していた。
「ジラフ」
ジラフから見て左方向から警戒しつつ住居区画内を進む自警団の団員が、ジラフの名を告げてハンドサインを出す。
そのサインは右前方三十メートルに敵影がニつというものであった。
ジラフ、その他自警団の全員がはそのサインを読み取り、ジラフからすぐに全員に向けてサインが出され、自警団の二人を指名し、ハセの手当てと保護を指示する。その後、続けて出されたサインは全員を驚かせた。
そのサインは特別なものであった。
有事の際でもほとんど使われる事は無いサイン。
ジラフは人差し指と中指を伸ばし、自分の首へと突き立てる。
どのような犠牲を払ってでも対象を殺せ。
全員が静かに頷き、瞳から憤りや怒気が消え、冷徹な色が満ちた。