03
ネイとガットにより赤き瞳の赤子は育てられる事となった。
育ての母となるネイは背が低く、茶色の瞳に同色の長い髪の毛を持つ、やさしげな顔をしたやや幼さが残る。
ネイの夫であり、赤子の育ての父となるガットも妻と同じ茶色の瞳に同色の短髪であり、同じくやや幼さが残る顔つきであるが、背は高く逞しい肉体を持っている。
二人とも二十歳を越えたばかりの夫婦であり、先月二人にとっての初めての子が誕生する予定であった。
幼さの残る夫婦の許に預けられた赤子は大切に育てられる。
ガットは生まれてくるはずであった我が子に与えるはずであった名前を、赤き瞳の赤子に与えようと考えたが、ネイが反対し新たに名が考えられた。
「レスタ」と名付けられ、夫婦の姓であるボールの家名と併せレスタ・ボールとし、村役場に出生届が出された。
部族から追放され、レスタという名を得た赤子は裕福な家庭とは言えないが、慎ましやかな家族を得る。
主に日中はネイが母としてレスタの世話をしており、すぐにレスタの特異性に気付いた。
その特異性とはレスタは新生児用の寝具にて寝かされていたが、一度として泣き声あげぬ事であった。
子を持ったことが無いネイとガットではあったが、兄弟姉妹や親族の新生児がよく泣く事は常識として知っており、病気なのではと心配しはじめる。
三日、レスタの様子を見ていた二人はとうとう村にある診療所にレスタを抱きかかえて駆け込む。
しかし診察の結果、疾患や障害は無く、医者も首を捻るばかりであった。
「泣かぬ赤子であれば稀に居ますので心配ありませんが、それよりもこの子の場合、特異な点が別にありますね」
「え……そ、そうなんですか? 泣かない事よりもおかしな所があるんですか?」
「先生! そ、それは病気なんですかい?」
「まず心配に思われているでしょうが虹彩、所謂瞳の色が赤いというのは他種族では一般的な色ではありますが、人族の中では非常に珍しいですが極稀に居ますので、瞳に関しても病気などではありません。……医者の私が言うのは不適切でしょうが、これはあくまでも勘なのですが……私が指摘する特異な点というのは、この子には知能が既にあるのではと考えられる点です」
「……先生が仰る意味がよくわかりません。この子は見たとおりまだ生後二ヶ月程の乳飲み子ですよ?」
「ええ……しかし私が触診をしている間、この子から知能を感じたのです。理由をうまくお伝え出来ないのですが……ですから勘としか言いようが無いのですよ」
ネイとガットは医者から疾患や障害は無いだろうと聞かされ、胸を撫で下ろした所へ、医者から意外な見解を告げられた。
ネイとガットはその言葉をにわかには信じられないと感じていたが、実際に触診をした医者は勘だとは告げたものの、レスタという赤子に知能が備わっている事を確信していた。
感情を出さぬ子であれば直接治療を施した経験もあり、見誤る事は無い。
医者が身体の異常を確かめるために赤子の体に触れた瞬間、特異な赤子は赤色の瞳をしっかりと見開き触診している自身を観察するようにしっかりと見ていた。
その目にはしっかりとした意思があり、そして知性があった。
医者として数え切れぬ程の人族、他種族の乳児の目を見てきたが、見られていると感じる事は無かった。
そもそも乳児であれば視力は非常に低く、観察するようにこちらを見、触診する指先と顔とを交互に見ることなど一度として経験した事が無かった。
それだけで知能を有すると断定するには占いや宗教の類に近いが、確信してしまった心内を苦渋の表情を浮かべ心配そうに赤子を見守る幼さの残る夫婦に、告げずにはいられなかった。
診察を終えレスタを抱くネイは身体の異常や障害が無い事がわかり表情を明るくし家路についた。
しかし連れ添い歩く夫であるガットは知能があるとした医者の言が気に掛かり、不安を顔に滲ませていた。
住まいへと戻り、いつも通りの生活を再開させた夫婦と赤子は何事も起こらぬ静かな時を過ごす。
冬の到来が目前に迫り、冬を越す準備に追われながらもネイとガットによって愛情を注がれたレスタは空腹と寒さを感じること無く日々を過ごした。
月日は流れ、ようやくレスタは自身の体をある程度動かす事が可能となっていた。
二歳となったレスタは歩行する事が可能であったが、この頃からネイとガットからの視線に気を配るようになっていた。
レスタが幼児らしくない行動をした場合、彼らは困惑した表情をしガットが率先して診療所へ連れて行く事が多々あったためである。
この事からもレスタは両親が留守にしている時のみ、能動的になるようになっていた。
主に行っていた事は書物を読む事であったが、夫婦の所有している書物は数が少なく農業関連のものが数冊であり、文字を未だ覚えていないレスタにとっては図解や文字一つ一つの意味を想像する作業であった。
しかし、ある日レスタは物置から初等教育に使用される教本やガットが使用していたノートを発見する。
日中の短時間ではあるが自由に行動する事が可能となる間にレスタは物置に仕舞われた教本やノートを使い、学習を開始する。
レスタは生まれ落ちてたから生への渇望が希薄であったが、学習するという行動は、その希薄な生存本能の変化を示す行動であった。
二年前、川辺にて猿へ忌まわしき力を使用して以来、積極的に行動する事が無かったが、学習するという行動は紛れも無く彼の自発的なものであった。
レスタにとっての学習とは知的好奇心というよりも、生存に役立つ情報収集であり、それは人間性というよりは動物としての本能とも言えるものであったが、レスタにとっては大きな変化であった。
ネイが家を空ける時間は日中の一時間程であり、その短時間の間に学習を進める事は困難を極めた。
文字を暗記し寝室で眠っている時以外は文字を頭の中で書き、またシーツに指でなぞる事でも体に刻み込む事で学習を進めた。
そうした努力も幼児である体では睡眠を多く必要としたため、文字を完璧に書けるようになった頃には一年を費やしていた。
三歳となったレスタはようやく自身の忌まわしき力について検証を開始する。
既に三年前に一度使ったきり、力を行使していなかったが生まれつき自身に内在する力の使い方は、忘れる事無く知覚していた。
初等教育の学習をする要領と同じく、日中ネイが姿を消す短い間に屋内や屋外に居る虫を対象に力を使い始める。
屋内は清掃が行き届いており、稀にしか虫を発見する事が出来なかったため、主に屋外にて対象物の捜索をし、数百回の行使を繰り返した。
瞳の色が濃くなる時間は行使する回数を重ねる事に短縮され、対象物の腐敗の速度も一センチ程の虫であれば数瞬で完全に腐敗させ白い煙となり、体内へと吸引出来るようになっていた。
そして腐敗させ吸引するには最低でも対象に一メートル以内に近づかなければならない事も判明する。
猿と同様、小さな虫も眼球と付属器だけは腐敗する事無く残り、数百回の検証の結果一度も全てが腐敗する事は無かった。
そして虫を一匹吸引する程度では差異は感じられないが、十匹以上を吸引した場合も両親から与えられる一食の食事よりも遥かに少ない充足感でしか無かった。
また吸引する事で腹が膨れる事はまったく無く、猿を取り込んだ時もそのような体感は一切無かった。
取り込んだ栄養素は消化するために体内で保管される行程は無く、一瞬で体内全てに行き渡り、食物を食べる事とは別の原理があるとレスタは考えていた。
そして生物以外の石、加工済みの家具である木材や陶器類なども腐敗させる事は出来なかった。
生物として分類出来る植物全般も腐敗させる事が出来ず、勿論吸引も不可能であった。
この原因を考えたレスタは仮定として眼球を持たない生物を腐敗、吸引する事が出来ないのではとした。
目を持たない虫や小動物を屋外で探したレスタはミミズを発見する。
ミミズに目が無い事は知識としては知らなかったが、農学書に出ていた土壌に潜む動物の図解を記憶しており、目を持たない事は知っており、手にとってよく観察し腐敗をさせようとするが腐敗の進行もせず、吸引も出来なかった。
この事で一応の仮説として眼球を持たない生物の腐敗、吸引は不可能である事にした。
検証を二ヶ月程繰り返す日々を過ごすある日、レスタの体に突如異変が生じた。
その異変は表面上は見えぬものであったが、主にレスタの脳内に起きた事であった。
そしてその異変を以って、レスタは全てを理解する。
猿を取り込んだ時、致命傷では無いが浅くは無い傷を多く体に残していたはずであったが、治療を施された記憶は無いが全て完治していた。
その事からレスタは知覚する、腐敗させ吸引した力とは再生を行う事が可能であり、忌まわしき力の正体であると。
無意識で行使していた再生により、川辺にて傷ついていた自身の体を再生し、食物を摂取していなかった期間は栄養素の代替として劣化が進む身体を再生し続けていたのである。
今や再生という忌まわしき力の行使の仕方も完全に知覚しているレスタは、虫を取り込んだ程度では再生可能となるエネルギー量は微々たるものであると予想出来るが、再生についても検証を開始する。
早速、虫を数十匹腐敗させ吸引した後、レスタは自身の指先を刃物で浅く切りつける。
皮膚が切り裂かれ血が流れ出すのを確認しレスタは再生を行使する。
腐敗させる時と同様、自身の指先に出来た浅い傷を凝視し再生するよう意識する。
瞳の赤は濃くなる事は無く、腐敗させる時とは違って青が少し混ざった緑色が瞳の赤を打ち消して浮かび上がる。
指先の傷はゆるやかに塞がり、切り裂かれていた皮膚も完全に再生された。
意識的に再生をする前に既に止血が始まっていた事も確認された。
レスタはその後も虫の吸引と再生を数度繰り返し検証を終える。
繰り返す内に吸引する虫の数を一匹づつ減らし、同じように指先に傷をつけ再生を繰り返したが、指先の傷の再生に必要な虫の吸引数は、羽の付いた黄色の頭を持つ虫だけを吸引した場合は五匹必要であり、四匹以下では再生に必要なエネルギー量が不足した。
再生に関する力の行使の検証を一通りやり終えたレスタは次の段階へと進む。
それは再生が行えるエネルギーの備蓄が可能となる時間を調べるためのものであった。
日中、一人で行動出来るのは約一時間程であるため、吸引後に一定間隔を置いて再生をするには時間が短く、吸引後一時間以上経過した場合の再生を調べるには両親の目を盗んで新たに傷を付ける必要があった。
しかし、レスタのこの検証は幼児であり常に見守られている環境では難しかった。
母であるネイはレスタに対してやや過剰な愛情を持って接しており、レスタの再生エネルギーの備蓄に関する検証は進まぬままとなっていた。
検証が思うように進まぬ日々を過ごすレスタであったが、ネイとガット、時折訪れる狩人のゲッタや村長夫妻、その他村人に愛着という感情は未だ理解出来ず芽生えていないなかったが、追放されたラーゴよりもこの地で生きる事に心地良さを覚えてもいた。
心配し注意して自分を見守る両親を疎ましい存在とは考えないレスタは出来ないことはきっぱりと諦め、日々の暮らしを送っていく。
厳しい冬が過ぎ去り、村に春が訪れようとしていたある日。
全身を体毛で覆い、二メートルを超える体躯に特殊加工された繊維で出来た緑色の軍服を着た馬族の者が供を連れ村に現れる。
使者として現れた馬族と連れている従者も含め全ての者が巨大な四足歩行のトカゲに跨っていた。
村の入り口、櫓にて警戒する村人の制止を無視し、一目で上位者の住まいと分かる村長の邸宅へとトカゲの足を進めた馬族の使者は荒ぶるトカゲをやや強引に引き止め停止する。