3話 「対象を制圧せよ!」
「あっ、犯人が何か怒鳴りはじめたわよ!」
芽依子がぺちゃくちゃ話している二人を遮って声を上げた。
事態が急変したようだ。
「こら、いつまで待たせんだ! はやく金を持ってこい!!」
「おいおい、金は銀行にあるんじゃないのかよ……」
普通は銀行員に向かって言われる犯人の要求に、慶次は苦笑いした。
電子マネーで何でも買える最近では、現金を持ち歩く人もめっきり減った。
この時代、銀行に大金が置かれることはなくなり、店舗はサービスカウンターとして機能するだけになっている。
「金を持ってこないと、この娘がどうなるか、わかってんのか!」
「おいおい、おっさん、なにやってんだ……」
犯人は、右手に小学生ぐらいの女の子を抱え、左手のバーナーを着火しようとしていた。しかし、なかなか火が付かないので、左手を上下に大きく振る。
すると、それで女の子が暴れたのか、腕を振ったためなのか、巨大な工業用機械人形はバランスを崩して、後方へと傾き始めた。
「まずいわ! あの子、下敷きになる!!」
芽依子が悲鳴に近い声で叫ぶのを聞きながら、慶次は、機械人形へ高速走行の音声コマンドを出す。
「オーバーブースト、レベル5」
機械人形は、慶次の音声コマンドに応えて、人間では考えられない猛烈な加速で100メートル以上の距離を一気に走る。
そして、取り囲んでいる警官達が驚いて振り返るその頭上を軽々と飛び越えて、ほとんど一瞬で現場に到着した。
しかしその目前で、工業用機械人形は、後方へ転倒してしまった。
「くそっ、間に合わなかったか……」
慶次は舌打ちをしながら、女の子の方を見る。
幸いにも女の子は、倒れた工業用機械人形の上でべそをかいて座っていた。
犯人は気絶してしまったのか、ぴくりとも動かない。
慶次はその隙に女の子をそっと取り上げて、ゆっくりと地面に降ろす。
ホッと息をついたその瞬間、工業用機械人形はいきなり動き出して、慶次に足払いを繰り出してきた。
慶次は、一瞬反応が遅れたが、立ちすくむ女の子を守るために足払いを踏ん張って受け止める。
金属同士が激突する凄まじい音がして、機体の軽い慶次の機械人形がざざっと地面を滑る。
耳をつんざく大きな音に、女の子は大声で泣き出してしまった。
「あっぶねえだろ、この野郎!」
慶次は、大泣きする女の子を横目で見ながら、切れ気味に叫んだ。
「うるせえ! お前ら、こっちくんな!!」
慶次が振り返ると、盾を構えた数人の警官が後ろからゆっくりと近づいていた。
慶次は、女の子と犯人との間に体を入れると、右手で女の子のお尻をぽんぽんと軽く叩いて警官の方へ押しやる。
女の子は、泣きながら警官達の方へ歩いていった。
女の子はこれで大丈夫だろう。しかし、問題なのは、犯人が自爆する可能性だった。
この距離で自爆されれば、犯人の後ろで縛られている他の人質4人の命はない。
「エリアシールド!」
反対側から、真奈美の機械人形がそっと近づくのを目の端で確認しながら、慶次は、左腕を人質の方へ向ける。
同時に、慶次は4人の人質が座っている範囲を、ディスプレイ上で目線を動かすことによって素早く指定した。
すると、ボボンと大きな音がして、機械人形の左腕から円柱状のユニットが六つ同時に発射され、指定した範囲を囲むように着弾した。
着弾したユニットからは、すぐに金属の棒のようなものが無数に伸びて、目にも止まらぬ速さで次々と互いに接続されていき、おわんを伏せたような蜂の巣状のフレーム構造物が構築される。
枠が完成すると、棒の中から薄いパネルがせり出してきて、あっという間に4人をすっぽりと覆い隠す対爆耐火ドームが完成した。
不透明なので中は見えないが、4人は何が起こったのか、さっぱり理解できずに驚いていることだろう。
「そのまま動かないで下さい。直ぐに助けます!」
機械人形の外部スピーカーから、慶次の声が流れる。慶次は、ドームの中で彼らがうなずいてくれていることを祈った。
「て、てめえ、びっくりするじゃねえか。 飛び道具を使うなら、俺だって……」
犯人はそう言うと、左手を背中の作業バックの中に差し入れた。
中でガチャガチャと音がした後、犯人が手を抜き出すと、左手の装備が鋲打機に自動換装されていた。
鋲打機とは、建設用の鋲を打ち出す装置である。改造すれば銃に匹敵する殺傷能力が得られるので、乱射されたら多くの死傷者が出るだろう。
「おいおい、落ち着けよ。 素手で勝負してやるからさ」
「うっせー! 死ね!!」
犯人が鋲打機を慶次に向けたとき、慶次は機械人形の高速機動プログラムを終えていた。
プログラムと言っても、事前に体を動かして、動き方を順番に指示していく簡単なものだ。機械人形を人間の反応速度を超えて高速機動させる場合には、このようなプログラムが必要になる。
「オーバーブースト、レベル7」
慶次が言い終えるのと、犯人が鋲打機のトリガーを引き絞るのは同時だった。
しかし、犯人がトリガーを引き終えることはできなかった。
その指を動かすコンマ数秒の間に、慶次の機械人形が犯人の鋲打機をたたき落としたからだ。
続く一瞬で、慶次は、巨大な工業用機械人形に足払いを掛けて、地面に組み伏せる。
雷鳴のような轟音とともに、勝負は一瞬で決まった。
さらに、慶次は工業用機械人形の搭乗ドアと筐体の隙間に右手を突っ込み、強く引っ張ってドアを破壊した。
「終わりだ! 出てこい!」
慶次が引きはがした鉄製のドアを投げ捨てると、中から犯人がもぞもぞと出てきて、ゆっくりと手を上げた。周囲の警官達がどっと駆け寄ってくる。
慶次は大きくため息をついた。
そうして意気揚々と戻ってきた慶次は、芽依子と真奈美の非難の声に迎えられた。
「さっき、女の子のお尻に触ってたよね~」
「どさくさにまぎれて、お触りとはいい度胸だね~」
「いやいや、そんなこと考えてないって!」
慶次は、何も考えてはいなかった。
しかし、機械人形には感覚のフィードバックがある。触った感触がなかった、とは言えなかった。
「そんなに触りたいなら、私のお尻を触らせてあげる~」
「いいえ、真奈美さん、ロリコン慶ちゃんに19歳のお尻ではダメですね」
「俺はロリコンじゃねえ!!」
あんまりからかわれると、いい気はしない。が、美人のお姉さま方にいじられるのなら悪い気がしない、ちょっとMな慶次であった。
「――まあ、状況も終了したし、帰りますか」
「そうだね~」
「機械人形二体、共にログアウトします。整備班は回収シーケンスへ移行」
芽依子はてきぱきと指示を出した。
「服部慶次、ログアウト」
慶次がコマンドを口にすると、さっと視界が暗転する。
体中に塗りたくられていたジェルが装置内に回収される音がしばらく続いた後、前のドアがさっと開く。
「トイレでジェルまみれになってる俺は、ちょっとやばい人だよね……」
慶次は、ぶつくさ言いながら装置から体を引きずり出した。体に付いたジェルは、空気に触れると次第に固まっていき、粉末となって床に散らばりはじめた。
慶次は体に付いた粉末をパンパンと払う。そして慣れた手つきで装置からホースを取り出すと、飛散した粉を吸引し始めた。
「全裸でトイレ掃除する俺は、ちょっとかわいそうな人だよね……」
――その頃、トイレの外側では何だか騒がしくなっていた。
「誰だ、鍵を閉めたのは! ん? 鍵も合わないぞ?!」
しばらくしてトイレから出てきた慶次が、教師から大目玉を食らったことは言うまでもない。
慶次は、ありそうでありえない、こんなハイスクールライフをもう1年近く続けている。
もっとも、緊急出動が必要な事件は、そうそうあるわけではない。
慶次の日常は、だいたい穏やかに過ぎていった。