36話 「心の限界を打ち破れ!」
「支援攻撃機からのデータ通信、途絶。 機体の消滅を確認」
「レオ……」
慶次は、生意気ながらも人なつっこいレオが死んだことを知った。しかし、コピーされたデータがあれば、復活することは可能なはずである。
そのとき戦闘中であった慶次には、全く余裕はなかった。慶次は、レオが復活したとしても、それが死んだレオのコピーにすぎず、本人そのものではないということは、考えつきもしなかった。だから慶次は、心にちくりと痛みを覚えただけだった。それより、目前の強敵が問題だ。
「慶次、逃げて!!」
「こいつは異常だ! 逃げろぉぉ!!」
「ここは、逃げるが勝ち……」
モニカ、ドミニク、クリスから、ほぼ同時に通信が入る。しかし、慶次には、彼女らを置いて一人で逃げる選択肢は当然ない。そもそも空を飛べる敵から逃げ切れるとも思えない。
「ひゃっはっはっは!!」
――ディエファは、死龍のコックピットの中で、自分でも何が楽しいのか分からないながら、大声で笑っていた。ディエファの体内に注入された致死量近い薬物は、ディエファの反射神経を限界を超えて高めていたが、同時にディエファの心にも限界が訪れようとしていた。
「死ね! 死ね! 死ねぇぇぇ!!」
ディエファは、薬の力で沸き上がる攻撃衝動に飲み込まれて叫びながらも、左右から的確な斬撃を白虎に向けて繰り出す。
慶次は、剣の柄に右手をかけて、服部流抜刀術を使おうとしていた。しかし、相手の動きを間近で見ると、到底、一撃で仕留められるような相手ではない。慶次は、すぐに右手で剣を抜き、左手で小刀を抜くと、死龍から繰り出された左右の斬撃を、両手の剣で防いだ。
四本の剣が互いに打ち合わされる重い金属音が周囲に響き渡る。その反動で白虎と死龍の機体は、わずかに後ろに下がった。しかし、死龍は、飛行用エンジンを吹かせて白虎に一気に詰め寄ると、さらに恐ろしい速度で連続の斬撃を繰り出し始めた。
――慶次は、運動のイメージだけで制御できる白虎を、防御姿勢を思い浮かべることで動かしていた。素早い死龍の動きをじっくり目で追って、その攻撃を防御することに心を集中させる。白虎は、激しい動きを繰り返して死龍の攻撃を防いだが、慶次自身は、全く筋肉を動かしていない。
じっと動かずに集中している慶次は、その心の中でゲームでもしているような感覚に、だんだんと囚われ始めていた。
人間は、集中すると感覚が研ぎ澄まされていく。しかし、見ることに集中すると、その他の感覚、例えば音への集中力は落ちていく。そうして何かに集中すればするほど、脳は休んでいるかのようにリラックスしていき、『アルファー波』という脳波が支配的になる。
この脳波は、『ベータ波』という通常時の脳波より、ゆっくりとした波なので、脳全体がゆっくり活動しているように見える。しかし、計算や記憶といった思考能力に関わる部分の脳は、実に活発に働いている。
慶次は、自分でも気がつかないまま、このアルファー波を究極まで高めた状態で、死龍の攻撃を見切り、防御を繰り返していた。そして慶次は、自分の持てる全ての能力を限界まで引き出し、心に浮かぶイメージの中で死龍の攻撃を防ぎ、隙があれば反撃しようとした。
しかしそれでも、薬の力で、生物の限界まで反応速度を上げられたディエファの攻撃は、慶次の防御速度を上回り、慶次は、そのイメージの中で相手の動きがだんだんとつかめなくなっていった。
死龍は、機体を高速に動かすために、地上で戦闘しているにもかかわらず、飛行用エンジンを多用し始めた。
周囲の草むらや木々が、轟音を立てるエンジンの噴射熱でめらめらと燃えていく。
死龍と白虎は、燃え盛る火の海の中で、目にも止まらぬ速さで剣を打ち合い、いつ果てるともしれない剣戟を繰り返していた。
「あぁっ…… また、来る……」
ディエファは、自分の攻撃速度が白い敵の速度を上回り始めたことを感じていた。その体の奥底で、火のついた愉悦がうずく。その愉悦が再び自らを貫く期待にうち震え、ディエファは、乾いた唇をぺろりとなめた。
死龍の攻撃速度は、もはや人間の太刀打ちできる限界を超えていた。慶次の心は限界まで働き、その限界にはばまれて、壊れようとしていた。
しかしそのとき、慶次は、どれだけ考えてもわからなかった敵の攻撃パターンに、はっと気付いた。それだけでなく、心の中で運動のイメージを思い浮かべるとき、実際の白虎を動かすコツのようなものがあることにも、連鎖的に気がつき始めた。
人が、難しい問題を解いたり、ど忘れした名前を思い出そうとして、パッとわかったり、ハッと思い出したりする瞬間、脳のあちこちでは同時多発的に、『ガンマ波』という脳波が放出される。この『ガンマ波』は、ゆっくりとした『アルファー波』や普通の『ベータ波』よりも、ずっと速い波で、高レベルの推論能力や認識能力を発揮するときに、一時的に放出される脳波である。
慶次は、人間の心が持つ認識力の限界を超えて、連続的に色々なことに気付き始めていた。しかし、それは白虎が少しずつ慶次の脳にフィードバック信号を送っていたからである。慶次の脳は、その信号に無意識に反応しはじめたのだ。
白虎は、ヘルメット型の装置で慶次の脳波を読み取る。それは読み取り専用で、白虎の方から慶次の脳へ直接信号が送られることはない。例えば、白虎の見るカメラ映像は、3Dディスプレイに表示され、衝撃などの感覚はパイロットスーツで皮膚刺激に変換される。それだけだ。だから、脳に直接信号が送られることはないはずだった。
しかし、慶次は、戦いの中で白虎の能力を究極まで引き出そうとし、白虎もそれに応えようと最善を尽くしていた。そのため、両者の間では情報の共有が図られはじめていた。白虎は、人間の声でなく、電子の声で、慶次の脳に直接語りかけていたのだった。
そうして、慶次の脳は、白虎の量子コンピューターと共に働き始め、人間としての心の速度を上回り始めた。慶次は、普通なら絶対思いつきそうにもないコツや、攻撃パターンなどに次々と気がつき始め、自分でも驚いていたが、それでもその集中が乱されることはなかった。慶次の心は、人としての限界を超え始めていた。
すると、白虎のナビゲーションプログラムが何かの報告をするのが遠くに聞こえた。
「全脳波がガンマ帯域へ移行。安全装置解除。量子シンクロ回路接続」
その瞬間、白虎に秘められた真の能力が覚醒する。今まで誰も動かすことができなかった量子回路が起動したのだ。回路を通して大量のデータが慶次の脳に送られはじめる。
そして慶次は白虎の全てを理解した。その手足の動かし方から、体中のモータの回転角度まで、ありとあらゆることが一瞬のうちに理解できる。慶次は、何かを考えることなしに、白虎を自由に動かす力を手に入れた。そして、それだけでなく、敵の剣の動きが止まって見えるほどはっきりと認識でき、その動き方が手に取るように理解できる。それは人としての認識力を超えたものだった。
慶次は、あまりの変化に、ぎょっとしてしまった。
「死ねぇ!」
その敵がたじろいだ一瞬を、悪鬼と化したディエファが見逃すはずもない。死龍は、燃える草原に、エンジンの噴射を叩き付けるように吹かし、あたりに火の粉を飛ばしながら、両手の剣を振り上げ、上段から白虎に斬りかかる。
「あれ?」
慶次は、目にも止まらないはずの白虎の攻撃をただ眺め、その冗談のようにゆっくりと振り下ろされる二本の剣を見つめる。そして、その二本を同時に止めることができる一点が存在することに、慶次は、はっと気がつく。
「ここだ!」
慶次は、予備動作を全く行うことなく、自分の左手の小刀を自然に前に出し、振り下ろされる二本の剣を同時に止めた。
そして右手の方の剣で、止まっているかのように動かない死龍の両手を、右から左へさっとなぎ払う。すると、死龍の両手首から先は、剣を握ったまま、ぽとりと地面に落ちた。
「ま、まだ終わらん!」
それでも死龍は、臆することなく、白虎に向けて、右足で重い回し蹴りを放つ。慶次は、それを軽々と左手の小刀の柄で受け、がら空きになっている相手の左足を、自分の右足で横に払う。
「これで終わりだ!」
バランスを失って傾く死龍の右足、股関節辺りを狙って、慶次は、前へ踏み込みながら右手の剣を突き出した。剣は、死龍の右足付け根に、深々と突き刺さる。死龍がゆっくりと地面に倒れ始めると、剣は、火花を出してくすぶるその右足から、するりと抜けた。もう立つことすらできないだろう。
「ん?」
そのとき、慶次は、上空から別の敵機が急速に降下してくるのを感じた。しかし、その機体に、もはや戦闘能力はなく、慶次を狙った動きでもない。慶次は少し下がって、敵機が落ちてくるにまかせることにした。
「お姉さまぁぁぁ!」
ランフェイは、足をやられて既に立てない飛龍を空中で何とか操りながら、白虎の前に墜落するような勢いに降りてきた。
飛龍が着陸するときの強烈な爆風で、燃えていた草木は吹き飛ばされ、周囲で燃える木々を残して、草原の火は一瞬で消えた。
ランフェイは、死龍の機体をかばうようにして、飛龍の背中を白虎に向ける。死龍も明らかに戦闘不能になっていたので、ランフェイは、身を挺して、敬愛するディエファを助けるつもりだった。
慶次は、ちょっと気が抜けて、その様子を見ていたが、すぐに白虎が割り込んできた。
「安全装置、再接続。 通常動作に移行しました」
「ああ、なんか普通になったな……」
さきほどの全能感がさっと消えた喪失感に、慶次は、ほっとしたような、がっかりしたような複雑な気分だった。しかし、そんな気分は、目の前の死龍が激しく痙攣しだしたのを見て、すっかり吹き飛んだ。
ディエファは、ついに限界の時を迎えていた。さきほどまで冴え渡っていたディエファの感覚は、どす黒く濁り、死神の手がディエファの体にまとわりついてくる。ディエファは、激しく痙攣していた自分の体が、だんだんと動かなくなっているのを感じながら、すっと意識を手放した。
ランフェイは、死龍が激しく痙攣しだしたのを見て、慌てて機体を押さえ込んだ。そして、その痙攣が治まってきたのを見て、ディエファが死の淵に立っていることを理解した。
ランフェイは、動きの止まった死龍の横にくっつけて、飛龍の機体を寝かせると、コックピットの扉を開けて、中から飛び出した。そして、白虎に向かって、力の限り大声で叫んだ。
「私は、お姉さまを助ける! 殺すなら、後にしろ!」
慶次は、その無茶苦茶な言葉に苦笑いを浮かべたが、もちろん無抵抗の敵パイロットを殺す理由はなにもない。慶次は、白虎の外部スピーカーをオンにして、ランフェイに声をかける。
「早く助けてやれ! 後で救護班を呼んでやるから」
「感謝する!!」
ランフェイは、再び大声で叫ぶと、死龍のコックピットの横にある、小さなアクセスパネルを開けて、暗号コードを打ち込む。すると扉は大きく開いた。ランフェイは、コックピットの中から、その馬鹿力でディエファを引きずり出し、そっと機体の上に寝かせる。
「まさかこれが役に立つなんて……」
ランフェイは、油でまみれたパイロットスーツのポケットから円筒形のケースを取り出し、きれいにまわりを拭くと、中から小さな注射器を取りだした。それは、ディエファの体内に注入された薬物を中和する解毒剤である。ランフェイは、それをディエファに持って歩くよう何度も忠告したが、ディエファがかたくなに拒んだため、念のためにランフェイが持ち歩いていた。
「目を覚まして、お姉さま……」
ランフェイは、心で強く念じながら、ディエファの腕に注射器を刺した。ディエファは、うぅっ、と一言唸ったが、目は覚まさなかった。しかし、土気色だった顔には、わずかに赤みが差し始めていく。注入した解毒剤は、確かに効いているようだ。
「突入隊隊長より、各機へ! お前ら、生きてるか?!」
突然、研究所で救出活動にあたっていた、突入隊の隊長から通信が入った。
「タイガーワンより、突入隊へ。 全員無事です」
「おおそうか、って、その機のねえちゃんはどうした?」
「機体を変更し、無事です。 敵機は全機戦闘不能にしました」
「そうか。 こちらも救出に成功したぞ!」
「慶ちゃーん! おねえちゃんですよ~!!」
「おい、こら、貸してやるから、ちょっと待て!」
真奈美の元気な声とともに、向こうで、真奈美と隊長が何やら言い争う声がする。真奈美は、隊長のヘッドセットに自分の顔をくっつけてしゃべっているのだろう。
隊長からヘッドセットをひったくったのか、すぐに真奈美が話し始めた。
「慶ちゃん、そっちはみんな無事なの?」
「モニカです。 真奈美さん、ケガはない?」
「ドミニクです。 何もされなかった?」
「クリスです。 お帰りなさい」
みんなは、話すのを待ちきれなかったかのように、一斉に話し始めた。
「あれ、ユカちゃんは?」
「ユカは、今、気を失ってるけど、ケガはしてないよ」
「……そっちも、大変だったんだね」
「ところで、ひどい実験とか、されなかった?」
慶次は、ここで聞いていいのか、ちょっとためらったが、真奈美の様子から大丈夫だと判断して、聞いてみる。
つばを飲み込む音こそ聞こえなかったが、モニカらが固唾をのんで答えを待っている様子がうかがえた。
「うん、大丈夫だったけど、ちょっとエッチなことは、されかけた、よ」
「ええ?!」
「なにそれ!!!」
「ひどい……」
みんな一斉に憤慨したが、されかけた、ということは、何もされなかったのだろう。真奈美は話を続ける。
「えっとね、ランフェイさん、っていうパイロットの人が助けてくれたの」
「そのパイロットって、割と大柄で長い髪の、俺らと同じぐらいの年の女性?」
慶次は、目の前でディエファを介抱しているランフェイを見ながら聞いてみる。
「そうそう、お目々ぱっちり系の美人さんよ」
「ふーん、多分その子、ここにいて、もう一人のパイロットを介抱してるよ」
「えー、あのお姉さまって呼んでる人、ケガしたんだ……」
「ああ、そう言えば、そっちに救護班はいる?」
真奈美が隊長に何かごしょごしょと尋ねる声がして、答えが返ってきた。
「もうすぐ、帰りのヘリが来るそうなの。 そして中国の軍隊も来てるらしいよ?」
「え、増援部隊?!」
「そうじゃないみたい。 政府側なんだって。 よく分からないけど……」
「ああ、こいつら反乱軍扱いだったからな……」
「だから、そのまま置いて帰っていいんだって」
そのとき、遠くの空からヘリコプターが飛来する音が響いてきた。研究所の方へ先に迎えのヘリが行ったようだ。
「ああ、私、もう行くけど、ランフェイさんにお礼を言っといてくれる?」
「わかった。 じゃあ、また後で」
「じゃあね、慶ちゃん」
慶次は、通信を切るとすぐに、目の前で介抱を続けるランフェイに、外部スピーカーを通して声をかけた。
「あんた、ランフェイ、って言うのか?」
「な、なぜそれを?!」
「あんたらに誘拐された真奈美って女性が、あんたに、ありがとう、ってさ」
「礼を言われることなど、全くない。 むしろ逆だろう!」
「俺もそう思うけど、まあ、伝言だ。 それから中国軍が来るから、そのまま待ってろ」
そう言って、慶次は会話を切ろうとしたが、ランフェイは、慶次にさらに質問した。
「おまえ、名前は何という?」
「服部慶次、高校生だ」
「高校生って、軍人じゃないのか?! しかし見事な戦いだった。 高校生か……」
「あんたもそうだろう?」
「私は、……高校など通ったことはない。 ただの軍人だ……」
慶次は、なんだか複雑な事情がありそうなランフェイには、少し同情的な気持ちが芽生えた。しかし、もう二度と会うこともないだろう。動かない同僚を看護するランフェイをちらりと見てから、倒れたままの黒獅子たちをヘリへ積み込むため、慶次は、仲間の方へと歩き出した。
上空から飛来したヘリは、大型の一機が研究所の方へ飛んでいき、残りの四機は、慶次らのいる焦げた空き地に直接着陸するようだった。慶次は、コックピットから降りてきたモニカらに気をつけながら、壊れた黒獅子の位置を動かしたり、着陸スペースを作ったりと、作業を続けていた。
途中で、由香里の意識も戻ったようで、ライオンワンのコックピットから外に出てきていた。その由香里めがけて、モニカらは急いで駆け寄り、そのまま四人で抱き合って、無事を喜び合っていた。
ランフェイは、遠くで抱き合う彼女らの様子をぼんやりと見ていた。
「みんな私と同じぐらいの年の、高校生か…… そんな世界もあるんだな……」
ランフェイは、疲れ切った顔で眠るディエファの髪を優しく撫でながら、日本での出来事を思い返していた。ランフェイにとって、今までで最も楽しかったことは、ピンクの水着を着て、プールの中をあちこち歩き回ったことだった。まるで翼が生えたかのように、心が軽やかだった。
「機会があれば、また行ってみたいな……」
ランフェイは、深いため息をつきながら、空を仰いだ。既に日は傾き始めており、木々の長い影が焼け焦げた広場に伸びている。その日差しは、ランフェイの顔にも深い陰影を作っていた。
またまた長くなってしまい、しかも作者のSF趣味が暴走してしまいました。
こだわりすぎた内容に、疲れた方はごめんなさい。
次回からは、VR研究部編になります。次の大冒険が始まるまで、学園物をお楽しみ下さい。




