10
夜が明け太陽が顔を覗かせた頃、狩人達により村全ての策敵が終わり、タクロスの死体二体を村の外円部となる農地にて発見する。
二体のタクロスの死体以外には部外者の影は認められず、村長によって厳戒態勢は解かれ、住居が火災によって消失した村人以外は帰宅する事となった。
消失した住居の居住者は一事村長宅にて寝泊りをするよう推奨され、その間に自警団や元自警団である老人達の協力によって住居の再建計画が話し合われ、建築資材の手配や職人への発注が襲撃の翌日にはなされていた。
タクロスの襲撃による村が被った被害は住居が十三棟、公共の入浴場がニ、穀物などを収める倉庫が三と当初想定されていた工房や学校、診療所といった再建に時間を要する建物への被害は皆無であり、村長を含め家長となる老人達も再建に要する時間と費用に関して頭を悩ませる必要は少なかった。
問題となる人的被害の方は重軽傷者三名、死者が一名であり、こちらも想定していたものよりもかなり少なかったが、死者が現役の自警団の年長者であるハセであった事が村人、とりわけ老人達の頭を悩ませた。
そのような思いを秘めた村人によって、ハセの弔いは粛々と執り行われた。
自警団専用の墓地にてハセの遺体は埋葬されたが、厳戒態勢が解かれたとはいえ、近隣の森や村へと続く道での警戒、策敵を行う自警団、狩人達の多くは立ち会うことが叶わず、主に老人や女、子供の村人によって弔いの儀が執り行われた。
誰一人として涙を見せる者は居らず、ハセとよく遊んでいた子供の目にも涙を浮かべる者は一人として居なかったが、これは公の場で涙を見せる行為を忌避するという村の慣習故の事であり、皆が心で涙を流し、堪えきれぬ子供は保護者によって退席させられていた。
この公の場や弔いの儀での涙を頑なに拒む事は徹底されており、成人を過ぎた者が涙を流せば大変な不名誉となる行為であった。
「セイ、あの二人の調書は出来た?」
「うん、そこに置いてあるわよ。……ジラフ、少しは寝たの?」
「……」
ジラフは村長宅の敷地内の一画にある重厚な扉から地下へと続く階段を下り、壁面を石材で固められた薄暗い通路を通り、鉄製の重い扉を無言で開け放つ。
扉を開けたジラフは室内には兎族の生態に関する本をイスに座り読む、艶のある長い栗色の髪の女に声を掛ける。
声を掛けられた女は本から視線を外し、ジラフの顔色を伺うように見詰めながら返答し、心配を口にするが、体調を心配する言葉を無視してジラフは執務机に置かれた調書を手に取り、イスに腰を掛ける事もなく紙束に目を通し始める。
狭く、窓も無い室内には紙を捲る音だけが流れ続け、ジラフは一つだけ小さく息を吐く。
「あの二人の兎族、何か隠しているのはセイも気付いてるよね?」
「ええ、ジラフの言った通り彼女達はただの旅人ではないわね。ハセさんの殺害に関与しているかどうかはこの状況では体に聞くしか無いけど……」
「まだ拷問は苦手?」
肉体的な疲労は三日間寝食抜きでも活動する事を苦にしないジラフには見られなかったが、精神的な疲労は表情には色濃く出ていた。
しかし、そんな彼よりも辛そうな表情をセイが浮かべていた。
捕虜からの供述や関係者の証言から真実を見抜くことは祖母であるアンよりも優れた才能を有するセイは、所謂『体に聞く』行為を不得手としていた。
彼女の生来の優しすぎる気質が『体に聞く』事を苦手としていると周囲は考えていたが、事実はその反対とも言える。
祖母であるアンや母に幼き頃よりセイはその聡明な頭脳と勤勉な資質を見出され、村の尋問者としての将来を期待されており、基本的な尋問に要する知識や人族以外の生理機能、対象との会話に必要な情報や歴史、文学から詩、演劇と幅広く学ぶ機会を与えられ、祖母や母の期待通りに全てを吸収していた。
だが尋問者として必要不可欠と言える『体に聞く』行為は知識だけでは会得出来る技術ではなく、経験に拠る所が大きい。
数年前、まだまだ幼さの残るセイが祖母のアンが執り行う尋問の助手として実際に捕虜の『体に聞く』行為をした時、普段の温厚な性格を豹変させた。
『体に聞く』行為を数え切れぬほど見、自身で実行してきたアンの顔を引き攣らせるほどに、セイの行う『体に聞く』尋問は陰惨を超えて、その光景には狂気があった。
証言を引き出すまでに要する時間は、アンが行った場合よりも早く、偽証を掴まされる事も幾度かの『体に聞く』尋問において皆無であったが、対象の多くが死亡、或いは再起不能となっていた。
この事実は、アンが口外せぬようにときつく咎め、セイも自身の性癖を自ら公言する愚か者でも無かったため、村長を含め、村人で知る者は捕虜を管理する関係者とジラフのみであった。
ジラフがこの事実を何故知っているのかは、アンやセイ、捕虜の管理をする者達も未だにわからぬままであったが、いつの間にかセイの中に狂気がある事を共有していた。
セイの中にある狂気を知りつつも、今までと変わらぬ態度で接してくるジラフに自然と心が惹かれていく孫娘の姿を祖母のアンは微笑ましく見ていたが、セイの性癖には今も悩まされていた。
「正確な情報は抽出出来ると思う……もし彼女達が村に害を成す存在じゃなかったら…取り返しがつかない。たぶん、また殺しちゃうだろうし」
「あー、そっちの心配なんだね。それは気にしなくても良いよ。ハセさんの死に関与している可能性がある部外者の時点で、彼女達の身を案じる必要なんてないよ」
「あ!」
狭い室内であり、二人の距離はさほど離れていなかったため、突然座っていたイスから立ち上がるセイの行動にジラフは調書の束を握り締め体を強張らせる。
「何?」
「捕虜は二人!」
「う、うん。そうだけど?」
「フフフ、ジラフ! 捕虜が一人死んでも、問題無いわよ!」
「セイ……」
先程まで拷問をせずに兎族への尋問を進めようと、生理機能や文化について文献を調べていたセイは晴れやかな顔をジラフに向けて宣言し、脳内で拷問の手順や種類、日程などを考え始めていた。
セイが思考の海へと沈むと、極度の集中状態に陥るためジラフは苦笑いを浮かべたまま執務机にあるメモ用紙にハセの死への関与の有無以外、優先すべき情報の抽出項目を手早く書き記し、セイ宛に置手紙を残して退室する。
慌しくもどこか村人達の顔に憂いの影が差し、住居の再建作業や資材の運搬に従事する姿をレスタは首を傾けたまま観察していた。
小さな首を傾けてはいても不思議に思っていたり思い悩んでいるという事ではなく、この姿勢には理由があった。
レスタの母であるネイは何かを観察したり、作業をする場合、首をやや傾けるという癖を持っており、この癖がレスタにも受け継がれていた。
首を傾けて作業風景を見詰めるレスタの横には、同じく首を傾けて主人であるガットの姿を見るネイが並び立っていた。
血が繋がっていなくとも、既に三年余りの時間をレスタとネイは共有しており、複数の習慣や癖をレスタは学習するというよりは、模倣する事で継承していた。
比較対象が少なく、人との触れあいが極端に少ない幼児であるレスタにとって、母のネイの所作を模倣する事は必然とも言えた。
そんなレスタとネイの姿を作業風景を見に訪れた村長が目撃し、二人の立つ場へと足を運ぶ。
「ネイ、お主ら立ち姿がそっくりじゃのう。二人揃って考え事かね?」
「あっ、村長さん。え? あー、これですか。癖ですよ」
「レスタも同じ仕草をしておったぞ」
「あら、そう言われると……」
「そうじゃ、先程伝えておこうと思っておったんじゃが、レスタの入学についてなんじゃがの」
「はい、主人も呼びましょうか?」
レスタは村長がネイと会話をする中、作業風景を未だに首を傾けて、観察をしていた。
しかし、村長とネイの会話の中に『入学』という言葉が出てきたため、作業風景を見続けるよりもこちらの二人に興味の対象が移り、二人の表情を観察し会話を聞き取りだした。
すぐにネイがガットに手を振って呼び寄せ、作業の手を止めたガットが三人の許へと駆け寄る。
「時間が無いんでな、手短に伝える。まだ先の事じゃろうとガットもネイも考えておるじゃろうが、来期からは入学年齢の引き下げを実施する予定でな、対象年齢が六歳からであったのが五歳からとなる。レスタは今三歳であろう、そろそろ準備を始めておくのが良いじゃろう」
「……えーっと、準備といっても俺達は何をすれば良いんですかね?」
「息子の特性を知り、その才を伸ばしてやれば良い。では、頼んだぞ」
「はぁ……」
「わかりました」
ガットは村長が踵を返しその場を立ち去ると、すぐに腕組みをして考え込む。
反対にネイはレスタの頭を撫でながら笑みを浮かべていた。
「よー、ひっさしぶりだなー」
両手を掲げる青年は、険しき山の麓にある交易所にて一人の馬族に向かって声を掛ける。
声を掛けられた馬族は青年の方へと振り返り、小さく頷き返す。
山の麓にある交易所は、雑多な種族が行き交い喧騒に包まれていた。
「伝書蜂には案内をと書かれていたが、後ろに居る彼らもゲッタの同行者で良いのか?」
「あー、んだんだ。人族の八人だ。じいさん達も居るから歩きやすいルートで頼むな」
「わかった。すぐに出発するか?」
「ちょーっと待ってくれな。じーさーん、大丈夫っかー?」
「……大丈夫じゃ!」
「だそっだー」
タクロスの馬族とは違い、全身を白い体毛で覆われ、二メートル程の身の丈の馬族はゲッタに日程を問う。
ゲッタは人夫として同行する初老の者達へと休息を必要とするかの確認をするも、森を三日間歩き続けてきた疲れを一切見せない人夫はすぐに山へと入る事に問題はないと答える。
すぐに出発すると決まった一行は、交易所の喧騒を抜け、山道へと続く方へと進む。
案内役の白い馬族を先頭にゲッタが距離を置かずに続く。
十メートル程後方から皮袋を積んだ台車が二台、何も詰まれていない空の台車三台を押し運ぶ人夫が続き、その周囲を狩人の三名が足音を立てずに静かに歩く。
ゲッタも含めた狩人達は皆が森や木々に溶け込むような迷彩効果の高い服装であり、それぞれが腰に提げるやや小ぶりなナイフや折りたたまれた状態で背負うクロスボウは全てが日光が反射しないよう、つや消しされた黒で塗装されていた。
「目的は予想出来るが……タクロスの拠点を制圧後、人族がここに移住するのか?」
「いやいやー、それは無いよ」
「……そうか」
先頭を歩く案内役の馬族がゲッタへ向けて唐突に問い掛け、ゲッタの答えを聞き安堵の表情を示すものの、どこか暗い表情も混ざっていた。
「俺達は、まーその、なーんだ。難しい事はよくわかんねっけどさ、あれだあれ」
「ん? よ、よくわからんのだが」
「村長がよく言ってんだけどなー、俺達は弱いっからさ」
「……そうは思えないが? 馬族でも人族を過小評価する者は多いが、我々は人族の強さを知っている」
「んー、種族がどうのって話じゃないなー。単純に俺達が弱いってことじゃねっかな」
「ふむ、種族に拘った考えは確かに思慮が足りぬかもしれんな」
「ジャーの言ってる意味が俺にはわかんねっけどな! ワッハッハ!」
「そ、そうか……」
会話が噛み合わぬ案内役の馬族と人族の青年は山中を歩きつつ、一方は険しい表情を浮かべ、もう一方は散策でもするかのような表情を浮かべ進み続ける。
険しい表情を浮かべる案内役の馬族の胸中には、山中の案内をしつつも不安が湧き上がっていた。
すぐ横を歩く小さき人族の青年は、危険な人物であるのだと今更ながら思い出していたからである。
二日前、互いの村に設置されている伝書蜂の連絡網により届いた便りは、自身が所属する白馬族にとっては衝撃的な内容であった。
人族の、かの村からの依頼は簡潔であった。
タクロス拠点が存在する山岳地帯の麓から、拠点までの道案内を頼むとの事。
過去、白馬族が牛族の一部との争いにおいて、多大な助力を白馬族に対して行った者達が存在した。
その中心に居た人物が山道をにこやかな顔で歩く小さき人族の青年であり、その隣を同じく歩く白馬族の案内人は牛族との抗争の際、この青年に命を救われ、個人的な繋がりを強く持っていた。
ゲッタという青年は白馬族の案内人であるジャーに対して対等の友として接するが、ジャーは白馬族での地位は決して高く無く、友として接してくる事に困惑していた。
ゲッタは白馬族では最重要人物であり、他の馬族の族長と同格以上の礼節を以って接しなければならない程の人物であったからである。
最初は目上の者に対する言葉遣いで接していたジャーに、ゲッタは対等で話すよう何度も主張したため、二者の間にはそれ以来、畏まった言葉遣いでの会話は無くなっていた。
一定の警戒をしつつ山中を歩き、ゲッタとジャーの間で友として他愛も無い会話が交わされていた。
案内が不要となる地点へと到着し、ジャーは一足先に下山する。
ゲッタが闊達に笑い、ジャーと再開を約束した後、簡易の野営地の構築を人夫と共に行い、タクロスの拠点への攻撃の打ち合わせを談笑を交えて行っていた。
「クース、尾行はどっだ?」
「まだ居るな。二時間前の報告ではあるけどな」
「んー、まぁ白馬族が警戒すっのは想定通りだっけど……手の内を知られるのは避けたいよなー」
笑みを浮かべていた顔から険しさが浮かび上がり、ゲッタは先程まで案内を任せていた白馬族が、自分達を尾行していた事に苛立ちの色を示す。
ゲッタも案内役である白馬族のジャーと交易所にて顔を合わせた時点で、既に二名の狩人に姿を隠させ、周囲の警戒と情報収集、尾行の有無を調べさせていた。
危害を加えてくる可能性はゼロとは言えないが、馬族が多く住む地にて新たに白馬族との間に火種を作ることは避けたいと考えるゲッタは、苛立ちは示したものの『我慢』と手元にある小さな紙に書き記し飲み込んだ。
「ゲッタ…紙は大丈夫だろうけど、インクは腹壊すぞ」
「……」
「プフッ…無駄に字でかいしな」
野営地にはゲッタの浅はかな行動を笑う狩人達の大きな笑い声が、木霊していた。