2話 「現場で待機せよ!」
慶次が音声でコマンドを入力すると、とたんに顔にマスクがおりてきてドアが閉まり、体の周囲にジェルが注入されていく。
そのジェルは、感圧加圧作動流体と呼ばれるもので、任意の位置に加わる力を瞬間的に検出でき、圧力を加えることもできる。つまり、人間の動きを瞬時に測定し、皮膚に対して自由に圧力や温度を与えることができる。
これを体中にぴったりくっつけてコンピューターで計算された入力を行うと、自由に皮膚刺激を与えることができ、腕を動かすとその力を読み取ることができるのだ。
ジェルの注入が完了すると、マスク内の視界がさっと開ける。中の3Dディスプレイがオンになったからだ。チリチリとした皮膚感覚も次第におさまっていく。
この装置は、その見た目の通り、棺桶と呼ばれている。正式名称は、全感覚没入型遠隔制御器。
この装置は、専用回線を通じて、とある研究所の大型コンピュータと接続されており、さらに、遠隔操縦される人型機械と接続されている。
この人型機械は、機械人形と呼ばれている。
正式な開発コード名は機動歩兵弐拾壱式。
現在も軍用で開発されている機械人形は、その操縦に適した者がどういうわけか若年層にかたよっており、大人が使用すると間の抜けたピエロのような動きになってしまう。
実際には体を動かせない拘束状態で、しかもわずかな感覚遅延のある仮想環境下では、非常に独特な操縦感覚と想像能力、言いかえれば、特殊な環境適応能力が要求される。この能力は、一部の若者のみが保持するものだった。
もちろん大人にも操縦できる者は多いが、実戦に投入できるレベルではない。そこで、操縦に適した者を探して、機械人形は警察にも供与されている。
慶次の父は、このシステムの日本における開発責任者だ。その関係で慶次は棺桶の住人ならぬ、パペットマスターとなった。
その後、慶次は、抜群で希有なその適性からテストパイロットとなり、そのうち、なし崩し的に警察の任務にもひっぱり出されている。
「……状況は?」
慶次は周囲を見渡しながら質問した。
作戦担当のオペレーターが答える。
「ハロハロ、慶ちゃん!」
「まったく、いつも緊張感ないですね、メイさんは」
「『ハロハロ』は、慶ちゃんの召還コマンドなんだからねっ」
警視庁機動制圧班、安田芽依子オペレーターは、いつもノリノリである。
しかし、それは慶次限定であって、ストレス発散にちょうどよいということなのか、芽依子はしょっちゅう慶次をからかっている。
しかし芽依子は、さっと仕事モードに切り替えた。
「それで、状況なんだけど、犯人は、45歳男性。女の子1名を含む5人の人質を取って、前方の銀行に立てこもり、ほぼ3時間が経過しています」
銀行の前には盾を持った数十人の機動隊が見える。
慶次はその輪から100メートル以上離れて待機していた。
「また立てこもりか……」
「状況が普通でないのは、犯人が工業用機械人形に搭乗している点よ」
慶次は、機械人形を遠隔操作しているに過ぎない。が、搭乗型の機体を作ることも技術的には可能である。
しかし、人の体は急加速や衝撃に弱いので、人が搭乗すると素早い動きができなくなる。また、搭乗型は人型サイズよりずっと大きくなるので、人間用の兵器を扱うことが出来なくなってしまう。
突然、慶次の視野の一角にウィンドウが開き、犯人の望遠映像が映った。
犯人は3メートル近い背丈の巨大な工業用機械人形に搭乗しており、その左手には、アセチレンバーナーが見える。
「やっかいなのはこの火炎放射機のようなバーナー。それで人質を威嚇しています」
「まあこちらの人形には、全く脅威にならないけどね」
「また、犯人は、ボンベに爆破装置を付けていて、近づけば自爆すると宣言しています」
「そいつはやっかいだな……」
慶次がどうしたものかと考えていると、いきなり芽依子を上回る脳天気な声が聞こえてきた。
「慶ちゃーん、やっほ~」
「まー姉ちゃんは、いつも元気だね」
まー姉ちゃんこと工藤真奈美は、慶次の親友、工藤準の二番目の姉である。
準は、真奈美のことを「まー姉ちゃん」と呼んでいるので、慶次もついうっかり真奈美のことを「まー姉ちゃん」と呼んでしまったことがあった。
真奈美はそれ以来、慶次に自分のことを「まー姉ちゃん」と呼ぶように言いつけ、「真奈美さん」と呼ぶと、本気で不機嫌になった。
しょうがないので、それ以来、慶次は真奈美のことを「まー姉ちゃん」と呼んでいる。
「まー姉ちゃん、今日は遅かったじゃん」
「うん、脱ぐところでちょっと手間取っちゃってね~」
慶次は、制圧班のミーティングで初めて見た日から、真奈美がちょっと気になる存在となっている。
顔が好みというのもあるが、冗談をぽんぽん言っては華やかに笑うその明るい人柄には、多くの人を惹き付ける魅力があった。そして、その豊かな胸にも。
「も、もしかして、というか、やっぱり、というか……」
慶次は、つい着替えのシーンを思い浮かべ、ごくりとつばを飲む。
「うんうん、もちろん今はオールヌードだよ。 しかもジェルでヌルヌルだから、体中が敏感になっちゃってるかも~」
「ああ、やめてぇ。 健全な高校生をからかうのはやめてぇぇ」
機械人形にはもちろん戦闘に不要な機能は付属していない。
だから慶次にむくむくと起こった体の変化が機械人形に反映されることはない。
しかし芽依子は、慶次の心拍数をモニタリングしているのであれこれ察することはできた。が、ここは武士の情けで指摘しないであげた。
「慶ちゃんは、トイレで着替えてるんだってね~」
「ま、まー姉ちゃんはどうしてるの?」
慶次は、ちらちらと頭に浮かぶ真奈美の全裸イメージをぐっと頭のすみへ押しやって、話を続ける。
「わたしは大学側の協力で、一部屋貸し切ってもらってるよ~」
「うわ、いいなぁ」
いつでもすぐに駆け込める場所で、装置も簡単に設置できる場所。
それだけの理由でトイレが職場になってしまった慶次は、うらやましくて涙が出そうだった。
しかも、よくトイレに駆け込む慶次は、いつからかトイレマンという臭いあだ名が付けられてしまった。
「ところで今日はどうするの? メインアタッカーは、まー姉ちゃんがやるの?」
慶次は、自分がトイレにこもっていることを忘れようと、真奈美に話を振る。
「それがね、ちょっと機械の調子が悪くて…… 今日はバックアップに回るね~」
「了解」
「真奈美さんの機械人形もブーストが効かないだけで作動は可能よ。 だから安心してね」
芽依子はすかさずフォローを入れた。
「一人でアタッカーやるのは慣れてるし、問題ないよ」
――そうこうしているうちに30分が経過した。