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02

 赤き瞳の赤子は猿から栄養を取り込むことで一時的な飢えは凌いだが、自身の肉体のみでの活動を行う事は不可能な状態のままであった。

 また川の水量が降雨などにより増せば、再び流される状態から逃れる事が出来ぬままであり、獣が都合良く近寄ってくる事を期待しても、運に拠る所が大きい。

 このままでは遠からず持続的な糧を得ることが出来ずに、ゆるやかな死が待っている。


 そんな状況ではあっても生への執着が希薄な赤子は、途方に暮れる事も無く忌まわしき赤き瞳を閉じたまま、ただ川辺にて時を過ごす。

 猿を捕食してから二日が経過し、栄養不足が赤子の肉体を再び蝕み始めだした頃、川辺に一人の人族が姿を見せた。



 川辺へと近づく男は木々に同化するよう施された迷彩柄の服に身を包み、背中にはくすんだ黒のクロスボウを背負い同じく全てが黒く塗装された短い矢を数本、腰の後ろに束ねて提げ、右手には刃を剥きだしにしたナイフを握っている。

 やや腰を曲げ、周囲を警戒しながら足音を立てずに川辺へと近づき、赤子の方へとゆっくりと近づいていく。

 男と赤子との距離が十メートル程となった所で、男は静止する。


「こーんな所に赤子が捨てられてらー。村の奴がわざわざ捨てに来たとも思えねっし、どこの赤子っかね」


 端整な顔に無精髭を生やした男は、訛りのある高い声で思考を言葉にして発っする。

 口調や声色は暢気に聞こえるが、男は既に決断していた。

 周囲にもしも赤子の保護者が居たとしても、おそらくはその保護者は死亡しているか怪我を負って動けない状態であろう。


 そうではなく単純に赤子をしばらく川辺に放置しているのだとしたら、危険が多いこのような場所に放置する保護者であって子を育てる能力が欠如している者であろうし、この赤子を守ってやれるのは現状自分しかいないと結論付けていた。


「可哀想だっし、連れて帰ってやるけんど、泣くと獣が寄ってくるかもしんねっから、大人しくしててくれよ」


 男は赤子に向けて言葉を発しながら、赤子へと近づき、くたびれた白い絹に包まれた赤子を抱え上げる。

 突然の人族との遭遇に赤子は無反応のまま、男に抱え上げられた後も目を閉じたままであった。

 男はすぐに赤子を抱き上げ川辺から姿を消し、森の中へと足を踏み入れた。


 森の中、起伏や障害となる木々や茂みを避けながら足音を一切立てずに赤子を抱いた男は進み続ける。

 時折立ち止まり、周囲の獣や小動物の鳴き声、気配に警戒し、また歩き出す。

 赤子は目を閉じていながらも、男の動作一つ一つを体で感じていた。


 生まれてから、ここまで足音や息遣いを極端に消し去る人物を見た事がなかった赤子にとって、自身を抱く男の所作は初めての連続であり学びたいという欲求は沸いて来なかったが、有益な情報だと判断していた。

 未だ満足に動かせぬ自身の体ではあったが、男の所作については記憶に留め置いていた。

 目を見開けば、自身の赤色の瞳が露見してしまうと判断していた赤子は、風景や男の所作を視覚に収めることが叶わなかったが、このまま闇に閉ざされたままでは些か不便であると考えるようになってきていた。


 赤子は男の腕に抱かれたまま目を開く。

 男が向かっているのはおそらく仲間や家族、あるいは同族の者が住む集落であろうし、大多数の人族が居る場所で目を開けば、ラーゴで滝つぼへと放り込まれた時のように抗うことも出来ずに追放される。

 今なら、瞳を見られても即座に危害を加えられる可能性はあるが、森の中へ放置される程度で済む可能性も高い。


 そう目論んだ赤子は赤き瞳に木々から差し込む日の光を反射させ、周囲の木々、茂み、地面、起伏、数々の昆虫や植物を観察しはじめる。

 通常は腕に抱かれ仰向けの状態では視野は限られるが、男はやや腰を落としたままの姿勢で進むため、赤子にとって観察に不都合はそれほど無かった。

 しかし、森を静かに進む男が赤き瞳を晒している赤子に視線を落とした時、初めて足音を鳴らし歩を止めた。


「あらら、おまえさんの瞳の色、真っ赤だな! 病気か? 大丈夫なのか?」

「………」


「あー、まーだ言葉はわかんねーよなー、しっかし、困った。村まではまだ掛かるし、急いだ方がいいな。ちと揺れるけんども我慢してくれな」

「………」


 男はそれまでの慎重な足取りとは打って変わって、周囲に騒音とも言える程の足音を打ち立て、野獣の駆けるような速度で森の中を突き進む。

 それでも木々の枝や茂みに腕の中の赤子がぶつからぬ様、全ての障害物を回避しつつ猛進する。

 休む事無く突き進み、三時間程で人々の気配がする集落へと到着する。




「ゲッタ、そーれどこの赤子だ?」

「森の向こうの西の川辺に捨てられてたんだー、可哀想だっし連れて来た」

「へぇー、無事生まれた赤子を捨てる親がこーのご時勢に居るんだかー」


 村に到着した赤子を抱いた男に物見櫓ものみやぐらの上で槍を片手に持った中年の男が親しげに声を掛ける。


「んだなー。そっだ、村長は家にいっかな?」

「今日は居たと思うべよ」

「そかそか、んじゃこの赤子見せに行って来る」


 男二人が片手を上げ挨拶して別れる。

 その様子を赤子も観察していたが、瞳の色を櫓の上に居る男が指摘する素振りは無かった。

 これで二人目。赤子の赤き瞳を見て、忌まわしき力の持ち主だと口に出さずに病気だと口にし、もう一方は無反応であった。


 赤子は判然としない思いのまま、ゲッタと呼ばれていた男の腕に抱かれたまま村長の住居へと運ばれた。

 到着した住居は集落の他の建物とは違い、壁面全てが白く豪奢な作りであり、周囲と比べ目立つものであった。

 敷地内を囲う鉄製の高い柵、大きな門には家紋が彫られたプレートが掲げられている。

 柵で囲われた敷地内も広く、三棟の倉、数種の家畜が飼育されている小屋が納まっている。


 ゲッタはそんな村長の邸宅といえる住居への侵入を阻む大きな門の前に立つ。

 門は堅く閉ざされているが、守衛の詰所である小さな小屋に人影があり、ゲッタの訪問に守衛の男が気付き片手を上げて挨拶をする。

 守衛の男は詰所にある紐を三度引き、邸宅へ訪問者の来訪を報せる。


 すぐに詰所にある小さな鐘が三度鳴り響き、守衛の男は大きな門の鍵を開け放ち、ゲッタに敷地内へ進むよう目で合図する。

 ゲッタもその合図に、にこやかに笑顔で応え、頭を少し下げて敷地内へと歩を進める。

 邸宅の石畳で舗装された道を進むゲッタの前に、重厚な玄関の扉が開け放たれ初老の男が姿を現した。


「ゲッタ、狩りに行ってたん、ぬ? その腕に抱いた赤子はどうしたんじゃ」

「狩りの途中でこーの赤子が川辺に捨てられててよ、拾ってきた」

「ふむ。村の者が無事生まれた赤子を捨てるとは考えられんし、他所の部族の赤子じゃろうかの」


「俺もそう思うんだけんども、こいつの瞳が赤くてなー、病気かもしんね。それと俺達と同じ人族かどうか村長に一応見て貰ったほうが良いと思ったんだけんど、どっだ? こいつ病気か? 人族か?」

「どれどれ」


 玄関前に現れた村長はゲッタと会話を交わしながらお互いの距離を縮め、村長が赤子の顔を覗き込み、同種族である人族かどうかの確認をする。

 皺だらけの顔を近づけられた赤き瞳を持つ赤子は目を逸らす事無く、村長を見返す。


「ほーほー、赤き瞳とは……初めて見るのう、まるで兎族の瞳のようじゃが、どう見ても獣人族や植人族の肌ではないしのう。外傷は無いようじゃし、衰弱しとる様子もないから病気では無いと思うぞ。それと人族で間違いない」

「そかそか、良かったな、おまえ! えーっとこいつ名前はなーんていうんだろ」

「この赤子の名をワシに聞かれてもわからんのう」


 腕に抱いた赤子に端正な顔を向けるゲッタは心底安心した眼差しで声を掛けるも、名を知らない事に気付いて村長に再び質問する。


「うーん……じゃ、村長こいつの名前付けてやってくれよ」

「ゲッタ、待て。この赤子、育てるつもりか?」

「いんや? こいつを連れて狩りには行けねっよ? 村で育ててやるのは駄目か?」


「……。赤子は貴重じゃ、それにネイがガットとの子を死産したのが先月であったしのう、あの二人にこの赤子を育てるよう勧めてみるかの」

「ああ……ネイもガットも悲しんでたもんな」

「では早速、ネイとガットをここへ呼ぶとするかのう」


 名は付けられなかったが、赤子の育て親の候補は村長によって挙げられた。

 ネイという村の女が先月死産していた事を村長はすぐに思い浮かべ、ゲッタも思い出し端正な顔に悲しい表情を浮かべる。

 小さな村が故、人々の繋がりが強固であるのもその悲しみを大きくしており、尚且つ赤子は共同体全ての財産であり死産や事故、病気によって子供を喪う事は大きな損失でもある。


 村長によってネイとガットの住む住居へ村長からの訪問するよう告げる使者が送られた。

 ガットは農地での作業中であったため、ネイがガットを呼び出しに行き二人が村長の邸宅へ向かった頃には夜も遅くなっていた。

 それまでにゲッタに抱かれた赤子は村長の邸宅内にて体の汚れを落とし、肌寒い季節に入りつつあるため、暖を取れるよう暖炉のある応接室にて真新しく清潔な布に包まれていた。


 村長の娘が赤子の世話をするため、ゲッタと赤子の周囲に集まるも、泣き声一つ上げない赤子に手持ち無沙汰となっていた。

 忌まわしき赤子は生後すぐに両親から泣かぬ事を心配されはしたが、赤き瞳を保有しているのだから通常の赤子とは違う生理機能なのだと考えられていた。

 過去、部族に生まれた忌まわしき赤子の特徴とも符合しており、忌まわしき力の差異はあるものの、生理機能や身体的な特徴である赤き瞳は同様であった。


 ネイとガットが村長の邸宅へとようやく訪問し、赤子の居る応接室ではなく、執務室にて村長から拾われた赤子の養育をしてみないかと提案される。

 最初はガットだけが村長による提案に乗り気な姿勢を見せていたが、一方のネイは俯いたまま言葉を発する事は無かった。

 そんなネイの様子に気付いた村長夫人がネイを赤子が暖を取っている応接室へと誘う。


「ネイ、この子よ。ゲッタ、ネイに抱かせてあげてちょうだいな」

「お、ネイ来てたのか。さっきから全然寝ねっし、こいつ腹空かせてるのかもしれねーんだ」

「ゲッタ」


 応接室に入るネイの姿を確認したゲッタが、赤子を抱いたまま声を掛ける。

 付き添う夫人がゲッタを咎めるよう名を呼ぶも、ネイは気にした素振りも見せず、ゲッタの腕に抱かれた赤子の方へと歩み寄り、その赤子を無言のまま抱きかかえる。



 赤子の頬に水滴が落ちる。

 見知らぬ女が、最後に見た母のように涙を流している。

 また捨てられるのだろうかと、赤き瞳の赤子は小さな体をやや強張らせていた。




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