23話 「ある暑い夏の一日」(前編)
入部テストのあった翌日。慶次ら五人は、朝からVR研究部の部室に集まって、試験結果を検討していた。昨夜も熱帯夜で、連日暑い日が続いていたが、慶次は、クリスの意外な行動についてあれこれ考え込んでよく眠れなかった。だから、涼しい部室でついウトウトとしている。
クリスは、朝、慶次と会ったときも、いつもと全く変わらず、ただ挨拶を交わしただけだった。結局、あれは感謝の表現だけだったのだろう、と慶次は結論づけた。
そしてなんだか気が抜けてしまった慶次は、眠れなかった時間を昼間に回収している。
「全く、結果だけ聞いて、お昼寝とはのんきだねぇ」
ドミニクは、苦笑いをしながら慶次を見ていたが、検討作業自体は、慶次が参加しなければならないほど大変なものではない。
今進められている検討は、何かミスがないか、データの再チェックをするためのもので、スコアのランキング自体は既に出ている。
驚いたことに、今回の受験者のトップは準だった。準のスコアは、786点であり、研究所が過去に実施した全ての受験者の中でもずば抜けて高い値である。準の姉である真奈美も、新しい制御方式になってからは非常に高いスコアを出しているので、何か遺伝的な要因があるのかもしれない。
そして、今回の受験者の第2位は、真行寺怜香だった。彼女は生徒会長をしているので、VR研究部に入部するつもりはなかったが、VR適性試験には興味があった。そこで、入部するつもりが無くても受験していいか、慶次が動物病院にいる間に、部室まで聞きに来たらしい。その時には、受験者も少なくなっていたので、怜香はそのまま試験を受けたそうだ。怜香のスコアは705点であり、準ほどずば抜けてはいないが、相当に高い値だ。
その他の受験者のスコアは、600点台前半が二人、あとは500点台が三分の一ほどだった。つまり、今回合格と認定していいのは、準と怜香だけ、という寂しい結果だ。
学生のクラブ活動としては、600点台の二人も合格にしていいのかもしれないが、棺桶の数はそれほど増やせない。だから、初回は準だけが入部する、という結論となった。
そうこうしているうちに検討も終わり、合否発表をメールで送信することになった。受験者のメールアドレスは、クリスがデータを整理しながら既に入力している。
すると部室のドアをノックする音がして、外から大きな声がした。
「すいませーん」
その声にビクッとして体を起こした慶次に向かって、ドミニクが教えてあげる。
「工藤君が来たようだよ」
「うん? ああ、俺が出るよ。 で、結果はOKで変わらないよね?」
「変わらないよ」
慶次は、大きく背伸びをしながら戸口まで歩いて行き、ロックを外す。
「よお、準。 決まったらメールするはずだったろ?」
「待ち切れへんで、聞きに来たんや」
「そうか……、あのなぁ、テストの結果はなぁ……」
慶次はもったいを付けて言葉を切ると、準はごくっとつばを飲み、こぶしを握りしめる。結構思い詰めた様子だったので、ちょっと意地悪だったかなと思いながら、慶次は朗らかに続ける。
「おまえだけ、ごうか~く!」
「マ、マジか!! やったぁぁぁぁ!!!」
素で喜んでいる準を見て、慶次もにんまりしていると、準の携帯端末が鳴った。合否結果のメールが届いたようだ。
振り返ると、モニカらみんながうなずいてから、口々に『ようこそ~』とか『おめでと~』とか言いながら、拍手で準を迎えた。
準は端末のメール画面から目を戻すと、彼女らの方を見て、勢いよく頭を下げた。
「よろしくお願いしますっ」
「こちらこそ、よろしく」
「よろしく……」
「歓迎するわよ」
「工藤君、よかったね~」
ドミニクも、クリスも、モニカも、由香里も、口々の歓迎の言葉を述べる。
慶次も準の肩をぽんと叩いて、わざとらしく右手の親指を立てて見せた。準は、半泣きになりそうなほど喜んでいたが、約束なんでまー姉ちゃんに電話してくる、と言って外で電話をかけ始めた。
慶次は、準を外に残して、みんなの座る席まで戻ってきた。
「お姉さんに電話する約束だったんだってさ。 もしかすると、俺達の仕事のことを打ち明けるのかもね」
頷きながら由香里が答える。
「そう言えば真奈美さんには、最近会ってないなぁ」
由香里は、試験勉強期間中、ミーティングに参加していなかったので、しばらく真奈美とは会っていない。
由香里は、脳天気な雰囲気なのに、痛いところを的確に指摘してくる真奈美にいつも四苦八苦していた。しかし悪意のない、むしろ善意で色々言ってくる真奈美とは、結構楽しく話せている。
「真奈美さんはいつもどおりだったわよ」
「そうだったねぇ」
モニカらは、日本でのミーティングにもオブザーバーとして参加している。その縁で、真奈美とも知り合いになっていた。
最近では、慶次の話題で話が異常に盛り上がったこともあった。もちろん、そのことは慶次には内緒だ。
しばらくしてから外でドアをガチャガチャする音がして、準の情けない声が聞こえてきた。
「おーい、開けてくれぇ~」
「おっと、自動でロックされるんだった」
慶次は、ドアのロックを外すと、謝りながら準を中に入れる。
後で予備のパスワードを渡してやらなくては、と慶次が思っていると、準はみんなの近くまで来て、なぜかもじもじしながら口を開いた。
「あのぉ、いきなりなんやけど、皆さん、今から遊びに行く時間とかある?」
「いいわよ。 歓迎会しようかって、言ってたのよ」
モニカが答えると、皆もうなずく。
「ああ、よかった。 実は、まー姉ちゃんが新しくできたプールの入場券を10枚もらったから、みんなで行こうって言ってるんやけど……」
「プールねぇ……まあ暑いからいいんだけど、みんなで泳ぐわけ?」
モニカは、どうも学校のプールをイメージしているようだ。慶次が説明しようとすると、準がここぞとばかり力を入れて説明を始めた。
「ああ、モニカさん、確かにそういうプールもあるんやけど、このプールはウォーター・アミューズメント・パーク、ちゅうか、水遊び遊園地みたいなもんやねん」
「あーそういうやつなのね。 それと、さん付けなしで行きましょう、準」
「オッケー、モニ……カ」
準は、グダグダになって返事をしたが、ドミニクやクリスもうなずいていたので、これから行くプールのイメージは正しく伝わったようだ。
「それじゃあ、早速出かけよっか。 水着は向こうで買ったらいいかな」
慶次は、ちょっとドキドキワクワクしながら女性陣を見渡すと、由香里だけがドキドキしてるようで、他のみんなは既にテキパキと後片付けを始めていた。
準は、わかりやすく鼻の穴をふくらませながら、真奈美に再び電話をかけ始めた。
「そういや、僕はプールでパフェを頂けるのかな?」
すっかり忘れていた慶次に、ドミニクがいきなり先日の話をぶり返してきた。
これはもう、素直におごるしかないなあと、慶次が考えたとき、ふと怜香のことを思い出した。
「そう言えば、真行寺も誘っていいかな? 多分校内にいるはずなんだけど」
「ああ、次点だったし、今後何かお願いするかもしれないから、いいんじゃない?」
「ああ、僕も賛成だよ」
モニカとドミニクが賛成したので、クリスと由香里の方を見ると、同じくうなずいて返した。
慶次が怜香に電話をかけるのは久しぶりだ。怜香は、恐らく今日も生徒会室で仕事をしているはずだ。電話に怜香が出る。
「おー、真行寺、テストの結果見た?」
「あ、服部君。 わざわざ、電話ありがとう。 合格レベルだったみたいね」
「うん、そうなんだ。 実際は準だけが合格したわけだけど」
「ああ、あなたの友達の工藤君ね。 よかったじゃない」
「うん、まあね。 ところで、今日、これから時間ある?」
怜香は、持っていたシャープペンシルを落としそうなほど驚いた。
怜香は、慶次とは比較的親しかったが、もちろん恋人として付き合ったこともないし、当然デートに誘われたこともない。それがどういう風の吹き回しか、デートのお誘いかもしれない。
急にドキドキし始める怜香。
「え、ええ。 書類の整理だけだから、また明日やればいいんだけど」
「お、そうか。 じゃあ今日はプールで遊んで、約束のパフェをおごらせてくれない?」
やはりデートのお誘いだ。
怜香は、慶次にほのかな好意を持っていたし、いきなりプールでデート、なんてちょっと大胆な気もしたが、ほとんど迷わずに慶次と行くことに決めた。
「う、うん、いいよ。 水着はないけど、買えばいいかな?」
「うん。 それと、VR研究部のみんなも一緒なんだけど、いいかな?」
怜香は、いきなり首をぐきっと折られたようなガッカリ感に打ちのめされた。
いや、確かに二人で行くとは言っていない。しかし、先にそれを言えっと、怜香はだんだん腹が立ってきた。
しかし、二人じゃなきゃイヤだと、慶次に言うことは、怜香のプライドが許さなかった。それにわざわざ誘ってくれた慶次の面子を潰しかねない。
考えてみれば、みんなで遊びに行くというのに、怜香を誘ってくれていること自体、うれしいことだ。
怜香があれこれ考えていると、慶次がおそるおそる尋ねてきた。
「ダメ、かな?」
「ああ、いえ、そんなことないよ。 行きます!」
怜香が慌てて答えると、慶次はほっとした様子だ。
「じゃあ、校門の所で三十分後に」
「わかった」
「いや、急で悪いんだけど、夏休みに二人でパフェでも食べようって、真行寺を呼び出すのも、悪いかなあと思ってさ」
慶次は怜香を誘ったことについて、やめておけばいいのに、さらにくどくどと説明し始めた。
「別にいいよ?」
「うん、でも、なんかデートみたいになったら、悪いかなぁと」
「ふーん、悪いんだ」
「え? 悪くない?」
「ふーん、悪くないんだ」
慶次は、こんがらがって来たが、怜香はどんどんご機嫌が悪くなっているようだ。
どうしてこうなった、と慶次が考えあぐねていると、怜香はすぱっと話を切り上げた。
「じゃあ、三十分後にっ」
「ああ、それじゃあまたね」
慶次が答えている途中で、電話は切れてしまった。
何がどうなっているのか、慶次にはさっぱりわからなかった。しかし、このことを由香里に質問してはいけないことだけは、はっきりとわかった。
「真行寺さん、来るって?」
慶次が電話を切ると、由香里がすぐ横から声をかけてくる。由香里に気がついていなかった慶次は、心臓がきゅっと縮み上がった。しかし、よくよく考えてみると、こそこそするようなことは何もない。
「うん、三十分後に校門で待ち合わせた」
「あら、ちょっと時間があるわねぇ」
どういうわけかニヤニヤしながら、割り込んでくるモニカ。
「じゃあ、『デートみたいになったら、悪いかなぁ』『え? 悪くない?』と答えた慶次の心境について、語ってもらいましょうか」
「いいねぇ、僕も聞きたいなぁ」
「デート……」
「慶ちゃんは、真行寺さんとデートに行くの?」
興味津々、でも非難ごうごうの様子で取り囲まれた慶次は、それから二十分近くもの間、あれこれ問い詰められることになったのだった。
そうして、慶次らは怜香と校門のところで合流し、地下鉄とバスを乗り継いでプールへとやって来た。
入り口の方を見ると、先に着いていた真奈美が手を振っている。
「おっひさ~」
「まー姉ちゃん、お久しぶり。 今日はタダ券をありがとう」
「慶ちゃん、よく来たね~」
真奈美はそう言うと、いつものように慶次の右手にからまって来る。
毎度の風景であったが、初めての怜香はびっくりして真奈美の方を見つめている。
「あら、初めまして~。 準の姉の、工藤真奈美です~」
「あ、こんにちは、真行寺怜香と言います」
「こんにちは、怜香ちゃん。 慶ちゃんの左手はいかが~?」
「いえ、遠慮しておきますっ」
どこかで聞いたようなやりとりだったが、そんな真奈美を怜香は天然な人と位置づけたようだ。
みんなは真奈美にお礼を言って、入場券を受け取り、ゲートから中へ入った。
――そんな様子を、道路脇に停められたワンボックスカーの中から窺っている男女がいた。
無線のスイッチを入れると、現状報告を始める黒ずくめの男。
「目標、遊興施設内に入場します」
「そのまま追尾しろ」
「了解」
短い会話を終えて無線を切ると、男は夏なのに同じように黒っぽい服を着た女に命令を与える。
「大尉が尾行しろ」
「はっ、尾行します」
「遊泳衣服は、施設内で購入しろ」
「はっ、購入します」
車のドアが開くと、中から女が猫のようにしなやかな動きで出てきた。
その服の色は黒っぽかったが、デザインは今っぽく、全体としてそれほど違和感はない。しかし、女は目深に帽子をかぶりサングラスをしていたので、怪しい雰囲気がにじみ出ていた。
女は、音楽再生機に偽装された無線機を手に持ち、ヘッドフォンの位置を少し直すと、足早にチケット売り場の方へ歩いて行く。
女は、背が高く筋肉質な体格で、足もすらりと長い。
髪の毛は小さく括って帽子の中に押し込められているが、かなりの長髪に見える。
顔も日本人とほとんど変わらない雰囲気だが、大きな目に長いまつげが印象的な美人である。
女の名は、李・蘭妃。
ランフェイは、中国人民解放軍、機器歩兵部隊に所属する機械人形を操るパイロットだ。
しかし、そのことを慶次達が知るのは、まだまだ先のことである。
次回は水着回です。小説には不要かもしれませんが、これも作者の趣味です……。




